南こうせつ、ロング・インタビュー! 最新アルバム「夜明けの風」! 変わらない「こうせつ節」のメロディと歌声の全5曲! タイトル曲は、コロナ禍の世に向けた、心に響くメッセージソング! 伊勢正三との出会い、「かぐや姫」時代、島倉千代子の「からたちの小径」までインタビュー!「すごい体験でしたね…」

インタビューの最後に、読者プレゼントあり!

Minami Kosetsu

南こうせつ

New Album『 夜明けの風 』


★ 1970年のデビュー後「かぐや姫」を結成、解散後もソロとして活躍し続け50年以上!
★ 2019年「いつも歌があった」以来、2年半振りのオリジナルアルバム!
★ タイトル曲は、コロナ禍の世に向けた、メッセージソング!
★ 言葉が心に響くメジャー調のミディアム・バラード!
★ 変わらない「こうせつ節」のメロディと歌声、全5曲収録!


1970年にソロデビューし、直後に「かぐや姫」を結成。1975年の解散後もソロのシンガーソングライターとして活躍し続けるとともに、平和を訴える「広島ピースコンサート」の開催や、環境への意識を盛り込んだ「GREEN PARADISE」を開催するなど、音楽を通してメッセージの発信をし続けている 南こうせつ。
 
2年半振りのオリジナルアルバム「夜明けの風」が、9月8日に発売となった。

表題曲の「夜明けの風」は、こうせつの明るい響きの歌声で歌われる「♪いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ」という歌詞が心に響く、メジャー調のバラード。コロナの影響を受けている人たちのみならず、困難な思いをしている全ての人たちをも勇気づける応援歌。
 
ほかにアルバムには、過去に自身のアルバム候補曲として温められていた「がんばってみようか」、 自宅書庫から三十数年を経て発見された歌詞に曲をつけた「プライベート・ソングII」(作詞:岡本おさみ)、 五木ひろしに書き下ろした「ぽつんとひとりきり」のセルフカバー、妻である 南 育代 が作詞した、若かりしころの自身を重ねる様にミュージシャンを語る「歌うたいのブルース」の 全5曲が収録されている。
 
キャリア50年以上となるが、変わらない「こうせつ節」のメロディと歌声を聴かせてくれる!



南こうせつ 新曲『夜明けの風』コメント

このアルバムが生まれるきっかけになった歌です。世界中がコロナ禍で迷走している真っ只中でこの詩を見た時、直感的に心の道しるべとなるものを感じました。斎藤ネコオーケストラの皆さんの音楽を愛する演奏が、さらにこの歌を輝かせてくれました。
ーー 南こうせつ



南こうせつ「夜明けの風」MUSIC VIDEO

「夜明けの風」歌詞を見る!



リリース 情報


南こうせつ 「夜明けの風」
アルバム CD(5曲入)
2021年9月8日発売
CRCP-20578
¥2,200
PANAM / NIPPON CROWN

<収録曲>
1 夜明けの風
 (作詞:山丘たかし、作曲:南こうせつ、編曲:南こうせつ、ストリングス・アレンジ:斎藤ネコ)
2 がんばってみようか
 (作詞:松井五郎、作曲:河合徹三、編曲:河合徹三)
3 ぽつんとひとりきり
 (作詞:松井五郎、作曲:南こうせつ、編曲:南こうせつ)
4 プライベート・ソングII
 (作詞:岡本おさみ、作曲:南こうせつ、編曲:南こうせつ、ストリングス・アレンジ:斎藤ネコ)
5 歌うたいのブルース
 (作詞:南 育代、作曲:南こうせつ、編曲:河合徹三)


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南こうせつ 日本クラウン




コンサート情報


南こうせつ&イルカ スペシャルコンサート〜永遠の青春〜
2021/10/16 (土) 栃木県 宇都宮市文化会館

南こうせつ コンサートツアー2021~いつも歌があった~
2021/10/31 (日) 埼玉県 深谷市民文化会館
2021/11/06 (土) 富山県 滑川市民会館 大ホール
2021/11/11 (木) 高知県 高知県立県民文化ホール

長野市芸術館 開館5周年記念事業 復興 NAGANO!音楽祭(坂本冬美、平原綾香、南こうせつ)
2021/11/21 (日) 長野県 長野市芸術館

南こうせつ & 森山良子 プレミアムコンサート2021 (南こうせつ、森山良子)
2021/12/3 (金) 宮城県 マルホンまきあーとテラス (石巻市複合文化施設)

南こうせつ 年末コンサート2021~夜明けの風~
2021/12/24 (金) 東京都 東京国際フォーラム ホールC
2021/12/26 (日) 大阪府 フェスティバルホール

南こうせつ コンサートツアー2022~いつも歌があった~
2022/1/29 (土) 神奈川県 相模原市民会館
2022/1/30 (日) 埼玉県 坂戸市文化会館
2022/2/26 (土) 埼玉県 羽生市産業文化ホール
2022/2/27 (日) 群馬県 渋川市民会館


南こうせつ コンサート情報

南こうせつ オフィシャルサイト


南こうせつ 歌詞一覧

南こうせつとかぐや姫 歌詞一覧




南こうせつ スペシャル インタビュー


 南こうせつの歌は、昔も今も、言葉がよく聞こえてくる。歌詞カードを見ないで聴いていても、ちゃんと歌詞の意味や、その内容が伝わってくる。

 その理由は、明るい響きで、言葉の抜けの良いその歌声にあるが、それだけではない。その優れたソング・ライティングにも秘密がある。

 南こうせつは、話す言葉が持っているリズムや間、アクセントやイントネーションをそのままに、まるで普通に喋っているかのようにメロディを付ける。メロディによって言葉が訛ったりしない。しかも、それでいてキャッチーで心に響くメロディになっている。

 つまり、普通に話しているかのように作られたキャッチーな歌を、明るい響きで言葉の抜けの良い歌声で、語るように歌ってくれるから、聴く人に、歌詞の内容はもちろん、その言葉の裏側まで感じさせてくれる。

 しかも、南こうせつの歌声には、余計なチカラが入っていないから、聴いていて疲れず、心地よく聴ける。『神田川』『妹』『僕の胸でおやすみ』『夢一夜』といった、しっとりとした曲だけでなく、アップテンポの『あの人の手紙』や『夏の少女』、カントリー調の『うちのお父さん』、『オハイオの月』などロックの曲でも、それは変わらない。

 今回のミニアルバムのタイトル曲でもある『夜明けの風』は、メジャー調、ミディアムテンポの心に響くバラード。コロナ禍の中で作られ、昨年、2020年の9月に、延期や中止が続く中、一時的に再開されたコンサートで歌ったことで、ファンからの反響を受けレコーディングが実現。コロナ禍でなければ、コンサートの最後、会場全体でのシングアウトが似合う曲だ。

 コロナ禍に作られたとは言え、そのメッセージは普遍的で、困難な状況にあったり、辛い思いをしている私たちに、「明けない夜はない……、それまで、もうちょっとだけ頑張ってみよう……」と思わせてくれる。

 「かぐや姫」の頃から変わらない 南こうせつ らしいメロディで歌われる「いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ」という歌詞に、勇気づけられ、元気をもらえる、まさに「アンセム」といった趣で、「祈りの曲」のようでもある。聴けば聴くほど沁みてきて、また聴きたくなる。

 ミニアルバムには、タイトル曲『夜明けの風』のほか、寄り添うようなおしゃれな応援歌『がんばってみようか』、五木ひろしへの提供曲『ぽつんとひとりきり』のセルフカバー、「かぐや姫」を彷彿とさせるような『プライベート・ソングII』、そして、妻でもある 南 育代 が作詞した、南こうせつ自身の人生を歌にしたロッカバラード『歌うたいのブルース』と、バラエティ豊かな 全5曲が収録されている。

 1970年に「南高節とかぐや姫」(第1期 かぐや姫)としてデビューしてから 半世紀、50年以上が経つ。世の中は、ずいぶんと変わったが、「おいちゃん」(南こうせつの愛称)は、歌声も作るメロディも変わらない。まさに、インタビューの最後で、「僕は僕でいいんです」と話してくれたが、今も変わらず、聴く人を裏切らない「こうせつ節」を聴かせてくれるから嬉しい。

 南こうせつは、30代前半から もう40年以上も、出身県でもある大分県の杵築(きつき)市に住んでいる(その前は、河口湖)。そんなところからも、人間性を感じる。

 ちなみに、今年、2021年8月1日には、南こうせつが作曲した「おかえりの唄」(作詞:星野哲郎)が、JR 杵築駅(八坂)の到着メロディーになった。

 いつも明るくニコニコしていて、誰に対してもやさしいが、正義感が強く、筋の通らないことは許せない。


<もくじ>

1 南こうせつらしい感動的なアンセム 〜「感じ合えるところに、歌の素晴らしさがある…」〜
2 偶然見つかった詞…、自然と集まってきた収録曲 〜「僕は、今の感じがした…」〜
3 五木ひろしへの提供曲をセルフカバー 〜「五木さんは、その時のことをすごいよく覚えててね…」〜


4 フォークとギターと伊勢正三との出会い 〜「『もう時代はこれだ!』と思いましたね…」〜
5 進学、上京、「かぐや姫」を結成 〜「とにかく音楽に携わりたかった…」〜
6 『神田川』の大ヒット…、人気絶頂での解散 〜「もう、ぶっとびましたね…」〜


7 詞の内容がよく伝わるメロディ・ライティング 〜「喋りのまんまなんです…」〜
8 島倉千代子の最後の歌『からたちの小径』 〜「すごい体験でしたね…」〜
9 最近、聴く音楽 〜「だから、僕は僕でいいんです …」〜


1 南こうせつらしい感動的なアンセム 〜「感じ合えるところに、歌の素晴らしさがある…」〜

ーー 2年半ぶりとなる、5曲入りのミニ・アルバム『夜明けの風』の企画は、そのタイトル曲『夜明けの風』(作詞:山丘たかし/作曲:南こうせつ/編曲:南こうせつ/ストリングス・アレンジ:斎藤ネコ)が、コロナ禍の2020年に出来上がったことから始まった。新曲『夜明けの風』は、「かぐや姫」の頃から変わらない 南こうせつ らしいメロディで歌われる感動的なメジャー調のミディアム・バラード。サビで繰り返される「♪いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ」という歌詞に、勇気づけられ、元気をもらえる、まさに「アンセム」といった趣で、「祈りの曲」のようでもある。

南:そうなんです。コロナ禍の中でね、この『夜明けの風』が出来たんで、「せっかく、なんかいい歌だから、CDに出来たらいいよね〜」っていう雑談から……。だったら、ホラ、A面 B面で もう1曲作った方がいいっていう話しの中で、結果的に、去年から 5曲上がったんですよ。「じゃぁ、それはもうミニアルバムということで『夜明けの風』のタイトルで出しましょう」ってなって……、そういう結果論なんですよ。

南:ようするに、コンサートはゼロですからね。コロナが始まって、ずーっと、もうゼロ。全部、延期、中止になりましたから……。で、そういう中で、この1曲が出来たことで、結果的に、このミニアルバムの企画になったんです。

ーー 昨年、2020年2月末から始まったコロナ禍の中、コンサートの延期や中止が続いていた。そんな中で、新曲『夜明けの風』は作られた。そして、一時的に再開された、2020年9月12日「塩尻レザンホール」でのコンサートで初めて歌い、それを聴いたファンからの、CD化を望む大きな反響もあった。

南:そうですね〜。なんかね、あの……、コンサートが全部ゼロになってね……、でも、いくつか、主催者、あるいは行政が OK のところは出来たんですよ。で、「実はコロナ禍の中で出来た歌があるけど聴いてくれる?」って、ギター1本で『夜明けの風』を歌ったんです。で、このCD化にあたり、こうやってオーケストラっていうか、バンドを付けたんです。

ーー 新曲『夜明けの風』は、アレンジも感動的だ。最初はピアノで静かに始まるが、後半のサビの繰り返しでは、ドラム、エレキギター、ストリングスなどで、ジワジワと盛り上がってくる。アレンジも南こうせつ自身が担当しているが、斎藤ネコが担当した、全編を通して感情を表現しているようなストリングスが見事だ。

南:綺麗ですよね〜。斎藤ネコさんて、今は、椎名林檎さんもやってますけど、もう昔からうちでもやってて、彼とミーティングしたんですけど、やっぱり上手いですよね〜。

ーー サビの 「♪どんなに世界が暗くても 夜明けの風は吹く いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ……」の歌詞は、キャッチーで耳に残るメロディに乗っているから、言葉がよく伝わってくる。最後は、3回繰り返されるが、もっと聴いていたくなるような言葉とメロディだ。この『夜明けの風』の歌詞は、南こうせつと、作詞を担当した 山丘たかし との会話の中から生まれた。

南:そうなんですね。コロナ禍の中で、そういうことを彼と雑談をしてた中から、彼が書いてくれたんですね……、うん。だから、僕の気持ちもいっぱい入っててね……。

ーー コロナ禍で思うことをお互いに話し、南こうせつの気持ちもうまく汲み取り、それを作詞の 山丘たかし がまとめて歌詞という形にし、南こうせつが曲を付けたということだ。その作詞した 山丘たかし とはどういう人なのだろうか?

南:私の知り合いの知り合いなんですけども、若手の……、20代後半ですね。ま、これからの人かな、ベテランではないですね。

ーー 20代の若い人と聞いて、ちょっと驚いた。でも、ベテランの大御所でないところがまたいい。『夜明けの風』は、聴けば聴くほど沁みてきて、また聴きたくなる。コロナ禍でなかったら、コンサートでみんなで最後にシングアウトで歌いたいような曲だ。

南:あ〜、嬉しいなぁ〜。

ーー そして、この歌詞のメッセージは、何もコロナ禍に限ったことではない。「♪いつか晴れる日を信じて 今をひたすら生きるだけ」を歌声で聴いた時、困難な状況にあったり、悲しい思いをしていたり、辛い思いをしている私たちは、勇気づけられ、元気をもらえる。

南:サビのトコですよね〜。これはね、あの……「いつか晴れる日を信じて」っていう歌詞なんですけども……、コロナ禍が去年で終わると思ったらとんでもない、また 第5波まで来ちゃって、今もまだ感染者がどんどん増えてるじゃないすか。で、「♪どんなに世界が暗くても 夜明けの風は吹く」って歌ってるんだけど、厳密に言うと、「どうしてそういうコト言えるのか君は? 証明できるのか?」って……、「"暗いけど絶対に夜明けが来るから" っていうのは、何の根拠なのか?」って言われたら、なにも無いんですよ……、ミュージシャンっていうのは。データ解析してる訳じゃないしね。

南:でも、ミュージシャンってのは「感じるチカラ」って結構あるんですよ。その「感じるチカラ」で、「絶対に朝が来るんだ、夜明けが!」って、信じた方が生きられる。それを歌ってるんですよ。「もしかしたら、来ないかもしれない、このまんま本当に来ないかもしれない……、でも、夜明けが来るんだ!」って自分で歌って、それを誰かと共感し合う……。その共感し合った時に、心がなんか前向きになれる、ハートが前向きになれる。「歌のチカラ」ってそこで、ハート同士がコラボレーションしていくと、真剣に生きられるんですよ。リラックスして、そして希望を持って生きられる。

南:それが、「絶対に来ない」っていう歌を歌っちゃうと、いや、もうガックリきちゃって、「もう、今日も生きられない」ってなっちゃう。でもね、歌の持ってるチカラってのは、「いつか絶対に夜は明けるから、今日を淡々とまた生きようよ」って、お互いが、人間同士が、ひとりで歌うんじゃなくて、誰かと共感してる時に、そこに「愛」っていうチカラが出てくるんですよ。それは歌によってメロディから出てくるんですね。ま、文化ですかね。

南:だから、それを今回すごい感じましたね。50年間も歌ってて、自分自身そういうことを漠然とわかってはいても、コロナ禍で、半年以上何も仕事がなくなって、自分と向き合ったことってない……、初めての体験でした。

南:その中で、根拠が無くても「絶対にいつかは朝が来る」とか、「この悲しみ苦しみからいつかは逃げられる」とか、「いつかはこの戦争が終わって平和が来るんだ」っていうことを信じていると、自分の魂が前に向かって生きられる……。肉体はボロボロかもしれないけど、命の根源の魂のところが元気になると、肉体もまた元気になるんですね、逆にね。

ーー 『夜明けの風』は、まさに、コロナがあったからこそ生まれた歌ということだ。そして、コロナ禍は、50年も歌っている歌手に、そうやって、あらためて考えさせるほどの大きな影響があったということだ。

南:その……、初めての体験ですから……。日本だけじゃなく、世界中の人達が、本当に不安……、もう目一杯、鬱積した、この閉塞感に包まれてるっていうか……。だから、そういう中で、ちょっと嘘でもいいから、真剣に歌ってみようかなと……。「夜明けは本当に来るんですか?」って言われたら、「イヤ、それは分からない……」と……(笑)。でもね、そうやって歌ってた方がいい……、お互いが感じ合えるところに、歌の素晴らしさがあるんだって。

2 偶然見つかった詞…、自然と集まってきた収録曲 〜「僕は、今の感じがした…」〜

ーー 2曲目に収録されている『がんばってみようか』(作詞:松井五郎/作曲:河合徹三/編曲:河合徹三)は、メジャー調、ミディアムテンポでゆったりしたおしゃれな曲。エレピのフェンダー・ローズとハモンド・オルガンが、やさしく、あたたかいサウンドを作っている。タイトル曲の『夜明けの風』とは、また違ったタイプだが、曲のタイトル通り、寄り添うような応援歌。この曲は、『逢いたくてしかたない』(郷ひろみ)、『また君に恋してる』(坂本冬美)、『悲しみにさよなら』(安全地帯)、『勇気100%』(光GENJI)などや、工藤静香、HOUND DOG、五木ひろし、山内惠介らの曲を作詞している松井五郎が作詞。そして、南こうせつ のバンドでバンマスを務めるベースの河合徹三が作曲をしている。

南:きっかけは、もうずいぶん前なんですけど……、うちのスタッフが「松井五郎さんの詞で、すごくいいのがあるんです。」って言うんですよ。見たらいい詞だったんで、「これメロディ付いてるの?」って聞いたら、なんか、付いてるとか、付いてないとか、曖昧で……、で「よかったら、こうせつさんが付けたらどうですか」っていうことになったんです。

南:そしたら、あとからスタッフから電話が掛かってきて、「河合テッちゃん(河合徹三)が付けてました」って、後で分かって、で、テッちゃんがソロで、すでにレコーディングしてたんですよね。「じゃぁ、それ聴かせてくれる?」って言ったら、そしたら、スタッフが「もしそれが気に入らなかったら、メロディ付けて大丈夫ですから」って、テッちゃん了承のうえだったらしいんです。それで聴いてみたら、すごくいいメロディだったんで、「これはもう、このまま僕が歌う」っていう経緯で出来ました。

ーー 「♪つらいことがどんなに続いても つよく思う力を忘れないで」という歌詞は、まさに、タイトル曲の『夜明けの風』にも通づるメッセージだ。

南:そうそう、これは、一緒ですよ。

ーー 中でも、ただ「がんばれ!がんばれ!」というだけでなく、「♪時々は 休んでも また歩いていけばいい」という歌詞があるところがいい。

南:あー、そういう、ちょっとね、自分に許しをね、「自分も許してあげて」っていうね……、「人間だからそんな強くないよ」ってね。なんかいいよね。

ーー 4曲目に収録されている『プライベート・ソングII』(作詞:岡本おさみ/作曲:南こうせつ/編曲:南こうせつ/ストリングス・アレンジ:斎藤ネコ)は、スライド・ギターが印象的なメジャー調のフォーキーな曲。吉田拓郎の『旅の宿』『落陽』『祭りのあと』や、猫『地下鉄にのって』、森進一『襟裳岬』(いずれも、作曲は吉田拓郎)などの作詞で知られる 岡本おさみ の歌詞に、南こうせつが曲を付けた。作詞家の岡本おさみ は、1970年代後半、南こうせつがソロになってから、『愛する人へ』『オハイオの月』『こんな静かな夜』『思い出にしてしまえるさ』などの作詞を担当している。

ーー 今回、南こうせつが自宅での断捨離中に、昔もらったこの『プライベート・ソングII』の詞が偶然に出てきた。ちなみに、『プライベート・ソング』(作詞:岡本おさみ/作曲:南こうせつ/編曲:石川鷹彦)は、1984年1月21日に発売された南こうせつのソロシングル『Bye Bye TYO』(作詞:山川啓介/作曲:南こうせつ/編曲:水谷竜緒=水谷公生)のカップリング曲なので、少なくとも、それ以降に書かれたものと思われる。いずれにしろ、相当前に書かれた歌詞だが、しかし、今、南こうせつが歌っていて自然に聴こえる。

南:いや〜、僕は、今の感じがした。時代がこう巡っても、今なんかね、このコロナの時期で、70歳 になって人生を考えて、この歌が、詞がね、なんか沁みたんですよね……散歩しながら。で、だんだん、アコースティックギターでメロディーが出てきて……、歌っていくうちに、出来ていったんですけど……。

ーー メロディが、往年の「かぐや姫」っぽい気もする。

南:もう〜モロですね。やっぱり、岡本おさみの詞はフォークになってくるんだね。

ーー だから、余計に言葉が伝わってくる。

南:あ〜そうか〜、嬉しいな〜。

ーー 今回のアルバム最後の曲、5曲目に収録されている『歌うたいのブルース』(作詞:南 育代/作曲:南こうせつ/編曲:河合徹三)は、メジャー調 3連のロッカ・バラード。歌も演奏も一発録りだったというだけあって、ボーカルも演奏もあたたかいグルーブで心地よい。妻である 南 育代 が作詞した、まさに、南こうせつが上京してからミュージシャン人生を歌った歌詞になっている。

南:正解! 50年間の全て。そう……、九州の大分県の田舎からね、その当時のこと……。

3 五木ひろしへの提供曲をセルフカバー 〜「五木さんは、その時のことをすごいよく覚えててね…」〜

ーー 3曲目に収録されている『ぽつんとひとりきり』(作詞:松井五郎/作曲:南こうせつ/編曲:南こうせつ)は、なつかしい感じのする、マイナー調のブルース・フォーク風の曲。実は、五木ひろしへの提供曲のセルフ・カバーで、今年、2021年5月12日に発売された五木ひろしのトリプルA面シングル『日本に生まれてよかった / ぽつんとひとりきり / このままずっと』に収録されている。ちなみに、同じ頃、藤あや子の最新シングル、2021年5月26日に発売された『夢のまにまに』(作詞:売野雅勇/作曲:南こうせつ/編曲:斎藤ネコ)も、南こうせつが書き下ろしとプロデュースを担当している。

ーー そもそも、南こうせつと五木ひろしは、ずいぶん古くからの付き合いだ。

南:これも……、デビューして 50年 経って、ま、五木さんとは時々は番組で出会ったりするし、仲いいんですよ。もともとは、あの……、1970年の前の「かぐや姫」(南高節とかぐや姫)の時に、『全日本歌謡選手権』に出た時に一緒だったんですよ。僕らはレコード会社から無理やり出ろって言われてね……。

ーー 当時、1970年から、日本テレビ/よみうりテレビ系列で放送されていた『全日本歌謡選手権』は、10週勝ち抜いてチャンピオンを目指すという伝説のオーディション番組。この番組からは、八代亜紀や五木ひろし(出場当時は「三谷謙」)、天童よしみらが出ているが、なんと、フォーク・グループであるにも関わらず「かぐや姫」も出場していた。変な感じだっただろうと思う。だから、「かぐや姫」は、4週勝ち抜いたあと、次の週以降の挑戦を辞退した。

南:なにせ、あのオーディションに出てくる人が、みんな演歌なんですよ。それで、最初「ちょっと合わないから、もういいですよ」って言ったら、レコード会社が「テレビに出ないと人気が出るはずがない!」って、もう、なんにもフォークのこと分かってない……。地道に都内でライブをやって、結構、人は集まってたんですけど、そしたら「そんなわがまま言うんだったら、もうレコード出させない」とか、わーわー わーわー 言うから、「じゃぁ出てあげようか……」と(笑)、「かぐや姫」は人のいいグループですから(笑)。

南:それで番組に出て、えっとね……、その時はね、『マキシーのために』(作詞 喜多条忠/作曲 南こうせつ)も歌ったし、「♪シャ〜ララ〜」って『酔いどれかぐや姫』(作詞:阿久悠/作曲:南高節)も歌ったしね、うんそう、何曲か。あと、コピーの曲も歌ったかもしれない、ブラフォー(The Brothers Four)とか……。それから、あと『あわれジャクソン』(作詞・作曲:南高節)っていう歌があるんですけど、反戦の歌がね、そういうのを歌ってたんですけども……。

南:で、1週、2週って勝ち抜いて、その頃に、ちょうど五木さんも出てて、どんどん勝ち抜いて、僕らが 4週目の時、彼は10週目で、いわゆるチャンピオン。

南:で、僕らも、「レコード会社に切られてもいいから、もう、これで辞めよう」って……、「これは、もう無理」って思ってね。だって、もう時代は、岡林信康、フォーク・クルセダーズ、加藤和彦、吉田拓郎、五つの赤い風船 …。「なんで僕らはこんなところにいるんだ!」って……(笑)。で、「これで辞めよう」ってなった4週目が、五木さんが10週目でチャンピオン。

南:その日、五木さんがね、楽屋は大部屋でいろんな連中いたんだけど、なんか僕のとこに近寄って来たから、「今日、10週目だから頑張ってね」って言ったら、「デビューが決まって、デビュー曲が出来たんだけど聴いてくれる?」って言うんですよ。で、人がいるからって、2人で洗面所に行ったの。で、洗面所で五木さんがギター持って、壁に寄り添って僕は立って、「じゃ聴かせて?」って、で、五木さんが「♪よこはま たそがれ ホテルの小部屋〜」って 3番まで歌ったの。スタッフ以外で、この歌を初めて聴いたのが僕なんだって。

南:で、「どう思う?」って 五木さんが聞くから、「これ、売れる。絶対に 1位になる!」ってその時に言ったの。で、そのあと、五木ひろしで再デビューして、『よこはま たそがれ』が、本当に 1位になっちゃったんだよ。だから、五木さんは、その時のことをすごいよく覚えててね。

南:でも、ジャンルが違うから、そのあと、全然、会わなかったんだけど、それから 3年くらいした時に、僕は『神田川』がヒットして、そしたら、文化の日に NHKの特番で、五木さんも僕も呼ばれて、その時、廊下で「良かったよね〜」みたいのがあって……、何かそういうご縁なの。

南:で、去年、50年 経って、僕の渋谷公会堂のコンサートに、五木さんをゲストで呼んでたんです。本当は、『グリーンパラダイス』という日比谷野外音楽堂のコンサートに呼んでたんだけど、それが台風で飛んじゃって、去年の暮れの僕の渋谷公会堂に「大丈夫?」って聞いたら、来るって言ってくれて。

南:で、そのリハーサルの時に、「実は、五木さんのために、このコロナの中で書いた曲がある」って言ってメロディだけを歌ったんです。メロディだけね。五木さんが聴いて「いいなぁ〜」って言ってくれて、「次のシングルのメインの曲は『日本に生まれてよかった』って決まってるけど……、入れたいなあ……」って言うから、「ああ、そんなのいい、B面でも、いつでもいいから」って……(笑)。

南:それで、「詞をどうしようか? 誰か好きな作詞家いる?」って聞いたら、「松井五郎」って。僕も松井五郎に頼もうと思ってて、それがこの曲なんです。

南:メロディだけで僕が歌ってた時のイメージは、う〜ん…… ヘミングウェイ。ヘミングウェイが、人生の中で旅をして、キューバに行って、何とかホテルのいつも決まった席でモヒートを飲む……。男の哀愁バリバリで、しかも、とてもお洒落な生き方をした人だからね、野生的でもあるし。で、僕は、その彼をイメージしてこの歌を作ったんです、ヘミングウェイ。まあ、五木さんですから、五木さん節になってますけど、うん。五木さんもすごい喜んでくれてね。なんか番組でも 2回ほど歌ってるのを観ましたけど……、うまい!さすがですね。

4 フォークとギターと伊勢正三との出会い 〜「『もう時代はこれだ!』と思いましたね…」〜

ーー 南こうせつは、九州の大分県 大分郡 竹中村(現:大分県 大分市)で生まれ、高校までを大分で過ごした。

南:小学生の 4年から洋楽に目覚めてね、プレスリーだ、トニー・ベネットだ、シナトラだ……、とか聴いて、そのうち、今度は、ビートルズが出てきて、ストーンズが出てきて……。

ーー トニー・ベネット や フランク・シナトラを、小学生の時に聴いていたというのは驚きだ。

南:そう、小学4年の時にね……。それまではね、日本の三橋美智也とかね、それからあの〜 服部先生(服部良一)の『銀座カンカン娘』とかね、オシャレなんですよ〜、すごいんですよ、もう楽曲が。で、魅かれてね……、あの〜『蘇州夜曲』とか……、すごいですよね……。

南:だから、三橋美智也の『哀愁列車』とかね、大好きで聴いてて、で、そういうのも聴いてたんだけど、小学校 4年の時に、ウチの姉ちゃんが、エルビス・プレスリーに夢中になってて、「誰その人? プレスリー?」、そうしたら『監獄ロック』『ラブ・ミー・テンダー』とか歌ってて、「ひえ〜っ! なにこれ〜!」って……。オシャレなんで、「いや〜これは、春日八郎と違うな」って……(笑)。

南:そのうちに、トニー・ベネットの「♪I left my heart in San Francisco〜」って……。で、こういう人もいる、ああいう人も……って。で、ヒットチャートの中で、突然、ビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズなんかが出てきて……、うん、今でも覚えてる……。

南:そのヒットチャートっていうのが……、あの当時、僕ら幸せだったんだけど、アメリカのヒットチャートには、世界の歌が集まってくる……。今は、ロックとか、ラップとか、ヒットチャートって偏ってるじゃん、ほぼね。でも、あの頃は、映画音楽とかもベストテンに入ってくるんですよ。『鉄道員』とか『マルタ島の砂』とか『シバの女王』とか入ってるんです。そしてフランスでは、ミーナがね、『砂に消えた涙』……「♪青い月の光を浴びながら〜」って。で、イタリアは、ボビー・ソロの『ほほにかかる涙』とか、ジリオラ・チンクェッティとかでてくる……。

南:そして今度は、南米からは、「♪ボ〜ラ〜レ」って入ってくるし、アメリカのロックンロールも入ってくるんですよね。チャックベリーの『ジョニーBグッド』とか…。あと、あの〜 フォー・シーズンズ の『シェリー』、フランキー・ヴァリ、こないだ観に行きましたよ、来たでしょ、一昨年。で、驚いたのは声が変わってない。最初出てきた時、クチパクかと思ったくらいですよ……。そして、終わってから会わせていただきましてね……、いやもう「中学校の時からファンです」って一緒に写真も撮ってもらって……(笑)。

南:で、まあ、そういう色んなところを通って、そのヒットチャートの中に、今度は、フォークっていうのが出てくる……、PPM(ピーター・ポール&マリー)、ブラザース・フォア、キングストン・トリオ、ピート・シーガー、ボブ・ディラン……。でね、ここポイントなんですけど、それまでの、プレスリーとか、クリフリチャードとか、『悲しき街角』(デル・シャノン)とか、ポール・アンカ『ダイアナ』とか、ニール・セダカが『オー!キャロル』とか歌ってる詞がね、ロックン・ロールの人の詞は、もう「I Love You」「kissしたい」「今日は朝まで抱いてやる」……「24000回のキス」とかね……(笑)、そんなんばっかりで、まぁ、それはそれで刺激的で楽しかったけど……。

南:でね……、中学生ながら、「♪Johnny Has Gone for a Soldier〜」を聴いて、「ああ、ジョニーは戦場に行ったのか〜」って……。そのうちに、ピート・シーガーが告発するようになんか歌ってる……。そのうちに、ボブ・ディランが、「♪How many roads must a man walk down〜」って『風に吹かれて』で「戦争は良くない」なんて歌ってて、「え〜っ!この歌がヒットチャートに!」」って驚いて……、それまでのプレスリーなんかとは全然ちがう。「好きだ、嫌いだ、抱いてやる」だけじゃない、「社会問題をテーマにしてかっこいい」って思って……。で、ギターもコードが 3つぐらいで、「あっ、できそう!」って(笑)。

ーー 日本の流行歌を聴き、小学4年生でプレスリーやビートルズなどのロックを知り、そして、その後、フォークと出会った。そして、ギターを弾き始めた。

南:それはね、中学…… 2年生のころ。ウチにはギターはなかったんだけど、兄が大学の休みの時にウクレレを持って帰ってきたの。それをポロ〜ンって弾いたら「これイイ〜」って思って……。で、教則本があって、それ見ながら「♪チャンカ チャンカ チャンカ」って、「あ、弾けた〜」って。

南:そのうちに、ウチの隣がお医者さんだったんですけど、そこの息子さんがギターを買ったって言うんで、見に行きました、見せて〜って……(笑)。それで「♪ボロ〜ン」って弾いて、「いいな〜ギタ〜」って思って。で、子供心に「ギターを持ったらモテるだろうな〜」って……、だいたい、エルヴィス・プレスリーでも、両手に金髪の女性を抱えてて……(笑)。

ーー 中学卒業後、大分県立大分舞鶴高校に進学した南こうせつは、コーラス部に入り、フォークを歌っていた。そして、高校3年の時に、運命の出会いがある。のちに「かぐや姫」(第2期)のメンバーとなる 伊勢正三 が入学してきた。その 2年後輩になる 伊勢正三 と、ベースの 釘宮誠司 との 3人で、1967年に、フォークグループ「ヤング・フォーク・スリー」を結成した。

南:もう、まさに PPM とか キングストン・トリオとかやってましたね……。そういうコピーをしてて……。そのうち、徐々に、日本語で歌うフォークっていうのが出始めたんですね。たとえば、マイク眞木さんとか……、あの『バラが咲いた』は浜口庫之助さんですけど……、ザ・ブロードサイド・フォー とか……、黒パン(黒沢久雄)のトコね、『若者たち』……、ジワジワ日本語のフォークが出始めて……。

南:でも、東京のフォークを歌う連中は、ザ・リガニーズ の「♪海はすてきだな〜 恋しているからさ〜」とか、もう山の手の「お坊ちゃまソング」だったんです。ところが、岡林信康 とか ザ・フォーク・クルセダーズ とかは、やっぱり、すごくナンセンスで良かったですね〜。だって、岡林は「♪私たちの望むものは 生きる苦しみではなく〜」って……、そしたら、拓郎が「♪私は今日まで 生きてみました〜」って……、「あっ、これだ!」「もう時代はこれだ!」と思いましたね。

ーー オリジナル曲は、いつ頃から作り始めたのだろうか?

南:それは、高校生の頃ですね。「ヤング・フォーク・スリー」って、正やん(伊勢正三)とかと一緒にやってたフォークグループで作ってました。正やんも、その頃から、ジワジワ自分で曲を書いてましたね。すごい才能がありました。

南:で、僕は、高校生の頃に書いたオリジナル曲だと、『あわれジャクソン』(作詞・作曲:南こうせつ)っていう曲……、ジャクソンという黒人兵士が村の娘と恋をして、そして戦場から逃げていく……、脱走するわけですよね、最後は2人とも死んでしまうんですけどもね……、そういう歌を書いたんですよね。なんか、そういう反戦の歌……、そういう影響はありました。

ーー まさに、ピート・シーガーが作って、キングストン・トリオ や PPM、ブラザース・フォア などで知られる『花はどこへ行った』(Where have all the flowers gone?)のような反戦歌だ。

5 進学、上京、「かぐや姫」を結成 〜「とにかく音楽に携わりたかった…」〜

ーー 高校卒業後は、大学進学のために上京した。南こうせつの実家は、曹洞宗のお寺。しかし、大学は、キリスト教プロテスタントの明治学院大学に進学した。

南:そうですよね〜、駒澤大学が普通ですよね、仏教の大学ですから。ええ……、あの……、とにかく東京に行きたかった(笑)。で、その辺のところはね、4人兄弟の末っ子だったから、なんかもう親も自由に行きなさいと……。ただね、ピート・シーガーにしても、ディランにしても……、ディランは当時はキリスト教でなかったけど、途中で改宗するんですけど……、それから、たとえば、アイルランドのミュージシャンとしても、あの人たちの、あの当時の歌詞に、やっぱりね「神」が出てくるんですよ。「ブッダ」じゃないんだよ……(笑)。それをちょっと知りたいってのはありましたね〜。

ーー キリスト教プロテスタントと仏教は、追求していくと似ていたりもする。

南:一緒なんですよ、みんな。基本的には「愛」っていうものを真ん中に置いて、そしてみんなが、人々が助け合って、慈悲深く、利他っていう精神で生きなさいと……、全部おんなじ、一緒なんですよ。

ーー そもそも、フォークシンガーになりたいと思って上京したのだろうか?

南:いや……、それはね……、もう、とにかく音楽に携わりたかった。

ーー 大学には入ったものの、あまり通うこともなく、わりとすぐに歌手としてデビューすることになる。

南:そうなの。明学に入ったんですけど、ほとんど学生運動でロックアウトの中で……。で、フォークソングのグループがいっぱいあって、そして、コンサートを時々やったりする……、どちらかというと僕は主催者側っていうか、それをマネジメントなんかしてたんですよ。「今度は、ここでコンサートやろう」とか言って、豊島公会堂とか、千駄ヶ谷の千日谷ホールとかでやってたんですけども……。僕もその頃、ギターも大好きで歌ってて、「なんか、どいつもあんまりたいしたことないな〜」って思ってて……(笑)、それで、「これは自分で歌った方が面白い」って思ったんです。

南:そしたらね、レコード会社のオーディションがあって、クラウンレコード……演歌のところなんですけども、そこが新しいレーベルを作るっていう……、「そこに合格したら必ずレコードにします」なんて書いてあるから、「わかりやすい!」って、そこを受けたんです。そしたら合格して……。

ーー そうして、1970年4月1日に、シングル『最後の世界 / むなしいうた』で、ソロ歌手「南 高節」としてデビューした。さらに、同年、南こうせつ、森進一郎、大島三平 の 3人で「南高節とかぐや姫」(第1期 かぐや姫)を結成し、1970年10月25日に、『酔いどれかぐや姫』(作詞:阿久悠/作曲:南こうせつ)と『あわれジャクソン』(作詞・作曲:南こうせつ)とがカップリングされたシングルで再デビュー。『全日本歌謡選手権』に出場し、翌1971年には、2月にシングル『変調田原坂』(C/W『マキシーのために』)、6月には、シングル『ひとり寝のかぐや姫』とアルバム『レッツゴーかぐや姫』をリリースしたが、そこで解散となった。

ーー そこで、フォークグループ「シュリークス」(のちのイルカや、イルカ
の夫でありプロデューサーでもあった神部和夫らが在籍)を脱退した山田パンダ(山田つぐと)と、高校時代にフォークグループを組んでいた後輩の 伊勢正三 に声をかけ、「南こうせつとかぐや姫」(第2期 かぐや姫)が誕生する。

南:実は、その時正やんは、千葉工大に行ってて……、ひとり息子なんですよね。だから、親には「罪なことしたかな〜」って思ってて……、でも、正やんは、やる気はありましたね。だから、「僕が親に説得に行く」って言ったら、正やんが「いや、自分で手紙を書く」って言って……、それで、親に書いて……、で「かぐや姫」に来たんです。

ーー こうして、一般的にも知られる 第2期の「南こうせつとかぐや姫」が結成され、1971年9月25日に、「♪やりたいことをやるのさ なぜそれが悪いのかい… 間違うことがこわくて それで何ができるのかい…」と歌われるシングル『青春』(作詞:伊勢正三/作曲:南こうせつ)で、「かぐや姫」として再デビュー、南こうせつとしては、3度目のデビューとなった。

6 『神田川』の大ヒット…、人気絶頂での解散 〜「もう、ぶっとびましたね…」〜

ーー その後、1972年にシングル『田中君じゃないか』(作詞:伊勢正三/作曲:南こうせつ)、『僕は何をやってもだめな男です』(作詞:伊勢正三/作曲:よしだたくろう)をリリースし、翌 1973年7月1日に発売された『僕の胸でおやすみ』(作詞・作曲:山田つぐと)から売れ始め、同年、1973年9月20日に発売された 5枚目のシングル『神田川』(作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ)が、その年のオリコン年間6位となる大ヒット。その国民的ヒット曲『神田川』を収録した 第2期「かぐや姫」の 3枚目のアルバム『かぐや姫さあど』も、オリコン年間 8位という大ヒットとなった。

ーー 翌 1974年3月5日には、 第2期「かぐや姫」の4枚目となるアルバム『三階建の詩』が発売。『うちのお父さん』(作詞・作曲:南こうせつ)、『赤ちょうちん』(作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ)、『なごり雪』(作詞・作曲:伊勢正三)、『22才の別れ』(作詞・作曲:伊勢正三)などが収録されており、このアルバムもオリコン年間 5位となる大ヒット。メンバーの伊勢正三は、それまで、作詞は何曲も担当していたが、「かぐや姫」で、初めて作曲した曲が、このアルバムのために書いた『なごり雪』と『22才の別れ』だった。

南:そう、それは、プロになってから正やんが最初に書いた曲。でも、それまでに、高校生の時に正やんが書いた曲もあるんですよ。その時に「これは才能あるな」ってビックリして、それで、僕が東京で、第2次「かぐや姫」の時にパンダさん(山田パンダ)とともに正やんをすぐ誘ったんです。

南:正やんはね、高校時代は、たしかに後輩でね……、ああいう学校での先輩後輩って、もう「絶対」ですからね……。それに、「かぐや姫」でも、僕がリーダーで全部仕切ってましたから、「あれやって、これやって」って……。で、『神田川』が入った『かぐや姫さあど』の次のLP『三階建の詩』の時にね、パンダさんにも、正やんにも「次のLPは絶対に売れるから、二人とも曲を書くように。」って言ったんです。2曲ずつだったかな……。みんなで印税をシェアしようってことで。

ーー アルバムの印税には、歌唱印税というのもあるが、それはごくわずかで、主には、作詞者と作曲者に入る。だから、南こうせつは、他のメンバー二人にも等しく印税が入るように、曲を書くことを求めたのだ。南こうせつの人柄をよく表しているエピソードだ。ちなみに、このアルバムから、グループ名も「南こうせつとかぐや姫」から「かぐや姫」としている。

南:その頃、ギャラも3等分でシェアしてましたから……。8割は僕が歌ってたんで、事務所の社長は「こうせつが半分持っていけばいい」とか言ってたけど、「いや、ダメです。グループは一人でも欠けたらダメだから、1/3 で、みんなで等分します」って言って。それで、次の LP は売れるからって、みんなにも書いてもらったんですね。その時に出来てきたのが『なごり雪』と『22才の別れ』で、もう〜、ぶっとびましたね……、聴いてぶっとびました「これはすごい才能だ」って……。誇らしさもありましたね。

ーー そして、その後、『なごり雪』は イルカ がカバーし、アルバム『三階建の詩』発売から約1年8ヶ月後の1975年11月5日に、イルカの3枚目のシングルとして発売され大ヒットとなった。

南:あれは、イルカさんのプロデューサーで旦那の神部和夫さんが、どうしてもイルカさんに歌わせたいと……、で、彼のやっぱりプロデューサーとしての才能がすごいですよね……、うん。「『なごり雪』をイルカに歌わせてくれ」って……。で、あれでイルカさんが歌って 1位になってね……。

南:ま、あそこから伊勢正三が始まって……、で「風」ってグループは、もう「かぐや姫」とは全然違うサウンド作りに彼は努力をして、「伊勢正三」っていうのを作り上げた……。もう「南こうせつとかぐや姫」の伊勢正三じゃなくて、「伊勢正三」っていうものを作り上げた。それはね、もう本当に、なんていうかな……、なんていうか……、いや、そういう意味で尊敬してますよ、すごいなって。正やんとは、そういう関係ですね。

ーー しかし、第2期「かぐや姫」は、その後、人気絶頂だったにも関わらず、1975年4月12日、東京神田共立講堂で行われたコンサートをもって解散。1975年5月20日に発売となった 7枚目のシングル『妹』(作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ)がラストシングルとなった。しかし、メンバーの仲が悪くて解散したわけではない。実際、その証拠に、解散コンサートからわずか 約4ヶ月後には再結成して、伝説の12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」に出演したり、3年後の 1978年には、期間限定の再結成をして、アルバム『かぐや姫・今日』(かぐやひめ トゥデイ)をリリースしている。名曲『遥かなる想い』(作詞:伊勢正三/作曲:南こうせつ)や『湘南 夏』(作詞・作曲:伊勢正三)が収録されたアルバムはヒット。その後も、最近まで、何度か再結成をしている。

ーー それでも、たった 約4年間の活動で、1975年の人気絶頂の時に解散した。その理由は、レコード会社が一方的にいろんなことを決めてしまい、自分たちの意思が全く反映されなかったからだと言われている。

南:それは本当ですね。『神田川』が売れて、僕らも「さあ、これから!」って喜んでて……、で、『神田川』が映画になるって聞いて「それはすごい名誉なこと」って喜んでたんですけど、その内容に関してとか、あるいは、誰を主役にするとか、何かひとことくらい意見を聞いてくれてもいいじゃないですか。

南:主役は、勝手に草刈正雄さん……、今はいい俳優さんですけど、あの当時は、今で言うアイドル系ですね。「『神田川』の主役はそうじゃないだろう」と……。やっぱり、系統としては、武田鉄矢、竹中直人、西田敏行……(笑)、もう「え〜っ!」って、もう、なんか、全然意見が合わないって……。

南:そして、今度は、日活と東宝で、どっちが映画にするかっていう「『神田川』争奪戦」が始まったの。そこで、レコード会社とか、ウチの事務所の社長たちと、いろんな駆け引きがあったみたいで……、そして『神田川』は東宝が取ったんですね。その代わり、条件として、「かぐや姫」の 第2弾、第3弾は日活が映画にするって……。2弾、3弾って、まだ曲も出来てないのに、なんの相談もなく、「なんなんだ、このレコード会社と映画会社は!これは危ないぞ」って思って……。「かぐや姫」って僕のグループなのに……、「芸能界って何なんだ!」って……、それが解散を早めました。

南:それで、『神田川』の次(のシングル)は、『赤ちょうちん』(作詞:喜多条忠/作曲:南こうせつ)なんですけど、僕は密かに『なごり雪』(作詞・作曲:伊勢正三)にしたいって思ってたんです。そしたら、もう日活の映画とセットだから、(『神田川』を作詞した)喜多条さんで決まってるんですよ。

南:で、喜多条さんが書いてきたのが『赤ちょうちん』で、メロディを作りました……。そしたら、長野にコンサートに行く時に、宣材を持って行ってくれって言うんで、「それ、どんなの?」ってマネージャーとかと一緒にジャケットを見たんですよ。で、「いいね、これは売れるかもしれないね」って言ってたんだけど、最後に値段を見たら、シングルレコードが 600円ってなってる!『神田川』は 500円。で、「全レコード会社の先陣を切って600円にしました!』って誇らしげに言うんですよ……(笑)。

南:「ちょっと待ってください! こんな貧しい歌でヒットした僕たちが、最初の値上げですか!」。高田渡は『値上げ』って歌を歌って、世の中を風刺してる時に、なんで「かぐや姫」が……って、「体制側もいいとこじゃん」って……、もう、ますます不信感が募っていくわけですよ。そんなことで、だんだん「かぐや姫は、もうここでやれない」っていうことで、『妹』で終わったんです。

ーー その後、ソロとなった南こうせつは、1978年に、資生堂のCMソングにもなった『夢一夜』が大ヒットし、ソロとしての代表曲になった。ちなみに、1977年に『雨の嵐山』でデビューし、翌1978年に『巡恋歌』で再デビューしていた長渕剛は、当時、まだ売れていなかった頃、南こうせつが自身のツアーの前座として出ていた。さらに、南こうせつのレギュラー番組『南こうせつのオールナイトニッポン』の中に、毎週、長渕剛が弾き語りを披露する「裸一貫ギターで勝負」というコーナーも作った。

7 詞の内容がよく伝わるメロディ・ライティング 〜「喋りのまんまなんです…」〜

ーー 南こうせつの歌は、昔も今も、言葉がよく聞こえてくる。歌詞カードを見ないで聴いていても、ちゃんと歌詞の意味や、その内容が伝わってくる。その理由は、明るい響きで、言葉の抜けの良い歌声にあるが、それだけではない。その優れたソング・ライティングにも秘密がある。言葉の意味の通りに伝わるようにメロディが付けてあって、メロディに乗せた言葉が訛っていない。話す言葉が持っているリズムや間、アクセントやイントネーションをそのままに、まるで普通に喋っているかのようにメロディを付ける。

ーー 今回のタイトル曲の『夜明けの風』でも、サビの「♪夜明けの風は吹く〜」「吹く〜」の 2音は、その前からの流れで考えると、下から上に上がるメロディが自然だが、そうではなく、言葉のアクセント通りに上から下がるメロディになっている。

南:あの〜、その言葉が持ってるメロディとかってあるじゃないですか……。たとえば『神田川』で言うと、「♪あなたは もう 忘れたかしら」っていうメロディは、喋りのまんまなんです。

ーー 『神田川』の歌詞は、作詞した 喜多条 忠 が、南こうせつに電話して読み上げている時に、すでにメロディが浮かんでいたそうだ。

南:「♪赤い~手ぬぐい」ってのは、東京は「手ぬぐい」って平板に言うんですけど。喜多条さんは関西の人だったんで、「手ぬ↑ぐい」って言うんですよ。言葉にあるメロディを、僕は大事にしてきたんです。でも、僕らの世代までなのかな〜。もう、次のシティ派になってくると、ユーミンとか、「この詞にこんなメロディ!」って……、でも、それがね、カッコいいんですよね……。まぁ時代だと思うんですけど。

ーー 南こうせつは、作曲だけでなく、もちろん作詞もするが、ほかのシンガーソングライターと比べて、作詞を他の人に任せている割合が多い。『青春』などを作詞した伊勢正三、『神田川』『妹』『赤ちょうちん』『マキシーのために』などを作詞した喜多条忠、『夢一夜』の阿木燿子、『オハイオの月』や今作『プライベート・ソングII』の岡本おさみ、『男が独りで死ぬときは』の荒木とよひさ、『あの夏の二人』や今作『歌うたいのブルース』の南育代……。詞先(メロディより先に歌詞を先行して作ること)の方が作りやすいのだろうか?

南:詞先の方が多いかな……。「かぐや姫」の頃なんてそうですし、岡本 おさみ さんとか、喜多条 忠 さんとか、あの辺はやっぱ詞先ですよね。僕の場合は……、あ〜、でも両方ですね、両方だなー、半々くらい。

ーー 『加茂の流れに』『うちのお父さん』『夏の少女』などは、自身で作詞も作曲もしている。 

南:自分で詞曲ともに書く時は、曲先ですね。よっぽどのテーマがない限りは、曲が先に行くタイプかもしれない……。

ーー 『うちのお父さん』は、詞と曲が同時に出来たと言う。ちなみに、「お母さん」をテーマにした歌はたくさんあるが、「お父さん」をテーマにした曲で有名な歌は、そんなに多くない。鶴田浩二、村木賢吉、北島三郎、さだまさし くらいしか思いつかない。

南:あ〜、そっか……。そう、あれは……、詞と曲と同時。 あっ、それでね、思い出したんだけど……、アメリカでツアーをやったことがあるんです。で、今でも覚えてるんだけど、ロサンゼルスで 2千人くらいの大きいライブをやったんです。まっ、日系の人が中心なんですけど、終わってから、ある人が……、そんなに年配でもない女の人がワーって来て、「今日は良かったです、ありがとうございます、『うちのお父さん』が1番良かったです」って。「えっ、なんでですか?」って聞いたら、「なんか私あの歌を聴くと泣けるんです」って。みんなは、もうニッコニコなんだけど、もうオイオイ泣いたって。「えっ、あんな明るい曲で?」、「いや〜そうなんです」って……。あの『うちのお父さん』で泣けるって、初めて聞いたから……。

ーー なんてことのない言葉でも、メロディに乗せて歌われた時に、心の琴線に触れ、泣かされることはよくある。それが、歌のマジックだ。『うちのお父さん』もそういうメロディに乗せた言葉で泣かされる曲だと思う。

南:あ〜そういう人もいるんだ〜。あんな明るい曲なのに……。

ーー たとえば、「かぐや姫」が期間限定の再結成をした時のアルバム『かぐや姫・今日』に収録されている『遥かなる想い』(作詞:伊勢正三/作曲:南こうせつ)も、明るいメジャー調アップテンポの曲だが、同じように泣かされる曲だ。

南:お〜お〜お〜。「♪誰もが 一度 川の流れを 変えてみたいと 若く もえた あの日の唄が どこかで聞こえている」か……。うん、あれも、正やんの詞いいですよね〜。

8 島倉千代子の最後の歌『からたちの小径』 〜「すごい体験でしたね…」〜

ーー 南こうせつは、2013年11月8日に亡くなった 昭和の大歌手・島倉千代子の遺作となった生涯最後のレコーディング曲『からたちの小径』(作詞:喜多条忠・南こうせつ/作曲:南こうせつ)を提供している。もともと、南こうせつは、1995年に発売された島倉千代子のアルバム『LOVE SONG』に、『あなたを紡いで手毬唄』(作詞:島倉千代子/作曲:南こうせつ)を提供しており、それを気に入っていた島倉千代子から「2014年の60周年の記念曲を書いて欲しい」と頼まれていた。

ーー 当初、2013年11月15日にレコーディングを予定していたが、末期の肝臓癌だった島倉千代子から「その日まで待てない」と電話があり、急遽、亡くなる 3日前の 11月5日に、自宅に録音機材を持ち込んでレコーディングが行われた。自分でも、レコーディングの日まではもたないことがわかっていたのだろう。

南:そうそう、本人から「レコーディングの日を待てない」と……、わかってたんだろうな……。

ーー 実際、もたなかった。

南:そう、実際、最初に予定してたレコーディングの日まではもたなかった……。もう、当然、歩けないし、車椅子だし……、だから、「せめて、声だけでも録りたい」っていう状態の中で、エンジニアと、それからマネージャー同士が行って……。で、僕が行くと、いろいろおしゃれしたりとか気を使うだろうと思って、実は、僕は事務所で待機してたんです、現場には行かないで。

南:で、録音のあと、島倉さんから電話がかかってきて、ハアハアしてるんですけど、「3回 歌ったんですけど、こうせつさん、本当にありがとう」って僕に語ってくれたんですけど……、島倉さんが、あの時、なんて言ってたかなぁ……「本当にみんなに感謝します。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」みたいなことを言うから、「なに言ってるんですか! 早く良くなって、また一緒にやりましょうよ」って言って、「ありがとう……」って言って電話を切ったその夜に昏睡状態でしたからね。で、もう帰らぬ人になってしまった。

ーー やりきった満足感と安心感があったのだろうと思う。

南:でもね……、普通、死ぬ間際の人がですよ……、今夜、昏睡状態に入るって人がですよ、もう喋っても「ああ……、うう……」ってそれくらいよ……、それが、音程ぴったり。すごい体験でしたね……、僕も。

南:ちょうど、その1年前に、島倉さんから「来年がデビュー60周年になるので、歌を作ってもらえない?」って依頼があって、実際に本人に会って、レコード会社の人にも会いました、事務所も来てました、「わかりました。僕でいいんですか?」って言って「よろしくお願いします」って島倉さんから言われて……。

南:でも、しばらくしても、なんの連絡もないんですよ。1月に打ち合わせして、春になってもなんにも連絡も来ない。「おかしいなぁ〜?」って思って、「作家が違う人に変わったのかな?」って……、「ああ、やっぱり さだまさし かぁ〜」って……(笑)。

南:そしたら、島倉さんから、突然、電話があって「実は体調が悪い」って……。「でも、私は来年の60周年にどうしても歌いたい」って、並々ならぬ声で言うんです。だから「わかりました」って、二人で約束しました。

南:で、5月に僕のコンサートに来てくれて会ったんです。もう今でもはっきり覚えてますよ……、車椅子でしたからね。で、その時に、打ち合わせって言うか……、僕も、「ちょっと大丈夫かな」と思ってたから、まだ曲作りに入ってなかったんですけど、島倉さんに「いつでも待ってますから」って言われて、「わかりました」っていうことで、曲作りに入ったんですよね。で、曲が出来上がったのが夏ぐらいかな……。それで、出来上がってすぐに差し上げたんです。

南:それで、これは僕の想像なんですけどね……、あの時、レコード会社と事務所がね、もう歌えないと思っていたんじゃないかと思う……、想像ですけど。だから、それを知って島倉さんが「二人で絶対にやりましょう」って言ってきたんじゃないかなって。

ーー 実際、島倉千代子が亡くなった時も、シングルとして発売される予定はなかった。しかし、あまりにも問い合わせが殺到したため、急遽、異例とも言えるスピードで、翌月、2013年12月18日にシングルとして発売された。

南:だから、「スタジオ押さえ」とか、全部、僕がやったんですよ、普通はレコード会社か事務所でしょ。そうやってレコーディング・スタジオも押さえてたんですけど、その日を待たずして電話がかかってきた……。でも、ホント、いい思い出ですよ……、嬉しいですよ……、そういって声をかけていただけて。

ーー 『からたちの小径』は、見事なくらい島倉千代子っぽい曲に作られているし、録音された歌も、笑顔で歌っているかのような明るい歌声で録音されている。「♪手をつなぎ寄り添って歩いたわ」「♪あなたは消えた」などの歌声には鳥肌が立ち涙が出る。『からたちの小径』は、島倉千代子っぽいだけでなく、ちゃんと、島倉千代子の良いところが出るような楽曲に出来ている。

南:ああ……、僕も、島倉さん大好きでしたから。『思い出さん今日は』とか、「♪こころで 好きと 叫んでも 口では言えず ただ あの人と〜」……『からたち日記』、頭ん中にずっと残ってて……。

9 最近、聴く音楽 〜「だから、僕は僕でいいんです …」〜

ーー 南こうせつの活動の中心は、あくまでもコンサートだ。自身のソロコンサートはもちろん、『サマーピクニック』『グリーンパラダイス』など、多くの有名アーティストを集めてのコンサートも主催している。
2006年には、『吉田拓郎&かぐや姫コンサート in つま恋 2006』を 31年ぶりに開催し大きな話題にもなった。また、2010年には、デビュー50周年を迎えた 加山雄三のもとに、南こうせつ、森山良子、さだまさし、谷村新司、THE ALFEE が集まり「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」というバンドも結成しているし、2013年からは、ソロツアーの他に、伊勢正三とのユニット「ひめ風」を結成し全国ツアーも開催するなど、いくつになっても精力的だ。

ーー 中でも、2014年に主催したイベント『サマーピクニック』には、伊勢正三、イルカ、太田裕美、大野真澄、尾崎亜美、杉田二郎、槇原敬之、ムッシュかまやつ、森山良子、松山千春、さだまさし、そして、アイドルグループの「ももいろクローバーZ」(ももいろクローバーZ らを含む「3Bjunior」という企画に『七色のスターダスト』という曲を提供している)も出演した。これほどの人気アーティストを一堂に集めることができる人は、そうはいない。

ーー そんな、南こうせつが、最近、どんな音楽を聴いているのか聞いてみた。

南:エド・シーランは、コンサートも見に行きました……、エド・シーランは、わりあい、我々に近いテイストだから、スッって入っていくし、それから、あの〜女の子……、レディー・ガガもいいね〜、でもそうじゃなくて、もとカントリー・シンガーでめちゃくちゃ売れてる……、テイラー・スウィフト! ナンバーワンですよ。もともと、カントリーですから、スッと入ってきます。レディー・ガガとトニー・ベネットのアルバムもいいよな〜、あれでレディー・ガガが好きになった。

南:けども……、なんか、ここに来てね……、やっぱり、なんかあの頃のね、ジェイムス・テイラー とか ニール・ヤング とか ポール・サイモン……、やっぱり、そこに行っちゃうんですかね〜、長い月日が経っても……、うん。

ーー 今の日本の音楽や音楽シーンについては、どう感じてるのだろう?

南:いや〜、時代が変わったんですね。そして、若い人で、名前は覚えられないけど……、RADWIMPS とか、あのあたり、もう、みんな才能ありますよ。そう、あの『パプリカ』の人とかも……、うん。ただ……、そこをマネしようとは思わない……(笑)。

ーー マネされても困る。

南:あははは……(笑)、そうか〜(笑)。いや、ちょっと、なんか、拓郎さんの時代とかは、「いいな〜、あれちょっと歌ってみたいな」とか、そういう意味でマネしたいってのはあったんだけど、今の歌は、ちょっと歌えないですよね……。だから、僕は僕でいいんです……(笑)。

(取材日:2021年8月28日 / 取材・文:西山 寧)



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南こうせつ(Kosetsu Minami)2021.04.16 コンサートツアー2021 〜いつも歌があった〜

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