門松みゆき ロング・インタビュー! 抜群の声の鳴り! 心に響く豊かな響き! 期待の大型新人のセカンド・シングル! -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

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門松みゆき ロング・インタビュー! 抜群の声の鳴り! 心に響く豊かな響き! 期待の大型新人のセカンド・シングル!

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門松みゆき

New Single 「浜木綿しぐれ」

★ 2019年2月『みちのく望郷歌』でデビュー!
★ デビュー時のキャッチフレーズは、「平成最後の実力派美人演歌歌手!」!
★ 『浜木綿しぐれ』は、メジャー調、3連ブルースの、切ない波止場演歌!
★ 一度、聴いただけで「♪はまゆうしぐれ〜」が耳に残る!
★ 力強い歌声のカップリング曲『ふるさと横丁に灯がともる』は、デビュー曲の続編!

門松みゆき / 浜木綿しぐれ

「浜木綿しぐれ」歌詞

「ふるさと横丁に灯がともる」歌詞


浜木綿しぐれ 【 Aタイプ 】

門松みゆき「浜木綿しぐれ(はまゆうしぐれ)」 Aタイプ
CD Single
2020年 2月 5日 発売
COCA-17732
¥1,227+税
日本コロムビア

<収録曲>
M-1. 浜木綿しぐれ (作詩/石原信一、作曲/藤竜之介、編曲/馬飼野俊一)
M-2. ふるさと横丁に灯がともる (作詩/石原信一、作曲/藤竜之介、編曲/西村真吾)
M-3. しあわせ岬 (都はるみ カバー)*ボーナストラック
M-4. 浜木綿しぐれ (オリジナル・カラオケ)
M-5. ふるさと横丁に灯がともる (オリジナル・カラオケ)
M-6. しあわせ岬 (オリジナル・カラオケ)
M-7. 浜木綿しぐれ (2コーラスカラオケ)
M-8. ふるさと横丁に灯がともる (2コーラスカラオケ)

浜木綿しぐれ 【 Bタイプ 】

門松みゆき「浜木綿しぐれ(はまゆうしぐれ)」 Bタイプ
CD Single
2020年 2月 5日 発売
COCA-17733
¥1,227+税
日本コロムビア

<収録曲>
M-1. 浜木綿しぐれ (作詩/石原信一、作曲/藤竜之介、編曲/馬飼野俊一)
M-2. ふるさと横丁に灯がともる (作詩/石原信一、作曲/藤竜之介、編曲/西村真吾)
M-3. かもめの街 (ちあきなおみ カバー)*ボーナストラック
M-4. 浜木綿しぐれ (オリジナル・カラオケ)
M-5. ふるさと横丁に灯がともる (オリジナル・カラオケ)
M-6. しあわせ岬 (オリジナル・カラオケ)
M-7. 浜木綿しぐれ (2コーラスカラオケ)
M-8. ふるさと横丁に灯がともる (2コーラスカラオケ)


インタビュー

 昨年、2019年2月、25歳の時、「コロムビアが送り出す平成最後の実力派美人演歌歌手!」とのキャッチフレーズで歌手デビューした門松みゆき。たしかに、印象的なストレートのロングヘアーで、吸い込まれそうな大きな瞳を持つ今風のキュートな人だ。
 しかし、高校卒業後、デビューまでの約8年間、正月以外は実家にも帰らず、この時代にケータイも持たない厳しい内弟子生活を選ぶという、芯の強さと根性がある。頭の回転が速く、感謝の気持ちを忘れず、自身を客観視できるプロデューサー的な視点も自然と持っている。
 小さい頃から北島三郎のエンターテインメント性に魅せられ、単純に「歌うことが好きだから歌手になりたかった」ということではなく、「歌で人を楽しませたい」という使命感のようなものが感じられる。10年間に及んだ弟子時代は、先が見えず、決して楽ではなかったが、それをやり抜いた経験を誇りに思い、自信にもなっているようだ。
 言葉の抜けがよく、明るく豊かに響く、力強い歌声…、その堂々とした思い切りのいい歌唱は、将来、日本の歌謡界を背負って立つような大物歌手となることを予感させる。

■ デビューから1年 〜「ある意味、完全オーダーメイドのような…」〜

 今作『浜木綿しぐれ』は、昨年2月のデビュー・シングル『みちのく望郷歌』に続く、セカンド・シングルとなる。高校2年の時に、作曲家である藤竜之介の弟子となってからデビューまで、外弟子と内弟子の約10年間の修行生活を送り、デビューしてから、ちょうど1年目となる。

 「スタッフの方々の熱意のおかげで、日本全国、いろいろなところで毎日のように歌わせていただける幸せを噛みしめているうちに、あっという間に1年が過ぎていった気がします。本当に幸せですね。」

 デビュー曲とはガラッと変わり、メジャー調、3連ブルースの王道「波止場演歌」で、切ない未練心を歌ったストレートな歌詞に、門松みゆきの歌声の良さがひき立つ、耳に残るメロディの曲だ。師匠であり作曲家の藤竜之介からは、完成形のデモ音源を聞かされるのではなく、その作曲過程から聴いていた。

 「デビュー曲からそうなんですけど、私のための楽曲を作っている途中から、先生のナマ歌で聴かせて頂いていたんです。”ココは歌いにくくない?” とか聞いてくださって、ある意味、完全オーダーメイドのような、門松みゆきがイイ歌を歌えるようにと作っていただいた感じです。」

 だから、歌声の一番良いところが出るような曲になっているのだろう。10年間もレッスンをし、さらに、作曲する過程で本人と話し合いながら作っていけば、それは、その歌い手にピッタリ合った、歌声の魅力が最大限に出る楽曲にもなる。

 「歌いにくいところとかは、正直に言いました。デビュー曲のころは、内弟子で修行中でしたから、先生のご自宅の2階にいると、レッスン室のあった地下からインターフォンで、「ユキ(※)いる? ちょっと降りてきて」と呼ばれることもありました。”ココ、2つあるんだけど、言葉の発声的にどっちが歌いやすいかな? ちょっと歌ってみて” みたいな意見のやりとりをさせていただいていたんです。他の先生だったら、そういうことはないと思いますけど、それは、10年間、先生と歩んできた道のりがあったからこそ、できたのかなと思います。」

 お互いの信頼関係を感じる。門松みゆきの熱意と根性が、師匠・藤竜之介を、そこまで一生懸命にさせたのではないだろうか。

(※)筆者注:門松みゆきの本名は「門松由樹(ユキ)」

■ 『浜木綿しぐれ』 〜「似てる部分があるのかなって思いますね(笑)…」〜

 もともと、今回のシングルを制作するにあたり、スタッフがイメージしていたのが、八代亜紀だったようだ。そう言われれば、たしかに、八代亜紀の『もう一度逢いたい』のような雰囲気がある曲だ。

 「デビュー曲の『みちのく望郷歌』とはまた全然違ったタイプの曲だったので、”どう表現しようかな…”って思いました。でも、こういう3連のブルースの港町演歌は、登竜門みたいな曲だと思うので、それを2作目で挑戦させていただけるっていうのは、身の引き締まる思いがしました。女性が未練を断ち切りたいと思う切ない歌なんですけど、”門松のパンチ力をいかして、ふっきる思いを3連のリズムにのせて、明るい楽曲にしよう” というコンセプトで作っていただきました。」

 ”あんな男と思っても どんな暮らしか気にかかる…” と歌われる歌詞の内容は、港に残された女が、立ち切ろうと思いながらも立ちきれない未練心を歌った内容だが、26歳で、果たして、この心情がわかるのだろうか?

 「結構、わかりますね(笑)。上手く生きれない不器用な感じというか、素直に言えないところとか…。女性って強がりなんですよね。本当は、すぐ戻ってきて欲しいし、あの時のことが忘れられないとか、どこかにモヤモヤした気持ちがあるんだけど、でも、私は一途に生きて、惚れたが悪いみたいな…。芯の強い女性という意味では、似てる部分があるのかなって思いますね(笑)」

 ちゃんとわかっていた……。

 「『みちのく望郷歌』と比べると、突然、大人になったなって感じですね。どう表現しようか、最初は考えましたけど、私独特の芯のある太い歌声で補えるのかなと…。たとえば、線が細くて綺麗な声だったら、またちょっと雰囲気が変わってしまって、この主人公にはなれなかったかもしれないと思いますね。」

 レコーディングの時、師匠の藤竜之介は、ほとんど何も言わず、ディレクターと作詞の石原信一がディレクションをしながら進んだようだ。

 「藤先生は、レッスンの時は、細かく厳しくおっしゃるんですけど、実際に、スタジオに入った時には、あまり言いませんね。レッスンで基盤を作ってくださっているというか。石原先生は、歌い方のニュアンスとか、”この言葉はこういう風に表現して” とか、細かく言ってくださるので、ありがたいです。」

 とにかく、毎コーラスの最後に出てくる「♪はまゆ〜う し〜ぐ〜れ〜」が耳に残る曲で、一度、聴いたら覚えてしまう。

 「今、キャンペーンで歌わせていただいているんですけど、ありがたいことに、握手会やサイン会の時に、”浜木綿しぐれ〜” のところを覚えていて歌ってくださったり、口ずさんで帰られる方もいらして、うれしいなと思いますね。」

■ カップリング曲・カバー曲 〜「夢のひとつでもあるんです…」〜

 Aタイプ、Bタイプ共通で収録されている書き下ろしのカップリング曲、『ふるさと横丁に灯がともる』は、デビュー曲『みちのく望郷歌』の続編となる曲で、この曲も、毎コーラス終わりの「灯がともる」「偲ぶ影」「情け川」の唸りが耳に残るが、1番の「ああ ひとりじゃないよ 淋しかないよ 」2番の「ああ 元気でいるよ 心配ないよ」3番の「ああ 半端は嫌だよ 逃げたら負けよ」の部分が、門松みゆきの歌声で、心に響いてくる。どこか、細川たかしの『望郷じょんから』のような雰囲気を持つ曲だ。

 「”ど根性娘” 扮する門松みゆきが、前作で東京に出てきて、いろんなことを経験しながらも、前に向かって進むっていう感じですね。前作と同じく、三味線が入っていたりとか、唸りぶし、巻き舌とかも入っています。」

 さらに、Aタイプには、都はるみの『しあわせ岬』、Bタイプには、ちあきなおみの『かもめの街』という、いずれも「海」がテーマの曲が、ボーナストラックとして収録されている。どちらも名曲だが、歌いこなすのが難しい歌だ。担当ディレクターや事務所の社長が「門松みゆきに歌わせたい」と選んだ2曲で、オリジナル曲とは、また違った歌声が聴ける。

 「どっちも難しい曲です。しかも『かもめの街』の方は、今回、バンドさんと同録だったんです。」

 通常のレコーディングでは、まずは、バンドが演奏したカラオケを先に制作し、そのカラオケに合わせて歌を録音するというのが、一般的なやり方だ。だが、この『かもめの街』は、昔のように、バンドと一緒に「せーの!」で歌も演奏も同時に録音する「同録(同時録音)」で行われたようだ。

 「やっぱり、最初の方の語りの部分が、カラオケでやると、どうしても合わせてる感が出てしまうし、雰囲気が出ないんですよね。」

 たしかに、『かもめの街』の冒頭の部分は、一定のテンポではないため、出来上がったカラオケに合わせるのは難しい。また、カラオケに歌を入れる従来の方法であれば、時間が許す限り、納得するまで何度でも歌い直せるが、バンドと一緒となると、そうもいかない。少ない回数で、OKテイクを出さなければならないという、大きなプレッシャーもかかる。

 「とっても緊張感が漂う中でやらせていただきました(笑)。そのへんも楽しんでいただけたらなと思います。」

 しかし、どちらの曲も、決してモノマネではなく、門松みゆきらしく、実にうまく歌っている。

 「こういう昭和の名曲を残していきたい、伝えていきたいということが、私の夢のひとつでもあるんです。都さんも、ちあきさんも、今は活動なさっていないので、”もったいない” という言い方があっているかわからないですが、私たち若い世代が、こういう昭和の名曲を歌い継いで残していけたらいいなと思います。微力ながら、また新たに門松みゆきの歌で、楽曲に息が吹き込まれていけばいいかなって思います。」

■ 北島三郎と細川たかし 〜「自分に流れている血が演歌なんだろう…」〜

 演歌と出会ったのは、2歳の時に両親に連れられて行った、新宿コマ劇場での「北島三郎・特別公演」だった。と言っても、両親が「演歌好き」だったわけではない。母親は、高橋真理子や松田聖子の歌をよく歌っていて、一方、父親は、キャロルとかTUBEなどロックが好きだったようで、新宿コマに行ったのも、たまたま知人からの誘いだったそうだ。
 当然、2歳のころの記憶はないが、すぐ迷子放送で呼ばれてしまうくらい落ち着きのなかった子が、2時間のお芝居と2時間の歌謡ショーを、母親の膝の上で、食い入るように見ていたらしい。

 「何か感じるものがあんたんでしょうね。それで、親も、”あっ、この子、興味あるんだ” ってことで、毎年連れていってもらうようになって、それから、ずーっと行ってました。案の定、両親もハマってしまっていましたし。」

 小学生になると自分の席を買ってもらえるようになり、その頃には、お芝居も内容もだんだん分かってきて、感動で涙を流すくらい好きになってしまった。

 「あの頃の新宿コマの演出ってスゴイじゃないですか。子供ながらにエンターテインメント性を感じてましたね。お芝居があって、歌だって、ただ聞かせるだけじゃない、船が出たり、ねぶたが出たり、三味線の演奏があったりとか、なんかキラキラした世界だなって感じてました。”この人すごい! たった一人で、こんなに沢山の人を感動させられるお仕事ってスゴイ” って思いました。」

 このコマ劇場で見た北島三郎の公演がきっかけで、門松みゆきは歌手になりたいと思った。

 「小学生は私くらいで、まわりは、みんな、おじいちゃん、おばあちゃんばかりだったんですけど、公演が終わった後に、”いや〜よかったね〜、また来年も見にこようね〜” って話してるのが聞こえてきて、ビックリしたんです。だって、1年越しの話をしていて、全く失礼な話なんですけど、”来年、元気でいるかどうかもわからないじゃん” って、子供だから思っていたんです。でも、”1年頑張れる元気を今日もらたんだな” ってことを理解した時に、この仕事って、そんなに影響力のある仕事なんだ、素晴らしい仕事だなって思って、私も歌手になりたいって思いはじめました。」

 2歳のころから、毎年、新宿コマに通っていただけあって、北島三郎の曲はみんな好きだが、中でも、とくに好きな1曲があるという。

 「やっぱり派手な『まつり』とか『北の漁場』とか「『風雪ながれ旅』とかも大好きですけど、一番好きなのは『山』ですね。わりと小さい頃から、子供ながらに理解しようと興味を持った1曲です。”自分て、なんてちっぽけなんだ” って思わされるような詞が深い曲だと思います。でも、すごく前向きですし。とくに、3番の歌詞 “目先のことに うろちょろするな きのうと同じ 今日はない” が好きで、もうなんか、人生の教科書みたいで、その歌詞といい、北島さんの歌唱といい、子供ながらに胸にぐっとくるものがありました。」

 長かった修行時代も、この曲が支えになったようだ。

 「この歌に救われたとういうか、背中を押してもらえた曲ですね。この曲を聴いて “あ〜また頑張ろう!” って笑顔になれたら、まだ自分は大丈夫。聴いて、ちょっとウルウルってきちゃったら、” あ〜ちょっと疲れてるのかな” って思える、私の中のバロメーターになっている曲なんです。」

 また、同じ男歌でも北島三郎とは全く違ったタイプだが、細川たかしも大好きだと言う。

 「お二人に共通しているのは、とにかく国民的なキャラクターだってことだと思うんです。私の1番の目標が、”老若男女を問わず、たくさんの方に愛していただける歌手” なので、お二人に憧れます。北島さんなら “サブちゃん サブちゃん” て言われていますし、細川さんも、いろんな番組とかCMにも出られていて、子供でも “あっ、いっきゅうパッの人!” って知ってるじゃないですか。お二人とも、お話も面白いですし、演歌の歌い手というジャンルの中だけではなくて、ひとつのエンターテインメントとして、日本の大切な演歌という線を持ちながらも、幅広く活動されているからだと思うんです。」

 「それに、昔は、演歌歌謡曲が主流でしたけど、たとえば、今、私の同年代の人に” 演歌の人知ってる” って聞いても、なかなか知ってる人って少ないですけど、その中でも、北島さんや細川さんていうのは、みんな知ってるし、ヒット曲もたくさんあります。衰えないバイタリティもスゴイですし。」

 とは言え、たとえば、高校生の頃とか、そんな演歌や歌謡曲ばっかり聞いていたのだろうか?

 「やっぱり、友達と合わせなきゃいけないので、いちおう、モーニング娘。さんとか通ってはきたんですけど、でも、やっぱり行き着くところは演歌でしたね。なんか、しっくりこないというか、肌に合わない感じなんです。自分に流れている血が演歌なんだろうなって思いました。

■ 10年間の修行時代 〜「まず、ケータイの解約からはじめました…」〜

 実は、子供の頃から、ジャズやヒップホップのダンスもやっていて、高校1年のころまでは、ダンサーになろうと思っていたようだ。しかし、演歌歌手への思いはたち切れず、かと言って、演歌を教えてくれるような進学先もないと思っていたところ、たまたま、知人の紹介で、作曲家の藤竜之介と出会う。高校在学中の2年間、外弟子として地元の小田原からレッスンに通ううちに、「もうココに来るしかない」と思い、高校卒業とともに上京し、内弟子となる。

 「内弟子時代は、毎日のように先生のご自宅に伺って、朝食から始まって…というように、本当に家族同様の生活をおくっていました。先生の奥様がカラオケのお店をやってらして、そこを手伝いながら、接客させていただきながら、毎日、ショータイムという形で歌も歌わせていただくというのを続けていました。」

 結果的に、デビューに至るまで、内弟子になってから8年もの年月が過ぎることとなるが、その間、お正月以外は、実家にも帰らず、しかも、自分の携帯電話すら持っていなかった。今の若者にとって、絶対になくてはならないモノである。

 「最初は “はぁ〜 生きていけなぁ〜い” って思いましたけどね(笑)。でも、まず、内弟子になる時に、”携帯電話を解約する” っていうことが決意表明というか、どれだけ本気でやるのか見せろってことだったんだと思います。やっぱり、お互い人生をかけるわけですから、それくらいの覚悟で来なさいっていうことで、それを理解した上で、まず、ケータイの解約からはじめました。」

 しかし、高校卒業後の8年間と言えば、普通の若者にとっては遊びたい盛りの時期である。

 「でも、先生のウチに行って、食事をして、発声をして、お店を手伝って、歌って…、っていう生活を繰り返していると、外との連絡をとることがないから、結局 “あっ、ケータイは使わないな” って思いました。先生のマネージャー的な仕事の時は、専用の携帯電話を持たせていただいていたので、先生だったり、仕事現場とかとの必要最低限の連絡はとれましたし、家族には固定電話で連絡していました。」

 師匠の藤竜之介も、そんな門松みゆきの思いにこたえ、徹底的に歌を教えた。

 「他の内弟子さんたちの話を聞くと、歌を教えてくださらない先生も結構多いみたいなんですけど、やっぱり、藤先生からは、基本的には歌を教わりました。定期的に必ずレッスンをしていただけましたし、レッスンしたことをすぐ発表できるお店があるとか、歌を中心とした生活を送らせていただけました。現場に連れて行ってくれて、ステージを見させてくれたりもしましたし、でも、何より、歌の技術をきちんと教わったことは、デビューしてから、あらためてよかったなと感じています。ただ、運転手をするとか、料理をするだけでは学べないことがたくさんあると思うんです。」

 たしかに、船村徹も、北島三郎も、弟子に対して、歌のレッスンは、ほとんどしなかったと言われている。しかし、それぞれの考え方や方針もあるし、実際、多くの素晴らしい弟子たちをデビューさせているので、一概に、どちらが良いとか悪いとかは言えない。だが、少なくとも、藤竜之介は、門松みゆきに、徹底的に歌を教えたようだ。
 また、内弟子時代、レッスンと並行して、「第一興商」のカラオケのガイド・ボーカルを歌う仕事をしていたこともある。150曲以上歌っているようだが、何を歌っていたのか自分からは言い出さないので、無理やり聞いてみた。

 「ハスキー系とか歌謡曲系、艶歌系、ド演歌系、ちょっと線の細い人とか、全部で5人くらいいて、その中で、私は、若手や中堅の女性演歌が担当だったんです。たとえばですか…? 恥ずかしいですけど…、水森かおりさんとか…。」

 カラオケのガイドボーカルを入れる時には、もとのメロディ譜ではなく、そのオリジナル歌手の歌いグセ通り、実に細かい譜面を渡されるそうだ。音程が正確であることはもちろん、オリジナル歌手のイメージに近い歌声や、細かい歌い回しまで似せる必要がある。それも、今につながる、良いトレーニングになったのではないだろうか。

 「とにかく、修行時代はタイヘンでした(笑)。でも、こうしてデビューさせてもらって振り返ると、その10年があったからこそ今の自分があると思いますし、大切な時間だったなと思います。ひとつひとつの「ご縁」がつながってデビューに至ったと思っています。」

■ 将来の目標 〜「見る視点が違うところがあるんです…」〜

 子供の頃から、長くダンスをやっていたことは、リズム感を養われるという意味で、今に役立っていることは想像に難くない。他にも、中学・高校では、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたり、エレクトーンを習っていたこともある。デビュー曲『みちのく望郷歌』のミュージック・ビデオでも弾いているように、津軽三味線は、小学生のころから、今も続けている。新宿コマで見た『風雪ながれ旅』の三味線奏者に憧れて始めたのだが、同時に、民謡も習っていたこともある。

 「民謡って、やっぱり高い声が魅力なので、私の太くて低い声があわなくて、自分の声がイヤだなって思っていたんです。そんな時に、藤圭子さんとか八代亜紀さんの楽曲と出会って、”あっ!こういうジャンルもあるんだ!” って気づかされたんです。歌っていろんな幅があるんだな、高い声にこだわらなくてもいいんだなって思いました。自分の頭のどこかに、”若いから、フレッシュに、そういう高い声を出さなきゃいけない” みたいに思っていたところがあって、でも、そうじゃなくていいんだ、自分の魅力はそこじゃなかったんだってことに、すごく気づかされました。”じゃあ、そっちを極めよう” って、その時に思いました。」

 無意味で不毛な「ないものねだり」をするのではなく、自分を客観的に分析して、小学生で、それに気付けるとは、たいしたものだ。

 「不思議なんですけど、もうひとり自分がいるというか、見る視点が違うところがあるんです。ダンスやりたいとか、三味線やりたいというのも、ステージに立つ自分の目線だけではなく、全体の演出というか、そのひとつのショーの中で、”ここで三味線が出てきたらまた色が変わるな” とか、”こういう曲でダンスを入れたら華やかになるな” とか考えてしまうんです。

 プロデューサー的な視点というか、俯瞰で、冷静に自分を見る目も持っている。とてもクレバーな人だ。

 「自分自身は、ポンコツで、不器用で、ダメな人間なんです…。だから、そこを補うためにどうしらいいかを計画的に考えるようにしています。たとえば、”片付けるのがいやなので散らかさない、そのためにはものを少なくする、必要最低限のものしか置かない” とか。

 音楽とは、エンターテインメントであり、総合芸術だ。コンサートやテレビで歌う時には、歌声だけを聴かせているのではない。いやでも歌う姿を見せることになり、そこでは、歌い手自身も含めたトータルでの演出が欠かせない。だから、そういうプロデューサー的な視点で見ることができる人は強い。

 小さい頃から北島三郎のエンターテインメント性に魅せられ、「ただ歌うことが好きだったから、歌手になりたかった」という単純なものではなく、自身が新宿コマで感じたように「歌で人を楽しませたい」「昭和の名曲や演歌を広めていきたい」という強い使命感のようなものが感じられる。

 「とにかく、老若男女問わずたくさんの方に愛していただける歌い手になることが、1番の目標です。”あのコの歌、なんかいいよね” って言われるようになって、人の心に届く、染みるような日本の演歌を歌っていけるような歌い手になりたいと思います。」

 「ホントに演歌歌謡曲が大好きなので、昭和の名曲を歌い継いで残していきたいですし、私のキャッチフレーズでもあります “歌う門には福来る” のように、歌を通してたくさんの皆様に福をお届けできる存在になりたいなと思っています。」

(取材日:2020年1月21日 / 取材・文:西山 寧)

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キャンペーン情報

2/10 東京・錦糸町/東京・小岩
2/13 東京・町田市/東京・新橋駅
2/21 三重県・桑名市/愛知県・北名古屋市/愛知県・名古屋市金山
2/22 三重県・鈴鹿市/三重県・松阪市
2/23 三重県・伊勢市
2/26 茨城県坂東市/茨城県猿島郡
2/27 千葉県成田市
3/05 大阪・日本橋/大阪・堺市
3/07 大阪市・城東区/兵庫県・尼崎市

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