沢田研二「危険なふたり」
沢田研二「危険なふたり」(TWO IN THE FACE OF DANGER)(3:20) B面「青い恋人たち」
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修、演奏:ケニー・ウッド・オーケストラ
プロデューサー:佐々木幸男、ディレクター:木崎賢治、エンジニア:吉野金次
1973年(昭和48年)4月21日発売 EP盤 7インチ・シングルレコード (45rpm、ステレオ)
DR-1765(2082-306) ¥500- Polydor
1967年に「ザ・タイガース」のボーカルとしてシングル「僕のマリー」でデビューし、その後「PYG」を経て、1971年にシングル「君をのせて」でソロ歌手としてデビューした沢田研二の6枚目のシングル。以後、「追憶」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」など、1970年代から80年代にかけて大ヒットを連発。歌手の傍ら、俳優としても映画、舞台と幅広く活躍。70歳を超えた今も現役で、毎年、コンサート・ツアーで全国を回っている。
長く生きていると、思わぬことに出会います。いろんな経験をするものです。「人生には、上り坂、下り坂、そして”まさか”の3つの坂がある」とは、よく使われるネタですが、ホントにうまく言ったもんです…。今回の新型コロナウィルス(COVID-19)にしても、まさか、突然、世の中がこんなコトになるなんて、誰も思っていなかったでしょう。
さすがに、カミュの『ペスト』に描かれているようなコトにはならないでしょうが、しかし、世界的な病気の蔓延もさることながら、その対策によって、あるいは二次的な影響による社会的な打撃は小さくありません。株価の下落、生産性や消費の低下…今後、倒産する会社も増えるのではないかと思われます。
ウィルスは、人間だけでなく、社会をも攻撃するのですね。
それにしても、マスク不足に続き、トイレットペーパーの買い占めにも驚きました。デマと集団心理ってコワイです…。メディアではさかんに「充分ありますよ」と言っているのに、やっぱりSNSとご近所のウワサの方をを信じてしまう…。信じていなくても、結果的に、お店からなくなってしまうから買っておかないと…というように、連鎖的に広がってしまいます。
怖いものと言ったら「地震・雷・火事・オヤジ」と以前はよく言われていましたが、昔から、人は、目に見えないものを恐れます。ウィルス、バイキン、オバケやユ〜レイ、神の怒り…。
まるで、取り付け騒ぎのようになった、ある大型ドラッグ・ストアでは、店員があやまることに疲れ、ストレスでノイローゼになった店員まで出たそうです。テレビのインタビューで、「ウィルスよりも、目に見える人間の方がコワイ」と言っていました。
買いだめをしておく目的ではなく、たまたまこのタイミングで「トイレットペーパーが最後の1本で、そろそろなくなりそうだから買いに行ったのに、買えなかった…」という、ひとり暮らしの学生さんのおしりが心配になります…。
今回、すぐに、1973年(昭和48年)10月の第1次オイルショックを思い出したヒトも少なくないでしょう。この時は、結果的にメディアが煽ってしまった部分もありましたが、実際、トイレットペーパーは、当時もゼ〜ンゼン不足していなかったらしいです。
その 1973年(昭和48年)、第1次オイルショックが起きる約半年前に沢田研二の『危険なふたり』は発売され、ソロとしては初のオリコン1位を獲得。この年の年間チャートでも5位に入り、第4回 日本歌謡大賞も受賞(なんと視聴率の47.4%!)という大ヒット。この曲がソロ・デビュー曲だと思っているヒトも少なくないようですが、ソロ6枚目のシングルです。
宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』『女のねがい』が、ダブルでオリコン年間ランキングの1位と2位を取り、かぐや姫『神田川』、ガロ『学生街の喫茶店』、天地真理『恋する夏の日』、アグネス・チャン『草原の輝き』などがヒットする中、この『危険なふたり』は、ちょっと、それまで聴いたことのなかったような新鮮なサウンドでした。
ディストーション・サウンドのギター・ソロで始まるという、あまりなかった衝撃的なイントロ…、松木恒秀によるチョーキングを使った、ギターならではのフレーズが耳に残ります(ちなみに『時の過ぎゆくままに』と『TOKIO』のギターは井上堯之で、『勝手にしやがれ』のピアノは羽田健太郎)。加えて、手数の多い乾いた音のドラムに、攻撃的なベースライン…、間違いなくロックです。
そういう洋楽のロックをベースにしながらも、ストリングスやブラスを巧妙に使い、ポップに演出することで、日本の歌謡曲として見事に昇華されています。
そして、なんと言っても、ジュリーの声のよさ! どちらかと言えば、木管楽器のような歌声をしている日本人ですが、ジュリーの声は、まるで金管楽器のようです。きらびやかでヌケがよく、ほどよいガラ声も、また魅力的です。こんな歌声をしたヒトは、日本人では他になかなかいません。
ちなみに、この『危険なふたり』が発売されたちょうど 1ヶ月後の5月21日には、山口百恵がシングル『としごろ』で歌手デビューしていて、そのちょうどまた1ヶ月後の6月20日には、渋谷のNHKホールが完成して、翌7月に、NHK 本体も内幸町から渋谷の放送センターに引越しました。
この年、国鉄の初乗り運賃が50円(山手線など国電の特定区間は30円)、ハガキが10円で封書は20円、タバコのハイライト20本入りが80円、東京都の最低賃金が時給で約181円、大卒初任給が約6万2千円、東京大学の年間授業料が3万6千円…、という中、7インチのシングル・レコードは500円でした。
今は、フツ〜のシングルCDが税込1,300円くらい。東大の授業料はともかく(現在は約53万円)、当時と比べて今は、だいたい物価が3〜4倍になっていると考えると、シングルは、一般的な物価ほどは比例して上がっていない気がしますね…。しかも、レコードのときは、A/B面で2曲でしたが、今はマキシ・シングルになって4曲〜8曲くらい入っていることを考えると、余計にそう感じます。
値段とは、すなわち価値ですから、相対的に「音楽の価値は下がっている」ということになります…(少なくとも上がってはいない)。
『危険なふたり』にハナシを戻すと、作詞は、伊東ゆかり「恋のしずく」、小柳ルミ子「わたしの城下町」、郷ひろみ『よろしく哀愁』、アグネス・チャン『草原の輝き』、浅田美代子『赤い風船』などを書いた 安井かずみ。
作曲は「ザ・ワイルドワンズ」で知られる加瀬邦彦。ちなみに、沢田研二、1980年の『TOKIO』(作詞:糸井重里)も加瀬邦彦の作品です。
そして、編曲の東海林修は、もともとジャズ・ピアニストで、ジャズ・シンガーのヘレン・メリルの指名で、日本ツアーで専属ピアニストも務めたホドのヒト。1960年代には、中尾ミエの『可愛いベビー』をはじめ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ピーナッツ、梓みちよ、田辺靖雄など、ナベプロ所属歌手の洋楽カバーポップスの編曲を数多く手がけてヒットさせたヒトです。
お洒落で、派手な生活で知られた「安井かずみ」、湘南ボーイ&慶應ボーイで湘南サウンドの「加瀬邦彦」、洋楽ポップスに造詣が深かった「東海林修」…、そして、グループ・サウンズのスター「沢田研二」という若い4人が集まり、新しいものを作り出そうと考え、今のJ-POPにもつながる日本独自のポップス歌謡曲のベースを、この『危険なふたり』で生み出したと言っても良いのではないでしょうか。
その後も、ジュリーは、時には批判を浴びることがあっても、斬新で新しいコトを次々とやり続け、香港では「日本のデヴィッド・ボウイ」と言われているように、ロック・シンガーであり、ニュー・ウェーブのアーティストでもあります…。
メイクをしたり、ウィスキーの霧吹き、電飾パラシュートを衣装に着けたりと、常に時代の先を行き、生き方や存在そのものがロックであり、ニュー・ウェーブでもあります。それも、不思議と下品にはならないのがジュリー…。
そんなジュリーも、今や71歳…。ドラマ「寺内勘太郎一家」で、おばあちゃん役の樹木希林が、壁に貼ってあるジュリーのポスターに向かって、腰をかがめて「ジュリ〜〜!」と叫ぶシーンを思いだしますが、まだまだ、これからも、つっぱって、ロックしていて欲しいと思います。
今年も、「沢田研二 LIVE 2020 Help! Help! Help! Help!」というコンサーツアーが、全国23会場、全27公演予定されています。
ところで、新型コロナウィルスも気にならないワケではないですが、正直、ワタシの場合、新型ノロウィルスの方がずっとコワイんです…。なんてったって、ノロウィルスに2回、カンピロバクターに1回やられていますから、毎年、冬の時期になるとホントにコワイです…。
そんな時に、もしも、トイレットペーパーが手に入らなかったら……。
(2020年3月 西山 寧)
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