田辺靖雄・梓みちよ「ヘイ・ポーラ」
田辺靖雄・梓みちよ「ヘイ・ポーラ(HEY PAULA)」(3:07) B面「黒い瞳に青い空」(梓みちよ)
訳詞:みナみカズみ(安井かずみ)、作曲:Hidel brunde(RAYMOND GLENN HILDEBRAND)
編曲:東海林 修、演奏:オールスターズ・レオン
1963年(昭和38年)5月発売 EP盤 7インチ・シングルレコード (45rpm、モノラル)
EB-7220(F-3451) ¥290- KING RECORD
※ 同じデザインのジャケットで、左上に大きく「STEREO」、右上のキングのロゴの下に「stereo」と表記された
規格番号「SB-7220」のステレオ盤もあります。
※ また、キング「オリジナルシングル復刻盤シリーズ」で、
規格番号「K06S-445」もありますが、こちらはモノラルの音源。
レイ・ヒルデブランド(RAYMOND GLENN HILDEBRAND)が作詞作曲し、ジル・ジャクソン(Jill Jackson)と歌った、1962年11月発売の『Paul and Paula』(Jill & Ray 名義)が、翌12月にフィリップスより Paul and Paula 名義の『Hey Paula』として再発売され、Billboard チャートで3週連続1位、年間でも7位と、全米で大ヒットとなった曲。
前年、ポール・アンカのカバー「ボッサ・ノバでキッス」でデビューしていた梓みちよと、高校在学中に渡辺プロダクションからスカウトされ「ザ・リクエストショー」や「夢であいましょう」にレギュラー出演していた田辺靖雄のデビュー曲。田辺靖雄は、この曲のヒットで、同年、第14回NHK紅白歌合戦に初出場(歌唱曲は「雲に聞いておくれよ」)。
梓みちよは、同年7月「夢であいましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」のヒットで、同じく第14回NHK紅白歌合戦に初出場。その後、1974年には「二人でお酒を」、1976年には「メランコリー」などがヒット。
田辺靖雄と梓みちよのコンビは「マイ・カップル」(「みちよ」のMと「靖雄」のY)と名付けられ、この「ヘイ・ポーラ」の後にも、Paul & Paula の「First Quarrel」をカバーした「けんかでデイト」や 「First Day Back at School」をカバーした「素敵な新学期」、NHK「夢であいましょう」今月の歌「いつもの小道で」(カップリングが「こんにちは赤ちゃん」)など7曲をリリース。その後、田辺は、キングレコードからビクターレコードに移籍、1964年5月に「二人の星をさがそうよ」でソロ・デビューし、いきなりの大ヒットとなる。
1973年には、田辺靖雄と九重佑三子が結婚し、夫婦デュオとして、この『ヘイ・ポーラ』をテレビやコンサートでもよく歌っている。ほかにも、ヒデとロザンナ、川中美幸&前川清、五木ひろし&松浦亜弥らのコンビでもカバーされている。
1960年代から70年代は、多くの日本人にとってアメリカは憧れの国でした。ジーン・ケリーの『巴里のアメリカ人』や『雨に唄えば』、ジェームズ・ディーンの『ジャイアンツ』、ヘプバーンの『ティファニーで朝食を』や、『奥さまは魔女』『刑事コロンボ』など、映画やテレビで見るアメリカという国は、豊かで、自由で、そして陽気で明るい…、とにかく、キラキラしている夢の国でした。今も、魅力的な国ではありますが、当時ほどではないでしょう。
もちろん、当時も今も、問題をたくさん抱えている国でもあります。人種差別、貧富の差、銃の問題、ドラッグ、奨学金問題、医療保険…、しかし、誤解を恐れず言えば、それらの問題も含めて、ダイナミックで多様性をもったアメリカが魅力的なのだと思います。日本だって完璧ではなく、問題はたくさんあります。だから、アメリカを「必ずしもいい国だとは思わないけど…でも好き…」と思っているヒトも少なくないのではないでしょうか…。
なにしろ、大金持ちの生活はケタ違いだし、ニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスなどの大都市でア〜バンな暮らしをしているヒトたちがいるかと思えば、田舎の方では、牧場をやりながら、ほぼ自給自足のような生活をしているヒトたちもフツ〜にいますし、アラスカでは、町まで100キロ以上も離れた電気もガスもない極寒の地で暮らしているヒトたちもいます。クルマや電気を使わない昔ながらの生活をしているアーミッシュだって、今でも20万人以上いると言われています。日本では考えられない多様性です。
たとえば、最新の数字はわかりませんが、アメリカ国内には、3億丁を超える銃が存在し、毎日100人、年間4万人近くが銃で命を落としているそうです。なんでも、2001年9月11日の同時多発テロ以降、銃で殺されたアメリカ人は約63万人を超えていて、国内の南北戦争を除いて、過去250年間にアメリカが戦った全ての戦争で死んだ米軍の兵士の数に近いという、トンでもない数です。
そこに人種問題などが絡むと、さらに『買い物ブギ』なみにヤヤコシイことになります、もと朝日新聞記者の本多勝一も、1981年の著書『アメリカ合州国』の中に、「アメリカ南部で黒人と二人で車に乗っていただけで発泡された」と書いています。日本人は、アジア人でモンゴロイドの黄色人種ですから、いわゆる白人にとってはカラ〜ドなのですが、黒人ほど差別は強くありません。ただ、単体ではなく、黒人とのコンビというのがマズかったらしいです。最近でも、白人警官が黒人を射殺する事件が、時々あったりします。
こんな現状から、もちろん、銃規制を望むアメリカ人も少なくありません。では、なぜ、実現しないのか? 現実的に、実際に出回ってしまっている銃の数の多さや、全米ライフル協会の反発、また、田舎の方では、娯楽や文化として生活に溶け込んでいたりすることなどもさることながら、一番の理由は、建国の理念に反するからだと思います。
アメリカ人は、自由と権利を侵害されるコトに、とにかく敏感です。それが、アメリカの建国の理念であり、精神であり、伝統だからです。つまり、そこを否定してしまうというコトは、国自体のアイディンティティを否定するコトになってしまうのです。だから、銃器による問題はあっても、「銃を持つ自由」と「自衛する権利」を手放すコトは難しいのです…。そして、それが、とりもなおさず、アメリカという国の魅力のもとでもあるのではないでしょうか…。
1963年、そんな「アメリカへの憧れ」をより強く感じさせ、夢を見せてくれたのが、この曲『ヘイ・ポーラ』でした。
とにかく、初めて聴いた時は衝撃的でした。いわゆる戦後歌謡曲や、当時、流行りはじめていたロカビリーなどとは全く違い、聴いたコトのないステキすぎるサウンドで、しかも、男女の洋楽デュエット! まぁ〜ロマンチックなこと! なにしろ、男女のデュエットと言えば、『青い山脈』とか『旅の夜風』とか、それこそ先週書いた『寒い朝』とか、そんなのしか耳にしたコトがなかったのですから。
もちろん、オリジナルの「ポールとポーラ(Paul & Paula)」こと、レイ・ヒルデブランド(Ray Hildebrand)とジル・ジャクソン(Jill Jackson)の英語バージョンも良いに決まっているのですが、ただ、この「みナみカズみ(安井かずみ)」の日本語詞で聴く『ヘイ・ポーラ』が良かったのです(訳詞と表記されているコトが多いですが、日本語詞というのが正しいかと思います)。
とくに、サビの「♪True love means planning a life for two. Being together the whole day through」のメロに、「♪好-き-と い-わ-な-くーてもー わかっちゃ-う ふ-たり-」と乗せたのは秀逸です。「Being together」を「わかっちゃう」にするなんて…、だって「ちゃう」ですよ。そもそもメロディに乗せるには実にムズカシイ言葉を、ホントにうまく乗せたものです。
しかも、この「わかっちゃう ふたり」が、「うまく合わせて乗せたた」というだけなら凡人で、非凡さを感じさせるのは、とても印象的に耳に残る魅力的な部分として出来上がっているというコトです。メロディが持っているビート感を、感覚的に正確に理解していないと書けないコトバです…。
それに、ヤッチンと梓みちよの声もよかったですね〜。ヤッチンは、抜群の声の良さに加えて、当時から、パット・ブーン、リッキー・ネルソン、プレスリーなんかを歌ってただけあって、難しいゆったりした3連のリズムにも関わらず、実にうまく、しかもやさしいカンジで歌っています。梓みちよも、かためでクリアな声の響きがステキでした、当時、ヤッチンは18歳、梓みちよは20歳! え〜っ!
ちょうど、この頃、1950年代後半から60年代の前半は、こういう米英のポップスに日本語の歌詞をつけた音楽、いわゆる「カバー・ポップス」が「ロカビリー」とともに大流行し、それまでの歌謡曲とは全く違った音楽のスタイルの登場となりました。
飯田久彦『ルイジアナ・ママ』、鈴木やすし『ジェニ・ジェニ』、ダニー飯田とパラダイス・キング『シェリー』『ビキニスタイルのお嬢さん』、坂本九『ステキなタイミング』、弘田三枝子『ヴァケィション』『夢みるシャンソン人形』、田代みどり『パイナップル・プリンセス』、伊東ゆかり『ロコモーション』、中尾ミエ『可愛いベイビー』(ジャケットは「ベイビー」ではなく「ベビー」となっていますが)、森山加代子『月影のナポリ』などなど、あげたらキリがないくらいです…。
ちなみに、同じような3連のバラードで、伊東ゆかりが歌ったコニー・フランシスの『ボーイ・ハント』も良かったですね〜。弘田三枝子の『砂に消えた涙』も、今聴いてもイイですね〜。
いずれも、これら外国のポップスの、メロディやリズム、サウンドを理解し、全く違和感のない日本語の歌詞を乗せるだけではなく、さらに、オリジナルにはない日本語である独自の魅力さえも創り出すことができた作詞家、この「みナみカズみ」こと「安井かずみ」や「漣 健児(さざなみ けんじ)」こと「草野昌一」ら、全く新しい感覚を持った作詞家の存在なくしては、こんな大流行にはならなかったハズです。
アメリカでは、歌詞の意味や内容よりも、言葉のリズムが優先されます。極端に言えば、言葉も音(サウンド)として聴いていて、いわゆるライム、韻を踏んでいることが歌詞である条件だったりします。
歌詞の内容は二の次なので、結構、幼稚でマヌケな歌詞も多いのですが、日本人は、音楽を聴く時、言葉をちゃんと聴いています。だから、日本の職業作詞家は極めて優秀です。「好きと云わなくても わかっちゃうふたり」なんて、ステキじゃないですか!
余談ですが、そのうちに、コニー・フランシスなどが日本語カバーの逆カバーをして、日本語で歌ったレコードを出したりして、なんだかよくわからなくなっていましたね…。とにかく、それほどの「カバー・ポップス」ブームでした。
ちなみに、田辺靖雄のソロでのヒット曲『二人の星をさがそうよ』も、なんと、『ヘイ・ポーラ』のオリジナルを歌っていた「ポールとポーラ」が日本語でカバーして歌ったレコードが出ていました(1964年8月、フィリップス/ビクター、FL-1130)。ご存知だったでしょうか…。
で、たとえば、ポール・アンカの『ダイアナ』なら、平尾昌晃盤と山下敬二郎盤があったり、『ヴァケィション』も弘田三枝子盤と伊東ゆかり盤があるように、この『ヘイ・ポーラ』も、ダニー飯田とパラダイスキングがカバーし、たった2ヶ月後の同年7月、『ポッカリ歩こう』(Walk Right In)とのカップリングでシングル盤が発売されています(東芝レコード/東芝音工、JP-5208)。
ボーカルは、増田多夢と、前年の1962年に坂本九に代わってパラキンに16歳で加入した九重佑三子。ご存知のように、その後、1973年に田辺靖雄と九重佑三子が結婚し、夫婦デュオとして、この『ヘイ・ポーラ』をテレビやコンサートでよく歌っているので、この二人がオリジナルだとカンチガイしているヒトも少なくないようです…(それぞれに歌っていたので間違いではないですが)。
ヤッチンと九重佑三子の歌う『ヘイ・ポーラ』も、多くのヒトがカンチガイするほどに、また実にイイんですね〜。九重佑三子の、やわらかく、あま〜い声なのに、透明感がある伸びやかな高音…。最近も、この夫婦デュオで歌っていますが、二人とも70歳を超えて、衰えるどころか、むしろ、説得力が増しているように感じています…、年齢を重ねたからこそ出る説得力というか…、「♪わかっちゃう ふたり」でトリハダが立ちます。
田辺靖雄と九重佑三子が歌ったバージョンは、1996年発売のアルバム『DUO〜やさしくしてますか〜』や、2014年発売のシングル『明日がまだある』などに収録されています。
田辺靖雄というヒトは、日本でトップクラスの歌手のひとりだと思います。十代からアメリカン・ポップスも歌っていただけあって洋楽もうまいし、歌謡曲も歌えるし、何より、何を歌っても声の良さが際立っています。ただ、30代以降は、残念なコトにヒットに恵まれず、いまイチ、一般の評価が低い気がして残念です…。しかし、その明るくておだやかな人柄や、人望もあって、2010年からは、ペギー葉山のあとを継ぎ、日本歌手協会の8代目の会長になっています。今年の1月に亡くなった梓みちよが「唯一の友達」と呼んだのが田辺靖雄でした…。
オリジナル・バージョンの『Hey Paula』は、当時、まだ大学生だったレイ・ヒルデブランドが作詞作曲し、仲間のジル・ジャクソンとともにローカルラジオ局で歌ったところ評判となり、1962年11月、「Jill & Ray」名義、『Paul and Paula』という曲名で、最初「Le Camレコード」よりリリースされました。その後、1962年12月には、フィリップス・レコードより、現在知られる「Paul and Paula」の『Hey Paula』として再発売され、翌1963年2月には Billboard チャートで3週連続1位、年間チャートでも7位に入る大ヒット曲となりました。
1963年(昭和38年)は、坂本九の『スキヤキ』がアメリカでヒットしたのと同じ年で、この年の6月には、『スキヤキ』が3週連続1位となり、年間でも13位でした。
ちなみに、年間1位は、ファイアボールズ『シュガー・シャック』、2位はビーチ・ボーイズ『サーフィン・USA』、3位はスキーター・デイヴィス『エンド・オブ・ザ・ワールド』、4位はカスケーズ『悲しき雨音』…、16位と17位には、PPMの『パフ』と『風に吹かれて』がワンツ〜で入るなど、いまでも耳にする名曲ばかり。
8月には、ワシントン大行進があり、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのアノ有名な「I Have a Dream …」の演説が行われ、11月には、「ニューフロンティア政策」を掲げて60年の大統領選挙に勝利したジョン・F・ケネディが、ダラスで狙撃された年が1963年(昭和38年)。
日本では、伊藤博文の新千円札が発行され、エースコックが「♪ブタ ブタ 子ブタ、おなかがすいた、ブ〜」の「ワンタンメン」を発売した年でした。映画では『007 ロシアより愛をこめて』『大脱走』『天国と地獄』が公開された年で、音楽では『こんにちは赤ちゃん』『高校三年生』『美しい十代』『見上げてごらん夜の星を』…などがヒットしていました。そして、翌1964年(昭和39年)10月の東京オリンピックを前に、三波春夫の『東京五輪音頭』が街に流れていた年でした…。
気がつけば、モ〜半世紀以上も経ってしまったのですね…。あのころは、どこも痛いトコロがなかったのに…。
(2020年3月18日 西山 寧)
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