いろいろわかる… 中澤卓也 ロングインタビュー! 人気急上昇中! レーシングドライバーへの道から歌手に! 2017年、21歳で歌手デビューし「レコ大」新人賞受賞! 6枚目となる最新シングル『約束』は、やさしい歌声で心に響く、ポップスの王道ピアノバラード! 歌もルックスも、さわやかで、甘く、やさしい、5年目に入る25歳! -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

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いろいろわかる… 中澤卓也 ロングインタビュー! 人気急上昇中! レーシングドライバーへの道から歌手に! 2017年、21歳で歌手デビューし「レコ大」新人賞受賞! 6枚目となる最新シングル『約束』は、やさしい歌声で心に響く、ポップスの王道ピアノバラード! 歌もルックスも、さわやかで、甘く、やさしい、5年目に入る25歳!

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Nakazawa Takuya

中澤 卓也

6th Single 「約束」


★ 2017年 21歳で歌手デビューした、5年目に入る25歳!
★ レーシングドライバーへの道から転身した、異色の歌手!
★ さわやかで、甘く、やさしい歌声で、人気急上昇中!
★ 最新シングル「約束」は、ニューミュージック風の王道ピアノバラード!
★「つながっているよ 会えなくっても…」が心に響く!
★ 中澤卓也の軌跡を辿る映像ベストDVDも同日発売!


2021年にデビュー5周年を迎える中澤卓也のニューシングル「約束」が、2021年1月6日に発売。

新曲「約束」は、メジャー調のポップスで、中澤卓也にとって、オリジナルでは初のバラード曲。徳永英明の「レイニーブルー」や、中西保志の「最後の雨」などを思い出させるような、昭和から平成にかけてのニューミュージック風の王道ピアノバラード。

「会えなくても、僕たちは繋がっている」という中澤卓也の想いを歌に込めた、心と心を結ぶメッセージソングで、やさしく、言葉を置くように、語るように歌い始める中澤卓也の歌唱に冒頭から惹きつけられ、サビでは「♪つながっているよ 会えなくっても……」の伸びやかな歌声で、言葉が心に響く。

前作、2020年1月に発売されたシングル「北のたずね人」は、新型コロナウイルスの影響で、コンサートや店頭キャンペーンが軒並み中止に追い込まれたことで、ECサイトでの購入者が増え、さらに、ネットサイン会などを通じて売り上げを伸ばし、2020年に発売されたシングルのオリコンの演歌・歌謡曲チャートでは、今年のNHK紅白歌合戦に出場する氷川きよし・純烈・山内惠介・三山ひろしの4組に次いで男性の中では5番目のポイント数にまで成長を遂げた。

また、シングル「約束」と合わせて、これまでのシングル曲のミュージックビデオとライブ映像が収録された、中澤卓也の軌跡を辿る映像ベストDVD「中澤卓也 MV Album Vol.1~2020年の足跡と副音声を添えて~」も、2021年1月6日に同時発売される。

2021年1月11日(月・祝)には、「中澤卓也コンサートツアー2021」の初日が、地元、シティホールプラザ アオーレ長岡で行われ、有料配信もされる。


中澤卓也「約束」MUSIC VIDEO

中澤卓也「約束」歌詞を見る!


【謹賀新年】中澤卓也 新年のご挨拶


シングル リリース 情報

中澤卓也 「約束」 タイプ A
シングル CD
2021年1月6日発売
CRCN-8376
¥1,227+税
日本クラウン

<収録曲>
1「約束」(作詞:石原信一、作曲:田尾将実、編曲:坂本昌之)
2「泣かせたいひと」(作詞:田久保真見、作曲:田尾将実、編曲:坂本昌之)
3「約束」 (オリジナル・カラオケ)
4「泣かせたいひと」 (オリジナル・カラオケ)


中澤卓也 「約束」 タイプ B
シングル CD
2021年1月6日発売
CRCN-8377
¥1,227+税
日本クラウン

<収録曲>
1「約束」(作詞:石原信一、作曲:田尾将実、編曲:坂本昌之)
2「青山レイニーナイト」(作詞:堀越そのえ、作曲:田尾将実、編曲:矢野立美)
3「約束」 (オリジナル・カラオケ)
4「青山レイニーナイト」 (オリジナル・カラオケ)


中澤卓也「約束」歌詞を見る!



DVD リリース 情報

中澤卓也 「中澤卓也 MV Album Vol.1 ~2020年の足跡と副音声を添えて~」
DVD(全20曲収録)
2021年1月6日発売
CRBN-94
¥4,364+税
日本クラウン

<収録内容>
M01. 青いダイヤモンド MV
M02. 黄昏に MV
M03. 彼岸花の咲く頃 MV
M04. 冬の蝶 MV
M05. 茜色の恋 MV
M06. 北のたずね人 MV
M07. 東京タワー(新撮 MV)
M08. 初めての君(新撮 MV)
M09. 茜色の恋 (2020.8.10 ウインクあいち LIVE)
M10. 光と影の天秤 (2020.8.10 ウインクあいち LIVE)
M11. 長岡大花火音頭 (2020.8.10 ウインクあいち LIVE)
M12. 俺の愛だから (2020.9.12 北とぴあ LIVE)
M13. 青いダイヤモンド (2020.9.12 北とぴあ LIVE)
M14. ゆびきり (2020.9.12 北とぴあ LIVE)
M15. 東京タワー (2020.9.12 北とぴあ LIVE)
M16. 北のたずね人 (2020.9.12 北とぴあ LIVE)
M17. 心変わり (2020.10.3 ティアラこうとう LIVE)
M18. いつまでも どこまでも (2020.10.3 ティアラこうとう LIVE)
M19. 江の島セニョリータ (2020.10.3 ティアラこうとう LIVE)
M20. ありがとう あなたへ (2020.10.3 ティアラこうとう LIVE)


中澤卓也 歌詞一覧


中澤卓也 日本クラウン

中澤卓也 オフィシャルサイト

中澤卓也 YouTube チャンネル


中澤卓也 1st Album『 歩み Part 1 』MUSIC GUIDE



配信コンサート情報

中澤卓也 コンサートツアー 2021(初日)

日程  : 2021年 1月11日(月・祝) 開場 14:00 開演 15:00
配信  : PIA LIVE STREAM
会場  : シティホールプラザ アオーレ長岡 アリーナ(新潟県長岡市大手通1-4-10)
視聴券 : ¥2,000(税込)
発売期間: 2021年1月15日(金)18:00 まで 視聴券の購入が可能
視聴期間: 2021年1月15日(金)23:59 まで 何度でも視聴可能

詳細・視聴券はコチラ!



中澤卓也 ロング・インタビュー

 デビューから4年、2021年の1月には5年目に入る25歳。さわやかな二枚目で、まるで少女漫画の世界から出てきたような、絵に描いたような好青年。野口五郎や西城秀樹、郷ひろみら、昭和の歌謡曲歌手を彷彿とさせるようなイケメン歌手だ。
 だが、さわやかで、甘く、やさしいのは、決して顔だけではない。やわらかで、伸びやかな歌声に、ヘンなチカラが入っていない余裕のある歌唱で、言葉がよく伝わってくる。とにかく歌声がやさしい。

 2017年1月のデビューの時には、若々しく爽やかでありながらも、21歳というその年齢に似合わない、落ち着きのある見事な歌いっぷりに驚かされた。正直、すごい人が出てきたと思った。すでに、堂々とした大物スターのような風格すら感じたからだ。そして、その年の年末には、『第59回輝く!日本レコード大賞』で新人賞を受賞。

 さらに、そのプロフィールを聞いて、また驚かされた。もともと、歌手になることは全く考えておらず、高校1年生までは、本格的にレーシングドライバーを目指していた。小さい頃から歌手を目指していた人が圧倒的に多い世界では異色な存在だ。
 穏やかで、その大人っぽい落ち着いた話ぶりからは、コーナーをカウンターステア(逆ハンドル)でギリギリまで攻めるような荒々しい雰囲気はなかなか想像しにくいが、稀に、そういう強い眼差しも垣間見せる。

 そういう命がけの勝負の世界を経験してきたからこそ、穏やかで、落ち着いていて、ゆったりと堂々とした今の中澤卓也がいて、それが歌にも出ているようにも思う。歌は、その人の内面がよく現れるものだ。

 中澤卓也は、「若手イケメン演歌歌手」という括りで言われることも多いが、「演歌歌手」と言い切ってしまうのには少し抵抗がある。

 たしかに、コンサートやテレビ番組などでは、演歌のカバー曲も歌うが、デビュー曲の『青いダイヤモンド』はメジャー調アップテンポで、70年代歌謡曲のような爽やかさを感じる8ビートのポップスだし、これまでにリリースした計5枚のシングルの中で、演歌と呼べるような曲は4枚目のシングルの『茜色の恋』くらいで、ほかは、いずれもポップス調の曲だからだ。

 だから、ただ単に「歌手」と言う方が適当だと思う。敢えて言うとしたら「歌謡曲歌手」ではないだろうか。

 いずれにしろ、デビュー曲から話題となり、その後、シングルをリリースするたびに着実にセールスを伸ばし、それに比例してファンも急激に増えていった。2020年は、1月に 5th シングル『北のたずね人』を、8月には、初となるオリジナル・アルバム『歩み Part1」』をリリース。

 今では、多くの音楽番組から引っ張りだこであることはもちろん、人気の音楽番組『人生、歌がある』(BS朝日)では、西田ひかるとともに司会という大役に抜擢され、また、CS「チャンネル銀河」では、パク・ジュニョンとともに、『パクタクおたすけ隊』というバラエティのレギュラー番組も持っている。

 最新曲となる、2021年1月6日発売、通算6枚目のシングル『約束』もメジャー調のポップスで、中澤卓也にとって、オリジナルでは初のバラード曲。徳永英明の『レイニーブルー』や、中西保志の『最後の雨』などを思い出させるような、昭和から平成にかけてのニューミュージック風の王道ピアノバラード。

 ドラマティックで美しいこのバラード曲を、やさしく、言葉を置くように、語るように歌い始める中澤卓也の歌唱に冒頭から惹きつけられ、サビでは「♪つながっているよ 会えなくっても……」の伸びやかな歌声で、言葉が心に響く。

 なんでも、王道というのは、実は一番難しい道でもある。ともすると、あまりに普通っぽくなってしまったり、インパクトに欠けたりするからだ。何かを売ろうという時には、何かしら、ちょっとでも変わったことをする方が、インパクトがあって目立つものだ。多くの場合、そういう発想になる。
 だから、そういう風に、敢えて王道を選ぶのには勇気がいるが、しかし、最終的に売れた時には、王道ほど強いものはない。揺るぎない強固なポジションを確立できる。

 『約束』という楽曲も、歌唱も、中澤卓也という存在そのものも、全てが超王道だ。それこそ、昭和のアイドル歌謡曲歌手のように、ド真ん中で勝負しようとしている。

 そして、それは、成功しつつある。


<もくじ>
1 最新シングルは、2020年の想いを歌にした作品 〜「いろんな方に届いていってほしいなと…」〜 
2 『約束』は 初のポップス調バラード 〜「今までになかったプレッシャーが…」〜 
3 レコーディングでは何度も歌わない 〜「エネルギー感が薄まっていくんで…」〜 
4 中澤卓也の声の魅力を最大限出せる楽曲 〜「一緒に音楽を作っているような感覚に…」〜 
5 デビュー4年目に味わったドン底 〜「あんなに怖いことなんだなって…」〜 
6 小学校の頃からレーサーを目指す 〜「俺は、あれになる!”って言って…」〜 
7 歌手への道に〜「やっぱり、すごいショックだったし…」〜 
8 独特のレッスンを経てデビュー〜「最初は、それが、すごい疑問で…」〜 
9 中澤卓也は演歌歌手なのか?〜「いや、もう必死ですよ…」〜


1 最新シングルは、2020年の想いを歌にした作品 〜「いろんな方に届いていってほしいなと…」〜 

 中澤卓也は、2017年1月18日、シングル『青いダイヤモンド』で、日本クラウンから歌手デビューした。メジャー調アップテンポ、8ビートのポップスで、70年代歌謡曲のような懐かしさも感じる、さわやかでキャッチーな曲。
 ソフトで伸びやかな歌声と、21歳という若さながら、その年齢に似合わない堂々とした歌いっぷりに加え、楽曲同様、さわやかな二枚目であることも手伝って大きな話題となり、その年の年末には、『第59回輝く!日本レコード大賞』で新人賞を受賞。

 その年の11月には、早くもセカンドシングルの『彼岸花の咲く頃』がリリースされ、オリコンの演歌歌謡曲・週間チャートで1位を獲得。ヨーロッパの香りのするサウンドのマイナー調の歌謡曲で、サビの切ないメロディが耳に残る失恋ソングだ。

 続く、3rd シングル『冬の蝶』は、アップテンポでマイナー調ラテンロック風の歌謡曲、4th シングル『茜色の恋』は、初となる演歌調の曲、そして、2020年1月に発売された 5th シングル『北のたずね人』は、メジャー調で70年代の歌謡曲風サウンド、ミディアムアップのさわやかなポップス……。毎回、リリースごとに、着実にセールスを伸ばし、それに比例してファンも急激に増えていった。

 それら、オリジナル曲は、全て、中澤卓也の師匠である作曲家・田尾将実によるものだ。

 そして、6枚目となる 2021年1月6日発売の最新シングル『約束』は、オリジナル曲では初となる、メジャー調ポップスの王道ピアノバラード。

 「そうですね。やっぱり、本当にポップスの歌を頂いたな〜という感じですね。今回、アレンジの方が、徳永英明さんの『VOCALIST』シリーズとか、平原綾香さんの『Jupiter』とかをやられている坂本昌之さんという方で……、もう、そういう思いっきりポップスのアレンジをやられている方なので、僕に、また新しい風を吹かして下さったというか……。今回、ポップスっぽい歌を作るっていうことで、坂本先生に来ていただいたんです。」

 中澤卓也のシングル曲では、4枚目の『茜色の恋』だけが演歌調で(ド演歌ではないが)、今回の『約束』を含め、他は全てポップス調の曲だ。

 「”来年の新曲どうしようか” みたいな話が上がった時に、前作の『北のたずね人』をお客様になかなか届けられなかったから、やっぱり来年も、こういうテイストの歌でもう1回勝負するのか……、はたまた、ちょっと暗い1年間があったあとで年が明けて、じゃぁ、もうちょっと爽快感のあるスカッとするような歌、たとえば『青いダイヤモンド』みたいなのを作るのか……、っていう2つの選択肢が、最初にあったんです。で、実は、この『約束』みたいなバラードを作るっていうのは、1番最後にあがってきた案だったんです。」

 「やっぱり、今年、なかなか人に会えなくて、周りの人達も色んな気持ちになったし、僕自身もなったし、そん中で経験した想いを、”今年、2020年という年は、こういう1年だった”っていうことを曲にして、作品にして残しておくっていうのは大事なんじゃないかっていうことで、それで生まれた歌なんですよね。」 

 まさに、サビの歌詞にある「♪つながっているよ 会えなくっても……」というコンセプトがあって出来た歌だ。

 「そうですね〜、”会えなくても……” っていうところですね……。それで、ディレクターの久保さんから、田尾先生に、そういう方向性をお話しして、作詞家の石原信一先生にも、”シンプルに真直ぐお客さんの心に届くような詞を” っていうことでお願いして、それで出来上がった歌なんです。」

 そうして出来上がった『約束』は、最も難しい超王道バラードという中でも、詞も曲もアレンジも迷いがなく、聴く人の心にストレートに響く、実に完成度の高い作品になった。

 「いや〜、ホントにめちゃめちゃいいメロディですし、詞もホントにわかりやすくてストレートだし……。で、なによりも、自分自身、ちっちゃいころから聴いてた音楽というのがポップスで、しかも、バラードが多かったんですよ。森山直太朗さんに始まり、平井堅さんとか、コブクロさんとか……。そういう歌をず〜っと聴いてきているので、『約束』は、もう本当になんか自分のそのままを思いっきりぶつけられる歌っていう感じがしましたね。」

 「なので、あとは、言葉を伝えるエネルギーを、この曲に込めて歌えばっていう感じなので……、なんか、すごく、歌ってても楽しい歌だし、いろんな方に届いていってほしいなと思いますね。」

2 『約束』は 初のポップス調バラード 〜「今までになかったプレッシャーが…」〜 

 『約束』は、そのメロディの良さを、奇を衒わない王道のバラードアレンジが引き立てている。最初は、ピアノだけで始まり、ドラムやベース、ギターが加わり、サビでは美しいストリングスのカウンターが盛り上げる。王道のエレガントなアレンジだ。
 イントロで、ピアノから始まり、コーラスのかかったエレキギターのアルペジオが入ってくるところから、まさに、昭和から平成にかけてのニューミュージックの王道のバラードのような雰囲気があり、徳永英明の『レイニーブルー』や、中西保志の『最後の雨』などを思い出させる。

 「そうなんですよ〜。坂本先生がアレンジしてくださって、最初、聴いた時に、イントロがもう抜群にイイじゃないですか。”うわっ、もう、これはすごいイントロだな〜” って思ったんですけど……、でも、同時に、”このイントロのあとに、俺、歌い出さなきゃいけないんだ……” っていう、今までになかったプレッシャーが……(笑)。」

 「シンプルにピアノ始まりで、ギターがかぶってきて、ストリングスが入ってきて…… ってなりますけど、メインはピアノじゃないですか。で、前半の Aメロなんかも、ほぼピアノのリズムだけで、こんなに歌い出しから緊張感のある歌って、今まで自分の歌ではなかったので、そういう、なんか、いい緊張感と、楽しさがありますね。」

 カラオケでよく歌うような方ならわかると思うが、この『約束』の Aメロのように、ドラムのようなリズム楽器がなく、伴奏がピアノだけで、しかも、メロディの音数が少ない曲は、間を取るのが難しい。やたら音を伸ばすのではなく、音を切って、間を作ること、いかに歌わない部分を作るかということが、うまく歌うポイントになる。

 「そうです、そうです!」

 もちろん、サビの直前の張るところ「♪愛のこの歌〜」や、サビの「♪つながっているよ〜 会えなくっても〜」の部分は、伸びやかで実に心地よいが、やさしく言葉を置くように歌っている Aメロが、実は、中澤卓也の真骨頂だ。冒頭、歌い出しの最初のひと声「♪瞳を閉じて〜」の「て〜」の一文字を聴いただけで、たったそれだけで、その甘く優しい声の響きに惹きこまれてしまう。

 「ははは……、ホントですか……(笑)。」

 たとえば、「♪瞳を閉じて〜」の部分は、譜面上、もとのメロディは「とーじてー」だったように思う。それを、中澤卓也は、「とーじ てー」と、ちょっと間をあけて、「て」を置くように歌っている。その間が、聴き手の心に、言葉を染みこませる。

 「あ〜、譜面だと伸びてますよね……。自分の歌の世界観ですかね……。 “瞳を閉じて 君を浮かべてる” っていう、その奥行き感のある情景……、ひとり、人間が立ってて、瞳を閉じて思い浮かべてる……、そういう空間の中で描かれている世界じゃないですか。だから、そのニュアンスっていうか、言葉がこう投げ出されていくような感じの空気感とか奥行きが欲しかったので、切るっていうよりは、ニュアンスでああいう方がいいのかな……って。」

 抜群のセンスだ。ただ単に声がいいというだけではなく、そういう歌唱センスが、中澤卓也の歌を支えている。
 そもそも、オリジナル曲の場合、カバー曲のように歌手が歌った見本のような歌はない。そのお手本となるような歌を、自分が作らなければならないという難しさがある。どういう風に歌っても良いという自由がある分、「どう歌ったらベストなのか?」と迷うものだ。しかし、中澤卓也の場合、レコーディング前に、どう歌おうか考えたり、準備したり、何度も練習したりもしない。

 「そうですね、全くないですね。え〜っと〜、わりと僕は……、まあ、カバーは別なんですけど、自分の歌に関しては、レコーディングの時も、自分の歌に関しては、もうそんとき、たとえば、オケ録りのその時に聴いた瞬間のエネルギー感というか、そのエネルギーを大事にしてるんです。師匠の田尾先生も、あんまりレッスンとかしないですし、そういう教えでなんですよ。」

3 レコーディングでは何度も歌わない 〜「エネルギー感が薄まっていくんで…」〜 

 実際のレコーディング、歌録りの時も、そんなに多くは歌わない。

 「いや〜、まあ〜、録っても 3回とか 4回くらいですかね……。」

 ディレクターや師匠の田尾将実から、ディレクションされることも少ないと言う。

 「そうですね……、めったにないですね。先生が、本当に気になったところは、”ここは、俺だったらこう歌う” っていう風に言ってくださって、僕はそれを受けて、自分なりに噛み砕いて、で、もう一回歌って完成していくって感じですかね。」

 もちろん、歌録りに時間をかけて、何度も何度も歌いながら、じっくりと良いものを作り上げていく歌手もいる。しかし、中澤卓也は数回歌う程度だ。
 同じように、ホイットニー・ヒューストンが、録っても 2〜3テイクで、だいたいは、一番最初に歌ったファースト・テイクを使うということを聞いたことがある。回数を多く歌えば、どんどん整ったキレイな歌にはなるが、最初の新鮮なドライブ感がなくなり、説得力のない伝わらない歌になってしまうこともある。

 「いや、ホントそうなんですよね。何度も何度も歌うと、やっぱり、エネルギー感が薄まっていくんで……。」

 中澤卓也は、その瞬間のインスピレーション、その時の感覚を大事にしている。

 「今回も、CDを作りましたけど、これ通りに歌おうっていうのも全然ないし……。たとえば、前作の『北のたずね人』とかもそうですけど、CD だと、全部インテンポなんですけど、ステージで歌うと、すごい色んなところ「くって」(本来の音の位置よりも、前につっこんで歌うこと)入ってたりとかもするし……。で、今回の『約束』も、多分、CD通りに歌うってことは、僕、しないと思います……。とくに、こういうバラードなんで、その時の、その日の自分のテンションもあるし、お客さんとか周りのスタッフさんのテンションもあるし、そういうのに合わせて歌った方が面白いですね……。」

 「だから、そういう、自分の中で、その時、その瞬間に感じたものを、そのまま歌に込めて歌いたいと考えていて……、自分の歌に関しては、本当にそうですね。あんまり、考えて作った歌って、なんかちっちゃくなっちゃう気がして……。」

 CD のレコーディングの場合、まず、「オケ録り」と言われるカラオケだけを作る日があり、そこで出来上がったカラオケを使って、別の日に「歌録り」をするというのが、一般的なやり方だ。その「オケ録り」の時には、出来上がりの全体の感じを聴くために、「仮歌」と言われる、文字通り「仮の歌」を録音するが、驚いたことに、前作の『北のたずね人』は、なんと、その「仮歌」が、そのまま CD になっていると言う。

 「そうなんです。本来は、仮歌のものが、そのまま CDになってるんですよ。だから、本当に1回しか歌ってないんですよ。自分でもビックリしました。田尾先生に、”お前、今の歌でいいわ” って言われて……、ウソでしょ!って……(笑)」

 『北のたずね人』は、どこか懐かしい気持ちにさせる耳に残るメロディが印象的な曲で、歌も伸びやかで言葉がよく伝わる。とても 1回しか歌っていないとは思えない歌だ。しかし、逆に考えると、たった 1回で、初めて歌ったテイクで、ここまで完成した歌が歌えるということは、中澤卓也のポテンシャルの高さの証明でもある。
 さらに、その1回 のテイクだけを聴いて、「OK」と判断できる田尾将実もスゴイし、「もっと歌わせてください」と言わない中澤卓也もスゴイ。なぜなら、CD として永遠に残るものだから、「もっと良くなるんじゃないか……」って思ってしまうのが人間の普通の心理だからだ。中澤卓也という歌手が、極めてアーティスティックであるというエピソードだ。

 「う〜ん……、そうですね……、やっぱり田尾先生の教えもありますね。田尾先生は、いつも、とにかく自分らしく歌えって言うことをおっしゃいますね。」

4 中澤卓也の声の魅力を最大限出せる楽曲 〜「一緒に音楽を作っているような感覚に…」〜 

 今回のシングル『約束』は、カップリング曲が違う タイプ A と タイプ B の 2タイプでのリリースだ。タイプ A のカップリング曲『泣かせたいひと』は、マイナー調で3拍子の歌謡曲、タイプ B のカップリング曲『青山レイニーナイト』は、マイナー調でアップテンポのロック歌謡といった雰囲気で、タイトル曲の『約束』を含め 3曲とも全くタイプが違う曲で楽しい。

 「やっぱり、どっちもそんなに回数は歌ってないですね……。『青山レイニーナイト』に関しては、やっぱり勢いのある歌なので、もう、ホントに 2回くらいしか歌っていないです。」

 「で、実は、『泣かせたいひと』は、デビュー曲のカップリング候補だったんですよ。やっぱり、その時は、まだ声も若いっていうのもあるし、自分もまだあんまり経験もしてないから、ちょっと大人すぎるんじゃないかっていうことで、ずっとストックされていた曲なんです。でも、今回、こうして CD に出来たっていうのは、すごく嬉しかったですね。」

 今回の 3曲も、これまでのシングル曲と同様に、中澤卓也の声の最も良いところがよく出ている楽曲だ。中澤卓也のシングル曲の全曲を作曲している師匠の田尾将実が、毎回、見事に、中澤卓也の魅力を最大限に引き出せるようなメロディを作っている。

 「先生とお会いして、もうちょっとで 約10年くらいになるんですけど……、でー、デビューしてからは 4年経って、先生には、本当にたくさん曲を作っていただいているので、先生も僕に、”どういうメロディがいい?” って、すごい聞いてくださるようになったんですよ……、去年くらいからかな。」

 「なので、最近は、”卓也自身、もう相当色んなステージに立ってるから、お客さんの雰囲気とか、たとえばカバーとか歌ってても、どういう歌が、どういう曲がお客さんにウケて、じゃ、どういうメロディーラインがお客さんにウケるかっていうのは、お前自身がやっぱり一番わかってるはずだから。俺が色んなメロディを歌うから、その中から、イイ悪いは、卓也が判断してくれ” って言ってくださるんです。」

 「たとえば、今回の『約束』もそうですけど、まず最初に、”こういうメロディが出来た” って言って聴かせてくれて、それから、”実は、こういうパターンもある、あーいうパターンもある” って、先生がいろいろ用意してくださって、『約束』も、何パターンか……2パターンくらいあったのかな。で、その中で、”僕はコッチのメロディの方が好きです、アッチのメロディの方が好きです” って言って、先生と、あーでもない、こーでもないってやって、それで出来上がった感じですね。」

 「先生は、普段から、僕のイメージで何曲も作ってくださっていて、で、多分、歌詞を見て、じゃぁこのメロディが合いそうだなっていうので、 そういうストックの中から引っ張ってきて、それを、歌詞の言葉のにあてはめるために変えて、メロディラインを作っていくっていう感じだと思うんですけど。」

 師匠の田尾将実が、一方的に押し付けるのでもなく、また、中澤卓也の声にはどういうメロディが合うのかを理解しているだけでなく、中澤卓也本人の意見や感覚も大事にしている。

 「そうですね、ありがたいですね。それで、面白いのは、僕が歌ってると、それを聴いてた先生が、今度は、全く違ったメロディがふと生まれたりするんですよ。この『約束』を作ってる最中にも、『約束』のメロディラインじゃない、全然違うメロディが生まれたりとかするんですよね。」

 「で、それを先生が歌ってみて、”ソレめちゃめちゃいいですね!” とか言うと、”あ、じゃぁ、これ、 次のカップリングにしよう” とか 、”じゃぁ、これは次のシングルの時まで取っておこう” とかってなるんです。そういう、小間切れ 小間切れな 色んなメロディが、実はストックとしてたくさんあって、そこから派生して作っていくっていうパターンが最近はすごい多いですね。」

 「だから、最近は、ホント僕も何か音楽を作ってるっていう……、もちろん、作っているのは師匠なんですけど、でも、なんか本当に一緒に音楽を作っているような感覚になってきていて……、最近は、先生と2人で曲を作っているような感じに変わってきてますね。」

5 デビュー4年目に味わったドン底 〜「あんなに怖いことなんだなって…」〜 

 2017年1月、21歳でデビューしてから丸4年、2021年の1月には5年目に入る、現在25歳。これまでの 5枚のシングルは、リリースするごとに売り上げを伸ばし、オリコン・チャートのランキングも、毎回、着実に上がってきている。そんな、順調すぎるくらいの4年間だったが、困難な時期も経験した。

 「実は、去年(2019年)の年末、ちょっとノドを壊してしまって……、声帯萎縮っていうのになっちゃって、声がカスカスで全然出なくなっちゃったんですよ。声帯萎縮っていうのは、声帯が痩せちゃう病気で、声帯って、普通は綺麗に閉じるんですけど、それが閉じれなくなっちゃうんですよ。なので、空気が漏れちゃって、ずっとかすれちゃうし、思いもよらぬところで声がひっくり返っちゃうっていう……、だから、すごい恐怖だったんですよ、歌うことが……。ドン底の気分でしたね。」

 「自分の声が出なくなるって言う事が、あんなに苦痛なんだっていうのも、それまでは想像できなかったので、声が出ないことを自分の身をもって感じると、こんなに苦しくて辛いんだなと思いましたね。ノドを壊すって、あんなに怖いことなんだなって思いました……、ホント、辛かったです。でも、同時に、より “自分の歌” ってものを前面に出したいなって気持ちにもさせてくれましたね。」

 歌手にとって、声が出ないことほど辛いことはない。幸いにも、現在は、完全に回復しているようだ。

 「去年の12月ころからおかしくなって、このコロナ渦もあって、なんとなく誤魔化し誤魔化しは歌っていたんですけど、ちゃんと戻ったのは、今年(2020年)の 7月か 8月くらいなのかな……、自分の感覚として “声が戻ってきたなー” っていうのはそのぐらいですね。今は大丈夫です。完全に戻りましたね。」

 ちょうど良かったなどと言うのは不謹慎かもしれないが、中澤卓也にとっては、コロナ渦での自粛期間は、ノドを休めるためには良かったのかもしれない。

 「だから、本当にいいタイミングで、ステイホームに入ったと言うか……。やっぱり、ノドは使わないのが一番いいってお医者さんも言ってましたから。それと、僕だけが止まるんじゃなくて、周りもみんな同時に止まったっていうのが、僕の中ですごいプラスだったですね。」

 たしかに、その通りだと思う、周りが普通に動いている中、自分だけがノドを壊して休んでしまっていたら、どうしても焦る気持ちが出てしまう。順調に進んできて、さらに頑張っていこうという時期でもあるから余計だ。
これまでの 4年間を振り返ってこう話す。

 「いや〜、もう、あっという間に過ぎましたね〜。で、やっぱり、その間、贅沢すぎるくらい、いろんなことを経験させてもらったと言うか……。デビューした年に、まず「赤坂 BLITZ」でコンサートをやらせてもらって、デビューしたその年のうちに、もう2枚目のシングルを出してるんですよね……、カバーアルバムもその年ですし。こんなに自分の作品と言うか、CD が出来ていくっていうのも、ホントに、なんかすごい不思議な経験でした。」

 「それで、2年目は、コンサートとか、いろんな先輩方とご一緒するステージも増えてきて、3年目になった時に、去年ですよね……、去年(2019年)は、地元の新潟で、新潟県民会館と、長岡市立劇場と、上越文化会館っていう、新潟の中で大きい会場を 3会場も回らせてもらって……、ディナーショーも新潟と東京で夏と冬にやらせてもらってて……、で、9月には、また東京のコンサートとかもあったりとか……、こんなに早々と、デカいステージを踏ませてもらってるっていうのは、本当に、ありがたいなと思います。」

 「で、そうやって歩んできたら、まぁ、去年の年末、ちょっとノドを壊したりと……、そういうのも経験できたし……。と思ったら、声が出ないっていうドン底のまんま、このコロナ渦で、コンサートとかイベントが出来ないっていうことも経験できたし……。」

 「なんかこう、デビューの時のガムシャラな時期も経験して、大きいステージも経験して、と思ったら、いきなりドン底まで落ちて、それがまたしばらく続くっていう……、この短期間の中で、ものすごい濃いものを色々味わったので、何かそれは、自分が歌手としてもそうですけど、人間としてもなんかすごく心臓を大きくしてくれたというか、心臓を強くしてくれたような気もします……。本当に早いし、あっという間だし、なんか……、ホントに周りの方に感謝ですよね。CD も、買ってくださる皆さんがいらっしゃるからなので……、感謝ですよね。」

6 小学校の頃からレーサーを目指す 〜「俺は、あれになる!”って言って…」〜 

 中澤卓也は、もともと、フォーミュラカーのレーシングドライバーを目指していて、小学校のころから、レーシングカートに乗っていた。いわゆる「F1」のような、フォーミュラカーのレーシングドライバーの多くは、レーシングカート出身者だ。
 レーシングカートは、遊園地にあるようはお子様向けの「ゴーカート」とは違い、レースとなれば、時速100キロ以上で競うことになる。目線が地面に近いので、体感スピードは実際のスピードの2倍〜3倍、つまり、時速200キロ以上となる。
 中澤卓也は、いまも、時々、サーキットでレーシングカートに乗っていて、その様子は、ゴールデンのバラエティ番組でも紹介されたり、自身の YouTube チャンネル でも、「爆走!卓也くん!!!」というシリーズで動画が公開されている。

 「もともと、クルマと音楽が好きだったんですよ。小さい頃、兄がその当時『グラン・ツーリスモ』ってレーシングゲームをやっていて、”ああ〜こういうのがあるんだ〜” って、もともとそこで知ったんです。それで、僕がまだちっちゃい頃って、F1 がまだ地上波のテレビでやってたんですよ。で、僕の父親も、音楽とクルマが好きだったので、多分、オヤジも嬉しかったと思うんですけど、その、夜中とかにやってるじゃないですか、それを全部録画しててくれて、F1 をずっと見てたんです。」

 「それで、自分がだんだん成長してくると、レーシングドライバーっていう職業があるっていうことを知って、両親が、”そんなにハマって見てるんだったら、じゃあ一回実物を見せに行こう” って言ってくれて、F1 じゃないんですけど、国内の SUPER GT っていうのを “もてぎ” のサーキットに見に連れていってくれたんです。」

 「両親としては、”本物を見たら、多分、怖気付くだろうな” っていう考えで連れてってくれたんですけど、実際は逆効果で、どハマリしちゃって……(笑)、”俺は、あれになる!”って言って……(笑)。」

 「そこから、レーサーっていう職業を目指すってことになっちゃったんですけど、そしたたら親が、”レーサーって、どうやってなるんだろうな?” って、親にとっても未知の世界だったので……、それで、どうやら、レーシング・カートっていうものを始めて、そっからステップアップして、今、ああいうマシンに乗ってるんだっていう道を全部調べてくれて……。じゃあ、レーシング・カートをやらせてみたらいいんじゃないかってなって、サーキットも探してくれて、それがきっかけですかね。小学校3年の時ですね。」

 中澤卓也の地元、新潟県の長岡市に、ちょうど「スポーツランド長岡」というサーキットがあり、その後、そこをホームコースとして、父親と一緒に毎週通った。小学校、中学校と、ずっとレーシング・カートを続け、高校も、レーサーを目指すための「モータースポーツ科」が新設された、新潟市の私立開志学園高等学校に進学した。ところが、高校1年の時に、レーシングドライバーへの道を諦めてしまう。

 「それまで、ずっとカートをやってて、で、高校もモータースポーツ科っていうのがあるところに入って、今度は、スーパー FJ(フォーミュラレース) に出ようってことになったんです。その FJ に出るに当たって、メインのスポンサーは既にチームについてるんですけど、その……高校なんで、まあ授業の一環じゃないですけど、自分が遠征したりとか、自分の身の回りのことは、個人スポンサーを探さなきゃいけないってなってたんです。」

 「たとえば、レーシングスーツとか、ヘルメットとかって、あれ使用期限があるんで、3年ごとに変えなきゃいけないんですよ。ヘルメットだけどでも10万円ぐらいしたりとかしますし、だから、その都度、何十万も……、もう自分の身の回りの装備品だけでも全部で50万円くらいするんですよね。それが3年ごとにやってくるっていうのがあって……。」

 「で、僕、モータースポーツ科の一期生で入ったんですけど、当時、同じ一期生で、埼玉で走ってた友達がいて、一期生は、その 2人だけだったんですけど、そいつは、やっぱり関東で走ってるし、関東の方は、やっぱりモータースポーツが浸透してて、そいつはもう個人スポンサーもちゃんと地元で見つけてきたんです。でも、僕の場合は、もう全然ゼロで……、そもそも雪国なんで、モータースポーツってものが浸透してないし……。で、新潟の企業さんとかにも、結構、レース好きな方もいたりとかするので、色々調べて行くんですけど、もう、すでにどっかのチームのサポートをやってて、”ウチはもう一つだけしか、かかえられない” っていうのがあったりとかで、結局、レースに出れないってなっちゃって、それでストップしたんですよね。」

 その、小学校からの夢で、ずっと続けてきたことを辞める決断は自分でした。

 「そうですね……、もうやめようかなと思っちゃいましたね。」

7 歌手への道に 〜「やっぱり、すごいショックだったし…」〜 

 中澤卓也が通っていた高校は、専門学校のような高校で、午前中は普通の高校課程の授業をして、午後はスポーツ系やエンタテインメント系の数あるコースにわかれて専門的なことを学ぶというような学校だった。

 「それで、モータースポーツ科は 1年でやめたんですけど、先生も、”レーサーを目指して高校に来たんだから、やめて、いきなりどっか次のコースに移れってわけにもいかないから、1年間、フリーでゆっくり考えたら” って言ってくれたんですよ。」

 「単位制の高校だったので、高校課程の授業だけだと週2日しか学校に通わないんですよ。それまで、モータースポーツ科は全寮制だったんですけど、モータースポーツ科を辞めたので、長岡の実家に戻ってきて、近くのスーパーでバイトしながら、ず〜っと、どうしようかなって考えてて……。」

 「で、もう、その時、高校2年なんで、やっぱり、すごいショックだったし、モヤモヤもしてたし、自分の目標みたいなものは全然見つけられなくて……。で、なんとなく音楽なのかな〜って、ギターをちょっとかじってみたりとかしたんですけど、でも、全然打ち込めなくて……。やっぱり、どっかにレースがあったんでしょうね……。で、そんな時に、おばあちゃんが “のど自慢に出たら?” って言ってくれたんですよね。」

 もともと、小さい頃から、レースと同じように、歌うことも好きだった。

 「えっと……、僕、一番最初に歌った歌で覚えているのは B’z ですね(笑)。父親が好きで、車の中で、アルバムがずっとかかってたんですよ。『ultra soul』とか歌ってましたね。父親は、B’z のほかにも、大黒摩季さんとか……、でも、ほんとなんか父親も雑食で、浜崎あゆみさんがずっと車の中でかかってた時期もあったりとか……、いろんなジャンルの音楽が車の中でかかってましたね。」

 「母親の方は、あんまり音楽を聴いているところは見たことなくて……、ただ、父親も母親も、どっちも吹奏楽部だったんですよ。だから、音楽は二人とも好きだと思います。」

 その後も、ポップスをよく聴いていた。とくに、バラードが好きで、平井堅、森山直太朗らを好み、自分で初めて買った CDは、森山直太朗の「さくら(独唱)」だった。
 高校2年生の時、高校の専門コースには属さず、アルバイトをしながら悩んでいたころに、離れて住んでいた祖母から、地元、長岡市で開催される「NHK のど自慢」への出場をすすめられた。

 「そうですね。レースをやめて、もう本当にドン底で、なんにも目指すものがないし、それまで、レース、レースでやってきてたから、勉強できるわけでもなかったので、これからどう過ごしていこうかなって悩んでた時期に、多分、その姿をおばあちゃんは見てて、”歌が好きで歌ってたんだから、今度、のど自慢が長岡であるから出てみたら” って言ってくれたんです。それが、高校2年の終わりころでしたね。」

 そんな、祖母のすすめで、高校2年から3年にかわる春休み、2013年3月31日に、地元、長岡市の「アオーレ長岡」で開催された「NHKのど自慢」に出場し、森山直太朗の「さくら(独唱)」を歌い、なんと、今週のチャンピオンになった。
 一方、中澤卓也が通っていた高校の専門コースにはボーカル科もあり、3年生からは、そのボーカル科に所属することになっていた。

 「う〜ん……、いや、でも、そん時は、歌手になろうっていうのは、まだ全くなかったですね。あの〜、モータースポーツ科をやめてからは、ホント、全然、誰とも連絡とらなかったんですよ、やっぱり、ショックだったんですよね。」

 「でも、その のど自慢 が放送になったあとに、やっぱり、ものすごい連絡が来て、そっからまた友達にも合うようになったりとかしたので、やっぱり音楽は何か楽しいし、ちっちゃい頃から好きだったし、それこそ中学校の時とかも友達とカラオケ行ったりとかもしてたし、”じゃあ、ちょっと音楽やってみようかな” ってホント軽い気持ちで、ボーカル科にとりあえず入ったっていう感じだったですね。」

 しかし、「NHKのど自慢」で今週のチャンピオンになっても、まだ歌手の実は考えていなかった。

 「その時も思ってなかったですね。のど自慢を、たまたま、日本クラウン(現在の所属レコード会社)の方が見てて、4月ぐらいにウチに電話かかってきたんです、”日本クラウンというレコード会社の者ですけども、NHK のど自慢を見たんですけど、ウチで歌手になりませんか” っていう電話が。」

 「ちょうど、その時、僕は友達と遊びに行ってて家にいなくて、最初、母親が電話に出たんですけど、母親から着信があって……、母親から電話がかかってくるなんて珍しいなって思ってかけなおしたら、”なんか、日本クラウンてレコード会社の人が、のど自慢を見てて歌手になりませんかって言ってるけど……” って電話口で言われて、”なにを言ってるんだろうな?” って思ったんですけど、でも、なんか、ただ事じゃないなってことはわかったので、友達に、”ゴメン、ちょっとオレ帰るわ” って言って帰ったんです。」

 「それで、話を聞いたら、ゴールデンウィークぐらいに、新潟に来て、両親と僕と含めて話がしたいからって言ってるって聞いて、ま〜びっくりしましたね。」

 実際、ゴールデンウィークには、約束通り、日本クラウンの人が長岡にやってきた。

 「その電話をくれた方が長岡に来られて、駅のカフェで話をした時に、”演歌・歌謡曲を歌いませんか?” って言われました。」

 「その “演歌・歌謡曲を歌いませんか?” って言われた時に、もう正直、好き嫌いとかいうレベルじゃなくて、俺には歌えないだろうなって思ったんです。それまで、全く聴いたことなかったし、やっぱり、いま、演歌・歌謡曲をプロで歌っている方々って、だいたい、その……、小さい頃から、おじいちゃん、おばあちゃんから聴かされてたとか……、民謡の先生だったりとか……、ず〜っと演歌に親しんでいる方たちが歌ってるわけじゃないですか。じゃあ、自分の過去は?って振り返ったら、レースしかやってないし、そんな人間に、演歌・歌謡曲が歌えるのかなと思って、1回持ち帰ったんですよね、その話を。」

 「で、家族だけで、いろんな話をした時に、母親が言ってくれたんです。”あんた、1年前までレーサー目指してやってて、何にも目指すものがなくなった時に、歌手になりたい人がこの世の中にたくさんいる中で、レコード会社の人の方から、オーディションとか受けたわけでもないのに、歌手になりませんかなんて言われることは、多分、もう無いし、普通じゃありえないことだから、そんな演歌・歌謡曲ってことで悩むんじゃなくて、ジャンルとか抜きにして、自分がやれるだけやってみて、その時、また壁にぶつかったら、考えたらいいんじゃないの?” って言ってくれたことが、すごく大きくて……。」

 「あ〜、じゃあやってみようって思って……。ゴールデンウィークに話をしてから、1種間か2週間くらいでしたね。」

8 独特のレッスンを経てデビュー 〜「最初は、それが、すごい疑問で…」〜 

 そうして、高校3年からは、今度は、歌手を目指すことになる。

 「そうですね。高校3年の 6月に、あらためて、今度は僕が東京の日本クラウンに行って……、で、8月に、もう1回行った時に、師匠の田尾将実先生を紹介していただいたんですよね。」

 田尾将実の弟子となり、高校3年の 9月から、レッスンが始まった。長岡から新幹線で毎週1回は必ず通った。

 「そうですね、最初、高校 3年の時は、それまでと同じスーパーのバイトをしてましたけど、高校卒業と同時に、そのスーパーのバイトはやめました。で、実家のすぐ近くにコンビニがあって、兄貴も、そこでバイトしてたんで、”すいません、ちょっと僕もいいですか?” って言って、レッスンに通う電車賃とかも稼ぎながら、そのコンビニで 1年間バイトしてた感じですね。」

 長岡から、約2年間レッスンに通い、その後、2015年に上京することになるが、最初のうちは、そのレッスンに戸惑ったと言う。

 「田尾先生のレッスンが面白くて……、マンツーマンで歌を教えてくださらないんですね。それは、デビュー後も今も、ずっとそうでなんです。」

 「それで、最初、弟子入りをしてレッスンに伺った時に、発声の CD みたいなの渡されたんですけど、”この CD の中に発声の音階みたいなのが入ってるから、それに合わせて声を出して発声をやっといてくれ” って言われたんですよ。でも、先生は、その部屋にいないんですよ。同じご自宅の別の部屋で、掃除機かけたりとか、料理してたりとかで……、最初の1年間は、その発声しかやらなかったんですね。だから、最初は、それが、すごい疑問で……。」

 「それで、1年とか1年半ぐらいだった時に、師匠に、”卓也、俺が何でお前の歌を聞かないか分かるか? 歌は、そうやって聴こうと思って聴くものじゃないよ” って言うんですよ……。たとえば、街中で流れてる歌とか、ラジオとかから流れてくる音楽とかで、本当にいい歌っていうのは、運転してても、何してても、人の手を止めるし、”誰が歌ってるんだろう? ってなるんだ” って言われたんです。」

 「”そういう歌を目指さないと、歌い手として生き残っていけないし、だから、俺が料理したり掃除したりしてるのはそういうことだから、俺の手を止める歌を歌えるようになれ” って言われて。つまり、何か別の作業をしながらでも、声が耳に引っかかるかどうかってことだったんですよ。」

 「それで、1年くらい経って、”なんかしっかり声が出るようになってきたな” なんて言われて、”じゃあ、次からカバー曲を渡すから、そのカバー曲を覚えて来てくれ” って、ようやく言われましたね。」

 「一番最初は因幡晃さんの『わかって下さい』とか、松山千春さんの『恋』とか、そういうフォークタッチの曲から入って行って、『さざんかの宿』とかも歌いましたし、『君は薔薇より美しい』とか『愛のメモリー』みたいなパワフル系の歌とか、そういういろんな歌をやりました。」

 今でも、繰り返し言われているという「その時に感じたイメージを大切にして、自分らしく歌え」という田尾将実の指導は的を得ている。一方的に型にはめていくような指導ではなく、中澤卓也が自分で気がついて学んでいけるような指導だったのだろう。加えて、その感覚を磨くために、いろんな音楽も教えた。

 「レッスンの時、先生が、毎回、手料理を作ってくださるんです。その手料理を食べてながら、レッスンの振り返りというよりかは、歌の話とか、音楽の話とかしたりしていました……。あと、いろんな、それこそ海外のアーティストのライブ映像とか、布施明さんのコンサート映像とか、時には、アンドレア・ボチェッリとか……、その時に、ボチェッリを知ったんですけど、べらぼうにうまくて……。だから、そういう音楽の知識もたくさんくださる先生でしたよね。」

 「”歌は自分で勉強しないとうまくならない” って常に仰ってる方なので、そういうのもあって、デビューしてからも、先輩の歌をソデで聴かせてもらったりとか、そういう中で、自分で “あっ、これいい、あれいいな” っていう風に、自分の引き出しの中に入れていったっていう感じですかね。」

 そういうレッスンに約2年間、長岡から通い、2015年の3月に上京した。上京してすぐ、2015年3月28日に、「2015年 日本クラウン 新人オーディション」で準グランプリとなった。そのオーディションでグランプリとなった羽山みずきは、その1年後、翌年の2016年4月に歌手デビューしたが、中澤卓也は、そこからデビューまで、まだ 2年の月日を要した。

 「上京してからは、100円ショップでバイトしてました。デビューする前の年、2016年に、”いついつデビューします” っていうよりかは、まず事務所を決めないといけないってことで、今の事務所、オフィス・パンジーの社長にちょっと一回会ってもらいたいっていうことになって、で、スタジオに行って、僕の歌を聴いてもらったんです。それが、多分……、2016年の4月か5月だったんですよね。」

 「でも、その時は、まだデビューとか、その事務所に決まるっていうことではなかったんですけど、そのあと 6月とか7月ぐらいなのかな……、正式にパンジーにお世話になることが決まったんです。そん時も、まだ、いついつデビューってことは決まってなかったんですけど、先に『青いダイヤモンド』が出来たんですよ。曲が出来てから、じゃあ、来年、この曲を発売しますってことになったんです。」

 そうして、その翌年、2017年1月18日に、『青いダイヤモンド』で歌手デビューした。初めての自分の曲をもらった時の感動は忘れられないと言う。

 「いや〜、もうなんか、”あ〜これが自分の歌なんだな〜” って純粋に嬉しかったですね。いままで、散々カバーを歌ってきて、これが自分の歌になっていくってのが、なんかちょっと不思議な感覚だったのと、あと、先生のその教え方のせいもあって、自分の中では、”まだデビューするの全然早くね?” って思っちゃったんですよ。”もう デビュー!” って……。”俺、来年デビューしちゃうんだ……、全然まだまだだけどな〜” って思ってましたね。だから、そこのところを自分の中で埋めるのに、すごい最初は戸惑いましたね。」

 レコーディングも、その時が初めてだった。

 「いや〜、なんか……、う〜ん……、緊張というよりかは、すっごい楽しかったですね。やっぱり、スタジオってものに行くのも初めてだったし、自分がずっと今まで聴いてきた音楽って、こういう風に作ってたんだっていう裏側を目の前で見れて、しかも、それを自分がやってるわけじゃないですか……。”あ〜、なんかスゴイことをしてるな〜” って思って、すごい楽しかったですね。」

9 中澤卓也は演歌歌手なのか? 〜「いや、もう必死ですよ…」〜

 2017年1月のデビューの時には、若々しく爽やかでありながらも、21歳というその年齢に似合わない、落ち着きのある見事な歌いっぷりに驚かされた。正直、すごい人が出てきたと思った。すでに、堂々とした大物スターのような風格すら感じたからだ。そのやさしい歌声の魅力とともに、デビューの時から、いつも楽しそうに歌っている感じが印象的で、それが歌にも出てるように思う。

 「あ〜、そうですかね〜。まあ、純粋に楽しいですね……。」

 レーシングドライバーという命がけの勝負の世界を経験してきたからこそ、今の、穏やかで、落ち着いていて、ゆったりと堂々とした中澤卓也がいて、それが、歌にも出ているようにも思う。歌は、その人の内面がよく現れるものだ。いま、歌手として楽しいと言う。

 「楽しいし、なんか……安心してるのかな……、ホッとしてると言うか……。一度、レースを諦めてるっていう部分があるので……。で、やっぱ、レースで、お金の部分とかでも、散々親に迷惑かけた部分もあるし、ホントは、やっぱり、レーサーという夢を掴んで親に恩返ししなきゃいけなかった部分がありますから……。」

 だが、いまは、両親も祖母も、さぞ喜んでいることだろう。

 「いや〜、そうです、そうです。だから、親も安心させてあげられたのかなっていうのはありますね。
だから、自分の中でも、それはホッとしてる部分でもあるかな……。」

 最近、自身の YouTube チャンネルで、コブクロ、森山直太朗、玉置浩二、藤井フミヤらの曲をカバーした動画を公開している。また、ステイホーム期間中の 4月から 7月までは、「おうち時間」シリーズとして、自らのギターの弾き語りで、ライブ配信もしていて、そのアーカイブも残されている。ギターのほかにも、ピアノも持っている。

 「あの〜、僕……、ピアノはぜんぜん弾けなくて、譜面も読めないんですよ。なんだけど、ず〜っとデビューの時から、まあ、それも先生の教えなんですけど、自分の体のチューニングをしろって言われて、ピアノでやってることがあるんです。」

 「ピアノって、絶対音が出るじゃないですか。だから、ピアノを弾くわけじゃなくて、毎朝、仕事に行く前に、5分とか10分くらい、ヘッドフォンをして、ドだったらドの音を叩いて、おんなじドの音を自分で出すっていう……、その自分のチューニングをするっていうのをず〜っと続けてるって感じですね。」

 中澤卓也のオフィシャルサイトにある「スケジュール」を見るとよくわかるが、最近は、若手注目株として、テレビやラジオでも引っ張りだこだ。人気の音楽番組『人生、歌がある』(BS朝日)では西田ひかるとともに司会という大役に抜擢され、また、CS「チャンネル銀河」では、パク・ジュニョンとともに、『パクタクおたすけ隊』というバラエティに、さらに、『新・3人の歌仲間 with DAM CHANNEL 演歌』(BS日テレ)の司会も 2020年10月から担当しているし、地元、BSN 新潟放送でもコーナーを持っていて、計4本のテレビ・レギュラー番組を持っている。

 「いや、もう楽しいですね。喋るのも好きだし、人とお話しするのも好きなので。まあ、あくまで、歌手ってものが真ん中にあって、その外側に司会のお仕事だったりとか、ああいうバラエティだったりとか……、レースもやってますけど……、そういうものもやらせていただくために、やっぱり、自分自身の歌っていうものを、芯をしっかり作っていかなきゃいけないなって思いますね。」

 「自分自身を鼓舞してくれるものでもあるし、やっぱり、ああいう自分のレギュラーは譲らないようにしていかなきゃいけないなっていう風にも思いますし、また、自分をひっぱり上げてくれる向上心みたいなものにも繋がっていると思うので、それはすごく嬉しいです。」

 仕事の合間を縫って、カートにも乗っている。

 「それは、もう、休みがあれば行ってますね。月1回は絶対に行ってます。カートは、もう手放しちゃったので持っていませんけど、その「爆走!卓也くん!!!」でお世話になっている「レーシングスクエアー・GEN」ていうチームがあって、そこのチームからマシンを貸していただいています。」

 千葉の市原にある新東京サーキットまで、自家用車で通っている。

 「そうですね。やっぱり運転はバリバリしますね。最近は、クルマ熱が再燃してきて……(笑) 楽しいですね。」

 テレビのレギュラー番組以外にも、多くの音楽番組に出演する中澤卓也は、それらでカバー曲を歌うことも少なくないため、時には、知らない歌も覚えたりもしなければならない。

 「いや〜、ほとんどが知らない歌ですね〜(笑)。でも、どれも、自分の中では新曲みたいな感じだし……、いい歌って、本当に多いですよね。『人生、歌がある』も『新・BS日本のうた』とかもそうなんですけど、歌謡曲とか演歌っていうのは、自分の中で噛み砕いて、自分の色で歌えるんですけど、たま〜に、たとえば、『哀愁列車』とか『酒は涙か溜息か』とか、ああいうところって、踏み出したことがないので……、いや、もう必死ですよ……(笑)。だから、三橋美智也さんとか、藤山一郎さんとか、そういうのを勉強すると、あの当時、歌われてた方々って本当に偉大だなって、あらためて思いますね。同じ新潟の大先輩で三波春夫さんとかも、ホントにすごいな〜、って思いますね。」

 そんな忙しい中でも、自宅では、仕事以外に楽しみとしてよく音楽を聴いている。

 「聴きますね〜。わりと僕も雑食で、いろんな音楽を聴くので、それこそ YouTube で 延々と音楽をかけてたりとかもします。最近は……、まあ、いろいろありますけど、玉置浩二さんとか、高橋優さんとか、しょっちゅう聴いてますね。ああいう、なんか声がまっすぐと言うか、”歌声に何かニュアンスがある” とか、”すごいパッションがある” って方が好きなんですよ。」

 「最近、エレカシの宮本浩次さんも好きで……、あの人の歌って、力強いんだけど、なんかあったかいじゃないすか。すごいなあ〜と思ってて、歌が、なんかはみ出してるようなすごいスケール感があるのに、でも、ピッチがずれてるわけでもないから、聴き心地もいいし、ああいう歌い方ってすごいなと思いますね。」

 高橋優や宮本浩次は熱唱型だし、玉置浩二も独特の歌声で、いずれも、中澤卓也の歌唱とは、全然タイプが違う。

 「まあ〜 そうですね……。なんか、自分にないものを求めてしまうと言うか……。そうですね、コブクロの黒田さんとかも、すごい太い力強い声で歌うし……、なんか、そういうことなのかな〜って思いますね。」

 「それと、先生の影響で、洋楽もよく聴くようになりましたね。オーソドックスに、ビリー・ジョエルとか、スティービー・ワンダーとかも聴いたし、あと、TOTO が個人的にヒットだったんですよね。TOTO の『Africa』とか、ああいう曲もすっごい好きだし、それこそ、ボッチェリとかも好きだし……。洋楽のあのニュアンスっていうか、ああいうノリは、こういう演歌歌謡曲に取り入れても面白いのかな〜って思ったりとかもします……。」

 もともと、ポップスばかりを聴いて育ち、そういう洋楽も聴いていたから、中澤卓也は、リズムの取り方がうまく、歌に自然とグルーヴが出る。そういうメロディが持っているリズムやビートを、自然に感じて歌えるから、とくに、今回の『約束』も、絶妙な間を作ることが出来ているのだろう。バラードは、歌いすぎないことが大事だ。演歌歌手の中には、16ビートの曲をうまく歌えていない歌手も少なくない。
 これまでに発売されている 3作のコンサート DVD の収録曲を見ればわかるように、中澤卓也は、演歌歌手ではなく、基本的にはポップス・シンガーだ。でも、演歌も、テレビ番組だけではなく、自身のコンサートなどでも歌っている。

 「演歌、好きですね。演歌と歌謡曲を勉強して、なんか、よりすんごい視野が広がったと言うか……、このジャンルを自分の中で勉強したことによって、音楽ってホントにジャンルじゃないんだなってことに気づけたんですよね。」

 どれが演歌とか明確に分けることはできないし、突き詰めると、ジャンルなどなくなってしまう。そういうジャンル分けは、あくまでも便宜的なもので、本来は無意味なのかもしれない。
 まだ、25歳という若さ。これからが益々楽しみだ。今後の目標やビジョンを聞いてみた。

 「そうですね……。やっぱり、僕自身、ホントに色んなところでコンサートをさせていただいたりとか、まぁ、去年の末にはノドを壊して、声が出なくなったとか、このコロナ禍も経験したりとかしてて思うのは……、なんかこう……、大きい舞台に立ちたいとか、たとえば、レコード大賞とか、紅白歌合戦とか、ゆくゆくは武道館のステージに立ちたいとか、そういうのは、もちろんあるんですけど、でも、それ以前に、やっぱり自分のこの声、歌ってものを、あらためて突き詰めていって、本当に、どんなちっちゃい会場でもいいんで、実際にお客様の前に立って、中澤卓也の歌が聴きたいっていう方のために、より質の高い歌を歌手としてずっーと一生歌い続けていくっていうことが、自分の中で目標のひとつというか、夢になったっていう感じが、なんかこの期間を経て、すごく感じましたね。」

 「ありがたいことに、本当に忙しくしてもらっていたので、やっぱり、おろそかになってた部分もあったんですよね……。それが、このコロナ渦で、みんな立ち止まって、自分も振り出しに戻った時に、”これはいる” “これはいらない” っていう作業ができたんですよ。」

 「それで、”本当は必要なものだったけど、こっちに置いてきちゃった” っていうものも、もう1回こっちに引っ張り出してくることもできた 1年間だったので、そういう意味では、今は、本当にいるものだけ、濃いものを積み上げている状態なので、それは絶対に今後も崩さず、それが基盤として絶対条件としてあって、その上に、また、中澤卓也としての何かを積み上げていけたらいいなっていう風に、考え方がすごく変わりましたね。」

 「だから……、歌のために、歌ってない時も “これをしなきゃいけない” とかいうのが、すごい今出てきてる感じがしますね。」

(取材日:2020年11月30日 / 取材・文:西山 寧)




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中澤卓也「ハイブリッドコンサート in 北とぴあ」

中澤卓也「ハイブリッドコンサート in 北とぴあ」
〜会場、そしてオンライン‥2つが織りなす、新たなステージの扉〜
2020/9/12


中澤卓也 シングル ディスコグラフィー


1st Single「青いダイヤモンド」2017年01月18日 発売

2nd Single「彼岸花の咲く頃」2017年11月29日 発売

3rd Single「冬の蝶」2018年07月25日 発売

4th Single「茜色の恋」2019年02月27日 発売

5th Single「北のたずね人」2020年01月15日 発売

6th Single「約束」2021年1月6日発売