第53回 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第53回 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975年)

ただ 都会の絵の具に
染まらないで 帰って ……
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太田裕美「木綿のハンカチーフ」

「木綿のハンカチーフ」太田裕美 (3:45) Key= A B面「揺れる愛情」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)
作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:筒美京平・萩田光雄
1975年(昭和50年)12月21日 発売 EP盤 7インチ シングル レコード (45rpm、STEREO) 
¥500 SOLB-352 CBSソニー

1975年12月5日発売 3rd アルバム LP「心が風邪をひいた日」収録(SOLL-198 / CBSソニー)*別バージョン


 太田裕美、4枚目のシングルで、自身、最大のヒット曲。
 上野学園音楽学校声楽科声楽コース在学中に、スクールメイツのオーディションに合格し、NHK『ステージ101』のレギュラーメンバーとなるとともに、ナベプロが経営していた銀座のライブハウス「メイツ」で弾き語りの歌手としても出演。
 1974年「雨だれ」で歌手デビュー。1975年12月に発売された3枚目のアルバム「心が風邪をひいた日」から「木綿のハンカチーフ」がシングル化され大ヒット。以後、「赤いハイヒール」「しあわせ未満」「九月の雨」「失恋魔術師」「ドール」「さらばシベリア鉄道」「君と歩いた青春」などヒット曲多数。NHK 紅白歌合戦には、初登場の1976年から1980年まで5年連続出場。
 1982年、充電のため歌手活動を一時休業し、アメリカ合衆国・ニューヨークに滞在。帰国後、幅広い音楽活動を経て1985年に結婚、二人の男の子の母となる。
 1992年から本格的にライブ音楽活動を再開。1998年には「僕は君の涙」(作詞、作曲:太田裕美)、2001年には「パパとあなたの影ぼうし」が「NHKみんなのうた」で放送される。1999年には、松本隆作詞家活動30年記念作としてカバーミニアルバム「CANDY」を発売。2006年、オリジナル・フルアルバム「始まりは”まごころ”だった。」発売。2009年には、シングル「初恋」(作詞:太田裕美、作曲:伊勢正三)が、NHK「ラジオ深夜便のうた」として、2011年12月には、シングル「金平糖」が、NHK「みんなのうた」として、それぞれ放送される。
 2014年4月2日、敬愛する作曲家、筒美京平のトリビュートカバーフルアルバム「tutumikko」を発売。2019年5月には、デビュー45周年記念の7インチアナログ盤「ステキのキセキ」「桜月夜」をリリース。さらに、同年11月には、記念アルバム「ヒロミ☆デラックス」が発売。
 2004年秋からスタートした、伊勢正三(かぐや姫)、大野真澄(ガロ)との3人組ユニット「なごみーず」の活動も好評。


アレンジと歌詞が違う2バージョンが存在する曲!
作詞家・松本隆が全面的に関わった
初めての女性シンガーの大ヒット曲!


 最近の若者の多くが、「木綿」という言葉は、「とうふ」でしか知らないようです。まあ、そりゃそうでしょう……。

 この『木綿のハンカチーフ』の歌詞を書いた松本隆は、1975年当時でさえ、「木綿」という言葉は、すでに死語になりかけていたからこそ、あえて「コットン」とか、ただの「ハンカチーフ」ではなく、「木綿のハンカチーフ」にしたと言っています……。まあ、ハンカチを、わざわざ「ハンカチーフ」と言うヒトも、ほとんどいないとは思いますが……(ウチの母親はハンケチって言ってた)。
 そういえば、夏木マリの曲で『絹の靴下』(作詞:阿久悠、作曲:川口真)って名曲もありましたね……。

 死語といえば、「背広」「とっくり」「チョッキ」「コール天」「ネッカチーフ」「ステテコ」「ズロース 」「シミーズ」とかも言わなくなりましたね〜。衣類以外でも、「ビフテキ」「ぶどう酒」「乳母車」「つっかけ」「さじ」「こうもり」「てんかふん」……、「ねずみ色」な〜んてコトバも、ほぼ死語です……。

 一時期、1980年〜90年代には、よく歌詞の中に登場した「受話器」「ダイヤル」「電話帳」「テレフォン」「公衆電話」なんかは、ケ〜タイが一般化したおかげで、そのもの自体がなくなってしまいました。

 松山恵子の『お別れ公衆電話』は、1959年の発売ですが、わりと最近でも、槇原敬之『遠く遠く』(1992年)、森高千里『渡良瀬橋』(1993年)の歌詞に「公衆電話」が登場しますし、島津ゆたか(ほか)『ホテル』(1985年)には、コッソリ見られちゃう「黒い電話帳」が、小林明子『恋におちて -Fall in love-』(1985年)には、途中で回すのをやめてしまう「ダイヤル」が出てきます……。
 「受話器」は、1998年の宇多田ヒカル『Automatic』にも出てきます……。つぎは、何がなくなるのでしょう……。

 さて、『木綿のハンカチーフ』ですが、45年も前の曲にもかかわらず、いまだに歌い継がれている、もはや説明不要の名曲です。

 これまで、平尾昌晃、佐良直美、石川ひとみ、桑田佳祐、斉藤由貴、稲垣潤一、ASKA、天童よしみ、岩佐美咲、スターダストレビュー……ら、60組以上のアーティストによってカバーされていて、若者は、オリジナルの太田裕美バージョンではなく、「椎名林檎」や「いきものがかり」がカバーしたことで知っていたりします。

 さらに、ノーランズや宝塚歌劇団にもカバーされているし、朝倉さやは、自身のアルバム『方言革命』の中で山形弁バージョンで歌っていたり、今月、2020年9月16日には、エレファントカシマシの宮本浩次が、ソロ・シングル『P.S. I love you』のカップリング曲として収録されたカバーが発売されました……。

 つまり、『木綿のハンカチーフ』という歌が、たんなる「ナツメロ」とか「心に残る歌」というだけでなく、45年もの長期にわたって、世代を超えて好まれているということは、古くならない、古さを感じない曲だということです。

 ちなみに、就職や転職、進学情報の提供や人材派遣をやっている「マイナビ」(旧:毎日コミュニケーションズ)が運営するサイト『マイナビウーマン』によると、ちょっと前の調査ですが、「働く女性に聞いた!忘年会のカラオケで上司世代にウケる曲」では、やっぱり『木綿のハンカチーフ』多かったそうです……。「20〜30代のOLさんが歌って、40〜50代の管理職のオジサンたちが喜ぶ……」そういう構図です……。そういう曲は、意外とそんなに多くはありません。

 もちろん、松本隆と筒美京平による楽曲そのものの良さがあるからこそ、これほどまで長く歌い継がれているわけですが、それも、最初に歌ってヒットさせた太田裕美の歌声の魅力が伝えたからこそです。楽譜や歌詞を見ているだけでは、誰も感動しませんから……。

 音楽とは、技術を競うものではなく、好みのものですから、「うまさ」ではなく、まず「声の魅力」が必要です。どんなに勉強して、高度なテクニックを身につけたとしても、まず、歌声が魅力的でなければ、「うまいね……」とは言われるかもしれませんが、「好きっ!」にはなってもらえません。

 さらに、声の魅力に加えて、太田裕美の場合、感情を込めずに、サラッと歌っているからこそ、その言葉の持つ意味や裏側にある感情が、聴く人に伝わってくるのです……。

 たとえば、1981年のシングル『君と歩いた青春』(作詞・作曲:伊勢正三)など、「ボクは〜」と歌う男歌にも関わらず、正やんの歌よりも太田裕美の歌唱の方が、心に響いてきます……ワタシは……(好みはありますが)。

 太田裕美は、中学生のころ、同級生に「太田さんてヘンな声よね〜」と言われたコトがあるそうですが、「特徴的な声」は、歌手にとっていちばんの武器になります。実際、コマーシャルソングで名前が出ていなくても、「あの歌は、太田裕美さんですか?」ってよく言われたりもしたそうで、「私と同じ声の人がいないので、そこはいいかなと思っています」とも言っています。

 以前にも書きましたが……、最近は、「太田裕美」や「石川ひとみ」「八神純子」のような声質の歌手っていませんね……。

 で、ご存知のように、松本隆によるこの歌詞は、都会に出た男性と、田舎に残る女性との遠距離恋愛を描いた内容で、往復書簡のようなやり取りになっています。
 当時、2ハーフや 3コーラスが一般的だったのに、4コーラスもあるし、しかも、テーマとサビで男女が入れ替わるという斬新さ……。松本隆、本人も、「歌で短編小説と同じようなものができるかというチャレンジだった」と言っています。

 太田裕美は、この4枚目のシングル『木綿のハンカチーフ』のヒットでブレイクしましたが、それ以前の3枚のシングルも、同じく作詞:松本隆、作曲:筒美京平のコンビによるものでした。

 すでに、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』や、尾崎紀世彦の『また逢う日まで』などをヒットさせていた筒美京平が、太田裕美を新たに手掛けることになったときに、当時は、まだ「はっぴいえんど」のドラマーから作詞家に転向したばかりの松本隆の才能にいち早く目を付け、松本隆を指名しました。
 松本隆は、ちょうど、アグネス・チャンの6枚目のシングル『ポケットいっぱいの秘密』で、はじめてヒット曲と言える曲が出たころでした……。

 このコンビで、太田裕美のデビュー曲『雨だれ』(1974年)から、『たんぽぽ』『夕焼け』とシングル3枚を書きましたが、デビュー曲もそんなにヒットしなかっただけでなく、出すごとに、だんだん売り上げが落ちていきました……。

 自信を失いかけていた松本隆が、当時の担当ディレクターの白川隆三に、「一回好きなように、詞先で書かせてくれ」と頼みこんだことで、「シングルは口を出させてもらうけど、アルバムは好きに作っていい」ということになり、そうして作られたアルバムが、1975年12月5日に発売された『心が風邪をひいた日』……、そして、そのA面の1曲絵目が『木綿のハンカチーフ』だったのです。

 『木綿のハンカチーフ』をレコーディングしたあと、筒美京平が「これは、ものすごくいい曲だからシングルにした方がいい」と言い出し、レコード会社内での評判も良かったことから、「アルバムからのシングルカット」という扱いで、アルバム発売の約2週間後の12月21日にシングルとしても発売されました。

 で、ファンには、よく知られた話ですが、シングル化するにあたり、実は、オケも歌も全て録り直していて、歌詞も1箇所だけ変えられています……。

 つまり、この『木綿のハンカチーフ』には、最初に録音された「アルバム・バージョン」と、その後、シングル用に録り直された「シングル・バージョン」という 2つの違った音源が存在するのです(普段、多くの人が耳にしているのは「シングル・バージョン」です)。

 オケは、最初にアレンジをした(筒美京平が指名した)萩田光雄のものをベースにしていますが、筒美京平によってストリングスやコーラスが足され、もともと入っていたストリングスも大きめのミックスになっていて、全体としてよりポップに華やかになっています。
 ちなみに、印象的なギターは、シングルが芳野藤丸、アルバム・バージョンは矢島賢が弾いています……。

 ボーカルも、より前に出ているようなミックスで、歌い方も違っています。
 たとえば、歌い出しの「♪恋人よ〜」は、「アルバム・バージョン」では「♪こっ いっ びと よ〜」と、軽くハネるように歌っていますが、「シングル・バージョン」では「♪こ〜い〜びと よ〜」と、語りかけるような歌い方です。

 そして、1箇所だけ変更された歌詞は、3コーラス目の冒頭です。シングルでは「恋人よ いまも素顔で……」ですが、もともとのアルバム・バージョンでは「恋人よ 君は素顔で……」でした。

 たった3文字の違いですが、松本隆のこだわりだったのでしょう……。
 たしかに、「いまも」にすれば、「君は」と言わなくても、「いまも君は…」という意味になるし、さらに、時間の経過を聴く人に感じさせることができる……。歌詞って深いものです……。

 ちなみに、筒美京平は、あるインタビューで「自身が選ぶベスト3」として、『さらば恋人』『また逢う日まで』『木綿のハンカチーフ』の3曲をあげていたりもします……。

 さて、歌手やそのスタッフにとって、ヒット曲が出ることそれ自体は、大変に喜ばしいことですが、それが大ヒットであればあるほど、実は、困ったことにもなります……。

 なぜなら、大ヒットの次のシングルも、同じような良い歌を、自然と期待されるからです。次の曲も、相当良い曲でないと、「前の方が良かったね……」と言われてしまいます。だから、スタッフにはプレッシャーがかかります。ヒット曲が続けば続くほど、ドンドン歌手とそのスタッフはキツくなってゆくものなのです……。

 で、『木綿のハンカチーフ』に続く5枚目のシングル『赤いハイヒール』(名曲です)や、7枚目の『しあわせ未満』、9枚目の『九月の雨』、12枚目の『ドール』など、松本隆・筒美京平コンビで作られた曲がヒットしていますが、太田裕美も「次から次と、いい曲を出していっても、やっぱり『木綿のハカチーフ』と言われてしまって……、早く『木綿』を越えて、私の新しい歌の世界を聴いてほしい……」と思っていたようです……。

 いずれにしろ、松本隆が、初めてアルバム・プロデュースをするような形で、本格的に女性アーティストを手掛けたのが太田裕美でした。
 太田裕美は、「松本さんが、本当に全身全霊で歌詞を手掛けてくれた最初の歌手が太田裕美。それこそ、本当に心を削って書いてくれているような詞が、ものすごく多いと思います」と語っています……。

 『木綿のハンカチーフ』は、『ポケットいっぱいの秘密』と並んで、松本隆の出世作となり、その後、筒美京平とのコンビで作られた、中原理恵「東京ららばい」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」、松田聖子の『風立ちぬ』『赤いスイートピー』『SWEET MEMORIES』などに繋がっていきました。

 このコラムでも以前の書いた『白いパラソル』『青春の坂道』『三枚の写真』なども松本隆の作品です……。

 ところで、ボブ・ディランが、1964年に出した3枚目のアルバムに『スペイン革のブーツ(Boots Of Spanish Leather)』という曲があり、その歌詞と、この『木綿のハンカチーフ』の歌詞とが似ていると言って批判するヒトもいるようですが、ワタシにとっては、そんなコトはどうだっていいことです……。

 おそらく、言われているように、松本隆は、ボブ・ディランの曲から発想したのだとは思いますが、『スペイン革のブーツ』と『木綿のハンカチーフ』は別の曲ですし、『木綿のハンカチーフ』が、メロディ、アレンジ、歌唱を含めたひとつの作品として傑出していることは間違いありません。それは、歴史が証明しています。

 そもそも、音楽ですから、似てようが似てまいが、楽しませてくれれば、それでいいのです。エンターテインメントとは、そういうもんです……、大衆娯楽ですから、理屈なんてど〜でも良いことです。

 クイーンの映画を見て「事実と違う!」と文句を言ったり、『ダイ・ハード』とか『007』を見て「あんなのあり得ない、とっくに死んでるよ!」と言ったりするのと似ています……。事実と違おうが、現実には起こらないコトであろうが、映画なら、映画館で2時間、楽しませてくれれば、それでいいのです……。

 歌で言えば、「東京に砂漠はない」とか「あずさ2号は8時発じゃない」とか「新宿は港町じゃない」とか言っているのと似ています……。

 だいたい、メロディやアレンジに関しても「似てる」とか「パクリだ」とか言うのが好きなヒトもいますが、それもワタシにとってはナンセンスで、ど〜でもいいことです……。

 だいたい、そもそも音楽なんてものは、全て「マネ」から始まっています。歌や楽器をはじめるときには、まずコピーからはじめるワケで、必ず最初はマネをします。いきなりオリジナルを弾く人はいません。6世紀ころのグレゴリオ聖歌の時代からそうですし、バッハだろうとベートーヴェンだろうとモーツアルトだろうと例外ではありません。

 ポップスだって同じで、オリジナル曲を作っている人は、全て、誰かの影響を受けていますし、似たフレーズがあったりもします。でも、それでいいんです。音楽ってそういうもんですから。

 もし、そんなコトを言っていたら、厳密にいえば「本当にオリジナルなもの」なんて存在しなくなるかもしれません……。

 音楽に限らず、画期的な新商品や新しいビジネスモデルだって、「完全に新しいもの」などはそうそうないもので、だいたいは「既存のモノやアイディアの組み合わせ」だったりします。その組み合わせの妙やアイディアが、「発明」だったりするのです……。

 あの パブロ・ピカソ だって、「優秀な芸術家は模倣する。偉大な芸術家は盗む。」と言っています……。

(2020年9月30日 西山 寧)


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収録CD「心が風邪をひいた日」(アルバム ver.)
収録CD「GOLDEN☆BEST 太田裕美」(シングル ver.)

デジタル「木綿のハンカチーフ」(アルバム ver.)mora
デジタル「木綿のハンカチーフ」(シングル ver.)mora


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