第52回 ザ・サベージ「いつまでも いつまでも」(1966年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第52回 ザ・サベージ「いつまでも いつまでも」(1966年)

僕を 見つめてくれた
忘れられない いつまでも ……
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ザ・サベージ「いつまでも いつまでも」

「いつまでも いつまでも」ザ・サベージ (3:32) Key= Db Side-2「恋の散歩道」(作詞・作曲:寺尾聰)
作詞:佐々木勉 、作曲、佐々木勉、編曲:林 一
1966年(昭和41年)7月1日発売 EP盤 7インチ シングル レコード (45rpm、STEREO) 
¥370 SFL-1058(JWM-5011) PHILIPS / フィリップスレコード 日本ビクター

1966年12月15日発売 1st アルバム LP「この手のひらに愛を / ザ・サベージ・アルバムNo.1」収録(FS-5003 / PHILIPS)

アサヒ「ミニ樽」、テレビCMソング(1981年)
積水ハウス、テレビCMソング(1997年)


 日大芸術学部の学生だった奥島吉雄と、高校生のころから「テディ・ボーイズ」というバンドで活動していた寺尾聰、渡辺純一らが一緒になって1965年に結成されたバンド「ザ・サベージ(The Savage)」のデビュー曲。
 デビュー前は、『春がいっぱい』などで知られるイギリスのギター・インスト・バンド「ザ・シャドウズ(The Shadows)」のコピーバンドとして活動。バンド名の「ザ・サベージ」も、「ザ・シャドウズ」のヒット曲『サベージ』からとったもの。大学卒業記念に出場したフジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」で4週連続チャンピオンになり、さらに翌年、日本テレビ「世界へとび出せ ニューエレキサウンド」でも優勝し、シンガー・ソングライター佐々木勉が提供した「いつまでも いつまでも」で1966年にデビュー。この曲は、「アマチュアエレキ合戦」優勝の特典として、レコーディングはロンドンで行われ、1番と3番をリーダーでギターの奥島吉雄が、2番をベースの寺尾聡が歌っている。
 その後、「この手のひらに愛を」「夜空に夢を」などシングルを計5枚と、ファーストアルバム「この手のひらに愛を / ザ・サベージ・アルバムNo.1」リリースするが、1968年3月に解散。唯一のアルバムに収録されている「涙をふいて」は、ポリドール・レコードで洋楽のディレクターをやっていたころ、プロ作家になる前の筒美京平の作品。
 その後、寺尾聰は、俳優として成功しただけでなく、1981年には『ルビーの指環』などがヒット。奥島吉雄は、ヤマハ音楽振興会で制作ディレクター、プロデューサーとなり、中島みゆきらを育てた。

ザ・サベージ(デビュー時)
奥島 吉雄 : ボーカル、ギター(リーダー)
寺尾 聰  : ボーカル、ベース
林 廉吉  : リードギター
渡辺 純一 : ドラムス


『ルビーの指環』の寺尾聰と、
中島みゆきらを育てた奥島吉雄がいたバンドのデビュー曲!
夏っぽい爽やかなサウンドに隠れた、

歌詞のホントの意味とは……?


 ビートルズとコルトレーンが来日し、NHK では『アンディ・ウィリアムズ・ショー』が始まり、前田美波里が水着になった『資生堂ビューティ・ケイク』のポスターが盗まれまくっていた1966年(昭和41年)のヒット曲です。だいたい、今から55年前……、え〜っ!

 大相撲では、柏戸と大鵬が争い、グリコの『ポッキー』やライオンの『ママレモン』が発売され、『週刊プレイボーイ』が創刊となったこの年……、ケーキと言えば、まだバタークリームで、バキュームカーが猛烈な悪臭とともに走り、洗濯洗剤の箱は巨大なモノでした……。

 音楽では、森進一『女のためいき』、橋幸夫『霧氷』や『雨の中の二人』、美空ひばり『悲しい酒』、城卓矢『骨まで愛して』、美川憲一『柳ヶ瀬ブルース』、千昌夫『星影のワルツ』、布施明『霧の摩周湖』、水前寺清子『いっぽんどっこの唄』、山本リンダ『こまっちゃうナ』……、そして、このコラムでも書いた、槇みちる『若いってすばらしい』(第10回)、園まり『逢いたくて逢いたくて』(第28回)なんかが流行っていました……。イイ歌がいっぱいあった年ですね〜。

 そんな中、7月1日に発売された「ザ・サベージ」のデビュー曲『いつまでも いつまでも』は、いきなりヒットしました。3連の夏を感じさせるサウンドで、耳に残るメロディーのイイ歌です……。
 最近の音楽のように肩にチカラが入らない、どこかホッとするような曲。メンバーのひとりかと思いますが、イントロの見事な口笛は、いったい誰が吹いているのでしょう……。

 ちなみに、この『いつまでも いつまでも』には、多くの人が知っているイントロにストリングスの入っているバージョンとは別に、ストリングスの入っていない、シンプルな「オリジナル・バージョン」という 2つの音源が存在します……。(『ザ・サベージ・コンプリート・コレクション』というCDには両方のバージョン入っています)

 ところで、この『いつまでも いつまでも』という曲は、メンバーの2人が大学生だったり、アイビールックだったりもしたことから、いわゆる「カレッジ・フォーク」みたいに分類されるコトも少なくありませんが、「ザ・サベージ」自体は、やっぱりフォークというよりはロックバンドだと思っています……。
 この曲の、単音ではなくコードっぽい、湘南サウンドのようなギター・ソロからもわかるように、「グループ・サウンズ」のはしりと言った方が良いと思います……。

 たとえば、イントロの「ソ ラ シ ラ」と、ベース音を変えずに5度の音を動かす「Db – Db6 – Dbmaj7 – Db6」というコード進行もオシャレですし、だいたい、カレッジ・フォークで、オーギュメントのようなオシャレなコードを使ったりはしません……(サビの最後「♪ほほえんで〜」のあとに「ジャ〜ン」て2拍のばしているコード、聴けばわかります)。

 また、音楽的な時代背景からも、そう感じます。

 たとえば、この年の4月、マイク眞木の『バラが咲いた』が、6月には加山雄三の『お嫁においで』が、そして、7月1日に『いつまでも いつまでも』が発売され、1ヶ月後の8月1日には、ザ・ブロードサイド・フォーの『若者たち』、その約1ヶ月後には、ザ・スパイダース『夕陽が泣いている』、そして11月には、ザ・ワイルドワンズが『想い出の渚』でデビューしています。

 そして、翌年、1967年になると、ザ・タイガースが『シーサイド・バウンド』でデビューし、ほかにも、ザ・ゴールデン・カップス、ザ・テンプターズ、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズ、ザ・ランチャーズなどが、続々とデビューし、その後、「GS ブーム」となっていきます……。

 そう考えると、「ザ・サベージ」も、そういう「GS」の系譜の最初の方に位置しているように思えるでしょ……。

 だいたい……、もともと、この「ザ・サベージ」というバンドは、『アパッチ』 『ワンダフル・ランド』などがヒットし、日本だと、聴くとなんとも言えないキモチになる『春がいっぱい(Spring Is Nearly Here)』で知られるイギリスのギター・インスト・バンド「ザ・シャドウズ(The Shadows)」のコピーバンドでした(だから、やっぱりフォークじゃない)。バンド名の「ザ・サベージ」も、「ザ・シャドウズ」のヒット曲『サベージ』からとったものです。

 バンドリーダーは、デビュー当時、日大芸術学部在学中だった、サイドギター&ボーカルの奥島吉雄。リードギターの林廉吉も慶應に在学中で、ベース&ボーカルの寺尾聰は、2回もダブッてて玉川学園高校在学中……(その前には、法政二高を退学)。

 で、この『いつまでも いつまでも』は、1番と3番を奥島吉雄が、2番を寺尾聰がリードボーカルとして歌っています。すご〜く声が似ているので、言われないとわからないですが……。いずれにしろ、当時、そういうツイン・ボーカルみたいなのも新鮮でした。

 その奥島吉雄は、「ザ・サベージ」解散後にも、サウンド・ボックスというバンドをやっていますが、1曲のみのリリースで、その後は、ヤマハ音楽振興会で制作ディレクター〜プロデューサーとなり、もと「ランチャーズ」の渡辺有三氏(当時、ポニーキャニオン)と共に、中島みゆきらを育てています……。

 ちなみに、ヤマハが主催していた「ポプコン」(ポピュラーソング・コンテスト)に応募して、決勝に残れなかった長渕剛を発掘したのも、この奥島吉雄と、もと「ザ・リガニーズ」の新田和長(当時、東芝EMIのディレクター)の二人だったり……。

 一方、寺尾聰と言えば……、1981年に『ルビーの指環』(作詞:松本隆、作曲:寺尾聰、編曲:井上鑑)が大ヒットした、ご存知、昭和の名俳優・宇野重吉の息子で、俳優で歌手(シンガーソングライター)。最近でも、本人出演の「平松剛法律事務所」のテレビCMで、『出航 SASURAI』(作詞:有川正沙子、作曲:寺尾聰、編曲:井上鑑)が流れていたりしますね〜。

 さて、この「ザ・サベージ」……、レコード・デビューのきっかけとなったのが、フジテレビの『勝ち抜きエレキ合戦』で4週連続チャンピオンになり、さらに翌年、日本テレビ「世界へとび出せ ニューエレキサウンド」でも優勝したコトで、デビューとともに、ロンドンのフィリップスでのレコーディングも約束されていました。当時としては、スゴイことです……。

 当然、ザ・サベージのメンバーは、ロンドンで「ザ・シャドウズ」のような、エレキ・インスト曲をレコーディングするつもりだったのが、正式に契約したホリプロが「エレキ・インストでは売れない」と考え、当時、ホロプロ所属だった佐々木 勉(ささき べん)が作詞・作曲した「歌モノ」、この『いつまでも いつまでも』になったと言われています……。

 この「佐々木 勉」ですが、今で言う「シンガーソングライター」の元祖みたいなヒトで、もともと、バンドのシンガーとしてプレスリーなどのカバーを米軍キャンプなどで歌っていて、その後、大学時代に「小坂一也とワゴンマスターズ」にもいたりしていました。大学卒業後、一度は就職しますが、その後、作詞作曲家としてデビューし、その後、『あなたのすべてを』など自身も歌うように……。

 シンガーソングライターとしては、あまり成功しませんでしたが、この『いつまでも いつまでも』のあと、ザ・ブロードサイド・フォー『星に祈りを』、ロス・インディオス&シルビア『別れても好きな人』、ヒロシ&キーボー『3年目の浮気』、榊原郁恵『夏のお嬢さん』……などなどがヒットしています。

 とくに、いくえちゃんの曲は数多く手掛けていて、『夏のお嬢さん』意外にも『めざめのカーニバル』『微笑日記』『Do It BANG BANG』とか(いちおう、ここまでシングル曲)、『U.S.航空便』『あなたと夢とポップ・ロック』(アルバム曲だから、ほとんど誰も知らないと思う……)など、いいメロディをたくさん書いています。

 で、『いつまでも いつまでも』という曲名に注目してみると、この前年、1965年12月に、加山雄三の『君といつまでも』が発売され、主演映画『エレキの若大将』とともにヒットしています……。そんなコトも、この曲を発想するきっつかけになったのかも……。

 さらに、この『いつまでも いつまでも』のあと、同じ年の12月には、ザ・スパイダース が『なんとなく なんとなく』を、翌1967年には『いつまでも どこまでも』をリリースしていたり……(『バン・バン・バン』がB面のシングル)。
 その後も、五輪真弓『いつも そしていつまでも』、岩崎宏美『あなたへ 〜いつまでも いつでも〜』(作詞・作曲:さだまさし)、TUBE『いつも、いつまでも』や、他にも『いついつまでも』『いつになっても いつまでも』『いつまでも あなただけ』……などなど、似たようなタイトルの曲があります……。

 で、この『いつまでも いつまでも』の歌詞ですが、夏に発売された、夏っぽいサウンドの爽やかなカンジなので、甘酸っぱい青春のひとコマ……、実らぬ淡い恋を描いた、よくある失恋ソングに聞こえますが……、そうではないのかもしれません。

 まず、たしかにサウンドは夏っぽいですが、歌詞で「夏の日」と言っているのは 2番だけで、3番は「木枯らし」となっています……。そう考えると、1番の「そよ風」は、春のようにも思えます……。
 いずれにしろ、季節が変わるという時間経過とともに、出会いから別れまでの物語を描いています。

 で、ポイントは 3番です。

 3番の冒頭で「♪木枯(こがらし)が 僕の可愛い あのこを 連れていった……」と歌われています。
 たしかに、コレは、ただ単に「寒い季節になったら、カノジョが去って行ってしまい、フラれてしまった……」ともとれますが、そうではないのかもしれません……。
 たしかに、そのあとに続く「♪冷めたい 君のほほに やさしく 口づけした……」というフレーズは、寒い冬の日の別れのシーンで、「さようなら」の最後のキス、お別れのキスだった……と読みとることはできます。

 しかーし! コレが、死別だと考えたらどうでしょう……。
 「♪冷めたい 君のほほに やさしく 口づけした……」に続く、「♪あふれる 僕の涙 つきることなく いつまでも……」が、全く違って聴こえてきて、胸に迫るものがあります……。

 実際、作詞をした佐々木勉が、学生時代に彼女を水難事故で亡くしていることから、この歌詞の着想を得ているとも言われています……。ホントかどうかは、わかりませんが。

 いずれにしろ、職業作詞家とは、またちょっと違った雰囲気で、アマチュアっぽさが新鮮に感じる歌詞です。
 それでも、たとえば「湖に君と遊んだ」など、「湖で」としていないところがイイですね〜。「湖で君と遊んだ」と書くと、ただ単に事実を言っているだけですが、「湖に君と遊んだ」と言われると、なんだか急に深みとか余韻みたいなものを感じてしまいます……。

 余談ですが……、この年、1966年(昭和41年)は、やたら飛行機事故が多かった年で、2月4日には、全日空の「ボーイング 727」が羽田沖に墜落し、その1ヶ月後の3月4日には、カナダ太平洋航空の「ダグラス DC-8」が羽田沖に墜落。で、その翌日の3月5日には、BOAC(英国海外航空)の「ボーイング 707」が富士山上空で空中分解。
 さらに、8月には、日本航空の訓練機「コンベア 880」が羽田で離陸に失敗して炎上、11月には、全日空の「YS-11」が松山沖で墜落。ほかにも、海上保安庁のヘリコプターや、自衛隊機が墜落しています……。ここまで続くか!っていうくらい多いです。

 脱線ついでに……、今は、大型旅客機と言えば、「ボーイング社」製か「エアバス社」製がほとんどですが、エンジンは別売だって知っています……?
 ボーイングもエアバスもエンジンは作っていないんですね〜。エンジンは、発注元の航空会社が自由に選ぶオプションなんです。
 ジェット・エンジンを作っているのは、冷蔵庫から原発まで作っているアメリカの「GE」(ゼネラル・エレクトリック)、イギリスの「ロールス・ロイス」、そして、イージス・システムとかも作っているアメリカの「レイセオン社」傘下の「プラット・アンド・ホイットニー」が大手3社です……(ほかに、ボーイング737専用の「CFM」って会社もある)。
 だから、同じ機体でも、日本航空と全日空では、エンジンの製造元が違ってたりするんですね〜。どうでもいいことですね〜。

 で、この 1966年(昭和41年)は、日本では「航空業界の厄年」とされていて(世界で見ると1985年)、日本の航空業界にとっては、まさに悪夢のような年でした……。
 まあ、いずれにしろ、35年〜55年前のコト……、こういう事故があって、日々確実に安全になっていて、今は、まず飛行機が落っこちることなどないので、ご安心を……。
 往々にして、本当に大切なことは、失敗からしか学べないものです。

 ところで、自動車よりも飛行機の方が安全と、よく言われますが、なんでも、飛行機の場合、毎日乗ったとしても、だいたい 8,200 年に 1回 事故にあうかあわないか……、くらいの確率だそうです。

 だから、クルマで出かけるよりも、飛行機に乗っている方が安全とも言えます……。

(2020年9月23日 西山 寧)


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