第30回 小林旭「昔の名前で出ています」(1975年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第30回 小林旭「昔の名前で出ています」(1975年)

流れ女の さいごの 止まり木に
あなたが 止まってくれるの 待つわ
昔の名前で 出ています ……

小林旭「昔の名前で出ています」

小林旭「昔の名前で出ています」(3:50) Key=Dm  B面「夕子」
作詞:星野哲郎、作曲:叶弦大、編曲:斉藤恒夫
コーラス:シンガーズ・スリー、演奏:クラウン・オーケストラ
1974年(昭和49年)10月28日録音、制作担当:天野伸夫、録音担当:荻野宣邦、
1975年(昭和50年)1月25日発売 EP盤 7インチ シングル レコード (45rpm、ステレオ)
¥600- CW-1470(CSS-4570) クラウンレコード

 1955年(昭和30年)第3期「日活」ニューフェイスに合格し、翌1956年(昭和31年)日活映画「飢える魂」で銀幕デビュー、その2年後、1958年(昭和33年)にシングル「女を忘れろ」でコロムビアより歌手デビューした、俳優で歌手・小林 旭(こばやし あきら)の 1975年(昭和50年)1月発売、92枚目のシングル。2年以上かかって1977年に大ヒットし、その年のオリコンチャート年間5位、「NHK紅白歌合戦」にも初出場し歌った曲。1978年には、103枚目となるシングル「私の名前が変わります」を発売。
 俳優としては、「渡り鳥シリーズ」「流れ者シリーズ」「銀座旋風児シリーズ」などで、日本映画の全盛期を支え130本以上の主演作を持つ。また、映画の主題歌や挿入歌も歌い、「ダイナマイトが150屯」「ギターを持った渡り鳥」「さすらい」「惜別の唄」「アキラのダンチョネ節」「アキラのズンドコ節」などが映画とともにヒット。さらに、「自動車ショー歌」「恋の山手線」などのコミックソングや、ネオン演歌ともいわれた「ついてくるかい」「ごめんね」「純子」、さらに「北帰行」「北へ」のような叙情歌謡曲、1985年(昭和60年)には、大ファンだった大瀧詠一が書き下ろした(作詞:阿久悠)「熱き心に」など、ヒット曲多数。
 私生活を含め、その破天荒で波乱万丈な人生は、まさに不世出のスーパースター。81歳となった現在も、ステージで変わらぬ歌声を聴かせてくれている。


 さっき、NHK の「うたコン」で『きよしのズンドコ節』の VTR が流れていましたが……、先々週、4月7日の「うたコン」は、ちょうど、緊急事態宣言の発令された日でニュースが延長されたため、当日になって急に放送休止となってしまいました。
 放送されていれば、「あの人!この人!おなまえっ!ソング」と題し、名前の入った名曲を特集する予定だったようで、つのだ☆ひろ「メリー・ジェーン」などとともに、氷川くんも『きよしのズンドコ節』を歌うハズでした。どんな内容だったのでしょう……見たかったですね。でも、氷川くんなら『星空の秋子』の方が、「お名前ソング」な気がしますが……(いい曲だし)。

 さて、「きよしの〜」とか「アキラの〜」とか「ひばりの〜」とか、あるいは『魔法使いサリー』とか、そういうのは別にして、人名がタイトルに入った歌は、割合から言えばそんなに多くはありませんが、昔からあります。
 具体的な人名を使うということは、イメージを限定してしまう恐れもあるので、作る方としても勇気がいるコトかもしれません。「メリー・ジェーンってだれだ?」ってコトにもなりますし。
 しかし、たとえば、「ご当地ソング」は、その土地の人や、そこに行ったことのある人にしか伝わらないワケでもありません。行ったことのない土地でも、聴き手がそれぞれ、その地名から勝手にイメージを膨らませたりします。具体的な人名も、同じような効果を持っているのかもしれません……。

 多くの場合、タイトルの人名は架空のものかもしれませんが、デレク・アンド・ザ・ドミノスの『Layla(いとしのレイラ)』なんかは、当時、クラプトンが、親友のジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドを好きになってしまい、そのキモチを書いたというガチな曲だったりします……。
 逆に、意外とそうなのかもしれませんね……、わりと、みんなガチだったりして。

 で、ワタシが、いま思いつく洋楽のヒット曲だと、こんなカンジです(まだまだあると思いますが)。

<タイトルに人名が入った曲 〜洋楽編〜>
Oh! Carol (おお!キャロル) ニール・セダカ
Diana (ダイアナ) ポール・アンカ
Help Me, Ronda (ヘルプ・ミー・ロンダ) ザ・ビーチ・ボーイズ
Michelle (ミッシェル) ビートルズ
Layla (いとしのレイラ) デレク・アンド・ザ・ドミノス
Amanda (アマンダ) ボストン
Jolene (ジョリーン) オリヴィア・ニュートン・ジョン
Roxane (ロクサーヌ) ポリス
Maggie May (マギー・メイ) ロッド・スチュワート
Angie (悲しみのアンジー) ローリング・ストーンズ
Sara (セーラ) スターシップ
Rosanna (ロザーナ) TOTO
Sarah (サラ) シン・リジィ

 いかがでしょう……。
 一方、日本だと、こんなカンジです(ワタシが、いま思いつく限りです)。

<タイトルに人名が入った曲 〜邦楽編〜>
「お富さん」 春日八郎 1954年
「愛ちゃんはお嫁に」 鈴木三重子 1956年
「ミヨチャン」 平尾昌晃 1960年
「江梨子」 橋幸夫 1962年
「霧子のタンゴ」 フランク永井 1963年
「ケメ子の歌(唄)」 ザ・ダーツ / ザ・ジャイアンツ 1968年
「フランシーヌの場合」 新谷のり子 1969年
「メリー・ジェーン」 つのだ☆ひろ 1972年
「アケミという名で十八で」 千昌夫 1973年
「そんな夕子にほれました」 増位山太志郎 1974年
「傷だらけのローラ」 西城秀樹 1974年
「シンシア」 よしだたくろう&かまやつひろし 1974年
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975年
「おゆき」 内藤國雄 1976年
「与作」 北島三郎 / 千昌夫  1978年
「順子」 長渕剛 1979年
「安奈」 甲斐バンド 1979年
「いとしのエリー」 サザンオールスターズ 1979年
「SACHIKO」 ばんばひろふみ 1979年
「亜紀子」 小林繁 1979年
「リンダ」 アン・ルイス / 竹内まりや 1980年
「サチコ」 ニック・ニューサ 1981年
「栞のテーマ」 サザンオールスターズ 1981年
「チャコの海岸物語」 サザンオールスターズ 1982年
「ゆうこ」 村下孝蔵 1982年
「夏色のナンシー」 早見優 1983年
「しのぶ」 美空ひばり 1985年
「1986年のマリリン」 本田美奈子 1986年
「まゆみ」 KAN 1993年
「リンダリンダ」 THE BLUE HEARTS 1987年
「星空の秋子」 氷川きよし 2002年
「ヨシ子さん」 桑田佳祐 2016年

 どうでしょう……。コレを見ると、2つのコトに気がつきます。

 桑田佳祐の作品が多い?……それもありますが、まず、ひとつ目は、1979年(昭和54年)には、お名前ソングのヒット曲が、「順子、安奈、エリー、サチコ、亜紀子」と5曲もあることです。前年発売の『与作』も、ヒットしたのはこの年だったりしますし、人名ではないものの、ゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』が発売されたのもこの年です。1979年には、いったい何が起こっていたのでしょうか…?

 で、もうひとつは、もうみなさんお気づきかと思いますが、「お富さん」から「秋子」まで、どれもこれも、圧倒的に「女性の名前」が多いということです。洋楽の方でも、見事にゼンブ女性名です。と言うか、この中で男性名は『与作』だけなので、「女性名がほとんど」と言っても良いでしょう。オトコの名前は、歌にはなりにくいのでしょうか……。

 もちろん、『与作』の他に、全くないわけではありません。
 昔から、いわゆる「股旅モノ」には、たくさんあったりします。高田浩吉『伊豆の佐太郎』をはじめ、橋幸夫『磯ぶし源太』『沓掛時次郎』『佐久の鯉太郎』などなど。「股旅モノ」ではありませんが、香田晋『炭焼き源造』とか、珍しいところでは、高田みづえ(サザンオールスターズ)の『そんなヒロシに騙されて』でしょうか。橋幸夫は、2016年にも『ちゃっきり茶太郎』をリリースしています。
 サザンの「ヒロシ」を別にすれば、「与作、佐太郎、源太、時次郎、鯉太郎、源造、茶太郎」と、まあ、なんともトラディショナルなお名前ばっかりになります。どうしたって、ロマンティックなラブソングの歌詞にはなりませんね……。

 それでは、曲名ではなく、歌詞の中に人名が出てくる曲はどうでしょう?
 たとえば、中島みゆきは、歌の中で人名をよく使っています。『悪女』の歌い出しの「マリコ」や、『怜子』というタイトルの曲もありますし、『あの娘』では、「ゆう子、あい子、りょう子、けい子、まち子、かずみ、ひろ子、まゆみ」と大勢出てきたりします。でも、やっぱり、女性名ばかりですね……。

 でも、ありました! ちあきなおみ『紅とんぼ』には、「ケンさん、しんちゃん、チーちゃん」と、フツ〜の男性が3人も出てきます! そして!高田浩吉の『浮かれ駕籠』にも……う〜ん、「権三と助十」か……。

 さて、小林旭の曲でも『夕子』『ゆきこ』『純子』というタイトルの曲がありますが、今回は、『昔の名前で出ています』です。ご存知のように、歌詞の中に「しのぶ、なぎさ、ひろみ」という、3つの源氏名が出てくる歌です。
 この歌は「女歌」なのに、男の方が感情移入しやすい歌のようにも思いますが、それは、飲み屋のオネ〜サンの歌だからでしょうか……。

 「♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの」という歌い出しのインパクトもスゴイですが、最初は回想シーンから始まって、「もともと横浜にいたけど、あなたを忘れるために、京都や神戸の店にもいた…、いろんな人とも付き合ったけど、でも忘れられなくて、やっぱり横浜に戻ってきて、愛しいあなたを待っている……」、「自分は “流れ女” とわかっているけど、これが最後、わたしの止まり木にとまってほしい……」と結ばれます。切ないじゃありませんか!

 当時、スナックやキャバレーで、「ねぇ〜アタシの止まり木に止まらなぁ〜い? あらっ、もう枯れちゃってるかしら〜ん……」「そんなことないよ……まだ青々としてるよ……」な〜んて会話が交わされていたかどうかはわかりませんが……、なにより、たったこれだけの文字数で、こんなドラマチックなストーリーを伝えられるという技術がスゴイです。
 情景は浮かぶし、時間経過もわかるし、主人公の心情は伝わるし、メロディへの言葉の乗せ方も完璧で、自然と感情移入してしまう歌になっています。

 また、1番の最初の方で、「忍と呼ばれたの」「渚と名乗ったの」と、2通りの言い方をすることで、それが源氏名だと聴き手にわからせています。それに、3番にならないと、いまの源氏名が「ひろみ」だとわからないし、そのわからせ方も実に巧妙です。
 さらに、1番、2番、3番で、それぞれ、「あなたが さがして」「あなたを 信じて」「あなたが 止まって」と、メロを崩さずに、キレイに揃えて、かつ、そこだけでも主人公の心の動きがわかるという完成度の高さです。ドラマティックです。

 この歌詞を書いた昭和の大ヒットメーカー、「歌詞は出だしの2行で決まる」を信念としていた作詞家の星野哲郎は、船村徹や石本美由起らと頻繁に銀座に繰り出して、思い浮かんだネタを、よくコースターにメモっていたそうです。
 そんな星野哲郎が、ある時、新宿の行きつけの店で飲んでいるとき、かつて新宿にいたホステスから営業電話があり、「いま大宮のクラブ○○○にいるんだけれど、遊びに来てくださらなぁ〜い? 昔の名前で出てますから〜」と言われたことが、この歌詞が生まれたきっかけでした。

 しかし、当時、「男の中の男」を演じ続けてきたマイトガイの小林旭が、いわゆる「女歌」を歌うイメージはなかったですし、そもそも、この歌詞は、別の女性歌手にために書かれたものでしたが、それを、知る人ぞ知る、アノ伝説のディレクターでプロデューサーの馬渕玄三氏が、小林旭に歌わせることを思いつきました。

 実際、小林旭が歌う前には(もともと女性歌手のために書かれた歌詞なので)、歌詞に出てくる「勤めていた街をどこにするか?」とか「ホステスの源氏名は何にするか?」など、作詞の星野哲郎と何度も議論したそうです。最後に出てくる、現在の源氏名が「ひろみ」と決まるまでに、二転三転したそうです……。何が決定打となって「ひろみ」になったのでしょう……、知りたくてたまりません。

 ちなみに、その馬渕玄三というヒトは、コロムビアレコードで新米ディレクターだったにも関わらず、いきなり、島倉千代子の『からたち日記』を大ヒットさせ、小林旭や美空ひばりも担当していた敏腕ディレクターです。
 その後、1963年(昭和38年)に、コロムビアの取締役だった伊藤正憲が、独立してクラウンレコードを設立する際に、馬渕玄三も一緒にクラウンに移り、北島三郎や水前寺清子を育てたり、かぐや姫『神田川』、山本譲二『みちのくひとり旅』などのヒットを作ったというスゴイ人です。

 余談ですが、クラウンレコード(現.日本クラウン)のレコード番号「1番」(CW-1)は、コロムビア専属だったハズの美空ひばりの『関東春雨傘』だったりします。それは、コロムビア専属の美空ひばりが、クラウン設立を祝うという意味で、(ライバル会社となる)クラウンが発売する1枚目のレコードとして『関東春雨傘』をレコーディングしたためです。伊藤正憲と馬渕玄三がスゴかったのか、美空ひばりがスゴかったのか……(タブン、どっちも)。
 で、小林旭も、1964年(昭和39年)発売、52枚目のシングルから、コロムビアからクラウンレコードに移籍しています。

 この『昔の名前で出ています』は、叶弦大のシンプルな構成のメロディも含め、楽曲自体の完成度の高さには秀逸なものがありますから、誰が歌っても「いい歌」として聴けるのですが、しかーし、この歌は、なんだかやっぱり小林旭の歌声でないと、良さが100%出ない気もします……。とくに「♪戻った その日から〜」とか。
 あの独特な「アキラ節」というか、ちょっと投げやりなカンジの歌い方で、「♪その日から〜」とか「♪ボトル〜」とかは巻き舌が入ってるし……。

 でも、今、あらためて聴くと、実は、すごく丁寧に歌っていることがわかります。高い方の張る方はストレートでいやらしくないから言葉が伝わるし、語るように歌うトコロの語尾の処理の仕方なんか、実に声の色気を感じます。「いつもこの胸」の「ね」とか、「あなたの似顔を」の「を」とか。やっぱり歌は「声の色気」ですね。

 で、コレは、全くの想像ですが、女性が歌う歌詞で「京都にいるときゃ」の「きゃ」はないでしょうから、最初は「京都にいたとき」とか「京都にいたころ」だったのではないでしょうか……、小林旭が歌うことになって「いるときゃ」になったのではないかと……。

 小林旭自身も、レコーディングで「本能的に気持ちよく歌える、いい歌だと思った」「映画をやっていた頃には、歌うことにまだ責任を持っていなかった。この曲のあたりから、歌う自分に火がついたんだ」と、のちに語っているように、結果的に、累計売上は200万枚を超えると言われているほどの大ヒットとなった歌ですが、実は、最初の頃は全くパッとしませんでした。

 全国のキャバレーなどをドサ回りするなど地道なプロモーションをしたことで、発売から2年後の1977年に入ってから徐々に売り上げを伸ばし、3年近くかかって大ヒットになったという珍しい歌です。
 ちょうど、第一興商が「8トラ」のカラオケ機器を発売したのが1976年で、当時、カラオケのプロモーションも兼ねて、全国のデパートなどでも歌ったそうで、有楽町「そごう」の前で、いきなり小林旭が急に歌い出して、ビックリされたこともあったようです。

 しかーし、ヒットとなった大きなきっかけが、別にありました。

 当時、小林旭は、ゴルフ場開発の事業で失敗し、14億とも100億とも言われた多額の借金を抱えていて、借金返済を迫られヤクザに拉致されたこともあるくらいでした(本人いわく100億、ずいぶん開きがありますが、そのへんがスーパースターたる所以で……とにかく”いっぱい”というコト)。

 で、『昔の名前で出ています』が発売された翌年1976年の10月、その経営していたゴルフ場開発会社の倒産会見の時、新聞記者に「そんな多額の借金をいったいどうやって返すんですか?」と質問され、「それは、歌を歌って返すしかないですね!」と答えたことで、翌日のスポーツ紙には、「小林旭『昔の名前』で借金返済!」という見出しが踊りました。
 その記事によって急に注目されるようになり、以前は歌っても誰も聴いてくれなかったキャバレーを再訪すると、今度は、入りきれないほどのお客が押し寄せるようになったそうです。

 最終的に、1977年の「第28回NHK紅白歌合戦」に初出場するほどのヒットとなったことで、借金返済が可能になったと、後に語っています。
 まあ、この他にも信じられないようなエピソードには事欠かない人です。映画の主演作は130本以上ありますが、小林旭の人生そのものが、映画になりそうな人です……。

 ちなみに、ある人によると、たとえば「スタック あけみ」とか、「スナック 洋子の店」とか、店名に名前が付けてある飲み屋は、知らない土地で入っても、まず間違いないそうです。なぜなら、おそらく、その店名はママさんの名前で、ジブンの名前を看板にするくらい全てを掛けているお店だからだそうです。なるほど……。

(2020年4月22日 西山 寧)


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