第60回 平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」(1971年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第60回 平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」(1971年)

おまえの胸に 忍び込んだ
悪魔が 僕は にくい ……

平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」

「悪魔がにくい」平田隆夫とセルスターズ (3:16) Key=Em SIDE-B「恋は悲しい物語」
作詞:平田隆夫、作曲:平田隆夫、編曲:土持城夫、演奏:ダンポップスオーケストラ
1971年(昭和46年)8月10日 発売 アナログ 7インチ シングル レコード(45rpm、STEREO)
¥400 VA-1(DS^0003)Dan / ダンレコード / ミノルフォン音楽工業

オリコン 週間 ランキング 最高位 1位
オリコン 1972年度 年間ランキング 5位

「平田隆夫とセルスターズ (HIRATA TAKAO & CellStars)」
・平田隆夫 (ピアノ、ボーカル、リーダー)
・菊谷英紀 (ギター、ボーカル)
・松山徹 (ドラム、コーラス)
・小井修 (ベース、コーラス)
・みみん・あい (ボーカル)
・村部レミ (ボーカル )

※ 掲載ジャケット写真は、セカンドプレス盤。


 女性ツインボーカルに、男性ボーカルの入った6人組のバンド「平田隆夫とセルスターズ」のデビューシングル。
 京都府出身で、武蔵野音楽大学在学中からダン池田のジャズ・バンドに参加するなどピアニストとして活動していた平田隆夫が、大学卒業後の1968年に結成。その翌年、1969年にグループ・サウンズの「ザ・ルビーズ」の元ギタリストだった菊谷英二が加入。当時、『マシュ・ケ・ナダ』がヒットしていたブラジルのラテン・バンド「セルジオ・メンデス & ブラジル66」を目指し、最初はコピーバンドとして活動。
 1971年(昭和46年)8月10日、シングル「悪魔がにくい」で、ミノルフォンの新レーベル「ダンレコード」よりデビュー。翌1972年1月には、オリコン週間チャート5週連続1位を記録。同年2月に発売された 2ndシングル「ハチのムサシは死んだのさ」もヒット。6月には、フジテレビの時代劇「浮世絵 女ねずみ小僧」主題歌となった 3rdシングル「急げ風のように」をリリース。7月には 4thシングル「Baby」、11月には 5th シングル「サラダ・キャンディ・オレンジ」と立て続けにリリースし、年末の 第23回 NHK紅白歌合戦 にも出場、「ハチのムサシは死んだのさ」を歌唱。
 1974年、二人の女性ボーカルが脱退し、セシリアが加入。5人編成で「生きながらブルースに葬られ」などをリリースした後、1976年には、レコード会社を RVC へ移籍するが、その後、同年解散。1993年には、女性ボーカルに松本朱未、川原まいを加え再結成。 メンバーの平田隆夫と菊谷英紀が埼玉県川口市で経営していたライブハウス「ハチのムサシ」のステージなどで演奏活動を行っていたが、2011年6月12日に平田隆夫が死去。
 2019年11月12日に行われた、日本歌手協会主催のコンサート『第46回 歌謡祭』では、オリジナルボーカルの「みみん・あい」と「村部レミ」に、ギター&ボーカルの菊谷英二の3人で『悪魔がにくい』を歌唱したが、2020年4月27日には、菊谷英二が77歳で死去。

 尚、平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」には、企画番号は同じで、ジャケットと音源の違う2種類のレコードが存在するが、初回プレス盤は、ほとんど出回っていない。


最近、あまり耳にしないけど …
一度 聴いたら耳からはなれない名曲!
『ハチのムサシは死んだのさ』で知られるセルスターズの
実は最も売れた曲! 1972年の オリコン年間5位!


 一度、聴いたら耳について離れない曲です。
 「♪おまえが 好きさぁ〜 好きなんだぁ〜 たまら〜なく 好き〜なんだ〜」と、知らないうちにハナ歌で歌ってしまっています……。メロディだけでなく、それほど、歌詞とメロディのマッチングが良いというコト。名曲の条件です。

 平田隆夫とセルスターズと言えば、2枚目のシングル『ハチのムサシは死んだのさ』の方が売れたイメージが強いですが(紅白でも歌ったのは『ハチのムサシ〜』の方だったし)、実際は、デビュー曲『悪魔がにくい』の方が売れました。いい曲で、大ヒットしたのに、最近は、なぜか、あまり耳にしない曲です……。

 ところで、「悪魔」という言葉が入った曲は、ほかにはキャンディーズの『やさしい悪魔』くらいしか思い浮かびませんが、最近では、FUNKY MONKEY BABYS や SEKAI NO OWARI が、ともに『天使と悪魔』というタイトルの曲をそれぞれリリースしていて、いずれも人気曲のようです……。心の中の天使と悪魔……、ストレートです……。

 悪魔のコトを、サタンとかデビルとかデーモンとかではなく、英語圏では「ルシファー」とも言ったりします。「ルシファー」は、もともと天使で、それが堕天してサタンになったと言われています……。そうです、「堕天使」というヤツです。
 ダンテの『神曲』とか、ジョン・ミルトンの『失楽園』とかに出てきますが、そんなムズカシイことはよくわからないので、ただ単に、「もともとは天使だったのに悪くなったヤツだから、余計に悪い」と勝手に思っています……。

 キャンディーズの悪魔は「いい悪魔」ですが、身近な悪魔で言えば、「夜中のラ〜メン」とか「夜中のポテトチップ」とかでしょう……。
 ワタシの場合は、「今日中に書かないといけない原稿があるのに寝てしまうこと」だったり……、まさに「悪魔のささやき」です。

 そういえば、スリー・ディグリーズに『天使のささやき』(When will I see you again)ってヒット曲がありました。一方、『悪魔のささやき』って曲は知りませんが、ドミノ・ピザには、まさに「悪魔のささやき」ってガ〜リックの効いたピザがあったりします……。

 1979年から25年間も続いた長寿ラジオ番組『五木寛之の夜』のオープニングでは、「人生は短く、夜もまた短い。今日できることは明日に延ばして、せめてこの深夜の一時を……」な〜んて粋なコトを五木寛之が言ってたもんで、何度「明日に延ばして」後悔したことか……。

 そんなふうに、人間というものは、基本的には、欲に負けてラクな方に流れてしまうがちな生き物です……。

 もちろん、夜中のラ〜メンに負けない強い意志を持って、自身を律するコトのできる立派なヒトもいるとは思いますが、そういうヒトだって、時には怠けるコトだってあるでしょう……。だって、そうやって常に完璧に生きようとしていたら疲れちゃいますし、そもそも不可能です。人間は神様じゃないですから。

 完璧ではなく、不完全な存在ですし、だからこそ、人間的で、ドラマや歌も生まれるのはないでしょうか……。そういう弱い面も含めて、魅力だったりするコトもあります……。

 でも、だからと言って、ラ〜メンやポテトチップの誘惑に負け続けていてはイケません……、エライことになります。要は、程度問題というか、バランスですね……。

 ある心理学者は、「天使と悪魔」は「善と悪」ではなく、「長期的視点と短期的視点」だと言ってました。なるほど、深いです……。

 さて、この『悪魔がにくい』は、作曲家の遠藤実が、1965年(昭和40年)に設立したレコード会社「ミノルフォン」(最初、社名は太平音響株式会社で、のちにミノルフォン音楽工業株式会社。現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)の中にできたポップス路線の新レーベル「ダン」から、平田隆夫とセルスターズのデビューシングルとして、1971年(昭和46年)8月にリリースされました。

 発売当初は、あまりパッとしませんでしたが、4ヶ月ほど経った頃から売れ始め、翌1972年(昭和47年)1月からは、オリコン・チャートで 5週連続1位を記録する大ヒットとなり、この年、1972年のオリコン年間チャートで5位となりました。

 さらに、ちょうど『悪魔がにくい』に火がついてヒットしていた 1972年2月15日 に、セカンドシングル『ハチのムサシは死んだのさ』もリリースされ(オリコン、週間最高位8位、年間43位)、こちらもヒットしたことで、その年の「NHK 紅白歌合戦」にも出場。

 火がついたからなのか、最初のうちは売れなかったからなのか、その理由や時期はわかりませんが、この『悪魔がにくい』には、同じレコード番号で2種類のジャケットが存在します……。

 音も、全く違っていて、初回プレス盤には入っていないストリングスが、セカンドプレスには入っていたりしますし、2コーラス前の間奏のクラップもタイミングが良くなっているし、全体のミックスの音も違います……。

 楽器を足して、一部を録り直してミックスをやりなおしたのか、それとも、完全に録り直したのかはわかりませんが(ボーカルトラックは、おんなじに聴こえます)、セカンドプレスの音の方が、明らかにバランスが良く、ゴージャスで、今っぽい自然なミックスになっています……。

 よくわかりませんが、「最初は、やっつけで録って出したけど、売れてきたから、ちゃんとやりなおそうよ……」ってカンジがします……(個人の想像です)。
 現在、CD化されているのもセカンドプレスの音で、そもそも、初回プレスのシングル盤は、ほとんど出回っていなかったようです……。

 で、オリコン年間 5位っていうのが、どれほどスゴイかと言うと、この 1972年(昭和47年)の年間 1位〜4位は、宮史郎とぴんからトリオ『女のみち』、小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、ビリーバンバン『さよならをするために』、よしだたくろう『旅の宿』といった具合ですから……。

 ちなみに、6位以下もスゴくて、天地真理『ひとりじゃないの』(6位)、ペドロ&カプリシャス『別れの朝』(8位)、青い三角定規『太陽がくれた季節』(10位)、麻丘めぐみ『芽ばえ』(17位)、三善英史『雨』(18位)、奥村チヨ『終着駅』(21位)、橋幸夫『子連れ狼』(23位)、森昌子『せんせい』(30位)、郷ひろみ『男の子女の子』(51位)、五木ひろし『長崎から船に乗って』(60位)、ちあきなおみ『喝采』(66位)、藤圭子『京都から博多まで』(80位)……と、ど〜ですか! こんな名曲だらけの中で、『悪魔がにくい』それ以上に売れたというコトです……。

 さて、平田隆夫とセルスターズというバンド(グループ)は、京都出身で、武蔵野音楽大学在学中からダン池田のジャズ・バンドに参加するなどピアニストとして活動していた平田隆夫が、大学卒業後の1968年に結成しました。その翌年、1969年にグループ・サウンズの「ザ・ルビーズ」の元ギタリストだった菊谷英二が加入し、初期のメンバーが揃います。

 当時、『マシュ・ケ・ナダ』がヒットしていたブラジルのラテン・バンド「セルジオ・メンデス & ブラジル66」のようなサウンドを目指し、最初はコピーバンドとして活動していました。

 そう言えば……、「平田隆夫とセルスターズ」も、「セルジオ・メンデス & ブラジル66」と同じく、女性のツインボーカルでバックが男性3人。グループ名の付け方もおんなじ。リーダーの平田隆夫もセルジオ・メンデスも、ピアノ&ボーカルだし、おまけに、セルジオ・メンデスはヒゲをはやしているし、平田隆夫もはやしている……、しかも、珍しいラテン系のカタチに……。完全に意識していたと思われます……。

 実際、1972年1月10日に発売されたセルスターズのファーストアルバム『セルスターズ・リサイタルより “悪魔がにくい” 〜WHAT’S SELLSTARS?』(Dan VC-5005)には、『悪魔がにくい』や、シングルのカップリングだった『恋は悲しい物語』、その後、シングルカットとなる『ハチのムサシは死んだのさ』(ヤヤコシイことにシングルとは別バージョン)とカップリングの『天使は消えた』の 4曲以外は、『マシュ・ケ・ナダ』『サン・ ホセへの道』『ある愛の詩』『恋はフェニックス』『アンチェインド・メロディ』『レット・イット・ビー』など、名曲カバーが並んでいます……。
 ちなみに、アルバムタイトルもジャケットも、どう見てもライブ盤に見えるのに、スタジオ録音盤だったりします……。

 で、同じくラテン系のバンドだった「ペドロ&カプリシャス」も、同じ年、1971年10月25日にシングル『別れの朝』でデビューしていて、これまた同じように、翌1972年に「平田隆夫とセルスターズ」とチャート争いをすることになったというワケです。

 ちなみに、別れの朝』は、初代ボーカルだった前野曜子。高橋まり(現:高橋真梨子)は、1973年の3枚目のシングル『ジョニィへの伝言』から。

 平田隆夫とセルスターズというバンド名の由来は、アメリカの衛星「テルスター」(Telstar)から取ったようですが、なぜか「セルスターズ」になりました。

 その理由には、「とある地方公演の看板に書き間違えられたことがきっかけ」だとか、「平田隆夫の頭が薄くなりかけていて “照るスターズ” は良くない」だとか諸説ありますが、真相はよくわかりません……。

 いずれにしろ、巷の女子は、郷ひろみ『男の子女の子』に、男子は、天地真理『ひとりじゃないの』に夢中になっていたころ、このセルスターズの『悪魔がにくい』は、そのラテンサウンドも歌も新鮮で、大人っぽいカンジがしたもんです……。

 とくに、元祖アラレちゃんのような「みみん・あい」と「村部レミ」という女性2人の歌声が、なんといってもステキです。軽やかで、言葉のヌケがよく、さわやかで、それでいて色気があります……。

 冒頭の「♪おまえが 好きさぁ〜」の「さぁ〜」を、ちょっと抜き気味に吐息まじりで歌っているところとか、1番のAダッシュの「♪たまらぁ〜なく 好き〜だけど〜」の低い「だけど〜」を、優しく言葉を置くように歌っているところ……、さらに、2番の最初の部分、男性ボーカルから女性にかわった「♪抱きしぃ〜めて いた〜いんだ〜」の「しぃ〜めて」の伸ばし方とかもたまりませんね〜。

 さて、セルスターズは、その後、メンバーチェンジを経て、1976年に解散。リーダーの平田隆夫も2011年に亡くなってしまいましたが、2019年11月12日に行われた、日本歌手協会主催のコンサート『第46回 歌謡祭』では、オリジナルボーカルの「みみん・あい」と「村部レミ」に、ギター&ボーカルの菊谷英二の3人で、この『悪魔がにくい』を歌いました(BSテレ東でも放送された)。
 しかし、残念なことに、今年、2020年4月27日に、ギター&ボーカルの菊谷英二も亡くなってしまいました……。

 その最後となった日本歌手協会主催のコンサートでの模様が、歌手協会の公式 YouTube にあるので、リンクをつけておきます。興味本位で見てしまわないように、動画の埋め込みではなく、あえて、別画面のリンクにしておきます……。

 どうしてかって言うと、まずは、CDや配信で当時の音源を聴いて、思い出してほしいからです。あらためて聴くと、49年前の当時とは、また印象も違います……。

  そうです…… アナタもワタシも、その後、49年も生きてきたんですから……。 光陰、矢の如し。

 ところで、東京の京王新線「幡ヶ谷駅」にある(駅直結)中華料理店『チャイナハウス龍口酒家』は、「みみん・あい」さんのお店だそうです。最近はわかりませんが、以前は、たまに、お店でライブもやっていたとか……。

(2020年11月25日 西山 寧)


<おことわり>
来週、12月2日のコラムは、お休みします。次回は、12月9日(水)となります。



平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」歌詞を見る(聴く)!


平田隆夫とセルスターズ 歌詞一覧
作詞:平田隆夫 歌詞一覧
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収録CD「ゴールデン☆ベスト 平田隆夫とセルスターズ」徳間ジャパン

平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」配信 レコチョク


平田隆夫とセルスターズ ウィキペディア


日本歌手協会 リレー歌謡祭 / セルスターズ「悪魔がにくい」(歌は2:00〜)