いろいろわかる… 大江裕、ロング・インタビュー! その意外すぎる素顔とは…? ポップスのカバーアルバム「TRY ~大江裕J-POPを歌う~」が発売! テレビ番組で J-POP を 歌ったことで話題沸騰! 素直な歌唱で、楽曲の良さが伝わる!「ずっと付いていきたいと思いましたね…」

インタビューの最後に、読者プレゼントあり!

Ohe Yutaka

大江 裕

Album『 TRY ~大江裕 J-POPを歌う~ 』


★ 演歌歌手・大江裕によるポップスのカバーアルバム!
★ テレビ番組で J-POP を 歌ったことで話題沸騰!
★ 昭和の歌謡曲、ポップスの名曲を中心に全8曲収録!
★ 素直でストレートな歌唱で、楽曲の良さが伝わる!


★ 演歌の最新シングル『登竜門』は、大江裕の魅力が最も出ている曲!
★ 兄弟子・北山たけしとのユニット「北島兄弟」としても活躍中!


★ インタビューでわかった、その意外すぎる素顔とは……!



アルバム リリース情報


大江 裕 「TRY ~大江裕 J-POPを歌う~」
アルバム CD(8曲入)
2021年11月17日発売
CRCN-20478
¥2,000(税込)
NIPPON CROWN


試聴 タワーレコード オンライン

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大江 裕 「大江裕全曲集 ~泥んこ大将・のろま大将~」
アルバム CD(16曲入)
2021年9月8日発売
CRCN-41374
¥3,100(税込)
NIPPON CROWN


大江裕 歌詞一覧



最新シングル


大江 裕 「登竜門」
シングル CD
2021年4月21日発売
CRCN-8398
¥1,350(税込)
NIPPON CROWN


大江裕「登竜門」歌詞を見る


大江裕 日本クラウン

大江裕 オフィシャルサイト



大江裕「登竜門」MUSIC VIDEO



番組 出演 情報


NHK のど自慢(和歌山市)
2021年12月5日(日) 12:15 〜 13:00(45分)
NHK 総合テレビ

<ゲスト> 中村美律子、大江裕

番組サイト


昭和歌謡パレード #28
2021年12月11日(土) 20:00 〜 21:55
BSフジ

<出演者> 大江裕、北山たけし、斬波、紘毅、前川清、侑那(50音順)

番組サイト




大江 裕 スペシャル インタビュー



 大江裕ほど、パブリック・イメージと、本当の姿が違う歌手も珍しい。
 
 バラエティ番組「さんまの SUPER からくりテレビ」をきっかけに、演歌歌手としてデビューしたということもあり、どちらかと言えば、笑いを誘う三枚目のキャラクターというイメージが一般的だ。
 
 そのイメージや見かけのせいで、ともすると、イロモノのように見られがちだが、その歌唱は、師匠である北島三郎も認める超一流の実力派。同じように、演歌からポップス、洋楽まで歌って人気の、島津亜矢の「男版」として評価されてもいいくらいだ。
 
 子供の頃から歌っていた、大好きな師匠・北島三郎の歌を歌えば、まるで、全盛期のサブちゃんの歌を聴いているかのように、歌声はもちろん、細かい歌い回しまで同じだ。
 
 「何度も聴いてるから、自然に似ちゃうんですよ〜」と本人は言うが、それは、つまり「音楽の耳」が抜群に良いことを表している。だから、音程もいいし、他の歌手のモノマネも得意だ。「よろしくお願いしまぁ〜す」「ありがとうございまぁ〜す」という言い方まで、サブちゃんが言っているように聞こえる。
 
 いずれにしろ、北島三郎の歌を歌い継ぐのは、大江裕しかいない。
 
 今年、2021年の4月に発売された最新シングル『登竜門』は、まさに、北島三郎が歌うような、力強く、堂々とした王道演歌で、大江裕の歌声の魅力がよく出ているいい歌だ。
 
 そして、大江裕は、演歌だけでなく、ポップスも実にうまい。
 
 11月17日に発売となったポップス・カバー・アルバム『TRY 〜大江裕J-POPを歌う〜』には、一青窈の『ハナミズキ』や、高橋真梨子の『for you…』など、ポップスの名曲ばかり 8曲が収録され、その見事な歌唱に驚かされる。
 
 もともと、今回のアルバムは、何度か放送された、人気の演歌歌手が大勢出演しポップスを歌うという音楽番組『演歌の乱』で、その歌唱力に驚いた視聴者から大きな反響があったこともあり、企画されたものだ。さらに、同時に目標として設定したダイエットでも、実際、20キロもの減量に成功したことで、アルバムのリリースが実現した。
 
 2009年のデビュー曲『のろま大将』では、「♪不器用で〜 ごめんなさいね〜」と歌っているが、本当の大江裕は、決して不器用でもないし、のろまでもない。
 
 小指を立てるのも、お馴染みの「おそれいりますぅ〜」も、喜んでもらえるから……。それは、「さんまの SUPER からくりテレビ」以来、親しまれているそのイメージ、世間から見られている「大江裕というキャラクター」を演じているだけだ。
 
 真面目で繊細、クレバーで、普段はハキハキ話す好青年だ。「全てはお客様のために……」という根っからのエンターテイナーで、人を喜ばせたいという気持ちが強い。
 
 だから、無理して大江裕を演じているのではなく、大江裕を演じることでお客さんが喜んでくれるから、自然と演じることができるし、それが喜びでもある。
 
 このインタビュー記事を読んでいただければ、大江裕という歌手が、どういう人間かが、よくわかっていただけると思う。
 
 「全てはお客様のために……」、そんなスピリットも、心酔する師匠から受け継いでいるようだ。


<もくじ>

1 作曲家にも自身のアイディアを提案する 〜「言っちゃったんですよ…」〜
2 レコーディングは自分のジャッジで 〜「もう自分との戦いです…」〜
3 幼稚園から演歌を歌い、中学生では介護施設で人気に 〜「子守唄みたいな感じでした…」〜
4 憧れの北島三郎との出会い 〜「もうずっと付いていきたいと思いましたね…」〜
5 パニック障害で 1年の休養後、復帰 〜「頭を撫でてくれるんですよ…」〜
6 見られているイメージと本当の自分 〜「本当にラクなんですよ…」〜


1 作曲家にも自身のアイディアを提案する 〜「言っちゃったんですよ…」〜
 
ーー 今年、2021年の4月に発売された最新シングル、通算16作目となる『登竜門』(作詞:伊藤美和、作曲:徳久広司)は、メジャー調で、ゆったりとした、まさに北島三郎が歌うような、力強く、堂々とした王道演歌。これまでのシングルの中で、最も大江裕らしく、大江裕の魅力が最も出ている楽曲だと思う。前々作、2018年の『大樹のように』(作詞:伊藤美和、作曲:原譲二)と雰囲気が似ている。
 
大江:そうです、似てます、似てます。
 
ーー『大樹のように』は、作曲が原譲二(北島三郎のペンネーム)だが、今回の『登竜門』では、北島三郎が楽曲に関わっていないのにも関わらず、北島三郎っぽい楽曲になっている。イントロからして、北島三郎「一文字シリーズ」の名曲『山』のようだ。
 
大江:それはね……、そうしてもらったんです……、僕が言って。編曲の南郷達也先生とすごく親しくさせて頂いてて、ちょっとね、驚かせるようなアレンジにしてくださいって……。でね、最初に「ボヨン ボヨン」って音が入ってるでしょ、あれは、口琴(こうきん)ていうアフリカの民族楽器なんですけど、あれも、僕が入れてくださいってお願いしたんです。
 
ーー 出来上がったものを、そのまま歌うだけの歌手が少なくない中、大江裕は、積極的にアレンジにまで関わっていたとは驚きだ。そして、この『登竜門』では、サビの「♪たどり着くんだ いつの日か〜」など、張った伸びやかな歌声が心地よく、大江裕の歌声のいいところが出ている。大江裕には、こういう曲調が合っている。
 
大江:そうですね、こういう路線ですね……。でもね、実は、この曲、最初はマイナーだったんです、3拍子の……、暗いどっしりした歌だったんです。それで、「これは、ちょっと難しいな……」って思ったんで、(作曲の)徳久広司先生に言ったんです。「今、コロナの中で、マイナーを歌っちゃうと、お客さんも暗くなっちゃいますから、だから、気合の入った、どこかなんか "がんばるぞ!"というメッセージになるような、明るめの曲を作っていただきたいんです」って……。それで、ディレクターさんにも話しして、徳久先生の家にも行って、作ってもらったんです。
 
ーー アレンジだけでなく、そもそものメロディーにも関わっている。なかなか、歌手が、作曲家の先生に意見するのは勇気がいることだ。徳久広司は、『おまえに惚れた』(美空ひばり)、『ヘッドライト』(新沼謙治)、『ノラ』(門倉有希)、『そんな女のひとりごと』(増位山太志郎)……など、数多くのヒット曲を書いている作曲家だ。そういう意見をサラリと言えるのも、大江裕の人懐っこいキャラクターもあるだろいうが、それ以上に、歌に対する真剣で真摯な姿勢が伝わっているからだろう。そして、作り直してもらった結果、良かったということだ。
 
大江:そうですね、良かったです〜。4パターンぐらいあったんですけど、もう、徳久先生からデモ(音源)が来た時に、「あっ、コレだ!」って思いましたもん。僕自身は、やっぱりガーッと歌いたいですし、こういう気合の入った歌って、最近、あんまりないんですよ。なので、今回、ちょっとイケイケな感じを作っていただきたいとお願いしました。だから、今回、「徳久先生から見た原譲二作品」という感じで作っていただきました。
 
ーー まさに、原譲二作品ぽい。そのメロディはもちろんだが、歌詞も北島三郎っぽい。
 
大江:そうなんですよ〜。
 
ーー 気持ちよく歌える歌になったようだ。
 
大江:はいっ! ガーッと! これ、実は……、最初、サビの終わりは「♪誓う男の 誓う男の 登竜門〜」っていうメロディじゃなかったんですよ。「♪誓う男の 登竜門〜」って 1回だけで終わってて、「誓う男の」が 2回 続いてなかったんですよ……。
 
ーー レコーディングの時に、自身のアイディアで、「誓う男の」を 2回 繰り返すようにしたのだ。
 
大江:そうです。「先生、2回 続けたいです……」って言っちゃったんですよ。
 
ーー これも、すごいことだ。でも、たしかに、ここは、2回くりかえすところがいい。
 
大江:やっぱり……(笑)。僕も、いっぱい色んなの聴いてますから、どっか欠けてるような感じがしたんです。
 
ーー 大江裕は、歌をよく知っている。作曲家の先生に言えるということは、それ相応の自信と確信が必要だ。
 
大江:『登竜門』は、そういう感じで作ったので、気持ち的にも入り込んでいますね、この歌には。だから「がんばって歌わなきゃ」って思いますね。
 
ーー 本当の大江裕の姿、大江裕の魅力が充分に発揮された楽曲になった。デビュー曲『のろま大将』では、「♪不器用で〜 ごめんなさいね〜」と歌ってはいるが、大江裕は、決して不器用でもないし、のろまでもない。歌をよく知っているから、アイディアを提案できるし、歌に真摯に向き合っているから、意見もできる。そして、大江裕は、そもそも「音楽の耳」がいい。だから、音程が正確だし、美空ひばりや島倉千代子のモノマネも見事だし、大好きな北島三郎の歌は、自然とそっくりになってしまう。
 
大江:似ちゃうんですよ〜。だから、自分自身では……、多分、先生の歌をずっと聴くじゃないですか……。歌は「聞き真似」ってよく言われてるんで、先生の歌をずっと聴いてるんですよ。そしたら、その息継ぎが似てくるんですよ……、声じゃなくて。
 
ーー もともと、北島三郎と歌声もそっくりだが、細かい歌い回しや、間、息継ぎや呼吸など、北島三郎の特徴を完璧に捉えている。本当に細かいところまでそっくりだ。でも、普通の人は、マネしようと思っても、そうはならない。「音楽の耳」が良くないと、そこまで聞こえてこないからだ。だから、大江裕は、音程もいいし、島倉千代子のモノマネもそっくりになる。
 
大江:島倉さん好きなんですよ〜。そんなもう……(笑)。
 
ーー その見事なモノマネで、大江裕は、モノマネ番組でも人気だ。
 
大江:いやもう、この間も、モノマネ番組で出させていただいてたんですけど、メドレーやってくださいって言うんですよ、コロッケさんから電話かかってきて。最初、「いや僕はできないです」って言ってたんですけど……。で、細川(たかし)さん、その後が五木(ひろし)さんで、島倉(千代子)さん、美空ひばりさん、それで(北島)先生と、5人のメドレーをやったんです。点数つけられる番組で、「真剣にやってください」って言われてて、そしたら、審査員の方が全員1位にしてくださったんですよね。いや、もう、どうしようかな〜と思って……、先輩方もたくさんいらっしゃるのに、帰れないよ〜って……。あとから、細川さんにも「公認だ」って言われました(笑)。
 
ーー 細川たかしのモノマネは聞いたことがないが、本人が公認と言うのなら相当似ているはずだ。
 
大江:やめてくださいよぉ〜、ハードル上げるの〜(笑)。

2 レコーディングは自分のジャッジで 〜「もう自分との戦いです…」〜
 
ーー 大江裕は、本当に歌がうまい。もともと、バラエティ番組「さんまの SUPER からくり TV」で、デビュー前から面白おかしく取り上げられ、三枚目のイメージがついてしまっていているから、大江裕の歌のうまさが伝わっていないことが、ファンの間ではもどかしいところだ。
 
大江:あ〜、ありがとうございます〜。うれしいです〜、ホント、うれしいです。
 
ーー 持ち歌の演歌はもちろんだが、テレビ番組などで披露するカバー曲も、演歌だけでなく、歌謡曲やポップスなど、何を歌っても器用にうまく歌う。
 
大江:ありがとうございます。今回も、こういうカバーのアルバムを出させて頂きましたけど、たとえば「新・BS日本のうた」とかでも、たとえば、中森明菜さんの『飾りじゃないのよ涙は』とか、もう、ホントにいろいろ歌わせてもらっています……。

大江:だから(ポップス・カバーの企画は)、今回、急に始まったっていう話じゃなくてですね、そういう番組を見たディレクターさんが、「これだったら、大江くんが 11月16日で 32歳になるんで、誕生日の記念として」……、それと、「歌の "TRY"(今回のアルバムタイトル)の他に何かひとつ、たとえば、ダイエットも目標として 新たな 32歳の大江裕を見ていただこう」ということで、実際、20キロの減量にも成功して、今回、11月17日に、このポップス・カバー・アルバムが発売されることになりました。
 
ーー 2017年から何度か放送された、人気演歌歌手が大勢出演してポップスを歌う TBS系テレビの特番『演歌の乱』にも、大江裕は、毎回、出演している。それだけ、実力があるということの証明だが、テレビ的には、その見た目と歌唱力のギャップも面白い。これまで、高橋真梨子の『for you…』、沢田知可子の『会いたい』、一青窈の『ハナミズキ』、スピッツの『チェリー』などを歌い、大きな反響があったことも、今回のポップス・カバー・アルバムにつながった。
 
大江:そうです……。もう、最近は、コンサートで行くと、ご年配の方だけじゃなくて、若い方も来られてるんですよね。どういうことかと言いますと、おばあちゃんが足が悪くなるじゃないですか。だから、娘さんとかが連れてきてくれるんですよね。それで、その娘さんが、ファンになってくれたりするんです。だから、今回、そういうお孫さんに向けて、伝えていく歌ということもあったったんです……。
 
ーー これまで、演歌のカバーをリリースしたことはあるが、ポップスのカバーをリリースするのは初めてだ。
 
大江:そう……、だから、抵抗あったんですよ……、演歌じゃないやつを出すっていうのは……。気持ちがですね……、「歌えるのかな〜」って。たとえば、この『香水』とか、全然知らないタイプですから……、僕はド演歌ですから。僕は、最初「ちょっと歌えない」って言ってたんですけど、やっぱ目玉を入れておかないとということで……、怖かったですね〜。
 
ーー アルバムの選曲は、これまで番組などで歌って評判が良かった曲を含め、スタッフがある程度決めたようだが、どの曲も、歌声が明るいし、声のトーンが明るいから、言葉がすごく伝わる。素直な歌い方で、楽曲本来の良さ、メロディの良さも伝わってくる。しかも、たとえば『ハナミズキ』のサビ前「♪つぼみを あげよう 庭のハナミズキ」という部分など、最初の「♪あげよう」は、「♪あっ げっ よっ お〜」とハネるように歌い、「庭のハナミズキ」の部分は、同じメロディにも関わらず、ちゃんと言葉の意味に合わせて「♪ハ〜ナ〜ミズ〜キ〜」と、やわらかく語るように歌われている。そういう細かいことが出来るのは、歌のセンスだ。
 
大江:あ〜、それは、考えて歌ってます。
 
ーー そして、さらに、こだわっていることがある。今のレコーディングでは、音程のズレは、機械的に瞬時に修正することが出来てしまう。極端に言えば、音痴の人でも、ちゃんとした正確な音程の歌を作ることが出来てしまう。でも、大江裕は、それがいやだと言う。
 
大江:僕は、それを「できるだけ使わないようにしてください」って言ってるんです。自分との戦いになりますけど、僕は心に決めてるんです。
 
ーー たしかに、機械的に修正すれば、音程は性格にはなるが、流れや、呼吸の感じが変わってしい、不自然になることも少なくない。歌とは、そもそも、音程やリズムが正確であれば、聴いて心地よいというものでもない。
 
大江:そうです、変わります……。なんか、やっぱり機械的な感じにもなりますし……。だから、とにかく、歌ったものをもう何回も聴くんですよ。で、今回は、結構、時間かかったんですよ。2日間かけて全部録ったんですけど、お昼から夜6時くらいまで、休みなしで何テイクも録って……「もう1回行きま〜す!」「もう1回行きま〜す!」って、もう自分との戦いです。
 
大江:それで、ヘッドフォーンだと良く聴こえちゃうんですよ。だから、ヘッドフォーンを外して、僕が(ボーカル録音ブースから出てきて)スタジオに入ってスピーカーで聴いて、「駄目です、駄目です……、もう1回行きます……」と、こういう感じですね。
 
ーー 今のレコーディング技術では、ほんの短いフレーズごとのツギハギで 1曲を完成させることもできるが、そういうこともしない。あくまでも、1曲を通して歌うことにこだわる。
 
大江:だから、「ここの部分だけを歌いたいです」ということを言わないです。「ワンコーラスを全部通してください」って歌って、それで聴くんですよ。「あっ、こういう感じで歌えばいいんだ」ってわかったら、2番、3番と歌って、全部が頭に入ったら、一番最後に、「全部、通して歌わせてください」って言って、フルコーラス通して歌ったのを使ってもらうんです。あとで、おかしなところは直されていると思うんですけど、僕は知らないんです。
 
ーー もちろん、ディレクターや作曲家らのディレクションもあるだろうが、それ以前に、自分の判断で歌を作り上げている。しかし、レコーディングの前には、歌い込んで、歌い方を固めたりはしない。
 
大江:だめです。間違ってたら大変なんですよ。演歌だとまだ自信があるんですけど、今回はこういうポップスですから、もし、僕が、1週間前とかから歌い込んでて、間違ったイメージで覚えてしまったら、なかなか抜けないんですよね、1回決めちゃうとね。もう『香水』なんかとくにそうなんですけど、もう、スタジオに来て、すぐ歌ってる感じですね。だから、レコーディングで作り上げます。
 
ーー 普段、演歌のレコーディングは、あまり時間がかからないと言う。
 
大江:この、今回の徳久先生の『登竜門』の時は早かったです。1時間かかってないですから。最初、「徳久先生、どういう風に歌ったらいいですかね?」って聞いたら、「好きに歌っていいよ、今思ってる気持ちをそのままぶつければいいよ」って言われて、あとで、「大江くん、ココはこうしてほしいね〜」って、部分、部分、言われただけですね……。徳久先生は、僕が前に歌った女唄(『おんなの嘘』『こゝろ雨』)を書いてくださってるんで、僕が、どんだけ感情を込められるかとか、よくわかってくださってるんですね。テレビでも、よく見てくださっているらしいですし。
 
ーー レコーディングで、毎回、気をつけていることがある。
 
大江:僕は、この演歌というものは、大切な言葉を強く歌うんですよ。とにかく言葉なんですよ……。
 
ーー たしかに、大江裕の歌は、演歌も、今回のポップス・カバーでも、語るように歌われていて、言葉がよく伝わってくる。
 
大江:今回のポップスを歌うアルバムというものは、「喋りながら歌おう」っていうところで決めてきました。しゃべるように歌った方が、絶対、伝わると思うんですよね、歌詞が。
 
ーー 言葉もクリアで、変なクセもなく、とても素直に歌っているから、楽曲本来の良さが伝わる。
 
大江:だから、歌い込んでないから素直なんですよ。
 
ーー たしかに、朗々と歌われてしまうと、歌い手は気持ちいいかもしれないが、聴き手に伝わってこないこともある。
 
大江:そうなんですよ〜。だから、僕は、聴いてくださる人の気持ちにならないといけないと思うんですよ……。だから、ヘッドフォーンをはずして、何回もスピーカーで聴くわけですよ。「ごめんなさい、時間かかりますけど聴かせてください」って言って。で、聴いて「あ〜ダメダメ」って思ったら、「もう1回 歌わせてください」って言って歌うんです……。もう、ディレクターも僕の性格とか、僕のやり方とかをわかっていますから、「大江くん、聴く?」って先に言ってくださるんですよ。

ーー 今回のアルバムの中で、とくに難しかった曲がある。
 
大江:そうなんです、『香水』ですね。これは、もう、これまで歌った中で一番難しかった歌です。演歌だと、1番から3番まで同じメロディですけど、『香水』は、1番 2番 3番 と、全部メロが違いますから。
 
ーー たしかに、今回収録されている 8曲の中でも 瑛人の『香水』だけが最近の曲で異色だ。難しかったとは言うが、リズムもいいし、うまく歌っている。演歌歌手の場合、16ビートの曲を歌っても、16ビートでハネることが出来ていない歌手も少なくないが、大江裕は、そういうリズム感もいい。『あなた』などは、原曲のバラードとは全く違うボサノバのリズムにアレンジされている。
 
大江:これも、むずかしかったです……、もう最初の録音なんか聴けないですよ。リズムに乗れなくて、もう棒みたいに歌っちゃってますから。小坂明子さんの歌を聴いて覚えてるから、どうしても、そうなっちゃうんですよね、ボサノバの「ンチャ ンチャ」のリズムに乗れないんですよ。でも、編曲どおりの歌い方にしないといけないですからね。
 
ーー ロックも 1曲収録されている。北島音楽事務所の先輩でもある「もんた&ブラザーズ」の『ダンシング・オールナイト』だ。
 
大江:もう、唸ってるだけですけど……。僕、普通は、上の「G」(ソの音)くらいまでしか出ないんですけど、これは、「A」(ラの音)まで出てるんですよ。サビの「♪こ〜とばに すれば〜」のあそこが「A」なんですよ。本当は、もうちょっとキーを下げないといけないんですけど、そうすると、勢いがなくなっちゃうんですよ。歌に勢いがないと、「コレ、つまんない曲だな〜」ってなってしまうんで……、「がんばります!」って言って歌いました。
 
ーー ほかにも、『恋』(松山千春)、『涙そうそう』(夏川りみ)、『for you…』(高橋真梨子)、『かもめはかもめ』(研ナオコ)など、名曲ばかりが収録されている。
 
大江:今、コロナ禍っていうこともありますから、癒しというか、そういう何かをお届けできればいいかなっていう僕の気持ちもあるんですね。で、なぜこんなタイミングで出すんだって思われると思うんですけども、やっぱりこういう期間なので、普段は出来ないことが出来ますから。これが、もう普通の演歌のカバーだと普通になっちゃいますから、今回、普段、出来ないことをチャレンジしてみようと……。
 
ーー しかし、カバーの場合、その曲が有名であればあるほど、オリジナル歌手の歌唱のイメージが強く、それを、どう自分なりに歌うかということが難しい。個性を出さなければいけないし、かと言って、オリジナルのイメージを壊してもいけない。
 
大江:そうですね〜……。やっぱり、『ハナミズキ』とか、前に番組で歌ってても、忘れたりしてるんですよね……、音を間違ってたり。だから、もう1回 聴き直して、ず〜っと聴いて……、でも、あんまり本人のを聴いちゃうと、ちょっと難しいとこで……、ポップスは余計に……。演歌だと、本人に似せるのか、それとも自分流にめちゃくちゃ変えるのかって、この 2パターンなんですよね。で、僕は、どっちかいうと本人に近づけたい、本人の雰囲気を壊したくないというのが演歌の場合はあります。でも、今回は、ちょっと本人の歌じゃなく、崩させてもらいました……、はい。
 
ーー 「崩した」とは言うが、それは、オリジナル歌手の歌いグセと同じにはしていないという意味で、オリジナル歌手が歌う以前の譜面に忠実に、それを、自分の歌い方に昇華したということだ。結果、その楽曲に忠実で素直な歌い方となり、元の楽曲の良さがストレートに伝わる。さらに、言葉を伝えるという気持ちがあるから、大江裕らしさも出ている。あらためて、どの曲も「やっぱりいい曲なんだな」と思わせてくれる。
 
大江:本当ですか〜(笑)。あらためてね、歌わせてもらって、本当に僕もそう(いい曲だと)感じましたね。だから、こぶしをあんまり回してないですね。これね〜、演歌歌手の人は回っちゃうんですよ。でも、僕、大嫌いなんですよ、そういうポップスの歌い方が……。まあ、それは、それで、色としていいんですけど、でも、僕は、今回はこぶしはやめようと……。それも勉強だと思うんですよ。こぶしを取るのって難しいんですよ。

3 幼稚園から演歌を歌い、中学生では介護施設で人気に 〜「子守唄みたいな感じでした…」〜
 
ーー 大江裕は、「岸和田だんじり祭」で知られる、大阪の岸和田で生まれ育った。もともと、小さい頃から北島三郎を聴いていて、大好きだった。
 
大江:あのですね……、物心ついた頃、幼稚園の頃によく聴いてたのは、やっぱり(北島)先生の歌なんですよね。『兄弟仁義』からはじまって……、で、同級生の前で初めて歌った歌が『兄弟仁義』なんですよ。
 
ーー そのころから「歌手になりたい」と思っていた。
 
大江:はい、幼稚園の時です。ちゃんと卒園アルバムに描いてます、「僕は演歌道を歩きます」と……。
 
ーー 大江裕が、そんなに小さいころから、北島三郎を聴くようになったのは、母方の祖父、肥後熊藏の影響だ。男ばかり 3人兄弟の真ん中の大江裕は、両親が離婚して母親に引き取られたため、母方の祖父と祖母に育てられたと言う。学校の手前もあり、名字は、父方の大江のままになった。
 
大江:お母さんは仕事に行くもんですから、まあ、おじいちゃんも仕事はしてたんですけど、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられたようなもんですね。で、おじいちゃんは、自分が歌手になりたかったんですよ。それで、「上の子はダメだから、この 2番目の孫を絶対に歌手にする」って、僕が生まれる前から思ってたみたいなんですよ。だから、生まれた時から、ず〜っと、演歌聴かされて育ちました。
 
大江:北島三郎さんの曲のほかには、美空ひばりさん……、ほかには……、もう古いですよ、東海林太郎さんの歌とかも聴かされてましたし、中村美律子さんとかもそうですし、もう、いろんな曲を聴かされてましたよ。
 
ーー 物心ついた頃から、演歌が自然にあった。
 
大江:あの当時、子守唄みたいな感じでした。で、幼稚園に入ってからは、みんなの前で、(北島)先生の歌とか、美空ひばりさんの歌とか歌ってましたね。だから、幼稚園の先生からしたら、「珍しいな」というのはあったとは思うんですけども。
 
ーー 自分も歌手を目指していたことのあった祖父、肥後熊藏からは、厳しく歌を教えられたと言う。
 
大江:あのですね……、歌詞カードに、強く歌うところは赤線、弱く歌うところは青線を引かれて、ずーっと教えられてました。これが、もううるさくて……(笑)。それはイヤでしたけど、でも、歌は好きでしたから……。で、金土日は、おじいちゃんとこ行って、月曜日の朝、学校まで送ってくれるんです。だから、金土日は、毎週、毎週、おじいちゃんと、どっぷり歌の練習……。それが、もう生活になってましたね。
 
大江:それで、カラオケ喫茶やスナックとか、もういろんなところに連れて行かれて、「お前、歌え!」って言われて殴られるんですよ……、あの時代。で、殴られて泣きながら歌うんですけど、「それがいい」って言うんですよ……、感情がこもるから。お母さん、おばあちゃんは、「あんまり、そういうとこに連れていかないでね」って、とめてましたね。
 
ーー 小学校の高学年になると、老人介護施設などにも行くようになり、中学に入ってからは、歌も披露するようになっていった。
 
大江:そうです。小学校4年生から、いろんな施設に行ってました。僕、踊りも習ってたんで、歌は歌わないですけど、日本舞踊というものを見ていただいていたんです。そのあと、中学校に入ったら、軽音楽部があったんですよ。それで、軽音楽部の先生が、演歌が好きだったんです。そうしたらですね、軽音楽部で演歌を教えるわけですよ(笑)。で、(介護)施設に行って、そのパフパフのバンドの音で僕が演歌メドレーを、おじいいちゃん、おばあちゃんを前で、ず〜っと歌うんですよ。『天城越え』とか、もちろん『まつり』とか……。そういう 20分ぐらいのメドレーを歌えって言われて、歌ってたんですよ。
 
ーー 老人介護施設で、大江裕の歌が話題となり、その後、軽音楽部以外でも呼ばれるようになった。
 
大江:そうなんです。だんだんと、その軽音楽部以外でも呼ばれることが多くなりまして……。やっぱり、4年生からずっと回ってたので……。で、おじいちゃん、おばあちゃんが喜んでいただけるならってことで、カラオケで 30分ぐらい歌うとかもしてました。本格的には、軽音楽部からなんですけども、12歳ぐらい、13歳ぐらいからは、もう毎週のように老人ホーム回ってて、そのうち、違うとこから……、岸和田だけじゃないんですよ、岸和田の周りの違う地区から、堺とかから「大江くん来てくれない?」って連絡が来たりして、「行きますよ〜」と……。そこらでは、老人ホームでは人気でした(笑)。
 
大江:で、そこで、モノマネをやってたんですよ……。一部でモノマネをやって、二部で歌を歌ってたんですよ。モノマネはウケましたね〜。ひばりさん、島倉さん、八代さん……、都はるみさんが一番ウケたんですよ。もう端から端まで走って『好きになった人』を歌ったら、もう大ウケで(笑)。
 
大江:そのころの僕は、もっと女性の声が出たんですよ。でも、やっぱ声変わりするじゃないですか。変声期が怖かった……。だから、高校生に入るころは怖かったですね。なので、それまでは、もうこれはね、もうお客様が「うわっ」と喜ぶわけですよ。そのモノマネをやってからの普通の歌ですね。北島先生の歌を歌って終わるっていう、毎回のパターンが出来てましたね。
 
ーー この頃から、すでに、「お客さんを楽しませることが喜び」というエンターテイナーとしての気質が感じられる。

4 憧れの北島三郎との出会い 〜「もうずっと付いていきたいと思いましたね…」〜
 
ーー 大江裕は、当時、TBS系列で放送されていた人気のバラエティ番組『さんまの SUPER からくり TV』に出たことで、素人ながら人気となり、その後、歌手デビューのきっかけにもなった。
 
大江:実は、自分で電話したんです。テレビで『さんまの SUPER からくり TV』を見てたら、替え歌を歌ってて「おもしろいな〜」って思ってずっと見てたんですよね。そしたら、「替え歌自慢募集」「歌自慢募集」っていうのが出たんですよ。その時、「あっ、これだ!」って思ったんですけど、すぐ消えちゃったんで、それで、TBS に電話したんです。
 
大江:「あの〜、『さんまの SUPER からくり TV』を見てたら、歌自慢募集って出てたんですけど、それって応募できますか?」って聞いたんです。そしたら、ちょうど、近くに、大阪にそのディレクターさんがいらっしゃったんです。それで「今日中に会いましょう」ってなったんです。で、喫茶店で会って、そこで、もうカメラ回されてました。で、隅の方で、「大江さん、歌ってください」って言うんで、小さい声で(北島)先生の歌を歌ったんです。それも、ず〜っと VTR 回されてて。
 
ーー 2007年2月に、『さんまの SUPER からくり TV』のコーナー「全国かえうた甲子園」に出演した。「演歌を歌う角刈りの高校生」というユニークなキャラクターに加え、おとなしい普段の話し方とは対照的な堂々とした歌唱が話題となった。
 
大江:一番最初は『函館の女』(北島三郎)の替え歌で、『ジジくさいの僕』というのを歌いました……。「♪はるばるきたぜ函館へ〜」を、「♪クラスで浮いてる角刈り〜」って……(笑)。それがウケて、どんどん勝ち進んでいったんですよ。
 
ーー 番組では人気となり、その後、番組を通して、憧れの北島三郎にも会うことができたが、17歳、高校3年生の時に高校を中退した。私立高校だったため、母子家庭の母親に迷惑かけたくないということもあったようだ。
 
大江:そうです……、2年生まで行って……、3年生もちょっと行ったんですけどね。
 
ーー 高校中退後は、ひきこもりになってしまった。そのころの様子も番組で追っかけられていた。
 
大江:そうです、高校もやめちゃったし、「自分はダメな人間だ」「もう(北島)先生にも顔を見せられない」って思って……。その時にも、(北島)先生から、『からくりテレビ』さんにコメントもらってて、「頑張って、卒業したら、また会おうな!」って……。
 
ーー その後、番組経由で北島三郎にデモテープを聴いてもらった。
 
大江:番組には、出てたんですけど、いろいろ思うようにはなかなか進まないんですよ……。その時、どうしたらいいのかっていう話になりまして……。で、安住さん(TBS 安住 紳一郎 アナウンサー)から「何でも相談して」って言われてて、もう「東京のお兄さん」みたいになってましたんで、相談して、「(北島)先生に歌を聴いてもらおう」ってことになったんです。それで、事務所さんにも話をしてもらって、「じゃあ、デモテープを録りましょう」ってなったんです。
 
大江:安住さんは、今でも、しょっちゅう連絡きますし、本当に面倒見のいい人で、「今でも弟だと思ってるから、なんでも相談して」って言ってくれますし、本当にいい人なんですよ〜。もう、それだけで、「歌っていこう!」って気持ちになりますね。
 
ーー これが、歌手デビューのきっかけとなった。
 
大江:それで、(北島)先生の歌ばっかり何曲か歌ったのを(北島)先生が聴いてくださって、「あっ、これなら大丈夫だろう」ってなったんです。難しい歌ばっかり歌いました……。やっぱり、「道」というものは、自分で作らなきゃいけないんだなっていうのが、すごくわかりました。
 
ーー 最初に、北島三郎と会った時のことを聞いた。
 
大江:顔見れなかったです。下向いてました……。で、2回目に会った時に、梅田芸術劇場の公演で、エレベーター・ボーイをさせていただいたんですけど、ボタンを押すのを忘れてて、開いたら、また同じところみたいな……(笑)。「♪ジャジャ ジャ〜ン」ってもう始まってるのに、(北島)先生を、そこで止めてたみたいな……(笑)。それで「バカヤロ〜!」とか言われながら、今度はちゃんと押したんですけど、その時に、話しかけてくれたんです。(北島)先生が、「テレビ見てるよ。よく歌えてるじゃないか」って話しかけてくれたんです。(北島)先生は、ホント、びっくりするくらい優しいです。怒らないんです。
 
ーー 北島三郎は、本当に誰に対しても優しいと言う。
 
大江:僕が大好きなところは、(北島)先生は、外に出ても「サブちゃん」て呼ばれるじゃないですか。新宿で、僕と 2人で歩いてたことがあったんですね。その時に、「あっ、サブちゃんだ!」って言われるじゃないですか、一般の方から。その時、「ありがとう! どうも! よろしくどうぞ!」って絶対に言うんですよ。これはすごいなと……。普通だったら「おうっ」ってイメージじゃないですか。それがね「ありがとうございます。ありがとうございます」って言うんですよ。一般の方にもこういうことをされる(北島)先生なんで、これは、もうずっと付いていきたいと思いましたね。

5 パニック障害で 1年の休養後、復帰 〜「頭を撫でてくれるんですよ…」〜
 
ーー バラエティ番組『さんまの SUPER からくり TV』への出演がきっかけとなり、憧れの北島音楽事務所に所属、すぐに歌手デビューが決まった。2009年2月15日、原譲二(北島三郎のペンネーム)が作曲したシングル『のろま大将』で、北島三郎と同じレコード会社、日本クラウンから歌手デビューした。これは、異例のことだ。これまで、北島音楽事務所に所属してデビューした山本譲二、和田青児、小金沢昇司、北山たけし らは、皆、デビュー前に付き人を経験している。
 
大江:もう、自分の中では「夢のまた夢」の話でしたから、そうですね……、現実として受け止めれない感じで……、で、作品が(北島)先生の作品でしたし。作詞が、仁井谷俊也先生なんですけど、タイトルがなかなか決まらなかったんですね。それで、タイトルは、北島先生が『のろま大将』と……。
 
ーー たしかに、インパクトは大きく、デビュー曲『のろま大将』はヒットしたが、最初に『のろま大将』と言ってしまったがために、ずっと三の線を演じなければならなくなった。
 
大江:そうですね。そのまま行かないといけないですよね……。だから、キャラなんですよ……。だけど、もう(北島)先生は気づいてますよ、「お前、のろまって言ってるけど、のろまじゃなくなってきたな……」っていうのは言われますけど。
 
ーー 大江裕は、のろまでも不器用でもない。極めて繊細で、周りをよく見ているし、気配りもすごい。
 
大江:周りのこと、気にしすぎてるんですよ……。
 
ーー だから、過呼吸になって公演中に倒れたことがある。
 
大江:そうです。その 1週間ぐらい前から目まいがしてたんですよ。それで「おかしいな」とは思ってたんですけど、5日間のイベントを乗り越えないといけないなというのがあったんで……。で、そのイベントの真ん中の日ですかね、コンサートが始まって1曲目を歌ったんです。歌い終わって、頭下げて、頭を上げたんですよ。そうしたら、もうバランスが取れないんですよ。足がもうバネみたいで感覚がないですよ。脈が上がってて、喋りながら、もう「はい、はい……」って、ずっともう「はい」しか言えなくて……。それで、「すいません……、司会の方、ちょっと出てもらっていいですか」とお願いをして、ステージの袖に入ったら、バーンと倒れたんですよ。
 
大江:それで、救急車が来て、運ばれて……。救急車の中でもずっと血圧を測ってて、ステージのことを考えると 200 くらいまで行くんですよ。でも、「家族は元気ですか?」とかって関係のない話をするとね、血圧が 130 とか 120 に下がるんですよ……。で、そのあと、ひとりになって、「ステージはどうかなどうなってるのかな」と思うと、またウワーって脈が速くなるんですよ。だから、「これは、なんかおかしいな」とは思ったんですよね。でも、その時は、その病気(パニック障害)すら知らなかったんで……、心臓が悪いと思ってたんですよ。もう手の感覚ないんですよ。足も全部シビレちゃってて、もう歩けないんですよ。
 
ーー あとから、それは、パニック障害だとわかった。「お客さんの期待に応えなきゃいけない」という強いプレッシャーを、無意識に自分にかけていたのかもしれない。
 
大江:そうですね、やっぱり 2年目になりましたから……。だってね、1年目で曲が 2曲しかなかったんですけど、もうイベントが入ってたりして……、2曲しかないのに 2時間やるなんて……(笑)、まあ、今だから話せることですけど……。あのころ、よく皆さんから、「異例だ、異例だ」って言われましたよ。60分から 70分やらないといけない ディナーショーとかもスッゴイ入ってましたし……、テレビにも出ないといけないですし……。もうそれがね、ずっと続いて、もう休みがもうほとんどない状態でずっと行きまして、それで、疲れちゃったんすかね……。
 
ーー たしかに、デビュー前から『さんまの SUPER からくり TV』で話題となり、デビュー曲もヒット。ひきこもりから、いきなり歌手として忙しくなり、その環境の変化に、心と体が付いていけなかったのかもしれない。
 
大江:それで、僕は、2010年11月13日に倒れたんですけど、翌日は、鹿児島の国分というところでコンサートだったんですよ。僕は「やります」って言って、会場に行ったんですけど、会場に行くと、もう脈がバーッと上がるで、しょうがないんで出番までソファで横になってたんですよ。そしたらね、楽屋のドアが「ガンガンガン」って叩かれて、ドアがパッと開いたら、たけしさん(北山たけし)がいるんですよ。
 
大江:たけしさんは、ちょうど鹿児島の隣の宮崎で仕事やってて、終わってからぶっ飛ばしてきたんですよ。それで、「裕! ここは俺がやるから、お前はもう帰れ!」って言ったんですよ。僕は、頭の中こんがらがってて「えっ? なんで兄さんがいるんですか?」って感じで……。そしたら「いや、裕が倒れたって言うからさ〜」って。それで、たけしさんが代わりにやってくれたんです。
 
ーー 北島ファミリーの絆の強さを感じるいいエピソードだ。そういうこともあって、2018年からの北山たけしと大江裕のユニット「北島兄弟」に繋がったのかもしれない。
 
大江:いやいや、それは……(笑)。でも、それもあったかもしれませんね……、流れというかね……。そのころは、やっぱり「北島ファミリー」って言っても、そんなにね、一緒になったりはしなかったんですよね。でも、その時「ファミリーってすごいんだな!」って思いましたね。
 
大江:その時は、(北山)たけしさんだけじゃなくて、(和田)青児さん、(松原)のぶえさんとか、ファミリーの方が、僕が行けなくなったところに、僕の代わりに行って下さったりしたんです。それはもう、今から振り返ってみると、ファミリーじゃなかったらできたなかったんだろうなあって思いますね。そういう絆というものはすごいなって思いますね。
 
ーー それで、2010年11月から、約1年とほどの間、歌手活動を休養することになった。
 
大江:休んでる時は、事務所に来て、電話番とかやってましたね。で、その時期から、いろいろ先生によく事務所に呼んでいただいたんですけど……。で、ある時、半年くらい経ったころに、(北島)先生に呼ばれたんですよ……。それが、もう本当に怖かったんです……。だって、半年間休んでて、先生に呼ばれたわけですよ、「これはもうクビだな」と……。だって、歌わない歌手を、ずっと置いとくことはできないじゃないですか。で、自分では、もう歌えない自信が……、歌えない方の自信があるわけですよ。
 
大江:で、会長室に行ったら、いらっしゃってね、(北島)先生が座ってんですよ。もう怖くて怖くてね〜。2人っきりですよ、「どうしよう、これ……」って……。それで、もう土下座して、「先生、本当に申し訳ございませんでした。本当にすいません、すいません、すいません……」ってずっと謝ってました。
 
大江:そしたらね……、(北島)先生が近寄ってきたんですよ……。「うわぁ〜 怖い! なぐられるかも……」って思ってたら、(北島)先生は、頭を撫でてくれるんですよ……。「お前疲れたな……、疲れたな……。お前ね、今ね、休憩。休めということで、体がそうしてくれたんだよ。だからな、お前がね、体が良くなったら歌えばいいし……」って、頭を撫でながら言ってくれたんですよ。そのあと、「そうだ、俺と旅に出よう、全国コンサート旅だよ。お前、裏方でいいから」ということで、僕を付き人にしてくれたんです。それで、ずっと先生の身の回りのことをさせていただいてました。
 
ーー 1年ほど休養した後、2012年3月7日に、4作目となるシングル『ふる里はいま…』で復帰する。そのきっかけも、北島三郎が作った。
 
大江:(北島)先生のコンサートで付き人として回ってた時、ホテルに着いてから……、ホテルにはちゃんとピアノがありますから、「裕〜、今日どうだ? ちょっと声出してみようか」って、「♪あああああ〜」って(北島)先生のレッスンが始まるんですよ。
 
大江:それで、「裕、今日はここまで出たなと。明日ちょっとまたやってみような」って言われて、毎日、毎日やってると、だんだんキーが戻っていくんですよ。やっぱり家で寝てるばっかりですから、声を出してないですから、声が全然出なかったんです。それが、だんだんと声が出てきて……。で、(北島)先生の前だと、(パニック障害は)大丈夫なんですよ、強い人がいると思ってますから。強い味方が自分にはいると思うと、その病気っていうのは、心臓バクバクしないんですよ。
 
大江:それで、弟子ですから、先生の喋る言葉を何でもメモ帳に書かないといけないんですけど、ある時、「裕、ちょっと俺が今から喋ることを全部書け」と言われて、先生が何か語られて書いてっていうのが 1週間 続いたんですね。で、1週間後に、(北島)先生に「そのノートを渡せ」って言われて、そしたら「今日はレッスンなし」って言うんですよ。「もうレッスンしなくていいから」って言うんですよ。また「こわい〜」って思って、不安で……。
 
大江:そしたら、その次の日、「裕、ちょっとこのテープ聴いてみろ」って言うんですよ。聴いたら、先生がピアノで弾いて、僕が先生から聞いて書いてた歌詞の歌だったんですよ……。「季節(とき)は流れて ふる里はいま 変わる景色は 春模様……」って、先生は、歌詞を言ってたんですよ。それで、「いい曲ですね〜先生、もうすごいイイです〜」って言ったら、「何言ってんだよ、お前。お前の出発の曲だよ」って言われて、「えっ!」って……。それからまた動き出していくんですよね。
 
大江:そのときに先生に言われたのは、「一応、レコーディング・スタジオを押さえるけど、もし仮に、お前が体調悪かったら来なくてもいいから……」と、「来れても、歌えなくてもいい」と。「別に、いつ発売してもいいから」って言われて……。
 
ーー 病気のことを考えて、プレッシャーをかけないようにしたのだろう。
 
大江:で、その日、スタジオに行って、その日に『ふる里はいま…』(作詞・作曲:原譲二)を歌って、完成したんですよ……。僕も歌を作ってもらって、もうずっと泣きながらね……。(北島)先生も「よくここまで歌えるようになったなぁ〜お前」って言ってくれて……。
 
大江:「また、新たな今までと違う大江裕だよ。今まで、1年ちょっとつらい思いしてきたけども、また歌えるんだからさ。お前の歌を待ってる人がいるんだよ。俺も聴きたいしな」って、こう言われたときにですね、もうこれは「先生のためにも歌わなきゃ」という気持ちが出て参りまして……。

6 見られているイメージと本当の自分 〜「本当にラクなんですよ…」〜
 
ーー 2012年の復帰後は、毎年、コンスタントに 1〜2枚のシングルをリリース。ソロの活動に加え、2018年には、デビュー10周年の大江裕と、デビュー15周年の北山たけしの 2人で、ユニット「北島兄弟」を結成し、シングル『ブラザー』をリリース。その年の「NHK 紅白歌合戦」にも出場したている。大江裕は、その歌唱力にも関わらず、世の中から見られているイメージは三枚目だ。本当の大江裕とはギャップがあるが、しかし、そのイメージを無理して演じているわけではない。
 
大江:あのですね……、最近もコンサートをさせていただりもするんですけども、「♪北の〜 漁場はよ〜」って歌って「ジャン」て終わるじゃないですか。その時に、いつもの感じで「ありがとうございますぅ〜」って言うと、ドッとお客さんが喜んでくれるんですよ。歌い終わったら、そのキャラに戻るわけですよ。だから、歌のときだけ、ちょっと違うキャラでいいんですよ……、僕は違う大江裕になるんです。だから、歌う時以外は、もう今までのやっぱり作り上げた「恐れ入りますぅ〜」の大江裕で行きたいなと……。
 
ーー それはそれで好きみたいだ。
 
大江:ラクです。うん。しっかりしちゃうより、ポヨ〜っとしてる方が、僕はラクなんですね〜。なんかやっぱ間違ったこと言っても「そうなんですねぇ〜」って言ってるのが本当にラクなんですよ。
 
ーー 番組で歌わなければいけないカバー曲を覚えなければならないなど、仕事で聴かなければならない時間も多いと思うが、趣味で音楽を聴いたりもするのだろうか?
 
大江:聴きますね。たとえば、今回、歌わせていただいて、松山千春さんとか、高橋真梨子さんとかも、もう、結構、聴いてます。松山千春さんも、逆に、(北島)先生の『風雪ながれ旅』とか『北の漁場』とかも歌われてたりするんで、そういうのを聴いてみて、「ああ、こういう歌い方もあるんだなあ〜」とか思ったりして……。
 
大江:本人じゃなくて、いろんな人がカバーしてるのもよく聴きますね。たとえば、三山(ひろし)さんとか「どういうふうにこの人がカバーしてるのかな」って感じで聴いたりもします。「ああ、こういうふうに歌ってんだ……、じゃあ自分はちょっと違うように歌おうかな」とか、そういうのも必要なんですよね。やっぱ(オリジナルの)本人の歌を聴いちゃってますから、本人と同じように歌っちゃうんで、「じゃあ僕はこう行こうかな」とか……。
 
ーー 今後、歌ってみたい曲調やジャンルを聞いてみた。
 
大江:あの、演歌も好きですけど、意外とやっぱり……、今回の『ハナミズキ』のような曲も、ちょっとチャレンジしてみたいなって……、そういう系がね、持ち歌で 1曲あれば面白いのかなと。「あっ、こういう曲も歌えるんだ」っていうね……。だから、もう本当に、今回アルバムは、いいきっかけを作ってくださったので。
 
ーー 北島三郎の曲でとくに好きな曲を聞いた。
 
大江:やっぱり、僕は『函館の女』(はこだてのひと)ですね。一番最初の僕のアルバムに『函館の女』のカバーを入れさせてもらってるんです。それを、『函館の女』を作曲した島津伸男先生が聴かれて、島津先生がご健在の時に、(北島)先生の前で、「大江くんしかいないよ、『函館の女』を歌えるのは」って言って下さったんですよ。その時に、(北島)先生の顔をチラッと見たら、ニコッと笑ってらしたんで、それは、もうオッケ〜なんですよ。だから、「(北島)先生からも、島津先生からもオッケ〜をいただいたな」と、心の中で思いながら、「女(ひと)シリーズ」は、よく歌わさせていただいてます、はい。
 
ーー 大江裕しか、北島三郎を歌い継ぐ歌手はいないと思う。たとえば、大江裕が歌う『兄弟仁義』や『北の漁場』などは、全盛期の北島三郎を聴いているような錯覚すら覚える。
 
大江:ああ……、ありがとうございます。歌っていきたいですね……。テレビで(北島)先生の歌を歌うと、放送されたあと、「良かったよ!」とか「今日の『兄弟仁義』シビレたよ!」とか電話がガンガンかかってくるんですよ。それが、すっごく嬉しいんです。
 
大江:それで……、(北島)先生から言われている言葉がありまして、「俺の今の歌を聴くな」って言われたんですよ。「お前は、まだ 30過ぎだから、20代から30代の俺の声を聴け」と……。「お前はすごいんだ」と……、「だって、俺のデビューから今の俺まで全部を聴けるんだ」と、「だったら、お前は大丈夫だから」ってことは、いつも言われています。
 
ーー 実際に、『函館の女』の他にも、『北の漁場』もカバーして、アルバムに収録されている。
 
大江:あと、「一文字シリーズ」も好きです。皆さん、あまりご存知じゃないと思うんですけど、本当に隠れた名曲があるんですよ。『斧』っていうのと『運』っていうのがあるんですよ。「一文字シリーズ」は、『歩』から始まってると思うんですけど、『山』とか『竹』とかの前、最初のころのこの『斧』『運』の時代の歌が大好きです。その時の(北島)先生の歌声がスゴイです。もう鼻からプワ〜っと抜けてるあの歌声がスゴイです。それは、最近、よく聴いてますけど。

ーー 歌手デビュー10周年の 2018年11月30日には、地元、大阪・岸和田市の「浪切ホール」で初の単独コンサートを開催した。
 
大江:嬉しいですけどね〜、でも、あの時も大変でした。やっぱり……、難しいですよね……。嬉しい反面、気持ちがやっぱり……、なんて言ったらいいんですかね……。あの時は、変な緊張してて、前の日もプレッシャーで、また救急車で運ばれそうになったんです(笑)。本当に苦しかったんですよ。
 
ーー 期待に応えなければいけないというプレッシャーで、自分で自分を追い込んでしまっていたのだろう。加えて、ちょうど、その頃、忙しくて、その10周年記念コンサートのリハーサルの日がとれず、当日のみのリハーサルでぶっつけ本番になるというプレッシャーもあった。
 
大江:でも、コンサート自体は、うまくうまくいきました……、3時間半やりました……長い!(笑)。
 
ーー 大江裕に幼稚園から歌を教えた祖父の肥後熊藏も会場に来ていた。さぞ嬉しかっただろう。
 
大江:喜んでました。やっぱり、おじいちゃんが夢を描いてね、孫に託したという気持ちがありますから……。でもね、デビューが決まった時も、「良かったな」とかも何も言わないんですよ……、九州男児ですから。たぶん、隠れて泣いてたとは思いますけど……。
 
大江:だってね、おじいちゃんも歌手目指してたから、結構、カラオケ大会とかでもらったトロフィーが家に30個くらいあったんですよ。これがやっぱ、おじいちゃん自慢だったんですよ。そしたら、デビューしてから、久しぶりに「ただいま」って帰ったら、2階にそのトロフィーの部屋があったんですけど、1個もないんですよ。「おかしいな?」と思って、おばあちゃんに聞いたら、「全部 捨てた」って……、「もう夢を果たしたからね」って……。「でも、おじいちゃんには聞かないで」って……。多分、孫に歌手になって、それでけじめがついたんだろうなって。
 
ーー 祖父の肥後熊藏が、大江裕とともに、北島三郎と会食をしたことがあった。その時、おじいちゃんは、シラフでは行けなかったそうだ。
 
大江:もう、だって、(北島)先生は、おじいちゃんと同じ世代ですから、全くかぶってますから。だから、会う前からもうベロベロに酔っぱらってて、(北島)先生に、「サブちゃん!」とか言ってて……(笑)、もう(北島)先生も笑っちゃってるんですよ……(笑)。
 
大江:食事に行って、「もう、サブちゃんの歌ばっかりだったんですよ!」って……、いちおう敬語なんですけど、「サブちゃんて呼ぶな!」って言って……(笑)。でも、(北島)先生は、ニコッと笑って、「やっぱり、おじいちゃんからしたらね、そうですよね……」って、おじいちゃんにタメ語じゃなくて敬語ですよ。「そうですよね、わたくしども、ずっとサブちゃん、サブちゃんて呼んでもらって……、いいんですよ、おじいちゃん……」ってそんな感じなんですよ。
 
ーー 北島三郎の人間性を感じるエピソードだ。最後に、大江裕に、今後の目指すところを聞いた。
 
大江:あのですね……、みんなが言う「人のために歌っていく」っていうのは、やっぱり一番大きいですね。人を癒やしていくのが、歌手に求められることと思いますし……、宿命といいますか、そういうものだって聞きますけども……。でも、僕は、もっともっと幅広く、自分の地元も、大切にしていきたいなというのもありますね。
 
大江:あとは、とにかく、もう(北島)先生の後を追う。もう「(北島)先生のような歌手になる」というのは変わりません。やっぱり、(北島)先生は、もう一発録音の時代からやってますから、そういうことのできるように、歌を磨いて、ぶれない歌をこれからも歌っていきたいなと……。「大江くん、ちょっと大丈夫かな……」って言われるような歌を歌いたくないです……、と、心には決めてますけども、でも、こっちがね、心臓がバクバクしちゃったら、歌が揺れちゃうんですよ……(笑)。
 
ーー その繊細なところも、大江裕のいいところだ。だから、今度は、それさえも武器にできれば、もっと大きくなれるだろう。
 
大江:そうですね。だからもう、もうこのパニック障害の方も多いです、現代病ですから。だから、どんどん皆さんにね、勇気を与えていきたいなと……。「パニック障害を持ってますけども、今頑張ってますよ」って。つらいですけども、今は、歌うことが、絶対にリハビリだと思ってます。なにしろ、前は、歌を聞いて脈上がってましたから……。
 
大江:とにかく、病院に言われて衝撃的だったのが、うちの社長と並んで聞いてたんですけど、「歌手をやめてください」って言われたことです。医者としては、原因がわかってる訳ですから。で「どうすんだ」って言われてもわかんないですし、とにかく、進むしかないですから……。
 
大江:でも、やめることも考えました。(北島)先生に迷惑かけんだったら、もう実家に帰った方がいいのかなって……、うん。でも、(北島)先生から呼ばれて、「一緒に回ろう」と言われて、「駄目で元々だから、駄目だと思ったら駄目になっちゃうから、もう本当に俺のそばにいれば怖いものないから」って言われて付いて行きましたから……。それがなかったら、多分、僕は今いないと思いますね。
 
大江:やっぱり、(北島)先生の温かい言葉、あの優しさ……、うん、それがやっぱり一番の励みになりました。なので、人を助けるとまで言うとおかしいですけど、人の心をちょっとでも癒すような歌……、つらい時に元気を出してくださいっていう、ちょっとでも痛みを和らげるような歌を歌っていきたいなっていうのがあります……。
 
大江:自己満足ではないですね。自分がどうしていきたいじゃなくて、やっぱり、ひとりでも僕の歌を聴いてくださる方がいらっしゃったら、歌っていきたい……。いらっしゃらなかったら、僕、本当に終わってましたから……、本当に、あの時点で、2年目で終わってました。
 
大江:だから、「頑張ってね」っていう皆さんからの手紙とかメールとかに、今でも本当に励まされてます……。「大丈夫? 痩せた?」とかって……(笑)。

(取材日:2021年11月9日 / 取材・文:西山 寧)





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