第72回 菊池章子「星の流れに」(1947年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第72回 菊池章子「星の流れに」(1947年)

こんな女に 誰がした ……

菊池章子「星の流れに」

「星の流れに」菊池章子 (3:41″) Key= C
作詞:清水みのる、作曲:利根一郎、編曲:大久保德二郎、伴奏:テイチクオーケストラ
片面「股旅ブルース」(作詞:内海久二、作曲:大久保德二郎、歌:ディック・ミネ)
1947年(昭和22年)10月 発売 10インチ SP盤(MONO)
C-484(C-1177)テイチク

※ その後、再録音された 7インチ EP盤の編曲は、長津義司。
 
映画「肉体の門」(1948年8月、東宝)挿入歌
映画「こんな女に誰がした」(1949年7月、松竹)主題歌

第4回「NHK 紅白歌合戦」(1953年 = 昭和28年)歌唱曲


菊池 章子(きくち あきこ)
 1924年(大正13年)、東京市下谷(現在の東京都文京区本郷)生まれ。本名は、菊池 郁子(きくち いくこ)。
 13歳の時に、『旅笠道中』『野崎小唄』『麦と兵隊』『戦友の唄』(同期の桜)などで知られる作曲家、大村能章(おおむら のうしょう)が主催する「大村能章歌謡学院」に入校。テイチク、ポリドール、コロムビアのテストを受け、いずれも合格。大村の勧めもあり、1937年(昭和12年)にコロムビアの専属となった。
 翌1938年(昭和13年)『噯噯噯』でデビューするも、検閲により発売禁止となり、続く『南京花言葉』も検閲により発売禁止となったことで、正式なレコードデビューは、1939年(昭和14年)9月、15歳の時の『お嫁に行くなら』。
 1940年(昭和15年)4月に封切られた松竹大船映画『暁に祈る』の挿入歌『愛馬花嫁』を ミス・コロムビア、渡辺はま子 と歌いヒット。さらに、霧島昇と歌った『相呼ぶ歌』も立て続けにヒット。1943年(昭和18年)には、松竹映画『湖畔の別れ』主題歌『湖畔の乙女』がヒット。
 東洋音楽学校(現 東京音楽大学)で声楽を学び、1945年(昭和20年)3月に卒業。1946年(昭和21年)、サックス奏者で作・編曲家の大久保徳二郎と結婚したことを機に、所属していたコロムビアを離れ大久保の所属するテイチクに移籍。1947年(昭和22年)に発売となった『星の流れに』が、1949年にかけてヒット。さらに、1954年(昭和29年)9月に発売された『岸壁の母』がヒット。
 NHK「紅白歌合戦」には、1951年(昭和26年)の第1回から出場し、1957年(昭和32年)の第8回までの間 計6回出場。
 2002年(平成14年)4月7日、心不全で死去。享年79。妹は、1961年(昭和36年)、和田弘とマヒナスターズとデュエットした「北上夜曲」のヒットで知られる歌手の多摩幸子(たま ゆきこ)。


恨み節ながら、品のいい お洒落な アレンジと 歌唱!
多くの人が感じていた不条理を歌った キャッチーな歌詞で ヒット!
最初は、クレームが入り 宣伝を自粛……


 林家木久扇(黄色い人、ラ〜メンも売ってる)が、たま〜に『笑点』で「♪こ〜んな〜 おんなに〜 だ〜れ〜が〜した〜」って歌っているアノ曲です……。
 
 戦後、1947年(昭和22年)10月に発売され、翌1948年〜1949年ころにかけてヒットしました。菊池章子によるオリジナルのほかに、美輪明宏、江利チエミ、藤圭子、倍賞千恵子、浅丘ルリ子、島倉千代子、青江三奈、ちあきなおみ、美空ひばり、高橋真梨子、八代亜紀、石川さゆり、石原裕次郎、フランク永井、矢吹健、美川憲一 …… ら、これまで60人以上にカバーされている名曲です。
 
 『星の流れに』というロマンティックな曲名ですが、歌詞の内容は、戦争によって人生を狂わされた女性たち……、当時「パンパン」と呼ばれていた街娼たちの恨み節です。
 
 『星の流れに』と、歌い出しの一節が曲名になっていますが、もともとは、『こんな女に誰がした』という曲名になるはずでした。一度、聴けば、毎コーラスの最後のメロディ「♪こんな女に誰がした」が耳に残って覚えてしまいます。だから、誰が考えても、満場一致で曲名は『こんな女に誰がした』が適当です。
 
 それが、どうして変わってしまったのかと言うと、当時、「GHQ」内の部局「CIE」(Civil Information and Education Sectionn 民間情報教育局)の検閲にひっかかって、「反米感情を煽る恐れがある」との理由で、曲名の変更を求められたからです。
 
 ちなみに、終戦直後の1945年(昭和20年)12月31日に、NHKラジオで、今の『紅白歌合戦』のプロトタイプとなったラジオ番組が放送されていますが、この番組名も、最初は『紅白歌合戦』だったのが「CIE」の検閲にひっかかり、『紅白歌試合』となりました。さすがに、「合戦」(battle)はマズイということになり、「試合」(match)となったそうですが、「試合」って……アナタ……。で、1951年(昭和26年)になって、ようやく『紅白歌合戦』が認められ、1月3日に(最初は大晦日じゃなかった)第1回の『紅白歌合戦』が放送されたというワケです。閑話休題。
 
 で、この曲、『星の流れに』には、曲名が変更されたのとは別に、もうひとつ有名なエピソードがあります。
 
 もともとは、菊池章子 ではなく、当時「ブルースの女王」として地位を築いていた 淡谷のり子 が歌うハズだったのです。しかし、淡谷のり子 に「私、こういう歌、嫌い……、パンパンの仲間と見られるような歌は歌いたくない」というようなことを言われ、断られてしまったのです。

 淡谷のり子 の言い分としては、「パンパンに転落したのを、他人のせいにしてフテくされるのはおかしい。自分が弱いからそうなったんじゃないの?」というようなコトを言っていたそうですが、それはそれでもっともです……。
 
 淡谷のり子は、戦時中、慰問で歌う時、敵国の文化の象徴だったドレスで歌い、時には、憲兵から剣を突きつけられることもあったそうです。そんな時には「殺しなさいよ!私が死んで戦争に勝てますか?」と啖呵を切ってみせたというエピソードがあるほどのヒト……。立派です。ハラが座っています。それほどのヒトだから、「自分のせいじゃないの?」というコトも言えたのです……。
 
 でも、人間、強いヒトばかりではありません。今も昔も、ちょっとしたことで、流されてしまうのが人間です……。本来、人間は不完全なものですし、人は弱いものです。一度も失敗をしない人はいないし、たった一度の失敗が、人生に大きな影響を及ぼすこともあります……。
 
 でも、淡谷のり子は、後年、菊池章子を妹のように可愛がっていたそうです。
 
 そもそも……、戦争とは、兵士が死ぬだけではありません。民間人も死にます。死ななかったとしても、様々な苦しみを多くの人にもたらします。空襲で家を焼かれた人、戦争未亡人、戦争孤児、大陸から逃げてきた人……。この『星の流れに』は、街娼の恨み節ではありますが、街娼でなくても、それを自分の身に置き換えて聴いた人は少なくなかったと思われます。
 
 戦争によって人生を狂わされてしまうという不条理は、多くの人が感じていたことだったからです。
 
 とは言え、発売当初は、レコード会社も「こんなパンパンの歌が売れるのか?」と懐疑的でしたし、実際、奈良県の教育委員会から「詩の内容が社会教育的にいかがなものか!」と発売自粛を訴えられ、テイチクも宣伝を自粛。結果、ラジオでもあまりかけてもらえず、すぐにヒットすることはありませんでした。
 
 しかし、発売の翌年、1948年8月に公開された映画『肉体の門』(東宝)の挿入歌となり、さらに、その翌年、1949年7月に公開された映画『こんな女に誰がした』(松竹)の主題歌にもなったことで、ラジオから流れることも増え、広まっていったそうです。ちなみに、映画『肉体の門』の主題歌は、この『星の流れに』を作詞した 清水みのる による『あんな女と誰が云う』です……。
 
 いずれにしろ、ちょうどこの頃にヒットしていた『リンゴの歌』(1945年、並木路子・霧島昇)、『東京ブギウギ』(1947年、笠置シヅ子)、『青い山脈』(1949年、藤山一郎・奈良光枝)など、いわゆる「戦後を元気づけた歌」と言われる曲とは、あきらかに一線を画す異色の歌だったことは間違いありません。
 
 ロマンティックな歌でも、夢や希望を歌った歌でもありませんが、当時、多くの人が感じていたであろう不条理が描かれたこの歌は、身近に感じられる歌で、単純に夢や希望を歌った浮世離れした歌よりも、人々に寄り添うような曲だったのかもしれません……。
 
 そして、1953年(昭和28年)第4回『紅白歌合戦』では、この『星の流れに』が歌われました。ちなみに、菊池章子は、紅白には、1951年(昭和26年)の第1回から出場しており、これが3回目。通算では 6回出場しています。
 
 この曲がヒットした理由は、いくつかありますが、そのひとつに、「マイナー調でなく、メジャー調だったから」ということもあるのではないでしょうか……。あえてメジャー調にしたからこそ、より、その切なさが伝わってきます。恨み節の歌詞に、くら〜いメロディでは、重すぎてここまで広まらなかったかもしれません……。『朝日楼』みたくなってしまうと重すぎます。後の『ガード下の靴みがき』(1955年、宮城まり子)もメジャー調だったから売れたのではないでしょうか……。
 
 そして、なにより、菊池章子の歌唱が魅力的です。過剰に感情を込めず、自然体で淡々と歌っているからこそ、その言葉の内容や裏側にある気持ちが伝わってきます。日本語の発音も綺麗だし、声楽を学んだだけあって、歌唱に品があります。
 
 この当時の流行りだったジャズ・アレンジも、品があって、お洒落で、いい雰囲気です。コレも、『胸の振子』(1947年、霧島昇)も同じような雰囲気ですね〜……。ちなみに、『星の流れに』の最初の編曲は、1946年(昭和21年)に結婚したダンナの大久保德二郎によるもの。
 
 もしも、「♪こんな女に誰がした」を、やさぐれて歌ったり、クラ〜イ曲調やアレンジにしたりしてしまっていたら、これほど、広まることはなかったのではないでしょうか……。明るいメジャー調で、お洒落なジャズアレンジ、そして、品のいい歌唱だったからこそ、マレーネ・ディートリッヒの『リリー・マルレーン』のように、より広く、多くの人に伝わったのでしょう……。
 
 その後、菊池章子は、1954年(昭和29年)に発売された『岸壁の母』がヒットしています。のちに、二葉百合子がセリフを付け、歌謡浪曲にしたバージョンが 1972年に発売され、約20年後にふたたびヒットして有名になったアノ曲です……。
 
 で、この『星の流れに』を作ったのは、作曲が、『星影の小径』(小畑実)、『ミネソタの卵売り』(暁テル子)、『ガード下の靴みがき』(宮城まり子)、『若いお巡りさん』(曽根史郎)、そして、橋幸夫の『雨の中の二人』や『霧氷』などを書いた 利根一郎。
 
 作詞は、戦前の1939年(昭和14年)田端義夫のデビュー曲『島の船唄』をはじめ、戦後の『かえり船』『ふるさとの燈台』など田端義夫のヒット曲や、『森の水車』(並木路子)、『月がとっても青いから』(菅原都々子)、『雪の渡り鳥』(三波春夫)などを書いた 清水みのる によるもの。
 
 この 清水みのる というヒトは、日本ポリドール蓄音器(現 ユニバーサル ミュージック)に入社して、社員として働きながら作詞家も始めたそうです。1939年(昭和14年)に、田端義夫のデビュー曲『島の船唄』の作詞を手がけたその年に、陸軍に入隊し出征していますが、幸い生き延びて復員し、戦後は、テイチクレコードに入社。そして、ある新聞記事を目にしたことで、この『星の流れに』の歌詞が書かれます。
 
 1946年(昭和21年)8月29日の「東京日日新聞」(現 毎日新聞)の「建設」という投書欄に、「長谷乙女」を名乗る21歳の女性からの「顛落(転落)するまで」という投書が掲載されました。満州の奉天で看護婦をしていたこの女性は、この年の3月に着のみ着のままで引き揚げてきたものの、戦争で家も家族も失い、遂には街娼になってしまった……という顛落(転落)の経緯が書かれていました。
 
 地獄のような戦地で、悲惨な光景を目の当たりにしてきた 清水みのる は、これを読んだ時、きっと「戦争は終わったのに、なぜ、またこんなに悲しいことが起きるのか……」という思いだったことでしょう……。当時、上野の街を歩き回って、この女性の面影を探し、『星の流れに』の歌詞を書いたそうです。
 
 この曲がヒットした後、清水みのる は、「いくばくかでも印税を渡したい」と、マスコミの協力も受け、この投書をした「長谷乙女」なる女性を探したそうですが、見つかることはありませんでした。もちろん、名乗り出るはずもありません……。
 
 戦争ほど悲惨で残酷なものはありません。誰にとっても得はなく、ただ不幸があるだけです。それでも、人間とは愚かなもので、21世紀になった今でも戦争がなくなりません……。
 
 どこの国でも、人を殺せば殺人罪になります。戦争なら殺人が許されるのでしょうか?
 
 「非人道的な兵器」という言葉がよく使われますが、では、「人道的な兵器」というものがあるのでしょうか? 銃で一瞬で撃ち殺せば人道的なのでしょうか? 「戦争犯罪」とは何なのでしょうか?
 
 なによりも怖いのは、普通の人が、戦時には考えられない残酷なことをしてしまったりすることです。

 戦争は、人を狂気に変えます。戦う人だけでなく、その周りにも不幸が襲います。単純に「加害者」と「被害者」というだけでなく、もっと複雑で根深い問題も引き起こし、いつまでたっても癒されない心の傷を残します。
 
 山口放送が制作し、2017年に「第13回 日本放送文化大賞テレビ・グランプリ」を受賞したドキュメンタリー番組『記憶の澱(おり)』というドキュメンタリー番組には、そんな見ているのも辛くなるような証言で、戦争の本質が描かれています。
 
 「憎しみ」というのは、つらい感情です。しかし、憎む対象がいて、単純に「憎い」というだけなら、時間もかかるし難しいことではありますが、「赦すこと」で多少は和らぎます……。

 今でも、国と国との戦争だけでなく、アジアでは内戦も続いています……。
 
 高石友也らの歌で知られる『死んだ男の残したものは』(作詞;谷川俊太郎、作曲;武満徹)ほどストレートではありませんが、『星の流れに』は、そんな戦争の本質が描かれた反戦歌です。
 
 「こんな女に誰がした」という歌詞は、「こんな世の中に誰がした」と置き換えられます。


(2022年4月16日 西山 寧)



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収録CD『ゴールデン☆ベスト 菊池章子』(2011年)テイチクエンタテインメント

配信『菊池章子ゴールデンソングス』mora


菊池章子 レコード会社 テイチクエンタテインメント


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