イルカ「なごり雪」
「なごり雪」イルカ (3:37) Key= F
作詞:伊勢正三、作曲:伊勢正三、編曲:松任谷正隆、レコーディングエンジニア:山崎聖次
ディレクター:外村幸二、プロデューサー:陣山俊一、寺本幸司、佐藤継雄
1975年(昭和50年)10月2日 録音 B面「ラバーボール」(作詞/作曲:イルカ、編曲:石川鷹彦)
1975年(昭和50年)11月5日 発売 EP盤 7インチシングルレコード (45rpm、STEREO)
¥600(※) ZP-10(CSS-4735-A) PANAM / クラウンレコード(日本クラウン)
オリコン 週間チャート 最高位 4位
オリコン 1976年度 年間チャート 11位
ピアノ:松任谷正隆
アコースティックギター:吉川忠英
エレキギター:鈴木茂、
ベース:後藤次利
ドラム:村上秀一
<アルバム バージョン (同日発売)>
イルカ 2nd Album「夢の人」収録
1975年(昭和50年)11月5日 発売 LP盤
B面 2曲目「なごり雪」(3:18)(作詞:伊勢正三、作曲:伊勢正三、編曲:石川鷹彦)
GW-4016 PANAM / クラウンレコード
<オリジナル バージョン>
かぐや姫 3rd Album「かぐや姫 第4集 三階建の詩」収録曲
1974年(昭和49年)3月12日発売 LP盤
B面 3曲目「なごり雪」 Key= D (作詞:伊勢正三、作曲:伊勢正三、編曲:瀬尾一三)
GW-4008 PANAM / クラウンレコード
オリコン アルバム 週間チャート 最高位 1位
オリコン 1974年度 年間チャート 5位
(※)手元にあるのは ¥600 ですが、もしかしたら、ファーストプレスは¥500 だったかもしれません。
イルカ
東京都出身、1950年12月生まれ。本名は、神部 としえ。
女子美術大学在学中からフォークグループを結成。後にプロデューサーで、かつ夫にもなる神部和夫(1972年に結婚、2007年に他界)が率いるフォークグループ「シュリークス」に加入し、1971年のシングル「君の生まれた朝」でデビュー。
その後、1974年に『あの頃のぼくは』でクラウンレコードより、イルカとしてソロデビュー。翌 1975年に発売された 3枚目のシングル『なごり雪』が大ヒットし、シンガーとしての地位を確立。その後、「雨の物語」「海岸通」や、自身で作詞作曲した「いつか冷たい雨が」「サラダの国から来た娘」「FOLLOW ME」「あしたの君へ」「まあるいいのち」など、ヒット曲多数。
シンガーソングライターとしての活動にとどまらず、絵本作家、エッセイストなどとしても活躍。自然保護や環境問題の活動にも積極的で、2004年には、IUCN 国際自然保護連合の初代親善大使に任命されている。さらに、2010年には、母校である女子美術大学、芸術学部、アートプロデュース表現領域の客員教授に就任するなど、活動は多岐にわたる。
1992年(平成4年)の 第43回 NHK 紅白歌合戦に初出場し「なごり雪」を歌唱している。
かぐや姫の伊勢正三が初めて世に出した曲!
45年以上経っても歌い継がれる国民的スタンダードに!
イルカのカバーが、オリジナルを超え、時代を超えた曲になったのは、
松任谷正隆による フォークソングじゃないアレンジ ……!?
『なごり雪』というと、ある一定の年齢以上の方の中には、「やっぱりイルカじゃなくて、しょ〜やん(伊勢正三)なのよね〜」と言うヒトも少なくありませんし、「しょ〜やんやろ!」と怒り出すヒトだっているかもしれません……。
ワタシも、しょ〜やんの歌う「かぐや姫」バージョンの『なごり雪』は好きです。なんと言っても、作った本人にしか持ち得ない説得力がありますし、当時の素直でさわやかなカンジもイイですし、わりと最近のエモ〜ショナルで味のあるカンジも好きだったりします……。
でも、一般的に、『なごり雪』が テレビなどで紹介されるときは、まずイルカの方ですし、45年以上経った今でも歌い継がれているのは、やはりイルカのバージョンがあったからでしょう。
なので、今回は、イルカの『なごり雪』です。
と言うか……、そもそも、このコラム「なつ歌詞」では、あんまり有名な曲よりも、どちらかと言えば、「知る人ぞ知る」とか、「隠れた名曲」とか、「代表曲ではないけどファンには抜群の人気の曲」な〜んかを取り上げるようにしています……、基本的には……。
だって、誰でも知っているような大ヒットした曲は、今さらあれこれ言わなくても、もうみなさんよくご存知でしょうし、ワタシなんかよりも、ずっと詳しいヒトもいたりするからです。
とは言っても……、実際は、このコラムで、太田裕美『木綿のハンカチーフ』とか、尾崎紀世彦『また逢う日まで』とか、すごく有名な曲もよく読まれているようですし、加えて、今回、若い方からと思われるリクエストで「イルカの『なごり雪』を詳しく知りたい」な〜んてリクエストをもらったりしたので、俄然、やる気になって『なごり雪』を選んだと言う次第です。
ちなみに、このコラム「なつ歌詞」で、これまでよく読まれているベスト10は、こんなカンジです。
1位 第36回 ハニー・ナイツ「ふりむかないで」(1972年)
2位 第53回 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975年)
3位 第35回 アン・ルイス「リンダ」(1980年)
4位 第63回 さだまさし「案山子」(1977年)
5位 第15回 サザンオールスターズ「Ya Ya あの時代を忘れない」(1982年)
6位 第19回 伊藤久男「あざみの歌」(1951年)
7位 第49回 尾崎紀世彦「また逢う日まで」(1971年)
8位 第51回 松田聖子「白いパラソル」(1981年)
9位 第62回 河合奈保子「デビュー 〜Fly Me To Love」(1985年)
10位 第52回 ザ・サベージ「いつまでも いつまでも」(1966年)
ついでですけど……、暁テル子『ミネソタの卵売り』を このコラムの第50回で書いたところ、ウィキペディアには、なんだかワタシが勝手な持論を展開しているように書かれていますが……、その通りです……。でも、あながち的外れでもないかと……。閑話休題。
さて、イルカの『なごり雪」……、何回聴いても感動できる、飽きのこない名曲です。歌詞には「汽車」なんていう、今の若者なら絶対に口にしない言葉が出てくるにもかかわらず、古さも感じさせません……、45年以上も前の曲なのに。
まず、イルカの『なごり雪」が発売された 1975年(昭和50年)が、いったいどういう年だったかと言うと、3月に、山陽新幹線が博多まで開通して「ひかり」が、東京〜博多間の直通運転を開始した年でした。
4月には、ザ・ピーナッツが NHKホール での「さよなら公演」で解散し、日本から世界的に売れていったと言われているイギリスのロックバンド「クイーン」が初来日。
5月には、ソニーが初の家庭用ビデオテープレコーダ「ベータマックス」を発売し、6月には、小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるが「フォーライフ・レコード」を設立、7月には「沖縄国際海洋博覧会」が開催、11月には、西城秀樹が日本人のソロ歌手として初となる日本武道館でのコンサートを開催……。
世界に目を向けてみると、イギリスではマーガレット・サッチャーが保守党で初の女性党首になって、サイゴン陥落でベトナム戦争が終結……、てな年が 1975年。
桂三枝の「オヨヨ」とか、『ガキデカ』の「死刑!」なんて言うのが流行っていて、「ベルばら」ブーム、「スーパーカー」ブームの年でもありました。
「1970年代」というのは、ホントに音楽が豊かだった時代で、今に残る名曲がたくさん生まれた時代でした……、いい時代です。
この年、1975年(昭和50年)も例に漏れず、「レコ大」の大賞は『シクラメンのかほり』(布施明)、最優秀歌唱賞は『千曲川』(五木ひろし)、最優秀新人賞は『心のこり』(細川たかし)。
ほかにも、こ〜んなに名曲がたくさん出た年でした。
<1975年 に発売された曲>
さくらと一郎『昭和枯れすゝき』
布施明『シクラメンのかほり』
小坂恭子『想い出まくら』
沢田研二『時の過ぎゆくままに』
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』『カッコマン・ブギ』『スモーキン・ブギ』
岩崎宏美『ロマンス』
風『22才の別れ』
細川たかし『心のこり』
かまやつひろし『我が良き友よ』
桜田淳子『十七の夏』『はじめての出来事』
バンバン『『いちご白書』をもう一度』
野口五郎『私鉄沿線』『甘い生活』
西川峰子『あなたにあげる』
西崎みどり『旅愁』
五木ひろし『千曲川』
敏いとうとハッピー&ブルー『わたし祈ってます』
山口百恵『夏ひらく青春』
伊藤咲子『木枯しの二人』
内山田洋とクール・ファイブ『中の島ブルース』
キャンディーズ『年下の男の子』
甲斐バンド『裏切りの街角』
郷ひろみ『誘われてフラメンコ』
太田裕美『雨だれ』『木綿のハンカチーフ』
江利チエミ『酒場にて』
アリス『今はもう誰も』
グレープ『無縁坂』
北原ミレイ『石狩挽歌』
内藤やすこ『弟よ』
中島みゆき『時代』
荒井由実『ルージュの伝言』『あの日にかえりたい』
都はるみ『北の宿から』
小林旭『昔の名前で出ています』
子門真人『およげ!たいやきくん』(1975年12月25日発売、オリコン 1976年度 年間1位)
ねっ、スゴイでしょ。
アルバムでは、井上陽水、小椋佳、よしだたくろう、かぐや姫……といったフォーク系が人気で、中でも、1973年12月にリリースされた井上陽水の3枚目のアルバム『氷の世界』が日本のアルバム史上初のミリオンセラー(100万枚)を記録したのもこの年。
一方、洋楽も邦楽と同じように売れていた時代で、カーペンターズ、スリー・ディグリーズ、オリビア・ニュートン=ジョン、ポール・マッカートニー&ウイングス、ジョン・レノン、エルトン・ジョン、エアロスミス、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ 、エリック・カルメン、KC&ザ・サンシャイン・バンド 、ピンク・フロイド、ブルース・スプリングスティーン、バッド・カンパニー……、ジグソー 『スカイ・ハイ』などが人気で、あのクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』が発売されたのもこの年です。
なんてったって、「電車」のコトも「汽車」って言っていた時代ですから、改札の駅員さんは、モ〜レツなスピ〜ドでキップにはハサミを入れてましたし、電話と言えば重い黒電話、洗濯洗剤はモチロン粉で箱は巨大、八百屋のお釣りは吊るされた緑のカゴ、五百円は硬貨ではなく岩倉具視の青っぽいお札、写真は現像とプリントが出来るまでは見ることができず、書店やレコード店では、お目当てじゃないモノとの偶然の出会いがあったころです……。ピンクのダイヤル式に代わって、黄色のプッシュ式100円公衆電話機が登場したのもこの年でした。そう言えば、新幹線や在来線特急には、食堂車なんていうステキなモノもありましたっけ……。
さて、いつものように前置きが長くなりましたが……、もともと『なごり雪』という曲は、1973年に発売された『神田川』の大ヒットで、当時、大人気だった 3人組フォークグループ「南こうせつとかぐや姫」のメンバーだった「しょ〜やん」こと 伊勢正三 が 作詞・作曲して「かぐや姫」で 歌っていた曲です。
実際、発売されたのも「かぐや姫」の方が先で、イルカの『なごり雪』の約 1年8ヶ月ほど前、1974年(昭和49年)3月12日に発売された「かぐや姫」の 3枚目のアルバム『かぐや姫 第4集 三階建の詩』の B面 3曲目に収録されていました。
ちなみに、このアルバム『三階建の詩』は、オリコンの週間アルバムチャートで 1位になり、その年の年間 5位にも入るという大ヒット。だから、「かぐや姫の方を先に聴いて好きになった」というヒトも相当いるワケで、そういうヒトたちの多くが、「やっぱ しょ〜やん なんだよね〜」ってコトになるのは当然です。やっぱり、最初に好きになった方が強いです……。
それを、イルカがカバーして、翌年 1975年 11月に シングルとして発売したところ、翌 1976年にかけて大ヒットし、オリコンの 1976年度 年間11位にも入るほど。
ご存知のように、イルカも、自分で作詞作曲をするシンガーソングライターで、『いつか冷たい雨が』とか『まあるいいのち』とか『サラダの国から来た娘』とか、イイ曲をたくさん書いています。
じゃあ、「なんでイルカがカバーすることになったのか?」という疑問を持たれるかと思いますが……、それは、またあとで書くとして……、まずは、「かぐや姫」の方のハナシから……。
もともと、「かぐや姫」のアルバム収録曲だった『なごり雪』ですが、「かぐや姫」ファンの間では、「シングルカットして欲しい」という声が多く出るほど人気の曲でしたし、「かぐや姫」のリーダーだった 南こうせつ も、『なごり雪』か、同じく伊勢正三が書いてアルバム『三階建の詩』に収録されていた『22才の別れ』を次のシングル候補曲として考えていました。
ちなみに、『なごり雪』は、伊勢正三が、プロとして 初めて作詞・作曲した曲で、『22才の別れ』(オリコン 1975年度 年間7位)は 2番目に作った曲だったりしますから、その才能には、ホントに驚かされます。
ちなみに、歌詞は「かぐや姫 」でデビューしたころから書いています。南こうせつ、しょ〜やん、山田パンダ の 3人 での 第2期「かぐや姫」のデビュー曲『青春』は、作詞:伊勢正三、作曲:南こうせつ です……。
『なごり雪』『22才の別れ』の 2曲とも、アルバム『三階建の詩』のために書かれた曲で、リーダーの南こうせつが「作詞作曲の印税が他のメンバーにも入るように」と、メンバーの山田パンダと伊勢正三にも曲を書くように求めたからだそうです。やさしいですね〜。
それに……、自主的に書きたくて書いたのではなく、南こうせつの、その一言で、ある種、強いられて書いたコトが、名曲誕生のきっかけになるだなんて……、世の中、ホントにわかりませんね〜。
でも、結局、レコード会社の意向もあり、「かぐや姫」の次のシングルが『赤ちょうちん』になったことで、『なごり雪』も『22才の別れ』も「かぐや姫」としてシングル化はされず……。
その後、7枚目のシングル『妹』を最後に、イルカの『なごり雪』がリリースされる約半年前の 1975年4月12日、東京神田共立講堂で行われた解散コンサートで「かぐや姫」は解散してしまいます。
ちなみに、1974年10月にソロ・デビューしたイルカですが、デビュー曲『あの頃のぼくは』は、伊勢正三の作詞・作曲ですし、その後、『なごり雪』のあとにも、『雨の物語』『海岸通』などのイルカのヒット曲も伊勢正三の作詞・作曲だったりします……。
『なごり雪』にまつわる「かぐや姫」とイルカの関係を時系列でまとめると、こんなカンジです。
・1974年03月 かぐや姫、『なごり雪』収録の 3rdアルバム『三階建の詩』発売
・1974年10月 イルカ、シングル『あの頃のぼくは』でソロデビュー
・1975年04月 かぐや姫、解散
・1975年11月 イルカ、3rd シングル『なごり雪』発売
歴史に「IF」はナンセンスだと思いますけど……、もし「かぐや姫」が、当時、『なごり雪』をシングルカットしていたら、イルカは『なごり雪』を出していたでしょうか……?
もちろん、名曲であるコトに疑いの余地はありませんが、もしもその場合、45年以上経った今でも歌い継がれる、誰もが知るエバーグリーンな曲になっていたでしょうか……? 世の中、ホントにわかりませんね〜。
もっと言うと……、もしイルカが『なごり雪』を歌わなければ、もしかしたら「かぐや姫ファンには抜群の人気の曲」としてしか知られていない曲になっていたかもしれません……。
イルカがカバーしたことで、『なごり雪』は、「かぐや姫」ファンのみならず、広く聴かれるようになったことは事実です。のちに、伊勢正三も、「この曲は、イルカさんが歌う運命だったのだと思いますよ」と話しています。
では、どうして、イルカの『なごり雪』の方が有名になったのでしょう……?
と、その前に、超名曲という大前提の部分、伊勢正三が作った詞と曲について、まず考えてみます。
この曲、そもそも構成がシンプルで、「A – A’ – B – C」(テーマ、前サビ、サビ)で、それぞれが 4小節ずつ、ワンコーラスで 16小節しかありません。名曲の多くは、シンプルで覚えやすいものです。
まず、メロディですが、1990年代以降や、最近の J-POP のように、強いインパクトを与えるような極端な音の跳躍がないのが特徴です。
あくまでも、言葉(歌詞)がメインで、たとえば、Aメロの歌い出しなどは、「♪(汽車)を待つ君の横でボ(ク)は」と、ともすると「お経」のように同じ音が 10音も続きます。
サビの「♪春がきて〜 きみ〜は〜」も大きく動くことはなく、移動ドで言うと「♪ミレミレミ〜 レミ〜レ」と二度の動き、隣の音にしか行っていません。
音の跳躍が少ない分、覚えやすく、言葉がよく聴こえてきます。
でも、Bメロの「♪なごり雪も 降るときを知り」では、お経のような Aメロから一転、「なごり」「ゆきも」「ふる時」「を知り」と、3音ずつのリズミックなメロになっていて、かつ、「ふざけ すぎた」のところでは、日本人の心の琴線に触れる音に行っていて、グッときます。
と、分析するとそうですが、当時、しょ〜やんが、そういう計算をして作っていたワケではなく、感覚的に作ったのでしょうから、そのセンスたるや、素晴らしいとしか言いようがありません。
そして、歌詞の方はと言えば、言わずもがな。言えば言うほどヤボですが……、情景が浮かぶ、別れの切なさが見事に表現されている歌詞です。時の流れの儚さ、それまで当たり前だったものが、気づかないうちに変わっていってしまう……、無意識に永遠に続くものと思っていたことが間違いだという現実に気付いてしまった瞬間……。
基本的には、具体的な情景描写で進行しますが、説明しすぎていない分、いろんな解釈ができることで、聴いたヒトが、それぞれ無意識に自分の経験とオーバーラップさせてしまうことで、強く共感できる歌詞です。
歌詞にも出てきますが、『なごり雪』という曲名の付け方も見事です。もともと「なごり雪」などという言葉はなく、「名残の雪」(なごりの雪)が正解です。
当時は、「そんな日本語はない!日本語が乱れる!」とか言われたコトもあったようですが、2013年には、日本気象協会が選んだ『季節のことば36選』にも『なごり雪』は選ばれています。
いずれにしろ、「名残の雪」と「名残がある気持ち」「名残惜しさ」をかけた、うまいタイトルです。
歌詞のシチュエーションは、どこかの田舎へ帰るための汽車に乗る東京の駅ですが、大分県津久見市の出身だった伊勢正三は、田舎の「津久見駅」をイメージして作ったそうです。
2010年には、「津久見駅」に『なごり雪』の歌碑が建てられ、もちろん、ホームの発車音も『なごり雪』です(最下部に、YouTube を付けておきます)。
この曲が作られた時、東海道・山陽新幹線は、まだ、東京〜岡山間しかなくて、当然、東北新幹線など存在せず、九州や青森には、ブルートレイン(夜行列車)がよく使われていたころです……。
『なごり雪』は、たとえば、さだまさしの『案山子』(かかし)や、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』のような、物理的にも地方が遠かったということを感じさせる歌です。
実際、伊勢正三も、ブルートレインに乗って上京したと言いますし、そういう「地方出身者ならでは」とも言える感性と説得力を持った歌詞で、「別れ」という誰もが経験するシーンの、誰もが経験する「切なさ」が描かれています……。
というように、曲も詞も素晴らしい「超名曲である」という大前提のもと、なぜ「かぐや姫」ではなく、イルカの『なごり雪』の方が有名になったのか? という理由を考えてみます……。
その答えは、3つあります。
まず、ひとつ目の理由は、イルカの方が「シングル盤だったから」です。
当時は、レコードがよく売れていた時代で、シングルだけでなく、LP もよく売れていましたが、それでも、やっぱり「アルバムはファンが買うもの」で、シングルは、ファンも買うけど、ファンでなくても「その曲を好きになったヒトが買うもの」でした。売る方のレコード会社も、10曲入ったアルバムを売るよりも、シングルの1曲の方が、はるかに宣伝しやすいものです。
たしかに、『なごり雪』が収録された「かぐや姫」のアルバムは、オリコンのアルバムチャートで年間 5位になるほど売れましたが、それは、あくまでも「かぐや姫」ファンがそれだけいたというコトで、イルカの方はシングル盤だったため、「かぐや姫」ファンでなく、単純に、広く一般的に売れたというコトです。
しか〜し! もちろん、ただシングル盤だったから売れたワケではありません。2つ目の理由は「イルカの歌声」です。
一般的に、ヒット曲となるための一番の要素は、まず「歌声」です。単純に「発声がいい」とか「声がいい」とかそういうコトではなくて、クラシックとは違い、ポップスの場合「特徴的な声か?」「耳に残る声か?」というコトが大事です。
そもそも、歌は、まず耳で聴くものですから、「歌声が耳に入ってくるかどうか」は絶対条件です。有名歌手になった人の多くが特徴的な声で、たとえば、街でふと耳にした時でも、誰の歌かわかったりするものです。
そういう意味で、イルカの『なごり雪』の歌声は特徴的です。ちょっとハナにかかった歌声そのものも魅力的ですが、何より、低いキーで語るように歌っていることが特徴的です。なにしろ、Aメロでたくさん出てくる最低音は「F」(ファ)の音で、女性ボーカルの曲では、あんまり使われない音です。
もともと、イルカのキーが低いというコトもあるとは思いますが、でも、この落ち着いた低い声で、しかも、言葉はクリアだし、明るい響きの歌声で歌われたことで、より説得力を持って、聴く人に歌詞の世界が伝わったのではないでしょうか……。
もちろん、音楽は「好み」の世界なので、「声が大好き」というヒトがいれば、必ず「声がキライ」というヒトもいるかと思います。
世の中の多くのヒトが「エビ好き」なのに対し、ワタシが「エビ嫌い」なのと同じです(アレルギ〜ではなく、味がキライです)。
でも、だからと言って、エビが悪いワケではないし、声が悪いということにもなりません。どっちがイイとかワルイではなくて、あくまでも「好き嫌い」の世界です……。
たしかに、伊勢正三のやさしい歌声の『なごり雪』もサラリとしていて伝わってきますが、イルカの『なごり雪』の歌声は太く、なにか「言葉の強さ」を感じます。その「強さ」が、説得力となっている気がします……。
さて、「超名曲である」という大前提のもと、イルカの『なごり雪』の方が有名になった理由のひとつ目が「シングル盤であったこと」、2つ目が「イルカの歌声」……、そして、最後、3つ目は、「ドラマティックなポップスアレンジだったこと」ではないでしょうか……。
イルカの『なごり雪』は、まるでハラハラと雪が降るような、イントロの 8分音符のピアノから、おしゃれで、雰囲気があって、印象的です。
このシングルのアレンジをしたのは、ユ〜ミンのダンナとしても知られる、今では大御所の編曲家でキーボーディスト、音楽プロデューサーの松任谷正隆です……、なんと、当時 23歳。
この誰もが耳にしたことのある イルカのシングル『なごり雪』のアレンジは、もともとの「かぐや姫」の『なごり雪』のアレンジとはゼ〜ンゼン違うのです……。
しかも、ヤヤコシイのですが、実は、イルカにも、このシングル・バージョンとは別のアルバム・バージョンも存在しています。『なごり雪』のシングルが発売された同日に、この『なごり雪』の別バージョンが収録された、イルカのセカンド・アルバム『夢の人』も発売されているのです。実にヤヤコシイ。
つまり、1974年〜1975年の『なごり雪』には、「かぐや姫」と、イルカのバージョン2つの、計3つのアレンジが存在するのです……。
最初の「かぐや姫」のバージョンは、中島みゆき、長渕剛、吉田拓郎、徳永英明らの編曲で知られる 瀬尾一三(せお いちぞう)のアレンジ。スリー・フィンガーのアコースティック・ギターにスライド・ギターが入ったカントリー調のサウンドで始まります。
Bメロからは、ドラムとベースのリズムが入り、間奏からはブラス、2コーラス目からは綺麗なストリングスが入ったりして、自然と盛り上がるアレンジになっていて見事です。
で、イルカのアルバム・バージョンは、日本のアコースティックギターのパイオニアで神様みたいな、伝説的なスタジオ・ミュージシャン石川鷹彦によるアレンジ。
コレも、「かぐや姫」のバージョンみたいに、スリー・フィンガーのアコースティック・ギターがベースですが、「かぐや姫」のバージョンよりも、よりシンプルなフォーク調です。
「Uh- Ah-」の男性コーラスや、ギターソロが効果的に入っていたりして、全体的に落ち着いた感じでこれもステキです。イントロは 2小節と極端に短かかったりします……。
当時の 3つのバージョン、こんなカンジです。
<『なごり雪』1974年〜1975年 3つのバージョン>
1 1974年3月12日発売 かぐや姫 アルバム『三階建の詩』収録バージョン(編曲:瀬尾 一三)
2 1975年11月5日発売 イルカ アルバム『夢の人』収録バージョン(編曲:石川 鷹彦)
3 1975年11月5日発売 イルカ シングル『なごり雪』バージョン(編曲:松任谷 正隆)
余談ですが……、おそらく、瀬尾一三アレンジの「かぐや姫」のバージョンでアコースティック・ギターを弾いているのは、このイルカのアルバム・バージョンをアレンジした石川鷹彦と思われます……。アルバム『三階建の詩』に書かれているクレジットに、ドラムやベースは何人も書かれていますが、アコギは、「かぐや姫」のメンバー以外は石川鷹彦だけなので、間違いないかと……。
というように、「かぐや姫」のバージョンも、イルカのアルバム・バージョンも、どちらもカントリー風のフォーク調です。
「かぐや姫」も イルカも、フォーク・グループとフォーク・シンガーなので、ある意味、それはそれで正解です。いい雰囲気で、曲によく合っています。
しかし、松任谷正隆によるイルカの『なごり雪』シングル・バージョンは、この 2つのアレンジとは、根本の思想が全く違っています。
この最も有名になったイルカのシングル・バージョンが、おそらく一番最後に(アルバム・バージョンの後に)録られたのではないかと思われますが……、松任谷正隆によるアレンジは、「フォーク調」とは全く違う、まるで洋楽のような「ポップス」のアレンジでした。
ポップで、新しく、おしゃれで、最先端なサウンドだったのです。
この松任谷正隆によるアレンジではなく、アルバム・バージョンが、そのままシングルカットされていたら……、もしかしたら、『なごり雪』は、ここまでの時代を超えたヒット曲にはなっていなかったかもしれません……。
さて、当時、23歳の松任谷正隆は、『なごり雪』の ちょうど 1ヶ月前、1975年10月5日に発売された 荒井由実の6枚目のシングル『あの日にかえりたい』のアレンジを担当していて、『あの日にかえりたい』は、オリコン週間 1位になる大ヒット。アレンジャーとして、メキメキ頭角を表してきていたころでした。
松任谷正隆と言えば、慶應義塾幼稚舎から、初等部、中等部、慶應義塾高校を経て、1974年に慶應義塾大学文学部卒業……と、ワタシたち田舎者なら誰でも憧れたような超シティ・ボーイ……。
しかも、大学在学中から、吉田拓郎のアルバムやコンサートにキーボーディストとして参加したり、1973年には、細野晴臣、鈴木茂、林立夫 と、当時、最先端のバンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」として活動するなど、音楽家としても才能豊かなパイオニアでエリ〜ト。
1973年の荒井由実のファーストアルバム『ひこうき雲』で キーボードプレイヤーとしてレコーディングに参加し、翌 1974年の3枚目のシングル『やさしさに包まれたなら』からアレンジも担当。
ちなみに、イルカの『なごり雪』の1年後、1976年11月に、荒井由実と松任谷正隆は結婚しています。で、いままで、ず〜っとユ〜ミンのアレンジは、松任谷正隆。
つまり、当時、それまでの歌謡曲やフォークなどとは全く違った ユ〜ミンの、最先端で洋楽のようなオシャレなサウンドを創っていたのが松任谷正隆というワケです。
で、誰が決めたのかは知りませんが、フォークシンガーのイルカのシングル曲に、ユ〜ミンのようなオシャレな曲をつくっていたカッティング・エッジな松任谷正隆を起用するという英断をしたスタッフがいたというコトになるワケで、それがスゴイことです。
で、アレンジを受けた 松任谷正隆も、石川鷹彦がアレンジした「イルカのアルバム・バージョン」を聴いていたかどうかはわかりませんが、当然、「かぐや姫」のバージョンは聴いていたワケで、きっと「思いっきりおしゃれなポップスにしてやろう」と思ったに違いありません……。
結果、イントロは、ハラハラと雪が降る様子を表現したような、エレガントなテンションコードのピアノではじまり、Aメロは、アコギとピアノ、Bメロからは、ドラムとストリングスのカウンターが入ってきて盛り上げていくという、映画のようなドラマチックに展開するポップス・アレンジになっていて、このアレンジがワタシたちを感動させるのです。
とくに、ストリングスのカウンターが見事ですが、ギター、ベース、ドラムのプレイヤーも素晴らしい演奏をしています。ベースのオクターブのスライドのフィルとか、さりげないエレキギターのダブル・ストップのスライドのフイルとかも効いてます……。
ドラムも、バラードなのにデカイ音で入ってて、フィルやハイハットもデカイのに、歌を邪魔していない……どころか、むしろこの曲を感動的なアレンジにするのに必要な要素になっています。
この派手なのに叩きすぎていないフシギなドラムは、あの 村上(ポンタ)秀一。アコースティックギターは吉川忠英、エレキギターは鈴木茂、ベースは後藤次利、そして、ピアノは、もちろん松任谷正隆という錚々たるメンバー。
ポンタさんは、今年、2021年の3月に 70歳の若さで亡くなってしまいましたが、どのヒトも、スタジオ・ミュージシャンとして何千曲も演奏しているスゴ腕ばかりです。そういうメンバーが、実にエクセレントでパーフェクトなイイ仕事をしているのです……。
このヒトたちが、いかにスゴイのかというコトを書くと、また長くなってしまうので(もう十分に長いですけど)、興味のある方は、ご自身でお調べください……。
ちなみに、ウィキペディアでは、レコーディング時のベースが宮下恵補(イルカのバックバンドで弾いてたヒト)となっていますが、『週刊現代』のイルカ&伊勢正三のインタビューと、BS12 Twellv の番組『GUITAR STORIES』吉川忠英の回で、いずれも「ベースは後藤次利」とハッキリ言っているので、おそらく、後藤次利が正解ではないかと思われます……。
と、「超名曲である」という大前提のもと、イルカの『なごり雪』の方が有名になったのは、「シングル盤」「イルカの歌声」「ポップスアレンジ」の 3つの理由があったからだと思います。
いずれにしろ、「アレンジがいかに重要か」ということと、「イルカがいかにいい歌を歌っているか」ということがわかります。
誤解を恐れずに言えば、チョ〜田舎の出身者である伊勢正三の感性で書かれた曲を、絵に描いたようなシティ・ボーイの松任谷正隆が、見事にアレンジしたというのも面白いです……(ワタシもド田舎の出身です)。余談ですが。
ちなみに、イルカのアルバム・バージョンとシングル・バージョンは、アレンジだけでなく、歌も違います。
アルバムの方が、ソフトな歌声で、より感情を込めたような歌い方ですが、シングルの方は、力強い声で、感情を込めながらもサラリと歌われています……。イルカが歌入れの時に意識的にそうしたのかどうかはわかりませんが、おそらく、オケのアレンジにひっぱられて、自然とそうなった部分も大きいのではないでしょうか……。そういう意味でも、アレンジは大事ですね〜。
では、そもそも、なぜ、イルカが『なごり雪』をカバーすることになったのでしょう……?
イルカは、女子美術大学在学中からフォークグループを結成し、後にプロデューサーで、かつ夫にもなる 神部和夫(1972年に結婚、2007年に他界)が率いていた フォークグループ「シュリークス」に加入して、1971年のシングル『君の生まれた朝』でデビューしています(当時は、まだイルカではなく保坂としえ)(シュリークスのデビューは1969年)。
その「シュリークス」のメンバーには、のちに「かぐや姫」のメンバーになる山田嗣人(山田パンダ)もいました。
その後、「シュリークス」は、山田パンダら二人が脱退し、神部和夫とイルカの男女二人組になってしまったことで、結果、解散してしまいますが、神部和夫は、若くして(22歳くらい)イルカのプロデューサーに専念することを決意し、「自分がプロデューサーになるには、ずっと将来も一緒に生きていくんだから、やっぱり、それには結婚するのが一番いい」と、イルカとの結婚も決めます。なんともスゴイ話……、自分の人生の全てを賭けたワケですから。
それほど、イルカの才能にホレこんでいたのでしょうし、プロデュースしていく自信もあったのでしょう……。素晴らしいプロデューサーです。
そして、神部和夫プロデュースのもと、イルカとして、伊勢正三が書いた『あの頃のぼくは』で、1974年10月にソロデビュー。翌 1975年3月にセカンドシングル『風にのせて』をリリースしたのち、同年11月の 3枚目のシングル『なごり雪』でブレイクとなるのです。
そういうワケで、神部和夫は、「かぐや姫」の山田パンダとは同じグループにいた旧知の仲ですし、イルカのデビュー曲も伊勢正三が書くなど、「かぐや姫」とは近いところにいたわけです。そもそも、所属レコード会社も同じでしたし。
で、「かぐや姫」の 1974年3月に発売されたアルバムに収録されていた『なごり雪』を聴いた神部和夫が「この曲をイルカに歌わせたい」と思ったそうです。すごい直感です。
モ〜 何度も書いていますが、当時、『なごり雪』が収録されていた「かぐや姫」のアルバムは売れていましたし、アルバム曲ながら「かぐや姫」ファンの間では人気があった曲でしたし、イルカ自身も好きな曲だったことから、最初、イルカは「かぐや姫のイメージを壊したくない」とカバーすることをためらったそうです。
当時、人気絶頂のグループの人気曲……、そりゃあ、そうでしょう……。そのころは、まだ無名だったイルカだけに、もしかしたら、自信がなかったのかもしれません……。
で、それを説得したのが、イルカが全幅の信頼を寄せていたプロデューサーで夫の神部和夫であり、さらに、伊勢正三 本人からも、「『なごり雪』が好きなら、好きなように歌えばいい」と言われたことも、後押しになったようです……。
もともと、神部和夫は、アルバムの制作に関しては、完全にイルカ本人にまかせていましたが、シングルに関しては、「イルカの路線を俺が作る。だから、シングルに関しては絶対に自分が思ったようにやりたい」と言っていたそうです。
もしかしたら、だから、『なごり雪』も、同日発売のアルバムからのシングルカットではなく、シングル用に別バージョンが作られたのかもしれません……。
で、クドイようですが……(すべてクドイです!)、『なごり雪』は、「かぐや姫」のバージョンも、すごくイイんです……。
でも、どちらが時代を超えられるかといえば、やっぱり、イルカのシングル・バージョンではないでしょうか……。
ちなみに、先日、2021年5月12日には、イルカの 50周年記念 ベストアルバム『あたしだって Love song!』が発売されました。ラブソングばかりをセレクトしたコンセプトベストですが、そこに、『なごり雪』も、この1975年録音のオリジナルバージョンで収録されています。
自身のヒット曲を、セルフカバーとして歌い直したモノを収録する人が多い中、そういうことをしないのは立派です……(2002年に、松任谷正隆アレンジのセルフカバーバージョンも出しています)。ちゃんとファンの心理をわかっています……。
歌い手としては、昔の歌唱に不満があるかもしれませんし、「今ならもっと上手く歌える」とか、「今の声で歌いたい」というようなキモチになるかもしれませんが、ファンからしたら、その当時に聴いた、そのままの音で聴きたいものです……。
それにしても、伊勢正三は、ホントにイイ曲を書いています。イルカの初期のヒット曲『雨の物語』も『海岸通』も伊勢正三の作品。太田裕美がカバーした『君と歩いた青春』なんかも名曲です。
ちなみに、嘉門達夫は、『なごり雪』を『なごり寿司 〜なごり雪〜』として歌っています……「♪寿司を待つ君の横で僕は 値段を気にしてる」という歌詞で。
嘉門達夫は、こういう替え歌カバーをする場合、事前に、ちゃんとオリジナルの作詞・作曲者に「こういう風にします……」というコトを伝えて、ちゃんと許諾を取っているので、伊勢正三も、ちゃんと公認しているというコトです。
ちなみに……、イルカや「かぐや姫」らが所属していたレコードレーベルは、当時、フォーク、ニュー・ミュージックの専門レーベルとして誕生したクラウンレコード(日本クラウン)の『PANAM』(パナム)ですが、1991年に破産した米国の航空会社は『PAN AM』(パンナム)です。
(2021年 7月29日 西山 寧)
イルカ 歌詞一覧
作詞:伊勢正三 歌詞一覧
作曲:伊勢正三 歌詞一覧
収録CD『イルカ ベスト』(2006年)amazon
収録CD『あたしだってLove song!』(2021年)amazon
配信 mora
イルカ レコード会社 日本クラウン
イルカ オフィシャルサイト
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