第19回 伊藤久男「あざみの歌」(1951年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第19回 伊藤久男「あざみの歌」(1951年)

さだめの 径 (みち) は はてなくも
香れよ せめて わが胸に ……

伊藤久男「あざみの歌」

伊藤久男「あざみの歌」(2:57) B面「森の水車」(並木路子)
作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、編曲:只野通泰、コーラス:コロムビア女声合唱団、演奏:コロムビア・オーケストラ
1951年(昭和26年)8月発売 SP盤10インチレコード (78rpm、モノラル)  A-1156 (211679) コロムビア

 1933年(昭和8年)「今宵の雨」で、リーガル(コロムビアの廉価盤レーベル)からデビューした伊藤久男の1951年(昭和26年)発売のシングル。前年、作曲した八洲秀章の歌唱でNHK「ラジオ歌謡」で放送され人気を博したことから、翌年、伊藤久男の歌唱でレコード化され発売。
 デビュー後、タイヘイレコードでは「内海四郎」名義、リーガルでは「宮本一夫」名義、コロムビアでは「伊藤久男」名義でそれぞれ歌っていたが、1935年(昭和10年)「別れ来て」の発売を機に芸名を伊藤久男に統一。戦時歌謡を歌う一方、流行歌歌手としても活躍し、戦後は、「イヨマンテの夜」「あざみの歌」「山のけむり」「たそがれの夢」などや、1953年(昭和29年)の映画「君の名は」の主題歌「君、いとしき人よ」などがヒット。NHK紅白歌合戦にも、1952年の第2回から合計11回出場している。同郷の作曲家、古関裕而の曲も数多く歌っており、今でも使われている「栄冠は君に輝く(全国高校野球大会歌)」(1949年、作詞:加賀大介、作曲:古関裕而)はよく知られている。(本名:伊藤四三男、芸名:伊藤久男、宮本一夫、内海四郎)


 どんな名曲であったとしても、その歌の楽譜を見ているだけでは、誰も感動なんかしません…。人間の声で歌われて、音になることで初めて、名曲は第三者に伝わります。「歌手」とは、「言葉を出せる楽器」であり、「歌の再生マシ〜ン」的なものであるとも言えます。
 楽器である以上、まず問われるのは、その「音色」の良さです。たとえば、バイオリンで同じ名曲を演奏しても、超一流の演奏家の音色で聴けば感動しますが、ヘタクソなヒトの音色では、耳障りな雑音にしかならず、「イイ曲!」などとは思わないでしょう。

 次に大切なのが「正確さ」です。それがすでに名曲なのであれば、楽譜の歌詞とメロディを、音として「忠実に再現」するだけで、名曲として伝わり、聴く人は感動するハズです。

 よく「感情を込めて歌う」というコトを言うヒトが(とくにアマチュアに多く)いますが、ワタシは賛成できません…。「歌に感情はいらない」と思っています。
 だって、すでに名曲なのであれば、歌に余計なチ〜プな感情なんか入れなくても、それを、そのまま忠実に再現するだけで伝わりますもん。

 もちろん、歌っているうちに自然と感情が昂って、感情的な歌い方になったりすることはあります。しかし、意図的に、演出的に「感情を入れて歌う」という必要は全くなく、むしろ、それが逆効果になる可能性の方が大きいのです。
 歌うヒトが、歌に感情を込めれば込めるほど、自己陶酔のような、自己満足のような、ひとりよがりなカンジになってしまい、聴いている方がひいてしまう…、という実にさむ〜いコトにもなりかねません…。よく、カラオケ・スナックで見られる光景です…。
 往年の大ヒット曲を聴きたいと、ベテラン歌手のコンサートに行って、お目当ての曲のイントロが流れて「きたーっ!」って思ったのに、歌が始まったら、フェイクだらけで崩して歌っているのを聞いて、「レコードのとおりに歌ってくれよ〜!」とガッカリした経験を持つヒトも少ないないでしょう…。作曲家も泣いているのではないでしょうか。

 たとえば、NHKのアナウンサーがニュースを読む時、感情を込めたりはしません。悲惨なニュースだからといって、泣きそうな喋り方で読んだりはしませんし、スポーツの日本代表チームが大金星をあげたからといって、コ〜フン気味に読んだりもしません。想像してみてください…、そんなことされたら、間違いなくひくでしょ。
 どんな内容のニュースでも、良い声質で、同じ口調で、内容を伝えようという気持ちで淡々と読むからこそ、聞いている人には、その内容が伝わり、理解することができて、「かわいそうだなあ」とか「スゴイっ!」とか思うのです。

 歌も、基本的には同じです。感情を込めれば込めるほど、伝わらなくなります。伝わらなければ、「音楽再生機能」としての役目は果たせません。
 それは、職業作家が書いた曲の場合だけでなく、ジブンが作った歌をジブンで歌う「シンガー・ソング・ライター」も同じです。単純に、作詞・作曲.歌唱という3人分を勝手にひとりでやっているだけで、それぞれの能力にバラつきがあるヒトもいます。ココで誰とは言いませんが、ジブンが歌うよりも、他の歌手に提供した方の歌が売れるヒトもいます。

 そもそも、音楽とは、自由なモノで、時代や技術の進化にともない、変わっていくものです。音楽に、絶対的な「良い悪い」はなく、「好き嫌い」があるだけです。
 だから、モチロン、歌い方に、ものすごいクセがあったりしても構いません。それは「個性」として認識され、その個性が強ければ強いほど、「すごい好き!」というヒトもいれば、「すごくイヤ!」というヒトも現れます。それは、それで良いのです。
 声だって、必ずしも、透き通ったような「キレイな歌声」である必要もありません。ハスキーボイスが魅力の歌手だったいます…。

 ハナシがそれましたが、つまり、歌手の役割とは、まず「その楽曲を忠実に再生すること」であり、その手段として「魅力的な音色」が求められます。

 昭和初期から戦後、昭和30年代くらいまでは、音大で声楽を学んだ、いわゆるクラシック出身の流行歌歌手がたくさんいました。
 東京音楽学校(東京藝術大学)声楽科を主席で卒業した藤山一郎、同じく東京音楽学校中退の松平晃、東洋音楽学校(東京音楽大学)出身の霧島昇、武蔵野音楽学校(武蔵野音楽大学)出身の近江俊郎と岡本敦郎、そして、帝国音楽学校・声楽科出身の伊藤久男…。大学は行っていないものの東海林太郎も声楽を学んでいます。

 当時は、藤山一郎や伊藤久男ら、音大の学生らが、アルバイトで「レコードの吹き込みの仕事」をやっていたりしました(当時、レコーディング・スタジオは「吹き込み所」と呼ばれていました)。声楽科の優秀な学生は、「楽曲を忠実に再生すること」と「魅力的な音色」という、流行歌に求められる基本的な能力を持っていたためです。もちろん、彼らは、流行歌を歌う時には、決してオペラを歌うようには歌っていません。ちゃんと、大衆音楽として歌っています。

 伊藤久男によって歌われた『あざみの歌』は、どこか戦前の香りの残る、三拍子(6/8 拍子)の流麗なメロディの曲です。この歌詞があったからこそ、自然とこのメロディになったのではないかと思わせるような、情感豊かで品のある厳格な七五調の文体、そして、伊藤久男による心地よいテノールの響き…。流行歌と言いながらも、実に格調高い歌です。明治35年の「唱歌教科書」に登場した『美しき天然』に、どこか似た雰囲気を持っています…。

 えっ?『美しき天然』をご存知ない…? 50代以上なら、絶対に聞いたことのある曲です。チンドン屋さんがよく演奏していた曲なので、どうしてもマヌケなイメージがありますが、実は、ちゃんとした歌詞があり、島倉千代子、芹洋子、ボニー・ジャックスら多くの歌手が歌っているとてもイイ歌で、「日本初のワルツ(三拍子)の曲」とも言われています。

 最初、『あざみの歌』は、昭和21年(1946年)から昭和37年(1962年)まで、NHKラジオ第1放送で16年間放送された人気番組「ラジオ歌謡」の中で、昭和25年(1950年)に放送された曲でした。その時は、作曲をした八州秀章(やしまひであき)自身が歌っていて、リクエストが数多く寄せられたことから、翌年、伊藤久男の歌でレコードが発売されました。
 のちに、岡本敦郎、倍賞千恵子、ダ・カーポ、倍賞千恵子、ダーク・ダックス、石川さゆり、三橋美智也、菅原都々子…から、最近ではフォレスタまで、78人(組)もの歌手やグループにカバーされています。

 ちなみに、作曲の八州秀章は、細川たかしの出身地として有名な北海道虻田郡真狩村(まっかりむら)出身。作曲を独学で学び、その後、山田耕筰に師事しています。真狩村には、「八洲秀章 生誕の地」の石碑があり、役場から毎朝6時に流れるメロディは『あざみの歌』です(ちなみに正午は『山のけむり』、夜9時は『毬藻の歌』)。

 一方、作詞の横井弘は、この『あざみの歌』が作詞家デビューの曲です。その後、三橋美智也『哀愁列車』、春日八郎『山の吊橋』、倍賞千恵子『下町の太陽』、千昌夫『夕焼け雲』などや、このコラムの第7回でも紹介した中村晃子『虹色の湖』などを書いています。
 戦後、復員後に長野県の諏訪で暮らすようになり、下諏訪の「霧ヶ峰 八島高原」で、この詞を書いたため、『あざみの歌』発祥の地として、八島湿原入口に歌碑があります。
 ちなみに、伊藤久男の出身地、福島県の本宮駅前にも『あざみの歌』の歌碑が、伊藤久男の胸像とともにありますし、他にも、下諏訪町歴史民俗資料館の向かいにもあるし、真狩村の羊蹄山自然公園内にもあったりします。

 この歌、本来の歌詞は3コーラスありますが、最初に録音されたバージョンは、3コーラスの中の1番と3番しか歌われていません。昭和26年のレコードは、10インチ(25cm)のSPレコードだったので、片面3分しか収録できなかったということが理由ではないでしょうか。歌詞カードでは、本来の3番が2番とされています。

 その後、昭和39年に発売された、ベスト盤的な4曲入りEPレコード(『イヨマンテの夜』『サロマ湖の歌』『山のけむり』『あざみの歌』の4曲入)の歌詞カードでは、3コーラスの歌詞が書かれていますが、実際には2番は歌われていないので、2番の脇に「吹込まれておりません」などと注釈が書かれています(音源は昭和26年盤と同じモノと思われます)。

 さらに、昭和43年(1968年)には、ステレオで再録音されたりと、伊藤久男の歌で何度か録音されていて、もちろん、3コーラスのフルコーラス(3:48 バージョン)もあります。

 ちなみに、『あざみの歌』が発売された翌年の昭和27年には、伊藤久男の『山のけむり』が発売されましたが、この年の12月、NHKでラジオ第1放送と第2放送のモノラル音声2波を使ったステレオ放送を開始しています。当時は、「ステレオ放送」とは言わず、「立体放送」と言われていました…
 立体放送って…アナタ…
 だいたい、ラジオが2台いるし…。


(2020年2月 西山 寧)

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1964年(昭和39年)発売
伊藤久男「君とともに歌わん」
(7インチ 4曲入りEPレコード)AMM-67