第7回 中村晃子「虹色の湖」(1967年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第7回 中村晃子「虹色の湖」(1967年)

さよならが 言えないで うつむいた あの人
ふるさとの 星くずも 濡れていた あの夜 ……

中村晃子「虹色の湖」

中村晃子「虹色の湖」(2:34) 作詞:横井弘、作曲:小川寛興、編曲:森岡賢一郎
演奏:津々美洋とオールスターズ・ワゴン・プラス・ストリングス
1967年(昭和42年)10月10日発売 7インチシングルレコード (45rpm)  BS-724 ¥330- キングレコード

1963年、高校在学中に『七人の刑事』(松竹)で映画デビューし、1965年、シングル『青い落葉』で歌手デビューした中村晃子の7枚目のシングル。当時、流行っていたGS風のサウンドが特徴。80万枚を超す大ヒットとなり、続く1968年の『砂の十字架』もヒットし、同年、『虹色の湖』で第19回NHK紅白歌合戦に初出場。
オリジナルの7インチシングル盤のジャケットは、赤色ベースに横顔がアップになったものと、黒ベースに座った全身写真の2種類がある(レコード番号は、いずれも BS-724)。森進一、坂本冬美、天童よしみ、石原詢子、徳永英明らがカバーしている。1965年、倍賞千恵子『さよならはダンスの後に』を作詞作曲したコンビによる作品。

 さっき、コンビニでパンを買ってきました…。考えてみると、ほぼ毎日のようにコンビニに通っているコトに気がつきます。そういうヒトが少なくないのではないでしょうか…?
 セブンイレブンの第1号店が豊洲にできたのが、このコラムの第5回で取り上げた『よろしく哀愁』(郷ひろみ)が発売された1974年。それまで、とくに1960年代は、夜や早朝にモノを買う発想は全くありませんでしたし、そもそも、一般的に夜更かしする習慣がありませんでした。

 テレビだって、1965年(昭和40年)から始まった「サバダバ サバダバ〜」の『11PM』まで見たら、もう、あとは砂嵐を待つだけでした。もちろん白黒テレビで(当時、映画はたしかに「白黒」でしたが、テレビは、どちらかと言えば「白青」だったように思いますが…)。ですが、若者はラジオで、1967年に時を同じくして始まった『オールナイト・ニッポン』『パックインミュージック』『ヤングタウン』などの深夜放送を聴いていました。

 だいたい、東京の民放キー局が、カラーの本放送を開始したのが1967年で、ソニーのトリニトロンカラーテレビが発売されたのが1968年、NHK総合テレビが全番組でカラー放送になったのが1971年です。
 1968年ころから1970年代にかけて、各電機メーカーから高性能カラーテレビが出揃い、大量生産で値段が下がったことによって普及しはじめ、1973年に、ようやくカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回りました。

 で、1980年(昭和55年)、セブンイレブンの国内出店数が1,000店を超えたころから、テレビでは深夜番組が続々と登場します。1980年に始まった『トゥナイト』、1983年からは『オールナイトフジ』、バラエティだけでなく、1984年からの『CNNデイウォッチ』などは、深夜0時半からとか、週末には深夜1時半とか2時からというように、かなり遅い時間にまで進出していきました。

 それが今では、一部の地方の民放を除き、いわゆるキー局ではコンビニ同様24時間放送しています。今、振り返れば…、日本人が夜更かしをするようになったきっかけは、「コンビニ」と「テレビの深夜放送」が大きかったのではないでしょうか…。

 そんな『オールナイト・ニッポン』などが始まった1967年(昭和42年)、ツイッギーの来日でミニスカートが大流行し、タカラから『リカちゃん』が発売となり、週間少年漫画誌で『パーマン』『天才バカボン』『あしたのジョー』などが次々と連載開始となりました。
 映画『007は二度死ぬ』のショーン・コネリーのカッコ良さに憧れ、『おしゃれ泥棒』のオードリー・ヘプバーンの美貌に魅了され、『日本のいちばん長い日』(監督:岡本喜八、主演:三船敏郎、黒沢年男)の森師団長役、島田正吾の「帰れーッ!」の迫力ある演技に圧倒されていた…、そんな中、中村晃子は、この『虹色の湖』の大ヒットで一躍有名になりました。

 ミニスカートで踊りながら歌う姿がカッコ良く、どこかナゾめいた雰囲気のある、小悪魔的な色っぽいお姉さんのイメージでした…。まあ、高校在学中に『ミス・エールフランス・コンテスト』の準ミスに選ばれたこともあるくらいですからね…。どうでもいいコトですが、ワタシの中では、当時、由美かおると並んで、色っぽいお姉さんの両巨頭でした…。
 余談ですが、由美かおると言えば、1973年に、上半身ハダカのジャケットという、とんでもないLP盤『炎の女/同棲時代 由美かおるニュー・アルバム 〜素晴らしい大型ポスター付〜』(フィリップス)が発売されています…。『素晴らしい大型ポスター付』までがアルバムタイトルなのかどうかはわかりませんが、今では考えられないですね…、良かったのか、悪かったのか…。

 ハナシを戻します…。グループサウンズブームで、ジャッキー吉川とブルーコメッツの『ブルー・シャトー』が大ヒットし「日本レコード大賞」を受賞したこの年、同年2月には、黛ジュンのデビュー・シングル『恋のハレルヤ』、5月には、美空ひばりの『真っ赤な太陽』と、『虹色の湖』と同じような、GS風のサウンドの曲が多くリリースされていました。
 『虹色の湖』のヒットの経験が、その後、同じキングレコード所属で、翌1968年にデビューしたピンキーとキラーズのデビュー曲『恋の季節』に繋がっていることは、想像に難くありません。

 『ブルー・シャトー』をはじめ、ブルコメの多くの曲の編曲を担当していた森岡賢一郎が編曲を担当し、演奏は、津々美洋とオールスターズ・ワゴン・プラス・ストリングスという本格的なGSの作りにしたコトも、この曲の成功の一因でしょう。
 ちなみに、森岡賢一郎は、ブルコメのほかにも、『想い出の渚』『二人でお酒を』『水色の恋』『小指の想い出』『長崎は今日も雨だった』『君といつまでも』『よろしく哀愁』『わたしの城下町』『瀬戸の花嫁』『忘れな草をあなたに』『逢いたくて逢いたくて』『折鶴』カナダからの手紙』『愛は傷つきやすく』『霧の摩周湖』…などなど数えきれないくらいのヒット曲の編曲を担当しており、まさに、ヒットメーカーで天才編曲家と言えます。

 作曲の小川寛興というヒトは、もともと服部良一の内弟子で、最初は、帝国劇場のミュージカルの作曲をやっていたようです。その後、『月光仮面』『七色仮面』『鉄腕アトム』『快傑ハリマオ』『アフタヌーンショー』『仮面の忍者 赤影』『遠山の金さん捕物帳』『細うで繁盛記』『ママはライバル』『伝七捕物帳』など、歌謡曲よりも、どちらかと言えば、数多くのテレビ番組のテーマ曲の作曲で知られる人です。

 一方、作詞の横井弘は、1951年(昭和26年)伊藤久男の『あざみの歌』で作詞家デビューし、『哀愁列車』『おさらば東京』『山の吊橋』『達者でナ』など、三橋美智也や春日八郎などのヒット曲や、『下町の太陽』『さよならはダンスのあとに』『おはなはん』など倍賞千恵子の代表曲、比較的新しいところでは、千昌夫の『夕焼け雲』なども書いています。
 東京出身ながら、戦争で家を失くし、1年間、長野県の諏訪に住むようになった横井弘は、「これからは好きな詩の道で生きよう」と決心し、湖畔や周囲の山々を歩き、詩作にふけったそうです。
 『虹色の湖』は、その時の諏訪湖を思い出し、漠然とした東京への憧れを『まぼろしの湖』と例えたのかもしれません…。

 『虹色の湖』は、必ずしも都会にあるというワケではないのですね…。

 ホラ、聴きたくなってきたでしょ…? 

(2019年11月 西山 寧)

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1967年のヒット曲 タイムマシン

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