フジコ・ヘミング Fuzjko Hemming
60代の後半になって遅咲きのデビューを果たし、叙情的でドラマティックな演奏で、一躍人気に火がついた奇跡のピアニスト、フジコ・ヘミング。90歳を過ぎても多くの聴衆を魅了し“魂のピアニスト”と呼ばれる。
ピアニストにとって命ともいえる聴力を失い、一時期、無国籍者となるなど過酷な人生を歩んできた。
彼女が愛してやまない作曲家がピアノの詩人と呼ばれたショパン。ショパンはスペイン・マヨルカ島で一冬を過ごし、死を宣告されながらこの地で名曲を書き上げた。
フジコ・ヘミングが、念願だったマヨルカを旅し、ショパンの面影を探すフジコさんの旅に密着した番組『フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して ~スペイン・マヨルカ島への旅~』が 1月29日(日)13:20 〜 NHK BSプレミアム でアンコール放送される(初回放送:2022年12月28日)。
番組情報
フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して ~スペイン・マヨルカ島への旅~ (再放送)
2023年 1月 29日(日) 13:20 〜 14:49 (89分)
NHK BSプレミアム
初回放送:2022年 12月28日
フジコ・ヘミング プロフィール
フジコ・ヘミング Fuzjko Hemming
本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。
日本人ピアニストの母、 大月投網子とロシア系スウェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。 実弟は俳優の大月ウルフ。 母の手ひとつで東京に育つ。 幼少の頃よりピアノを始め、 レオニード・クロイツァー氏に師事。 青山学院、 東京藝大を経て、 現・日本音楽コンクール、 文化放送音楽賞など受賞し、 28歳でドイツへ留学。 戦時の混乱で無国籍であったため難民ビザでの入国だった。 現・ベルリン芸術大学を優秀な成績で卒業し、 ヨーロッパでキャリアを重ね、 レナード・バーンスタイン氏らからも評価され支援を受けるが、 コンサート直前に風邪をこじらせ聴力を失う。 絶望と貧困の中で治療に専念し、 音楽教師として生計を立てながら演奏活動を続ける。 母の死後、 日本に帰国し再起をかけて奏楽堂でコンサートを続けた。 1999年、 NHKETV特集でその存在が紹介されると大反響となり、 60代でフジコブームが巻き起こる。 いくつになっても自分を信じて努力を続け、 諦めることなく夢を追うその姿勢は、 多くの人々を勇気づけた。 2年連続「日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したCDアルバムは200万枚というクラシック界では異例の大ヒットを記録。 その後はパリに居を構えて海外公演の足場とし、 ヨーロッパ、 北米、 南米などワールドツアーを続け、 著名オーケストラとの共演も数多い。 2018年、 フジコの知られざる生活を描いた映画『フジコ・ヘミングの時間』が全国公開されると、 立ち見の出るロングランヒットとなった。 音楽だけに留まらず、 ファッション、 インテリア、 ライフスタイルなど、 その強烈な個性は多くの支持を集めている。 デビューから20年を超えた現在も、 年間約60本に及ぶコンサートを行い、 常にソールドアウトになるほどの人気を誇る唯一のアーティストである。 動物愛護や被災地への支援など、 チャリティー活動も精力的に行なっている。