第63回 さだまさし「案山子」(1977年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第63回 さだまさし「案山子」(1977年)

元気でいるか 街には慣れたか
友達 出来たか…
寂しかないか お金はあるか
今度 いつ 帰る ……
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さだまさし「案山子」

「案山子」(かかし)さだまさし (4:45) Key= F B面「Sunday Park」
作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、編曲:渡辺俊幸
1977年(昭和52年)11月25日 発売 EP盤 7インチシングルレコード (45rpm、STEREO)
¥600 L-182E elektra / ワーナー・パイオニア

オリコン 週間 最高位 15位
第47回NHK紅白歌合戦(1996年)歌唱曲
第57回NHK紅白歌合戦(2006年)歌唱曲

*フジテレビ系テレビドラマ「さだまさしドラマスペシャル 故郷 〜娘の旅立ち〜」主題歌(2011年7月5日放送)

*1997年(平成9年)2月21日 発売 8cm CD シングル
 1998 長野オリンピック 冬季競技大会 公式 メッセージソング(カップリングに収録)
「Dream 〜愛を忘れない〜 / 案山子 (アンコール)」(WDDN-15 / Free Flight Records)


 1952年(昭和27年)生まれ、長崎市出身のシンガーソングライター「さだまさし」のソロ4枚目、通算10枚目のシングル曲。
 3歳のころよりバイオリンをはじめ、小学校卒業と同時にバイオリニストを目指し単身上京。中学時代に加山雄三やサイモンとガーファンクルの影響で、ギターを弾きながら作曲もはじめる。東京藝大附属高校の受験に失敗し、國學院高等学校に入学。バイオリニストの夢を諦める。その後、國學院大學法学部に進学するが、すぐに中退し、アルバイトにはげむ。体を壊したことがきっかけで、一旦、長崎に帰郷。
 1972年、國學院高校時代からの友人だった吉田正美とフォークデュオ「グレープ」を結成し、翌1973年、シングル『雪の朝』でワーナー・パイオニアよりデビュー。1974年に発売された 2枚目のシングル『精霊流し』、1975年 発売の『無縁坂』がヒットするが、1976年の春に「グレープ」は解散。
 同年11月、シングル『線香花火』でソロ活動を開始。ソロとして2枚目のシングル、1977年の『雨やどり』が、オリコンシングルチャート1位を獲得する大ヒットとなったことを皮切りに、その後、山口百恵への提供曲『秋桜』や、『案山子』『檸檬』『関白宣言』『親父の一番長い日』『道化師のソネット』『防人の詩』『驛舎(えき)』『北の国から〜遥かなる大地より〜』『恋愛症候群 – その発病及び傾向と対策に関する一考察 -』『風に立つライオン』『主人公』『奇跡〜大きな愛のように〜』など、ヒット曲・名曲を多数リリース。
 2020年11月9日には、ソロコンサート回数 通算4444回を達成。コンサートのかたわら、小説家としても『解夏』『風に立つライオン』などを発表し、それらの多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。
 また、NHK『今夜も生でさだまさし』のパーソナリティとしても人気を博している。2020年8月1日には、東京藝術大学の客員教授に就任。「NHK 紅白歌合戦」には、20回出場。
 音楽活動の他にも、2015年には、『一般財団法人 風に立つライオン基金』を設立し、国内外で奉仕活動や慈善活動をし


歳を重ねるほどに、深く心に沁みてくる名曲!
母親の無償の愛を、
いくつになっても、子の立場で感じる歌!


 シンガーソングライターという職業は、側から見れば、ただ好きに曲を作って歌っているようなお気楽な商売に見えますが、実はタイヘンな職業です。

 いくら、ジブンがイイと思っている曲ができても、商売である以上、それがおカネにならなければ成立しません。だから、ジブンがイイと思っていて、かつ、求められているもの、ニーズのあるものを作らなければならないのです。何の商売でもおんなじ……。
 それに、ヒットするには、熱烈なコアファンだけではなく、それ以外の人たちにも買ってもらう必要があります。

 もちろん、誰もがヒットさせようと思って作っていますが、実際は、そう簡単にヒットはしません……、とくに、今の時代では。
 ある、有名な職業作曲家も「そんなにヒット曲ばっかりは書けない……」と言っていました。野球じゃないですが、「3割当たれば万々歳」なんだそうです……。

 で、仮に、ヒット曲が出たら出たで、それはそれでタイヘンなんです。

 なぜなら、その次に出す曲も、そのヒット曲と同等かそれ以上のモノを求められてしまうからです……。作る方は、と〜ってもプレッシャーです……。

 さらに、シンガーソングライターの場合、「作詞家、作曲家、歌手」という 3つの専門的能力が必要であり、かつ、それらが全て一流であることが求められます。

 イイ曲であれば、ジャンルなんて関係なく売れていた時代……、たとえば、この当時、1977年(昭和52年)ころで言えば、沢田研二『勝手にしやがれ』でも、小林旭『昔の名前で出ています』でも、ピンク・レディー『渚のシンドバッド』でも、キャンディーズ『哀愁のシンフォニー』でも、都はるみ『北の宿から』でも、石川さゆり『津軽海峡・冬景色』でも、岩崎宏美『思秋期』でも、高田みづえ『硝子坂』でも、清水由貴子『お元気ですか』でも……、なんなら、イーグルス『ホテル・カリフォルニア』、ABBA『ダンシング・クイーン』、ランナウェイズ『チェリー・ボンブ』(ボムだと思うけど)、ベイ・シティ・ロイーラーズ『恋のゲーム』でも、良ければシングルレコードが売れました。

 だから、シンガーソングライターも、作詞なら、阿久悠、なかにし礼、星野哲郎らと勝負することになりますし、作曲では、都倉俊一、平尾昌晃、三木たかし、筒美京平らと、自動的に競うことになります……。
 だって、買う方のお客さんは、「シンガーソングライターだから買おう」とか「新人歌手だから買ってあげよう」なんて思いませんから。

 つまり、超一流の職業作詞家と職業作曲家たちと勝負できる曲を書かなければいけないし、歌謡曲の歌手たちと渡り合える歌を歌わなければならないのです……。ねっ、シンガーソングライターって、タイヘンでしょ。

 もちろん、歌謡曲や洋楽に加えて、南こうせつ、イルカ、松山千春、中島みゆき、アリス、小田和正(オフコース)、河島英五、井上陽水、吉田拓郎、長渕剛、松任谷由実…… ら、同じカテゴリー、フォークやニューミュージック系のヒトたちとも勝負になります……。ねっ、タイヘンでしょ。

 しかし、シンガーソングライターと職業作家とでは、「曲を作る」という意味では違いがありませんが、根本的に全く違う性格のものです。
 職業作家は、最初からプロフェッショナルですが、シンガーソングライターは、アマチュアの延長線上にある場合がほとんどだからです。
 まあ、「プロ」と「天才的な偉大なるアマチュア」の違い……、とでも言いましょうか……。

 だから、曲作りのアプローチも全く違います。多くのシンガーソングライターは、好きな時に、好きな曲を作りますが、職業作家の場合、商売ですから、オーダーが入ってから作ります。しかも、たいがい「〜みたいな曲」とか、注文がついてきます。発注者が求めているモノを作らなければならないのです。
 さらに、多くのシンガーソングライターは「ひらめき」で作りますが、職業作家は「技」(技術)で作ります……(もちろん、ひらめきもありますけど)。

 よく言われるコトですが……、アマチュアは、時に150点くらいの天才的な名曲を作ったりもしますが、そういう曲を何曲も書けるわけではありません。しかし、プロの職業作家は、80点の曲をいくらでも書けるのです。

 だから、「ビッグヒットが 1曲だけある」というシンガーソングライターやバンド、いわゆる「一発屋」と言われるヒトたちがたくさんいるのです……。ホントは、その「一発」を出すのも大変なコトなんですけどね……。

 しかーし! そんなシンガーソングライターの中でも、ごく一握りですが、100点以上の曲をたくさん書けてしまう、職業作家が到底かなわない、とんでもない天才もいます……。
 たとえば、井上陽水とか、谷村新司とか、小田和正とか、中島みゆきとか、竹内まりやとか、松任谷由美とか、桑田佳祐とか…… そういう人たちです……。

 そして、さだまさしも、間違いなく、そういう偉大な天才のひとりです。
 1973年に「グレープ」でデビューしてから47年、いまだに活躍し続けることが出来ているのは、天才としか言いようがありまぜん……。
 だって、『精霊流し』とか『無縁坂』が発売されたころ、さだまさしは 23〜24歳くらいですよ。そんなハタチそこそこで、あんなメロディや歌詞を書いてるワケですから……、こっちは、まだハナタレ小僧みたいだった年齢で……。

 さだまさしは、それほど長く活躍しているので、あまりにもヒット曲や名曲が多すぎて、1曲を選ぶというのは至難の技です……。歌詞サイト「歌ネット」に歌詞が登録されているだけでも 550曲もありますから。
 それに、さだまさしの場合、熱烈なファンも少なくないですから、そういう方々には、それぞれに好きな曲や思い入れのある曲があって、一家言あるところでしょうし……。

 もはや、ナツメロとかスタンダードな扱いにもなっているグレープ時代の『精霊流し』や『無縁坂』、大ヒット曲の『雨やどり』『関白宣言』『道化師のソネット』『防人の詩』『北の国から〜遥かなる大地より〜』、山口百恵に提供した『秋桜』、裁判所の裁判官が判決を言い渡す時に紹介したり、運転免許更新の時に見るビデオでも使われている『償い』、『主人公』『檸檬』『まほろば』『親父の一番長い日』『恋愛症候群』『風に立つライオン』『驛舎』『交響楽』……などなど、ホントに名曲が多くて困ります……。

 ちなみに、2013年に、ベストアルバム『天晴』がリリースされる際、リスナーによる人気投票『さだまさし国民投票』が行われました。
 その結果だと、1位が『主人公』で、以下、『風に立つライオン』『奇跡 〜大きな愛のように〜』『案山子』『まほろば』、というのが TOP5 でした……。

 いずれにしろ、「メロディの美しさ」、「やさしくて、明るい響きで言葉が伝わるボーカル」、そして、なんと言っても、そこで歌われる言葉「こころを震わせる歌詞」が、さだまさしの魅力です。

 そう言えば……、昔は、さだまさしと言えば「暗い」とか「女々しい」とか言われてたりしました……(オフコースもそんなふうに言われてました)。

 『関白宣言』の時なんて、ユーモアとか、その深い歌詞を理解せずに、「男尊女卑や女性蔑視の歌」と言われてバッシングされたり、日露戦争をテーマとした映画『二百三高地』の主題歌『防人の詩』の時には、「好戦的だ」とか「右翼だ」とか言われたり、はたまた、『しあわせについて』では今度は「左翼だ」とか言われたり……、全くヒドイ話です……。

 そんなことはともかく、小さいころは、裕福な暮らしをしていたのに、父親の事業の失敗で、急に小さな長屋住まいになったり、小学校卒業と同時に単身上京したり、東京藝大附属高校の受験に失敗したり、國學院大學を中退したり、病気になったり……。

 おまけに、デビュー後、31歳の時には、映画制作に失敗して、28億円とも言われる借金を抱えてしまい、その借金を、30年かけて、2011年に利子も含めて35億を完済したりと、そういう、つらい思いをたくさんしてきたから、さだまさしの歌は優しさと温もりに溢れ、まっすぐで、ピュアで、見せかけではない深い愛に溢れているのだと思っています……。
 もちろん、もともとスゴイ感性を持っていたってコトが大きいと思いますが……。

 で、そんな、さだまさしの数多くある名曲の中でも、先日の13年ぶりの「紅白」でも歌われた『奇跡 2021』は、そういう「さだまさし 集大成」みたいな歌詞が、美しく耳に残るメロディに乗った代表曲だと感じています……。

 ちなみに、この曲は、もともと、1991年にシングル『奇跡 〜大きな愛のように〜』として発売された曲で、セルフカバーバージョンの『奇跡 2021』が、昨年、2020年7月から「SOMPO ケア」の CMソングとして流れていて、紅白でも『奇跡 2021』として歌われたというワケです……。

 「どんなに せつなくても 必ず 明日は来る……」の歌声に勇気づけられたヒトも少なくないでしょう……。
 「僕は神様でないから 本当の愛は 多分知らない」「僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない」、だから、「大きな愛になりたい」と歌われる……。ピュアで、なんとも清々しい、心を打つ名曲です。

 だから、今回、さだまさし を書くに当たり、この『奇跡 〜大きな愛のように〜』にしようと思っていたのですが……、でも、今回は、『案山子』です……。どうしてかって言うと、歳を重ねれば重ねるほど、深く心に沁みてくる歌だからです……。

 ご存知のように、『案山子』は、故郷の田舎にいる兄が、都会でひとり暮らしをする弟や妹を思う気持ちを歌った曲。

 歌詞では、田舎にいる気遣う側の気持ちが書かれていますが、この歌を聴いた多くのヒトたちは、無意識に、都会に出た方の、気遣われる側の気持ちで聴いたのではないか思うのです……。

 ちょっと、思い返してみると、まだ「JR」になる前の「国鉄」だったこの時代、新幹線も、東海道新幹線と山陽新幹線しかなく、たとえば、上野から青森までは、当時、最速の寝台特急「はくつる」や「ゆうづる」でも、9時間以上かかっていました。

 「♪上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中」ではじまる、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』がヒットしたのも、まさに、この年、1977年(昭和52年)。在来線特急電車でも、まだまだ「汽車」と言うヒトも多く、感覚的には、今よりもずっと、都会が遠かったあのころ……。

 インターネットもケータイもなく、通信手段と言えば、電報、電話、手紙といったところで、「チチキトク、コナミルクオクレ」(チチ危篤、粉ミルク送れ)などといったギャグもありましたっけ……。

 長距離通話は、今よりもずっと高額で、田舎から都会に出てひとり暮らしをしていた学生の多くは、どうしても電話をする必要がある時には、ピンク電話からコレクトコールでかけていたもんです……。

 宅配便とかだって、その前年、1976年からヤマト運輸が宅急便のサービスを始めていましたが、まだまだ、重量 6kgまでの郵便小包が主流。だから、島津亜矢『帰らんちゃよか』の歌詞に出てくる「♪今度 みかんば いっぱい 送るけん」な〜んてコトも不可能でした……。

 そんな時代に、「元気でいるか…? 街には慣れたか…? 友達出来たか……? 寂しかないか…? お金はあるか…? 今度いつ帰る……?」と 6連発で問いかけてくる、そんなサビではじまるカントリー調の『案山子』は、新鮮に感じるとともに、ストレートに心に響いてきました……。
 とくに、「お金はあるか」が、心に刺さりました……。
 ちなみに、イントロのエレキギターは松原正樹……。

 歌詞をよく読めば、「♪おふくろに 聴かせてやってくれ」という一節があることから、兄が主人公であることはわかりますが、3回半出てくるサビの6連発の問いかけは、どうしても母親の言葉に聞こえます……(意見には個人差があります)。

 いつの時代も、遠く離れた田舎の母親と、たまに電話で話せば、「元気? カゼひいてない? おカネは大丈夫?」と、まず最初に言われるものです……。故郷を離れ、都会に出た経験のあるヒトであれば、そんな気にかけてくれる言葉が、時にはウザイと思ったコトもあったかもしれませんが、嬉しかったハズです……。

 なぜなら、そこには、一切の打算がなく、純粋にジブンを思ってくれる気持ち、すなわち、無償の深い愛情があるからです。

 そういう気持ちは、地方からの上京組でない、実家を離れたことのないヒトも、この曲から感じとっているのではないでしょうか……。

 そういう、母親の愛情を感じさせてしまう『案山子』は、優しさと温もりに溢れ、ジブンがいくつになっても……、たとえ、ジブンが母親の歳を越えても、やっぱり、子供の立場で聴こえてしまう歌なのではないでしょうか……(意見には個人差があります)。

 たとえ、苦労していたとしても何も言わずに、大変な毎月の仕送りをしてくれた母……、お米と一緒に余計なモノをたくさん送ってくれたりした母……、『案山子』を聴いて今は亡き母親を思い出し、涙するヒトも少なくないと思います……。
 『案山子』という歌は、そんな、ある種『無縁坂』と同じような気持ちになる歌です……(意見には個人差があります)。

 きっと、13歳、中学一年生の時に単身上京した さだまさし も、そういう気持ちになった経験があったのでしょう……。

 『案山子』は、さだまさし 25歳の時の作品です。

(2021年 1月 6日 西山 寧)


コラム「なつ歌詞」は、隔週 水曜日 更新です。



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さだまさし 歌詞一覧
作詞:さだまさし 歌詞一覧
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収録CD『天晴 〜オールタイム・ベスト〜』amazon
収録CD『天晴 〜オールタイム・ベスト〜』U-CAN

さだまさし「案山子」 配信 mora


さだまさし・グレープ ワーナーミュージックジャパン
さだまさし ユーキャン・エンタテインメント
さだまさし ビクターエンタテインメント


さだまさし オフィシャルサイト

さだまさし オフィシャル YouTube チャンネル


さだまさし ウィキペディア


『さだまさし国民投票』(2013年)


さだまさし『案山子』(EG:松原正樹)
まさしんぐ WORLD コンサート「カーニバル」(2008年)
より

SOMPO ケア テレビ CM「この道のプロ」篇 60秒
さだまさし『奇跡202』