第56回 中条きよし「うそ」(1974年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第56回 中条きよし「うそ」(1974年)

折れた煙草の 吸いがらで
あなたの嘘が わかるのよ ……
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中条きよし「うそ」

「うそ」中条きよし (3:08) B面「指輪をはずして」
作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路
演奏:キャニオン・オーケストラ、制作担当:金井謙一郎、録音:佐藤広之
1974年(昭和49年)1月25日発売 アナログ 7インチ シングル レコード(45rpm、STEREO)RIAA
¥500 A-201 CANYON / キャニオンレコード

オリコン・ランキング 週間最高位 1位
オリコン・ランキング 1974年度 年間 3位
オリコン・歴代シングルランキング 82位


 1946年3月4日生まれ、岐阜県出身の歌手で俳優、中条きよしのデビュー曲で、150万枚を超えると言われている自身最大のヒット曲。この曲で、第16回日本レコード大賞の大衆賞などの音楽賞を受賞し、第25回NHK紅白歌合戦にも出場。
 中条きよしは、10代のころから、役者を目指して大阪で活動し、その後、歌手としてデビューするために上京。スナックで働いていた時に、作曲家の米山正夫と知り合い、1968年(昭和43年)、21歳の時に、高波晃(たかなみ あきら)の芸名で、クラウンレコードからシングル『帰って来た波止場』で歌手デビューするが売れず。その後、1971年(昭和46年)24歳の時、渥美健(あつみ けん)の芸名で、キャニオンレコードからシングル『心の古傷』で再デビューするが、やはり売れず。赤坂でスナックをはじめ、マスターとなる。
 1973年(昭和48年)、27歳の時に、「お店の宣伝になれば」と出場したオーディション番組『全日本歌謡選手権』で、10週勝ち抜いてグランドチャンピオンになったことがきっかけで、翌 1974年(昭和49年)、中条きよしの芸名で、キャニオンレコードからシングル『うそ』で 3度目のデビューとなった。
 その後も、「うすなさけ」「理由(わけ)」などがヒットするとともに、1981年には、時代劇必殺シリーズ『新・必殺仕事人』三味線屋の勇次役でレギュラー出演。1998年には、『必殺・三味線屋勇次』で初主演。他にも、NHK大河ドラマ『利家とまつ』や、TVドラマ『秀吉』『夜桜銀次』、映画『新・極道の妻たち』『流れ板七人』など、多くの映画やテレビ、舞台に出演し、俳優としても活躍。
 2020年は歌手生活52周年目となり、2020年07月15日には、杉本眞人が作曲した最新シングル「北の灯り」をリリース。現在、フジテレビ『バイキング』にも出演中。


「平尾・山口、再生工場」による 2人目の成功者!
中条きよし の 3度目のデビュー曲にして
自身最大のヒット曲!


 ウソというものは、たいがいバレるものです。ウソをごまかそうとして、またウソをつくことになり、結局、辻褄が合わなくなってバレることが多いようです……。なんでも、バレないようにするには、出来るだけ事実に近いウソをつくことだそうです……。

 ですが、ワタシたちは、誰でもウソをつくもので、「ウソをついたことがない」というヒトはいないし、ウソをつかないと生きていけません……。

 自己防衛のために、自分自身につくウソもあれば、他者のことを思い、その人のためにつくウソもあります。「適度にウソをつけるということは、知的レベルの高さと、心の健康の表れ」と、心理学者の碓井真史というヒトは言っています……。

 それに、親が子供に「絶対にウソをついてはいけないよ」と、あまり厳しく言っていると、正直に「ごめんなさい」が言えなくなって、逆に、「ウソつき」になってしまうこともあるそうです……。

 「嘘も方便」という言葉もあるように、世の中には必要なウソもありますし、男女間での「やさしいウソ」もあります……。

 たとえば、男女間の別れでは、ふるよりも、実は、ふられる方がラクな場合もあります。ふられた方は、ふった相手を恨むコトが出来ますが、ふった方は、どこにもぶつけようがないからです……。

 それをわかった上で、相手を思いやり、ツラさに耐えながら、あえてジブンからふることで、ジブンが悪者になる……、そんな「やさしいウソ」がつけるヒトならステキです……。

 それは、被害者と加害者の関係にもちょっと似ています……。被害者は、怒りを加害者にぶつけることができ、最終的には赦すことも出来ますが、一方、加害者は、自分の過ちを受け入れたとしても、自分を責める以外、何も出来ません……。

 いずれにしろ、前述の碓井真史氏によれば、ウソは態度に表れるそうです。多弁になったり、視線が落ち着かなくなったり、自分の身体のあちこちを触ったりして、そこで、感のいい人は、なんとなくウソだなとわかるそうです。そして、男性に比べて、女性はこういう変化は出にくいとのこと……。

 とうワケで……、今回の『うそ』……、中条きよし(として)のデビュー曲で、自身最大のヒットとなった曲です。
 ジャケットの写真がイイですね〜。ちょっと見たこともないような受話器を持ってて、いかにも、これからウソをつきそうな表情をしています……。

 平仮名で『うそ』という、そのトリッキーな曲名もさることながら、やはり、なんと言っても、歌い出しのアノ有名なフレーズ、「♪折れた煙草の 吸いがらで あなたの嘘が わかるのよ」が見事です。こんなフレーズ、凡人にはとても思いつきません。コレだけで、つかまれてしまいます……。

 ちなみに、この歌詞には、「哀しい嘘」「冷い嘘」「優しい嘘」という 3つのウソが登場します……。

 先に、「中条きよし(として)」と書いたのは、実は、コレが3回目のデビューだったからです。

 もともと、大阪で役者を目指して活動していた中条きよしは、歌手としてデビューするために上京し、スナックで働いていた時に、作曲家の米山正夫を紹介してもらいます。
 で、その2ヶ月後に受けたレコード会社のオーディションに合格し、1968年(昭和43年)、21歳の時に、高波晃(たかなみ あきら)の芸名で、クラウンレコードからシングル『帰って来た波止場』で歌手デビュー。
 でも、全く売れず、シングルを2枚出しただけで、また、スナックに逆戻り……。

 最初のデビューから約3年後、米山正夫から「もう一回デビューしないか?」と誘われ、今度は、キャニオンのオーディションを受け合格。1971年(昭和46年)24歳の時、今度は 渥美健(あつみ けん)という芸名で、キャニオンレコードからシングル『心の古傷』で再デビュー。それでも売れず……。

 で、その頃には、赤坂に自分のお店(スナック)を出していて、二枚目のマスターとして人気に……。そりゃ、そうでしょう。

 その頃は、若いながらも経営者であったワケですし、もう歌手になる気も失せていたようですが、そのスナックのお客さんから、新人歌手を発掘するオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場することを勧められ、勝手に応募ハガキを出されたことがきっかけで、1973年(昭和48年)、27歳の時に、「お店の宣伝になれば」ぐらいの軽い気持ちで出場。
 すると、なんと、10週勝ち抜いてグランドチャンピオンになり、それがきっかけで、翌 1974年(昭和49年)、中条きよしの芸名で、キャニオンレコードからシングル『うそ』で 3度目のデビュー……、大ヒットになったというワケです。

 3度目のデビューにあたり、デビュー曲の『うそ』を書いたのは、作詞は山口洋子、作曲は平尾昌晃でした。10週勝ち抜いた『全日本歌謡選手権』の審査員に平尾昌晃と山口洋子がいて、「ジゴロのにおいがする」と山口洋子が言ったほど、中条きよしには魅力を感じていたようです……。

 さあ、鋭い「なつ歌詞」読者の方なら、もうお気づきでしょう……。

 そうです! 「松山まさる」の芸名でデビューし、その後、「一条英一」「三谷謙」と名前を変え、『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜いて、作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃の『よこはま・たそがれ』で 1971年(昭和46年)に 4度目のデビューをして成功した「五木ひろし」が辿った道と同じなんです。

 つまり、何度も名前を変えて、何度もデビューしても売れなかった「五木ひろし」も「中条きよし」も、ともに『全日本歌謡選手権』をきっかけに、山口洋子と平尾昌晃のコンビによって再生され、売れたのです……。

 まさに、「野村再生工場」ならぬ、「平尾昌晃・山口洋子 再生工場」です……。

 中条きよしは、再々デビューにあたり、五木ひろしの成功例を知っていてか、平尾昌晃に作曲の依頼を直訴したようです。

 平尾昌晃は、このコラムでも書いた小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』や『わたしの城下町』、アグネス・チャンの『草原の輝き』、梓みちよの『二人でお酒を』などなど、洋楽のエッセンスを歌謡曲に昇華し、日本人の心の琴線に触れるメロディを数多く書いた大作曲家。

 最初、平尾昌晃は、中条きよしのコトを「ホストみたいでイヤだ」と思わっていて、なんだかんだ理由をつけて会うのを断っていたようですが、「実際に会ってみたら、紳士的な好青年だった」というコトで、さらに、山口洋子の後押しもあり、めでたく再生工場入り……、曲を書くことになりました。

 で、山口洋子と言えば、クラブ経営者で、作詞家で、作家で、1985年には、『演歌の虫』『老梅』で直木賞を受賞している作家でもあります……。

 もともとは女優を目指し、難関の東映ニューフェイに合格し四期生になりましたが、わずか2年であきらめ、19歳の若さで、銀座にクラブ『姫』をオープンさせました。当時は、「最年少銀座マダム」ともてはやされ、多くの著名人が客として訪れたことで、一躍有名店となりました。

 クラブのママの傍ら、1968年(昭和43年)頃から作詞活動も始め、1970年(昭和45年)に、内山田洋とクール・ファイブの『噂の女』や野村真樹の『一度だけなら』がヒット。その後も、作曲の平尾昌晃とのコンビで五木ひろしの『よこはま・たそがれ』『長崎から船に乗って』『ふるさと』『夜空』などがヒット。

 さらに、五木ひろし『千曲川』(作曲:猪俣公章)や『待っている女』(作曲:藤本卓也)、八代亜紀『もう一度逢いたい』(作曲:野崎真一)、石原裕次郎『ブランデーグラス』(作曲:小谷充)や『北の旅人』(作曲:弦哲也)、矢吹健『うしろ姿』(作曲:藤本卓也)、山川豊『アメリカ橋』(作曲:平尾昌晃)などなど、ヒット曲は多数あり、クラブ経営者としても、作家としても、作詞家としても大成功をおさめたヒトです。

 で、この『うそ』ですが、五木ひろしの『よこはま・たそがれ』と同じく、詞先で作られました。

 そもそも、山口洋子と平尾昌晃が初めてコンビを組んだのが『よこはま・たそがれ』。歌詞を見た平尾昌晃は、最初、驚いたそうです……。

 なぜなら、それまで、多くの歌謡曲の歌詞が七五調だったのに対し、『よこはま・たそがれ』の場合、「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」と、四四七 で体言止め。前サビの Bメロも「ブルース 口笛 女の涙」と、たったこれだけの言葉数で 四四七。しかも、サビ前までは、ずっと名詞の羅列で体言止め……。

 ご存知のように、サビになって、ようやく「あの人は 行って行ってしまった」となるわけですが、そこまでは、「あの人は行ってしまった」というコトを言うため、よりドラマティックに聴かせるための布石です。

 直前の「女の涙」で、なんとなくわかってきますが、そこまでは、単なる名刺や名詞句の羅列でしかありません……。しかし、聴く人の心に、まるで映画のように情景を描かせ、サビまではなんだかわからないため、ドキドキ感が高まります。

 そして、サビでタネあかし……、見事です。山口洋子がこの詞を書いたのは、34歳くらいです……。

 最初、平尾昌晃は、「これで歌ができるのか?」と思ったそうですが、そのうち、独特のリズムがあることに気がつき、当時、地味なイメージだった五木ひろしを華やかにするために、ああいうロック歌謡調のメロディにしたそうです。

 で、この『うそ』の歌詞も独特です。こっちは、いちおう七五調で書かれています。2 ハーフという決して多くはない言葉数の中で、主人公の「私」の気持ちや心の中の言葉と、「あなた」の言葉が混在しています……。でも、混乱するどころか、音に乗って、逆に心情がよく伝わってくる歌詞になっています……。うまく出来ています。

 しかも、歌詞の中に「私」という言葉は一切登場せず、主人公の自分は「女」と表現され、第三者的な視点で書かれてるようなカンジもあります……。

 それでも、聴いたヒトには、その一般的な意味の「女」が、「私」というこの曲の主人公に自然と置き換わって聴こえます……。「女があとから 泣けるよな」「女がほろりと くるような」は、「私があとから泣いた」とか「私がホロリとした」と感じているハズです。

 「女」と書くことで、「私」はもちろん、「私を含めて誰でも同じように」という意味になり、ココに出てくる男の「うそ」が、より罪深くなる感じもします……。見事です。

 平尾昌晃は、山口洋子の歌詞を「詞から絵が浮かぶ」と評しています……。

 さて、『うそ』に続く、中条きよしのセカンドシングル『理由(わけ)』も、山口洋子と平尾昌晃のコンビによる作品で、これもヒット。1974年から1975年の間にリリースされたシングル8曲のうち5曲が、このコンビによる作品です。

 『うそ』は、1974年(昭和49年)1月25日に発売され、5月20日には、それまで8週連続でオリコン・チャートで1位だった殿さまキングスの『なみだの操』(1973年11月5日発売)を抑え、週間1位となりました。
 その年の年間ランキングでも、殿さまキングスの『なみだの操』、小坂明子の『あなた』に続く第3位という大ヒットになりました。いやはや、スゴイ 3曲です……。

 ちなみに、その年の年間ランキングの4位は、中村雅俊『ふれあい』、5位は、フィンガー5『恋のダイヤル6700』……、以下、『夫婦鏡』(殿さまキングス)、『くちなしの花』(渡哲也)、『激しい恋』(西城秀樹)、『積木の部屋』(布施明)、『学園天国』(フィンガー5)というのが、この年の年間 TOP 10。ゼンブ知ってますね……、名曲ばかり。

 さらに、年間ランキングの100位までを見てみると、山口百恵の『ひと夏の経験』が 15位、郷ひろみ『よろしく哀愁』が 16位、梓みちよ『二人でお酒を』が18位、五木ひろし『夜空』が 20位……、アン・ルイス『グッド・バイ・マイ・ラブ』が50位、八代亜紀『なみだ恋』が 56位、アグネス・チャン『ポケットいっぱいの秘密』が 60位、ペドロ&カプリシャス『五番街のマリーへ』が 68位、西崎みどり『旅愁』が73位……、と(まだまだ有名な曲があります……)、10位以下にも、今でも歌い継がれている名曲がたくさん並んでいることからも、それら以上に売れた『うそ』が、いかにビッグヒットだったかがわかるというもんです……。

 東海道新幹線が開業10周年となったこの年の10月、板東英二による『燃えよドラゴンズ!』がリリースされ、その1週間後に、中日ドラゴンズと大洋ホエールズ戦が中日球場で行われ、島谷金二が山下大輔のサードライナーをキャッチして、20年ぶりのセ・リーグ優勝(監督は与那嶺要、優勝投手は星野仙一)。ジャイアンツの V10 が阻止された年……。
 ちなみに、あの「読売巨人軍は永遠に不滅です!」の名言とともに長嶋茂雄が引退したのもこの年。

 なので、ドラゴンズ・ファンの中条きよしにとっては、『うそ』のヒットとドラゴンズの優勝という、とってもいい、忘れられない年になったことでしょう……。

 ところで……、この『うそ』に出てくる男は、ウソをついているつもりはなく、ただ無邪気に、本当に思ったことを言っているように思います……。だからこそ、余計に罪深いというか……。でも、そういうところも魅力的だったりもして……。

 そういう罪な男とわかっていても好きになってしまう……。

 人間の感情とはフシギなものです……。矛盾だらけだし、論理的に説明することはできません。でも、だから、それこそが人間的であり、面白くもあります……。

(2020年10月21日 西山 寧)


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