パク・ジュニョン、これまでとは違った魅力に溢れた 通算10枚目のシングル! ロング・インタビュー!

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パク・ジュニョン Park Junyoung

New Single 「海に語りて」

★ 3曲とも、シンガー・ソングライター HANZO の作曲!
★ カップリング2曲もA面クオリティ!キャッチーで耳に残る!
★『海に語りて』は、語るような歌声が心に染みるポップス調バラード!
★『夕霧挽歌』は、釧路を舞台にした マイナー調3連の演歌!
★『昼も夜も真夜中も』は、マイナー調アップテンポのノリのいい王道ポップス!

パク・ジュニョン「海に語りて」ミュージック・ビデオ(Short Version)
パク・ジュニョン 『昼も夜も真夜中も』

「海に語りて」歌詞

「夕霧挽歌」歌詞

「昼も夜も真夜中も」歌詞

キングレコード「ドレミファどんKING」インタビュー動画

海に語りて 【 Aタイプ 】

パク・ジュニョン 「海に語りて」【Aタイプ】
CD シングル
2020年02月26日発売
KICM-30965
¥1,273+税
キングレコード

<収録曲>
M-1. 海に語りて(作詞:伊藤美和 作曲:HANZO 編曲:蔦将包)
M-2. 夕霧挽歌(作詞:鈴木紀代 作曲:HANZO 編曲:川村英二)
M-3. 海に語りて(オリジナルカラオケ)Em
M-4. 海に語りて(一般男声用カラオケカラオケ半音下げ)Ebm
M-5. 海に語りて(一般女声用カラオケ2.5音上げ)Am
M-6. 夕霧挽歌(オリジナルカラオケ)Am

海に語りて 【 Bタイプ 】

パク・ジュニョン 「海に語りて」【Bタイプ】
CD シングル
2020年02月26日発売
KICM-30966 定価¥1,273+税
キングレコード

<収録曲>
M-1. 海に語りて(作詞:伊藤美和 作曲:HANZO 編曲:蔦将包)
M-2. 昼も夜も真夜中も(作詞:紙中礼子 作曲:HANZO 編曲:杉山ユカリ)
M-3. 海に語りて(オリジナルカラオケ)Em
M-4. 海に語りて(一般男声用カラオケカラオケ半音下げ)Ebm
M-5. 海に語りて(一般女声用カラオケ2.5音上げ)Am
M-6. 昼も夜も真夜中も(オリジナルカラオケ)Fm


ロング・インタビュー

 韓国では、ダンス・ボーカル・グループとしてメジャーデビューしていたパク・ジュニョン。2007年、兵庫県の赤穂市にホームステイしたことをきっかけに日本でも音楽活動をはじめ、その後、山本譲二と出会い、2012年に日本でソロ歌手としてメジャーデビュー。2011年には日本に移住し8年が過ぎた。最近では、故郷の釜山に帰っても、人にぶつかった時、思わず「あっ すいません」と日本語で言ってしまうそうだ(そもそも、韓国では、ぶつかってもあまり謝らないらしい)。

 取材に伺った際、直立不動で待っていて、「どうぞ、お座りください」といくら言っても、こっちが座るまでは、自分も座らないというほど律儀…。パク・ジュニョンとは、そういう男だ。
 真面目で、情に厚く、恩を忘れない。「伝統的な日本人の美徳と良心」の見本のような人だ。韓国出身だからこそ、日本の良いところが我々以上に見えて、そういう風になれるのだろうか。

 取材の帰り際には、「外は寒いので、上着を着てください」という気遣いも見せる…。パク・ジュニョンとは、そういう男だ。周りがよく見えていなければ、そんなことには気がつかないし、そこに気が付く繊細さと、他人のことを考えることが出来る優しさも持っている。語り口もおだやかだが、言葉の端々には芯の強さも垣間見せる。

 10枚目となる最新シングルは、作曲が、これまでの全シングルを担当していた浜圭介から、シンガー・ソングライターのHANZOに変わった。カップリングも含め全3曲、それぞれに全くタイプは違うが、どれもシングルA面にしたくなるような、いずれも、キャッチーで耳に残るいい歌だ。

 「日本の心」というタイトルのブログを持つ、日本の心を持った韓国出身の歌手…、つまり、パク・ジュニョンとは、そういう男だ。

■『海に語りて』 〜「間も何かで表現しなきゃいけないので…」〜

 通算10枚目となる最新シングル『海に語りて』は、Aタイプのカップリング『夕霧挽歌』、Bタイプのカップリング『昼も夜も真夜中も』を含め3曲とも、それぞれシングル曲にできるくらい、カップリングにするにはもったいないくらいの実にイイ曲だ。
 これまで、デビュー曲からずっとシングル曲は浜圭介の作曲による作品だったが、今回は3曲とも、シンガー・ソングライターのHANZOによる曲で、パク・ジュニョンの新しい面を見ることができる。
 『海に語りて』は、マイナー調、ポップス系のピアノ・バラードで、美しいストリングスが印象的な曲。80年代の竹内まりやをイメージさせるような曲だ。ジュニョンの丁寧に語るような歌い方で、切なさが静かに沁みてくる。

 「最初、HANZO先生が歌ったデモを聞かせていただきまして、最初は『海に語りて』って曲がちょっと難しそうだなって感じでした。なにしろご本人がもう歌がお上手なんで余計に。でも、それから何度も聞くたびに、この歌が持ってる深みとチカラをすごく感じるようになって、レコーディングまで終えてあらためて聞くと、すごい素晴らしい曲だとあらためて思いました。」

 たしかに、『海に語りて』は、「語りて」というように、静かに語りかけるような音数が少ないバラードだけに、初めて聴いた時には、一瞬、地味な感じがするかもしれない。しかし、不思議とまた聴きたくなるような曲で、そうして何度も聴いているうちに、どんどんこの歌の魅力にハマっていく。

 「ロングトーンもあるし、言葉の数が少ないので、その間(ま)を表現するのが難しいところだなと思いました。その間(ま)も何かで表現しなきゃいけないので、最初、それをすごく考えました。でも、実際に皆さんも歌っていただければ、低音と高音の差が少ないので、結構、歌いやすい曲だと思いますよ。」

 とは言うが、なかなかアマチュアにはチャレンジングな曲だ。サビ頭の「♪やるーせないー」とロングトーンで張るところが聴かせどころで、聴いても歌っても気持ちよいところだが、シンプルなメロディだけに、相当な歌唱力が求められる。
 さらに、ここ数年、とくに歌の説得力が増したように感じる。もちろん、プロとして8年も歌っていれば、それは自然とうまくなっていくものだが、やわらかく、歌声の響きも豊かになっていると感じる。日本デビューの頃には、こんなにやさしく、やわらかくは歌えなかったのではないかと思う。

 「やっぱり日本語も少しずつわかってきて、あと、これまで日本全国を回らせていただいて、その経験も重なって、風景を頭の中でイメージしやすくなって、それが歌にも影響しているんじゃないかと思います。」

 歌が豊かになった大きな要因は、単純に日本語の発音が上手に自然になることだけではなく、「日本語での歌い方がわかってきた」ということではないかと思う。

 「あ〜、確かにそれもあるかもしれない…。韓国では、K-POP グループでポップス系の歌い方で、日本のデビュー曲の「愛・ケセラセラ」のときは、結構その特徴が残ってたと思うんですけど、それがだんだん日本語に慣れてきて、歌い方も結構変わってきたと思います。これまで、浜圭介先生にも、今回のHANZO先生にも、日本語の歌い方とか、本当に細かく教えていただいています。」

■ カップリング曲 〜「すごく嬉しかったです…」〜

 Aタイプのカップリング曲『夕霧挽歌』は、釧路を舞台にしたマイナー調3連の曲で、Aメロはやさしく歌い、情熱的な歌い方になったサビの「♪本気で愛していたんだよ〜」が耳に残る。

 「もう、一回聞いただけで、すぐメロディが覚えられるような、そういう曲です。いままで、自分が歌ってきた路線と一番近くて、みなさんも、歌いやすい曲だろうなって思います。北海道でも、これまですごく応援して頂いていたので、いつか北海道の歌を歌いたいって思っていましたから、すごく嬉しかったです。」

 たしかに、今回の3曲の中では、この『夕霧挽歌』が、これまでのジュニョンの世界観に最も近い曲かもしれない。余談だが、最近、おいしかったものを聴くと「女満別空港で食べたスープカレー」と即答していた。

 一転して、Bタイプのカップリング曲『昼も夜も真夜中も』は、ポップス調、アップテンポの曲で、テンション・ノートに行くメロディが印象的な曲だ。一度聴いただけで、サビの「♪昼も夜も真夜中も欲しいよ〜」を自然と口ずさんでしまう。90年代後半のジャニーズの曲をイメージさせるような王道ポップスだ。

 「僕も最初聴いて、すぐにのってしまうような曲で、皆さんも、結構ノリノリで聴いて歌っていただける曲だなと思いました。」

 よく、演歌歌手が16ビートのカバーを歌っているのを耳にするが、歌が相当うまいと言われている有名な歌手でも、16ビートのリズムが全くとれていないことも少なくない。しかし、ジュニョンは、この『昼も夜も真夜中も』の16ビートでハネるリズムを、実に気持ちのいいタイミングで歌っている。こういうリズムのとり方が出来るのも、ダンス・ボーカル・グループでポップスを歌っていたからかもしれない。

 「今回の『昼も夜も真夜中も』を編曲してくださった杉山ユカリさんは、普段から、僕のツアーでもお世話になっている方なんです。それで、僕のことをよくわかってくれていて、そのうえで編曲をしていただいているので、リズムも含めて、歌いやすくかっこよく作っていただきました。
 「あと、この曲には、タンバリンが出てくるんですけど、それに合わせてリズムとれば、すごくノリやすいと思います。」

■ 韓国時代 〜「あだ名が『歌手』になりました…(笑)」〜

 パク・ジュニョンは、2002年、韓国でダンス・ボーカル・グループ「A-ZAX(エイジェックス)」のリードボーカルとしてメジャーデビューしている。約2年の活動後、解散となるが、その後、2005年には、4人組のボーカル・ユニット「T.H.E STORY(ザ・ストーリー)」として再デビューしている。だが、それは、本来やりたかったこととは少し違っていた。

 「もともとは、バラード歌手になりたかったんですけど、オーディションで受かったところがダンス・ボーカル・グループだったんです(笑)。音楽の方向性は違ったんですけど、まず歌手になって、入り口はどこからでもってことで入ったんですけど、韓国では、デビュー前の準備期間というか練習期間っていうのがあるんですが、それがすごく大変で過酷でした。ダンスが厳しくって。」

 ダンスは、足の爪がはがれるくらいの過酷さだったようだ。しかも、ダンスが出来るメンバーの中に、後からオーディションで、ダンス未経験のジュニョンが入ったため、その大変さは想像に難くない。

 「他のメンバーは揃っていて、最後に僕がメインボーカルとして入ったんです。それで、僕がダンスが出来るようになったらデビューということだったんです。最初は、3ヶ月でデビューする予定だったんですけど、とにかくダンスができなくて結局1年かかりました。」

 後から加入した「ジュニョン待ち」の状態だったため、そのプレッシャーも大変なものだったろう。しかし、そもそも、なぜジュニョンは「バラード歌手」を目指すようになったのか。

 「きっかけとなったのは、中学2年生の頃なんですけど、その当時、流行ってたドラマのOST(オリジナル・サウンドトラック)を、学校の休み時間に、耳にイヤホンをして聴きながら歌ってたんですよ。自分の声がどれぐらい大きかったか気づかなくて、そのうちに友達が集まってきて『おまえ歌がうまいね!』って話になって、それから、あだ名が『歌手』になりました(笑)。」

 その後、韓国では何度もミリオン・セラーを出していたシンガー・ソングライターのキム・ゴンモらが好きになり、歌手になりたいと思うようになったようだ。
 また、日本の歌も聴いていたようで、韓国では、2000年ころまで日本語の歌を放送したり、公演で歌ったりすることが公式には禁じられていたが、実際は、多くの若者が聴いていたようだ。

 「みんな聴いていましたよ。僕が中学生や高校生の頃は、X-JAPAN がすごく流行ってて、『ENDLESS RAIN』とか好きで聴いていました。聴いているとカッコイイというか、知らないと恥ずかしいというか、なんかそういう雰囲気がありました。あと、日本のマンガとかもすごく流行ってましたね。」

 若者とは、そんなものだし、文化は、勝手に簡単に国境を超える。

■ 山本譲二との出会い 〜「日本の印象がガラッと変わりました…」〜

 4人組のボーカル・ユニット「T.H.E STORY(ザ・ストーリー)」で活動していたころの2007年に、日本に1週間ほどホームステイをする機会があり、その時が初来日だった。

 「韓国で、日本人の友達のおばさんが観光に来た時、その友達が忙しかったので、かわりにいろいろ案内してあげたんです。それがきっかけで、『今度はウチにも遊びませんか』と言われて、それを信じて、兵庫県の赤穂市に来たんです。それで、1週間くらいホームステイをさせていただきました。」

 それまで、韓国でイメージしていた日本とは、全く違った。

 「日本の印象がガラッと変わりました。優しくて温かい人がたくさん住んでるところだと思いました。そのころから、日本でも歌手になりたいと思いました。」

 その後、韓国で活動していた「T.H.E STORY」は解散するが、日本で歌手を目指していきたいという気持ちから、「T.H.E STORY II」を結成し、2009年ころからは、日韓でインディーズ活動を開始した。その活動が、大きな出会いにつながる。

 「『T.H.E STORY』の第2期を組んで、日本と韓国を行ったり来たりするインディーズで活動をしているうちに、姫路のほうで、だんだんファンができたんですね。その中に、山本譲二さんの親友の方がいらして、紹介してくださいってお願いしました。」

 当時、姫路の方では、インディーズながら、ソロ歌手としてファン・ミーティングのディナー・ショーをやるほどになっていた。その頃は、自分のオリジナル曲など、韓国の歌を中心に歌っていたが、美空ひばり『川の流れのように』や、平井堅の歌など、お客さんが喜ぶような歌も歌っていた。そこへ、山本譲二が見に来たのが出会いだ。

 「そのころ、まだ、あまり日本語が分からなかったこともあって、コンサートを見ていただいたあと、どういうことをおっしゃってくれたかよく覚えてないんですけど、僕を見て『この子に演歌歌謡曲を歌わせたら面白いな』と思っていただいたようです。」

 2010年のことだった。

■ 移住と日本デビュー 〜「やっぱり『約束』ですね…」〜

 2010年に、山本譲二と出会いスカウトされたジュニョンは、日本でソロ歌手としてメジャー・デビューすることを目指し、2011年、本格的に日本に移住する。

 「2011年3月1日に日本に来て、すぐ10日後に、東日本大震災が起こったんです。きっと、その影響もあったと思うんですけど、ちょっとデビューが遅くなって、1年かけて、その翌年の2012年3月7日にデビューさせていただきました。日本に来てすぐの頃は、まだ日本語が喋れなくて、とにかく喋れるようになりたいと思って、日本語の勉強を中心に頑張ってました。」

 今では、漢字も、よほど難しいものでない限り、だいたい読めるほどになった。しかし、いくら日本が好きになったと言っても、母国の韓国ではなく、あえて日本で歌手になろうと考えたのはどうしてなのだろうか?

 「あ〜、それはやっぱり『約束』ですね。僕がいつも大切にしてるのは『約束』なんですね。『ぜひ日本で頑張って歌手になります』っていう、その時、お世話になった赤穂のおばさんとの約束もあったし、すごく応援してくれていた姫路のファンの皆さんとの約束もあったし、だから、必ずその夢を叶えて、約束を守りたいって思ったんです。」

 しかし、それまでは、あまり歌ったことのなかった、演歌歌謡というジャンルに抵抗はなかったのだろうか?

 「それがまた運命を感じたところなんですが、僕がもともとはバラード歌手になりたかったのに、最初はダンス・グループに入ったのと一緒なんです。好きな歌が歌えたら、ジャンルは特に関係ないと思ったので。それよりも、そういうチャンスをくださったことがうれしくて、すごく感謝でした。ただ、それだけでした。」

 お世話になった人たちとの約束を果たせた。

■ デビューから8年 〜「慣れていなかったというか…」〜

 2012年3月7日にデビューし、8年間でシングル10枚をリリース。来年の3月には、デビュー10年目に入る。

 「本当にあっという間でした。みなさんのおかげさまで、充実したこの8年間でした。」

 だが、最初は、戸惑ったこともあったようだ。

 「日本と韓国の音楽活動がちょっと違うところがあったので、それに慣れていなかったというか…。たとえば、韓国では、キャンペーンとかはやらないので、なんでそういうことをやるのか最初のうちは理解できなかったんです。でも、今は逆に、自分から『やりたい!』って言ってます。」

 「あと、日本の夏の暑さですね。蒸し暑さ。釜山は、日本ほど湿度が高くないので、最初の頃は慣れてない暑さっていうか…、寒いよりは得意なんですけど。」

 毎年、年に2回くらいは、釜山に帰ると言う。お正月と、ちょっと時間が取れた時にも、帰ることがあるようだ。だが、日本に移住してからは、だんだん韓国の音楽を聴かなくなってしまったらしい。

 「BTS(世界的に売れているK-POPのボーカルグループ)って言われても、最初、全然わからなくて…はずかしくて…。なんか流行りにちょっと遅れてるような、なんかそういう気がしたので、今は、最近の韓国の歌も聴くようにしています。」

 日本で演歌歌謡曲の歌手として活動するには、ただ自分の歌を歌っていれば良いというだけではすまない。歌番組では、知らないカバー曲をイチから覚えて完璧に歌い、お客や視聴者を魅了しなければならない。とくに「新BS日本のうた」などでは、多い時には、1日に4〜5曲、聴いたことのない曲を覚えて歌わなければならないこともある。

 「ありがたいですし、楽しいです。ゼロから…、何でもゼロからなので、しっかり聞いて覚えるようにしています。それも楽しいですし、新しい作品に出会うことは、すごくワクワクすることですから。」

 さらに、歌うだけでなく踊らされたりもするし、CS歌謡ポップスチャンネルの「演歌男子。」では運動会に参加させられたり、同じくCSのチャンネル銀河では、中澤卓也と「パクタクおたすけ隊」という視聴者の手助けに行く冠番組もやっている。

 「それも楽しいですよ。自分からやるには難しいことを、番組とかでやらせていただけるという感じで、すごくありがたいです。普段できない体験もできますし。最近の事で、初めての経験で、とくに面白かったのが、お正月の餅つきです。やる前に映像で見た時には、すごく簡単そうに見えて「スグできるぞ!」ってイメージしていたんですけど、実際にやってみたら、結構、大変でした(笑)。筋肉痛になりました(笑)。」

■ これから 〜「今後は、自分の色をもうちょっと濃くして…」〜

 今回のシングルで、新しいパク・ジュニョンを見た気がするが、これが転機となり、日本ソロデビュー10周年に向かって、もうワンランク上の活躍が期待しできる。

 「来年で10年目になるんですけど、まだ皆さんに見せてない僕の魅力が、まだまだいっぱいあると思うので、それを、自分がら先に提案して、少しずつ出していきたいなと思います。」

 「今までは、先生方とかディレクターの方とか関係者の皆さんから『こういう風に』って言われたままというか、その意見を大事にして、いままで来たんですけど、やっぱり、なんか自分がやりたいことはあるわけなので、今後は、逆に『こういう風にしたらどうですか』というように、それを意見として提案して、やっていきたいなと思います。曲もパフォーマンスとかも含めて。今後は、自分の色をもうちょっと濃くしていきたいなと思います。」

 ますます、楽しみになってくる。期待大だ。

 「せっかく韓国から来てますから、日韓の架け橋になりたいと思っているんです。それが自分の夢でもあるので、今後は、そういう風な活動もできたらなと思います。」

 「僕がこんなに好きな日本を、韓国の人の中には、ただ知らないだけで、ちょっと嫌がるとか、そういうところがあるので、僕が、ぜひ、その間に入って、『こういういいところも、素晴らしいところもありますよ』って、自分なりに紹介できればと思っています。」

 「もちろん、日本でも、韓国でも、そういう風な活動ができたらなと思います。」

 (取材日:2020年2月10日 / 取材・文:西山 寧)


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