奥村チヨ「終着駅」
「終着駅」奥村チヨ (3:15) Key= Cm(Eb) B面「気ままぐらしの女」(作詞:阿久悠/作・編曲:筒美京平)
作詞:千家和也、作曲:浜圭介、編曲:横内章次、演奏:東芝レコーディング・オーケストラ
1971年(昭和46年)12月20日 EP盤 7インチシングルレコード (45rpm、STEREO) 流行歌
¥400- TP-2593 Toshiba RECORDS / 東芝音楽工業
*オリコン 週間ランキング 最高位 3位(1972年)
*オリコン 1972年度 年間ランキング 21位
*第23回 NHK 紅白歌合戦(1972年)歌唱曲
<セルフカバー>
奥村チヨ「終着駅’95 / 恋泥棒’95」(4:29)
作詞:千家和也、作曲:浜圭介、編曲:千住明
1995年発売 8cm CDシングル ¥1,000(税込)
TODT-3527 東芝EMI
<フランス語カバー>
パトリシア「終着駅 / グッドバイ・マイ・ラブ」
Patricia Paulin ”QUELQUES LARMES” / “SAYONARA MON AMOUR”
1974年発売 EP盤 7インチシングルレコード (45rpm、STEREO) ¥500
SS-2409 RCA RECORDS / ビクター音楽産業
1947年(昭和22年)千葉県野田市生まれ。3歳の時に大阪府池田市に移住。1964年、高校在学中の17歳の時にオーディションに合格し、小野薬品のドリンク剤『リキ・ホルモ』の CMソング『昨日、今日、明日』を歌いスカウトされる。その後、上京し、1965年に『あなたがいなくても』で歌手デビュー。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、同年発売の『ごめんネ・ジロー』が、1967年には『北国の青い空』がヒット。
1969年、17枚目のシングル『恋の奴隷』が大ヒットしたことで、同年、NHK 紅白歌合戦の初出場。『恋の奴隷』に続き、『恋泥棒』『恋狂い』と「恋シリーズ3部作」をリリース。小悪魔的でキュートなスタイルでファンを魅了した。昭和歌謡のコケティッシュなシンガーの代表的存在となった。
1971年には、イメージチェンジを図った『終着駅』が大ヒット。その後、1974年に『終着駅』を作曲した浜圭介と結婚し、一旦、芸能界の第一線から退くが、1980年に歌手活動を再開し、ビクター、ミノルフォン、東芝EMI、ワーナーからリリース。1995年には、セルフカバーとして『終着駅’95 / 恋泥棒’95』をシングルリリース。
2018年1月に、卒業アルバムとしてアルバム『ありがとう〜サイレントムーン』が発売され、2018年12月31日で歌手を引退。
ヨーロッパ風のメロディとアレンジに、切なくも美しい歌詞!
『恋の奴隷』のお色気路線から脱却した、起死回生の1曲!
しかも…「あなた好みの」「過去から逃げて」人生の伴侶までゲットした曲!
昨年、2020年も、梓みちよ、弘田三枝子、宮城まり子、渡哲也、守屋浩、吉田一彦(デュークエイセス)、ジャッキー吉川、マモル・マヌー、加門亮、ウィリー沖山……、昭和の一時代を築いた多くの歌手が亡くなりました。
歌手以外でも、小松政夫、志村けん。内海桂子、浅香光代……、野球界では、関根潤三、野村克也、高木守道らも亡くなりました……。
ジブンもいい歳ですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、それでも寂しいものです……。
そして、ストリングス・アレンジの天才・服部克久、昭和歌謡曲のナンバーワン作曲家・筒美京平、『喝采』『心のこり』『北酒場』『わたしの青い鳥』『今は幸せかい』『愛は傷つきやすく』など日本人の心の琴線に触れるようなメロディーを紡いだ作曲家・中村泰士……、極め付きは、年末の12月23日に、阿久悠がライバル視していた昭和の大作詞家・なかにし礼も亡くなりました……。
どんどん昭和が遠くなる気がします……。
なにしろ、50年以上、職業作詞家として、訳詞を含め約4000曲を手掛けたとも言われる なかにし礼 なので、ヒット曲や名曲は数えきれませんが、「♪私 バカよね〜 おバカさんよね〜」で始まる 細川たかし『心のこり』、「♪顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて」で始まる 弘田三枝子『人形の家』、黒い電話帳を見ちゃう 島津ゆたか『ホテル』、タイトルからして強烈な 黒沢年男『時には娼婦のように』……などが、とくに印象的です……。
いずれも、歌い出しからキャッチーで、かつ、刺激的な言葉で本質を鋭く突いています。どこか、それまでの常識やタブーに挑んでいるようなカンジもします……。
そして、1969年発売で大ヒットとなった、奥村チヨの17枚目のシングル『恋の奴隷』(作曲:鈴木邦彦、編曲:川口真)も、そんな 1曲です。
「♪あなたと会ったその日から 恋の奴隷になりました〜」と、歌詞や曲名に「奴隷」という言葉を使ったこともさることながら、なにしろ「♪悪い〜時は〜 どうぞ ぶってね〜」「♪あなた好みの女になりたい〜」ですもの……。
この曲のヒットで、奥村チヨは、NHK 紅白歌合戦に初出場できたのですが、実際、紅白のステージで歌ったのは、その次のシングル曲『恋泥棒』でした……。
どうしてかって言うと、「悪い時は どうぞぶってね」の歌詞がよろしくないと NHK サイドで問題になり、NHK が提案してきた「悪い時は どうぞ言ってね」に変えて歌えば OK だったのですが、レコード会社のディレクターに「歌詞を変えてまで出る必要ないよ」と言われて、結局、『恋泥棒』で出場することになったそうな……。言いなりにならなかったトコがいいですね……。だって、歌詞は変えちゃイケないでしょ……。
さて、奥村チヨは、1964年、17歳の時に、オーディションに合格して、小野薬品の飲料『リキホルモ』のコマーシャルソングを歌ったことで、坂本九、弘田三枝子らを手掛けた東芝の伝説的なディレクター・草野浩二にスカウトされて、1965年に『あなたがいなくても』で歌手デビュー……。
当時、黛ジュン(1967年『恋のハレルヤ』デビュー)、小川知子(1968年『ゆうべの秘密』でデビュー)、そして、奥村チヨの女性歌手3人は「東芝三人娘」と呼ばれ、1969年には、3人のヒット曲を収録した LP『ジュン・知子・チヨ』なんてのがリリースされていたりします……。
で、奥村チヨは、4枚目のシングル『ごめんネ…ジロー』(1965年)とか、11枚目のシングル『北国の青い空』(1967年)などが、そこそこ売れてはいましたが、やはり、大ブレイクしたのは、17枚目の『恋の奴隷』(1969年)です。
『恋の奴隷』に続いては、『恋泥棒』『恋狂い』という、いわゆる「恋の3部作」をリリースし、その後も、『くやしいけれど幸せよ』『中途半端はやめて』『甘い生活』と、小悪魔的でキュートなスタイルを前面に出した「お色気路線」が続きました……。
その楽曲もさることながら、ちょっとハナにかかったあま〜い歌声やルックス、衣装や仕草も、世のオトコどもを虜にするコケティッシュな魅力に溢れていました……。
しか〜し! それは、同時に、女性にはキラわれるというコトにもなってしまいます……。「小悪魔」というキャッチフレーズが付けられて、写真撮影で笑うのは禁止。時には「女の敵」とまで言われてファンは男性一色……。時には、テレビでの奥村チヨによって、お茶の間が気まずい雰囲気になってしまうこともあったり……。
余談ですが、奥村チヨというヒトは、最近のヒトで言えば、ちょっと前の倖田來未のポジションに、なんとなく似ているカンジがします……。
最初「ブリッ娘」と言われて女性からはキラわれてた松田聖子にも状況は似てるかも……(なぜ、松田聖子が女性ファンからも支持されるようになったか知りたい方は、このコラムの第51回『白いパラソル』をお読みください……)。
でも、そもそも、奥村チヨ 自身は、その「お色気路線」がイヤだったようで、「恋の3部作」のあと、2年ほど低迷していたころ、もう、そういうオトコに媚びるような歌は、もう歌いたくないと思うようになります……。
そんな時に出会ったのが、今回の『終着駅』でした。
デモテープを聴いた瞬間、「これだ!」と鳥肌が立ったそうで、「やっと私が本当に歌いたかった曲にめぐり会えた!」と思ったそうです……。アイドル風のロングヘアーはアップにし、大人っぽい黒のドレスという姿で、イメージチェンジを図りました。
この 24歳の時の 25枚目のシングル『終着駅』は、1971年(昭和47年)12月20日(25日という説もある)に発売され、翌年、1972年の2月には、オリコンの週間チャートで 3位まで上がる久しぶりのヒットとなり、1972年の年間チャートでも21位、その年の NHK 紅白歌合戦でも歌われました。
『終着駅』は、作曲した浜圭介によると「アメリカのホテルの窓からの景色を見て、このメロディが浮かんだ」とのことですが、メロディもアレンジも、シャンソンのような、どこかヨーロッパの香りのする曲です。
A メロは、メロディックに、基本的にはひたすら隣の音に動いていていて(「ミレドシラシド〜」みたいに)、サビでは、ダイナミックに音が飛んでいるのが、この曲の魅力です。A メロは、息継ぎの場所がなくて、歌うと苦しいのも特徴ですね……。
ストリングスや木管楽器も、ヨーロピアンなカンジでリッチにアレンジされていて、メロディをうまく盛り上げていますね〜。アレンジした横内章次というヒトは、ジャズのヒトなのですが、ギタリストというから驚きです……。とくに、ストリングスのアレンジは、本当に見事としか言いようがありませ〜ん。
そして、奥村チヨの歌い方も、『恋の奴隷』などとは違って、とくに、A メロなどは、それまで聴いたことのなかったような歌声が魅力的でした……。時に、その細かいビブラートが、「ユ〜レイみた〜い」と子供には言われてたりもしましたが……。
A メロのソフトな歌い方が、より切なく感じさせ、そして、サビは、大きくドラマティックに歌い上がる……、見事です。ちょっとハナにかかった甘い歌声が魅力的です。
作曲した浜圭介は、八代亜紀『舟唄』や『雨の慕情』(作詞: 阿久悠)、北原ミレイ『石狩晩歌』(作詞: なかにし礼)、堺正章『街の灯り』(作詞: 阿久悠)、千葉紘子・小柳ルミ子『折鶴』(作詞:安井かずみ)、桂銀淑『すずめの涙』(作詞: 荒木とよひさ)や『大阪暮色』(作詞: 浜圭介)、森昌子『哀しみ本線日本海』(作詞: 荒木とよひさ)、島津ゆたか『ホテル』(作詞: なかにし礼)、細川たかし『望郷じょんから』(作詞: 里村龍一)、高山厳『心凍らせて』(作詞: 荒木とよひさ)……などなど、ホントに心に沁みてくるメロディをたくさん書いているヒトです。
どちらかと言えば、マイナーキーの曲が得意な印象があります……、いま挙げた曲の中でも、メジャーキーの曲は『街の灯り』だけですし……。
そんな大作曲家ですが、この『終着駅』を書いたころ、実は、音楽家としては崖っぷちでした……。
もともとは、自身も歌手として、しかも、3度もデビューしていましたが全く売れず……。やむなく作曲家に転身するも、ヒット曲は書けず……といった状況だったのです。
なので、この『終着駅』のヒットは、低迷していた奥村チヨを救っただけでなく、作曲家・浜圭介としての最初のヒットとなり、浜圭介をも救ったのです。
さらにスゴイのは、『終着駅』という曲は、そんな二人を救っただけでなく、運命的な出会いをも作りました。その後、1974年に、奥村チヨと浜圭介は結婚したのです。
だから、二人にとっては、『終着駅』が「新しい人生の始発駅を作った」などと、当時は言われたものです……、うまいこと言うもんです……。
さて、忘れてならないのは、この歌詞を書いた千家和也(せんけ かずや)。このヒト、実は、『恋の奴隷』の なかにし礼 に師事していました。
『終着駅』は、メロディやアレンジだけでなく、歌詞もエレガントでヨーロッパの香りがします……。「♪落ち葉の舞い散る停車場は……」は、パリのモンマルトルの街並みとか、パリ北駅なんかを想像してしまいます……(あるいは、青森駅かな……)。
いずれにしろ、恋に破れた女性の心情が、エレガントで美しい日本語で、叙情的に表現されていて、切なさが心にしみます……。見事です……。
しかも、2番の冒頭「♪肩抱く夜風のなぐさめは 忘れる努力の邪魔になる……」など、非凡な才能を感じさせます。こんな歌詞を書ける若者は、最近、見かけないですね……。
で、『終着駅』は、発売の翌年、1972年の「第14回 日本レコード大賞」で作詞賞を受賞したことから、千家和也にとっても出世作となった作品です。
その後は、麻丘めぐみ『芽ばえ』や『わたしの彼は左きき』、殿さまキングス『なみだの操』、西川峰子『あなたにあげる』、平浩二『バス・ストップ』、尾崎紀世彦『ゴッドファーザー 〜愛のテーマ』(訳詞)、野口五郎『君が美しすぎて』、山口百恵『としごろ』や『ひと夏の経験』、キャンディーズ『年下の男の子』や『その気にさせないで』、林寛子・小泉今日子『素敵なラブリーボーイ』……などなど、ヒット曲を山のように書いています。
ちなみに、『終着駅』のコンビ、浜圭介との作品は、内山田洋とクール・ファイブ『そして、神戸』、三善英史『雨』、内海美幸『酔っぱらっちゃった』などがあります……。名曲ばかりですね……。
ところで、さっきから「ヨーロッパ調」と何度も言っていますが……、実は、この『終着駅』には、ホントにフランス人の歌手がカバーした、フランス語バージョンもあるんです。
パトリシア・ポーリン(Patricia Paulin)というフランス人歌手が、1974年6月に日本で開催された「第3回 東京音楽祭 世界大会」にフランス代表のひとりとして来日した時に、日本のヒット曲のフランス語カバーアルバムがレコーディングされました。
で、『終着駅』は、『QUELQUES LARMES』(「少しの涙」とか「こぼれた涙」とか、そんなような意味……)というフランス語のサブタイトルが付けられ、作曲者の浜圭介が立ち会ってレコーディングされたそうです。フランス語になると、ホントにシャンソンに聴こえてしまいます……。
そのアルバム『終着駅/パトリシア』から、『終着駅』は、アン・ルイスの『グッドバイ・マイ・ラブ』とのカップリングでシングルカットもされています……。
ど〜でもいいことですが、気になる方もいらっしゃるかと思いますので書いておきますが、『グッドバイ・マイ・ラブ』のフランス語サブタイトルは、『SAYONARA MON AMOUR』(「さよなら モナムール」で、「さよなら愛しい人」みたいな意味)です。
ちなみに、スー・トンプソン(Sue Thompson) というアメリカのカントリー歌手も『終着駅』をカバーしていて、1974年に『Trains』(作詞:Eddy Raven)というタイトルでシングル・レコードがリリースされていたり、1975年には、フィンランドの歌手、カトリ・ヘレナ(Katri Helena)というヒトにもカバーされ、『Ja sitten olit pois』(作詞:Chrisse Johansson)としてリリースされていたり……。
どうして、そんなことになったのかは知りませんが……、やっぱり、いいメロディなんですね……。
もちろん、日本でも、美空ひばり、ザ・ピーナッツ、園まり、北原ミレイ、朱里エイコ、テレサ・テン、中森明菜、門倉有希ら、多くのヒトがカバーしています。
そして、奥村チヨ 自身も、1995年にセルフカバーして『終着駅’95』をシングルCDでリリースしています。
この新バージョンは、クラシックの千住明がアレンジした、オリジナルよりもさらにストリングスがリッチになっているフル・オーケストラ・バージョンです。コレもイイですね〜。
さて、余談ですが、1971年のオリジナル盤『終着駅』のカップリング曲は、作詞が阿久悠、作編曲が筒美京平による『気ままぐらしの女』という曲なのですが……、この曲、なぜか、1981年に日本で公開となった映画『ブルース・リー 死亡の塔』の劇中歌として使われていたりします……。
この映画……タイトルにこそ「ブルース・リー」と付いていますが、ブルース・リーの死後に、『燃えよドラゴン』の未使用となっていたフィルムや過去映像を繋ぎ合わせて、タン・ロンという役者がブルース・リー役を演じるというビミョ〜な作品としてファンの間では有名です……。
その中で、タン・ロンが演じるブルース・リーが日本に来たとき、クラブ歌手が、この『終着駅』を、ほぼフルコーラス歌っているシーンがあるんです。もちろん、口パクで、声は奥村チヨ……。なぜだ……。
さて、奥村チヨは、2018年1月に「卒業アルバム」として『ありがとう〜サイレントムーン』を発売し、その年の年末、2018年12月31日で歌手を引退しています……。
引退前は、テレビ番組なんかでも、時々この『終着駅』を聴くことができました。もちろん、1971年当時の歌とは全く違うのは当然ですが、あの当時と変わらない印象で聴かせてくれていました……。
実際、2014年の『レコード・コレクターズ』(ミュージックマガジン)3月号のインタビューで奥村チヨは、「ヒットした歌は大事に、当時のままで丁寧に歌わないとだめですね。聴いてくださった方たちの思い出につながってるんですから……」と話しています……。うれしいですね〜。
ベテラン歌手が、同じ歌を長く歌っていると、歌い方や譜割りが少しずつ変わっていってしまって、何十年もの間には、全く違った歌になってしまっていたりするコトも少なくありません……。
みなさんも経験があるかと思いますが、そういう歌を聴いた時には、ちょっとガッカリしてしまうものです……。
あと、やたら崩して、フェイクっぽく歌われるのもイヤですね……。もとのメロディに忠実に歌ってほしいものです……。
だって、奥村チヨも言っているように、歌は、亡くなった好きだった歌手や身近な人たちと同じように、それぞれのヒトの心の中に、思い出と共にあるものですから……。
(2021年 1月 20日 西山 寧)
コラム「なつ歌詞」は、隔週 水曜日 更新です。
※ 2/3(水)のコラム「なつ歌詞」は都合によりお休みとさせていただきます。
次回の更新は、2/17(水)の予定です。
奥村チヨ 歌詞一覧
作詞:千家和也 歌詞一覧
作曲:浜圭介 歌詞一覧
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MEG-CD(復刻CD)『終着駅』
奥村チヨ 配信 mora
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Patricia Paulin ”QUELQUES LARMES” / “SAYONARA MON AMOUR”
パトリシア 「終着駅 / グッドバイ・マイ・ラブ」(1974年発売)
ジャケット写真