第54回 因幡晃「忍冬」(1985年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第54回 因幡晃「忍冬」(1985年)

だって いつかこじれて 駄目になるより
恋の匂いさせずに そばにいたいわ ……

因幡晃「忍冬」

「忍冬」(すいかずら)因幡 晃 (4:21) Key= Bm B面「ためらいトワイライト」
作詞:ちあき哲也、作曲:杉本真人、編曲:神山純一
1985年(昭和60年)4月21日 発売 EP盤 7インチ シングル レコード (45rpm、STEREO) 
¥700 10180-07 WARCRY/vap

フジテレビ系全国ネット「しのぶ」(制作東海テレビ)主題歌

1985年8月5日発売 7th アルバム LP 「TENDERNESS-10」収録(30178-28 / vap)


 シンガーソングライター・因幡晃(いなば あきら)、17枚目のシングル曲で、東海テレビ制作・フジテレビ系全国ネット、昼ドラ枠のドラマ「しのぶ」主題歌。
 秋田県大館市出身で、高校卒業後、鉱山技師として就職。仕事中の鼻歌から生まれたオリジナル曲『わかって下さい』で、1975年の秋に行われた「第10回 ヤマハ ポピュラーソングコンテスト」に出場し優秀曲賞を受賞。さらに、「第6回 世界歌謡祭」でも入賞し、翌1976年にシングル「わかって下さい」(作詞・作曲:因幡晃、編曲:クニ河内)でディスコメイトレコードからデビュー。60万枚以上と言われる大ヒットとなり、同年のオリコン・年間シングルチャートで9位となる。
 その後、自身の作品に加え、作家による提供曲も積極的に歌い、「別涙(わかれ)」「思いで…」「都忘れ」「夕映えを待ちながら」などを発表。2015年には「リチャードギアにはなれないけれど」をリリース。
 ソロ活動とともに、2014年からは、いずれもヒット曲を持ち、40年以上歌い続けているフォーク・ニューミュージック界を代表するアーティストたち、杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃の5人からなるフォークユニット「ブラザーズ5」としても活動している。


奇才、ちあき哲也が独特の切り口で描いた女心に
杉本真人による心の琴線に触れるメロディ……
そして、因幡晃の情感たっぷりな歌声で完成した、完全なる作品!


 そういえば……、子供のころ、よく友達と、あま〜い味のする花をチュ〜チュ〜吸っていましたっけ……。それが「スイカズラ」(忍冬)という花であることを知ったのは、コンビニのスイ〜ツですら食べた後に胃もたれするようになってしまった、ごく最近のコトです……。
 なんでも、花に甘い蜜があって「蜜を吸うつる植物」だから「スイカズラ(吸葛)」と言われているそうな……。英名では、「ジャパニーズ・ハニーサックル」(Japanese honeysuckle)ですって。

 因幡晃と言えば、もちろん、「ポプコン」でグランプリに次ぐ優秀曲賞を受賞し、世界歌謡祭でも入賞した名曲、デビュー曲の『わかって下さい』……ですが、でも、この『忍冬 (すいかずら) 』の方が、「より心に残っている……」という方も少なくないと思われます……。
 ドロドロの愛憎劇が多い、東海テレビ制作でフジテレビ系全国ネットの、いわゆる昼ドラ枠「しのぶ」の主題歌になっていました。最近でも、人気の若手歌手、林部智史らも、ステージで歌ったりしている名曲です。

 ちなみに、1975年(昭和50年)の秋に因幡晃が出場して優秀曲賞を受賞した「ポプコン」こと『第10回 ヤマハ ポピュラーソングコンテスト』でのグランプリは、中島みゆき『時代』でした……。

 入賞はしませんでしたが、渡辺真知子も(1977年デビュー)「PIA」というグループで『小さな朝の世界』という自作の曲を歌っていたり、1977年に『旅の終りに』がヒットする前の冠二郎も(1967年デビュー)や、庄野真代も(1976年デビュー)歌い手として出ていたんですね〜。おもしろいですね〜。
 渡辺真知子は、実は、その年の春の第9回の「ポプコン」にも「PIA」として出場していて、『オルゴールの恋唄』という自作の曲が特別賞を受賞していたり、その後も、ソロの歌い手としても出場していましたが、「ポプコン」でグランプリや優秀曲賞を受賞することはありませんでした……。
 「ポプコン」のハナシは、それだけでネタの宝庫なので、これくらいにして……。

 さて、因幡晃というシンガーソングライターは、ちょっと変わっていて、ジブンで作った歌を歌うだけでなく、職業作家から詞や曲を提供されて歌うことも少なくありません(もと鉱山技師だとか、デビュー曲で大ヒット曲が初めて作った曲だとか、そういうコトも珍しいですが……)。
 デビュー曲にして自身の最大のヒット曲『わかって下さい』は、因幡晃が作詞作曲した曲ですが、この『忍冬』は違います。

 『忍冬』の作詞は「ちあき哲也」、作曲は「杉本真人(眞人)」……、そうです、のちに作曲した杉本真人が「すぎもとまさと」名義で歌いヒットし、紅白でも歌われた曲『吾亦紅(われもこう)』を作ったコンビによる提供曲なんです……。

 作曲した杉本真人(眞人)というヒトは、一般的には馴染みのない名前で、多くのヒトにとっては、「2007年のNHK 紅白歌合戦で「すぎもとまさと」名義で『吾亦紅』を歌ったオジサン……」、ちょっと知ってるヒトでも、「小柳ルミ子の『お久しぶりね』とか『今さらジロー』を書いた作曲家で、ジブンで歌い出したのが『吾亦紅』……」、あるいは、「弦哲也みたいに、昔は歌手で今は作曲家……」くらいの認識かと思われます。

 しかーし! 実は、「すぎもとまさと」(歌手の時は平仮名表記になる)は、今も昔も、ず〜っとシンガーソングライター 兼 作曲家 なんです……。

 『吾亦紅』以外にも『銀座のトンビ』とか『くぬぎ』とか、いい歌がたくさんありますし、たとえば、小柳ルミ子に提供した『お久しぶりね』や『今さらジロー』の他にも、ちあきなおみに提供した『冬隣』や『かもめの街』『紅い花』、桂銀淑が歌った『花のように鳥のように』、石川さゆりの『恋は天下のまわりもの』や『転がる石』などなど、心に残る名曲がたくさんあります。

 で、だいたい、セルフカバーで自分でも歌っていますが、その歌には、独特な説得力があります。
 とくに、「すぎもとまさと」が歌う『冬隣』や『花のように鳥のように』は、ちあきなおみ や 桂銀淑 が歌ったものとは、また違った魅力があり、実にエモ〜ショナルで、心に響きます……、声も抜群ですし……。
 いずれにしろ、日本人の心に響く、本当にいいメロディを書くヒトです。

 一方、『忍冬』を作詞した「ちあき哲也」というヒトは、庄野真代の『飛んでイスタンブール』や『モンテカルロで乾杯』、木下結子が歌い、のちに門倉有希がカバーしてヒットした『ノラ』、矢沢永吉の『止まらない Ha〜Ha〜』や『YES MY LOVE』、五十嵐浩晃の『ペガサスの朝』、少年隊『仮面舞踏会』なんかを書いたヒト。
 杉本真人(眞人)とのコンビでは、『忍冬』と『吾亦紅』のほかにも、『かもめの街』(ちあきなおみ)などが有名です……。

 たとえば、「なかにし礼」とか「阿久悠」とか「吉岡治」とか「松本隆」らほどは、職業作詞家として有名ではないかもしれないが、この「ちあき哲也」というヒトが書いた詞は、本当にスゴイと思います。天才的なひらめきを感じるます……。

 もともと、作曲家の筒美京平と同じように、人前に出ることを好まず、異端児などとも呼ばれていたようですが、ワタシは、奇才というか天才だと思っています……。たとえて言うなら、昭和の大作詞家の阿久悠が「超一流の職人」だとすると、「ちあき哲也」は、ピカソのような、繊細でありながら型にはまらない「天才肌の芸術家」といったようなイメージですかね……。

 そのせいか、「ヒット曲が数えきれないほどある……」とい作詞家ではありませんが(充分ありますけど)、独特の言葉使いで書かれた秀作がたくさんあります……。

 とくに、ちあき哲也の作品には、「女心」を描いた秀作が多くあります。報われない孤独な心の内を歌った『ノラ』も、渋谷道玄坂の上から見おろした夜明けの町を海に見立て書いたと言われている『かもめの街』とか、あらためて歌詞を見ながら聴くと、本当にその完成度の高さに驚かされます……。
 だいたい、そう言われていくら見ても、渋谷が港町には見えません……。そこが、ワタシたち凡人とは違うところ。

 そして、『忍冬』も、そんな「女心」の名曲のひとつです。
 「望む関係ではなくても、自分の気持ちは心の中だけにしまって、このままそばにいたい……、時々、心が痛むし、自分でもバカだと思っているけれど……」、そこからは、「切なさ」や「弱さ」とともに、純粋で一途、覚悟を決めた「強く深い愛」すら感じてしまいます……。

 で、そんな歌詞と、杉本真人(眞人)のメロディに、因幡晃の情感たっぷりな歌声がよく合います。
 その風貌からは、到底想像できない(ごめんなさい!)ガラスのような透明感があり、かつ、甘く柔らかく響く歌声は、松山千春や角川博ら以上に「女唄」が合っている気がします……。声の響きがクリアで明るいのもイイですね〜……、曲調がマイナー調だとしても、歌声や言葉の響きが明るくないと、聴き手ににはつたわらないものです。

 因幡晃は、小さいころから、5歳上の姉が聴いていたシャンソンと、父親が歌っていた民謡に影響をうけたと話していますが、そう言われれば、『わかって下さい』は、どこかヨーロッパ的な感じのするメロディーだし、『わかって下さい』や『忍冬』の歌唱にも、ヨーロピアンな雰囲気を感じます……。

 いずれにしろ、因幡晃自身は、自分で詞も曲も書いて歌うことだけに全くこだわっていなくて、むしろ、提供された楽曲を歌うことも楽しんでいたようです……。

 そして、『忍冬』で忘れてはならないのが、神山純一(ホッピー神山ではありません)によるアレンジです。マイナー調の曲なのに、あえてイントロはメジャー調……、メジャーセブンスのコードでエレガントなストリングスから始まります。曲中のストリングスの動きも、実に効果的に、この歌を盛り上げています……。

 名曲とは、それぞれが極めて優れた「歌詞、メロディ、歌声、アレンジ」が偶然に出会うことで生まれ、そこに「タイミング」や「運」という要素が合わさった時に、大ヒット曲となるものです……。それらの要素がバランスよく出会うことは、奇跡に近いコトです……。

 そういう意味では、『忍冬』は、大ヒットとはなりませんでしたが、それぞれの分野の超一流の仕事が掛けあわせれて出来た、極めて完成度の高い名曲です。

 ところで……、この曲で、「う〜ん、なるほど〜」と多くのヒトが感心したであろう歌詞が、「だけど… 忍ぶという字は難しい 心に刃(やいば)を乗せるのね……」ではないでしょうか……。「心」という字の上に「刃」を乗せると「忍」という字になる……、うまいこと考えたものです……。
 『忍冬』(すいかずら)という花をモチーフに「忍ぶ恋」を描き、でも時々「心にチクチク刃(やいば)がささる……」、天才的なヒラメキに加えて、実に緻密に出来ているとも感じます……。

 ちなみに、「木の上に立って見るのが親」的な、あるいは「人という字は支え合って……」みたいな、この手の「漢字イジリ」の歌詞は、わりと昔からある手法だったりします……。

 たとえば、こんなの ↓

 「♪明日(あした)という字は 明るい日とかくのね……」
 「♪若いと言う字は 苦しい字に似てるわ……」

  アン真理子『悲しみは駈け足でやってくる』(1969年)

 「♪人の夢とペンで書けば 儚いと読むのですね……」
  松田聖子『花一色〜野菊のささやき〜』1981年

 「♪春という字は 三人の日と書きます……」
  石野真子『春ラ!ラ!ラ!』1980年

 「♪人という字の 支えをとれば 一人っきりが残るだけ……」
  宇崎竜童『地平線』1983年

 「♪もちつもたれつ よりそいあって 人という字は 立ってるものを……」
  天童よしみ『演歌酒』1988年

 「♪涙という字の 右側に 戻るという字が 隠れてる……」
  山内惠介『スポットライト』2015年

 「♪幸せという字は 逆さにしても 幸せと……」
  アグネス・チャン『幸せという字』2015年


 「人」というは、とくに人気ですね……、ほかにもたくさんあります(そんなに有名な曲ではないですけど)……。

 あと、星野富弘の有名な言葉「辛いという字がある もう少しで幸せになれそうな字である」と同じような歌詞が、たしかあったハズなのですが……、いま、ど〜しても思いだせません……。

 まあ、ほかにも、思い出せないコトは、日常、たくさんありますけど……、なにしろ、コンビニのスイ〜ツで胃がもたれる年ですから……。

 最近、思い出せないことが、あまりにもたくさんあるので、そういう時には、思い出さないようにしています……。

(2020年10月7日 西山 寧)


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