松田聖子「白いパラソル」
「白いパラソル」松田聖子(3:29)※ Key= B
作詞:松本隆、作曲、財津和夫、編曲:大村雅朗
B面「花一色〜野菊のささやき〜」東映映画「野菊の墓」主題歌(作詞:松本隆、作曲、財津和夫、編曲:大村雅朗)
1981年(昭和56年)7月21日発売 EP盤 7インチレコード (45rpm、STEREO)
¥700 07SH-1026 CBS/SONY CBS・ソニー
オリコン シングル・チャート 週間1位、月間1位、年間23位
1981年10月21日発売 4th アルバム LP『風立ちぬ』(28AH1337)収録
Drums : 島村英二
E.Bass : 美久月千晴
E.Guitar : 矢島賢
F.Guitar : 笛吹利明
Keyboards : 田代マキ
Percussions : 斉藤ノブ
Glockenspiel : 金山功
Strings : 多アンサンブル
※ タイム表記は、歌詞カードには「3:29」、レーベル面には「3:26」となっている。
CBS・ソニーと集英社の雑誌『月刊セブンティーン』が主催した『ミス・セブンティーン・コンテスト』九州地区大会で優勝したことがきっかけで、1979年12月放送の日本テレビ系ドラマ『おだいじに』で女優デビューし、1980年4月1日にシングル『裸足の季節』で CBSソニーから歌手デビューした松田聖子の6枚目のシングル。デビュー時のキャッチフレーズは『抱きしめたい ミスソニー』。その後も、多くのヒット曲を出し、1980年代を代表する歌手となる。1990年代以降も、『大切なあなた』『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』など、自身で作詞作曲も手掛けた曲がヒット。オリコン1位になったシングル曲は 24曲にも及ぶ。
今年、2020年は、デビュー40周年となり、『赤いスイートピー』『SWEET MEMORIES』『瑠璃色の地球』『セイシェルの夕陽』などの名曲の再レコーディングバージョンや、松田聖子×大滝詠一の秘蔵音源『いちご畑でFUN×4』、松田聖子×財津和夫の名曲タッグによる 37年ぶりの新曲『風に向かう一輪の花』なども収録された40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』が 9月30日に ユニバーサルミュージック からリリースされる。
新しい時代をつくったスーパースター 松田聖子!
その転換期となったシングル曲!
松田聖子を進化させ 全盛期をつくった松本隆!
アイドル歌謡をポップスに変えた若松宗雄!
松田聖子が、1980年代を象徴する存在であり、時代をつくったスーパースターであることは、疑いの余地のないところです……。
そして、デビュー40周年となる今もなお、他を寄せ付けない圧倒的な存在感で、9月30日には、40周年の記念アルバムがリリースされます……。
松田聖子と言うと、自身が作詞・作曲した1990年代の『大切なあなた』や『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』、全盛期と言われる1980年代なら、ユーミン作曲の『赤いスイートピー』とか、大瀧詠一作曲の『風立ちぬ』、財津和夫作曲の『チェリーブラッサム』や『夏の扉』、大村雅朗作曲の『SWEET MEMORIES』などが、まず代表曲としてあげられるのが一般的なようです……。
ほかにも、デビュー曲の『裸足の季節』や、続く 2ndシングル『青い珊瑚礁』、ユーミン作曲の『瞳はダイアモンド』『蒼いフォトグラフ』、尾崎亜美が作詞作曲した『ボーイの季節』や『天使のウィンク』、アルバム収録曲ながら紅白でも歌われた『瑠璃色の地球』……と、意外と『白いパラソル』は出てきません……。
ですが、音楽は、そもそも食べ物の好き嫌いと同じように「好みのもの」であって、極めてパ〜ソナルなものですし、それを耳にした当時の記憶や感情と強く結びついているものなので、1981年当時、青春時代を過ごしたヒトであれば、「松田聖子と言えば『白いパラソル』!」というヒトも少なくないと思います……。
たしかに、『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色』『チェリーブラッサム』『夏の扉」と、1980年4月1日のデビューから約1年の間に出した5枚のシングルは、どれもアップテンポのイケイケの曲なのに対して、6枚目のシングル『白いパラソル』は、ミディアムテンポの曲で、やや地味な印象はあります。実際、リリース前に、当時のレコード会社、CBSソニーの中でも「ちょっと地味なんじゃないのぉ〜?ダイジョ〜ブなのぉ〜?」という声もあったようです……。
しかーし、松田聖子のデモテープを耳にして惚れ込み、反対する父親を説得し、最初は断られ続け、なかなか決まらなかった所属事務所も決めた、当時の CBSソニーのディレクター、若松宗雄氏は、自分の感覚を信じて『白いパラソル』をリリースし、結果、オリコン・シングルチャート週間1位、リリース翌月の8月には月間1位になるなど大ヒット。
でも……、実は……、ただ単に大ヒットしただけではなく、この『白いパラソル』には、当時は、多くの人が気付いていませんでしたが、その後の松田聖子の活躍を決定付けた、重要な要素がありました……。
と、その前に……、この1981年が、どんな年だったかを思い出してみましょう。
前年の1980年に、田中康夫が『なんとなく、クリスタル』を出し、この1981年も、ハマトラ・ブームの真っ只中。青山の「ボートハウス」の前には行列が絶えず、「ボートハウス」「シップス」「クルーズ」「シーズ」のトレーナーがオシャレの最先端。
また、1981年は、黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が発売され「トットちゃんブーム」が起こり、プロ野球では、阪神の江本孟紀投手が「ベンチがアホ」発言、中日の宇野はヘディング事件を起こし、「レンタル・レコード店」が大流行し、JR は、まだ国鉄で、山手線は国電と呼ばれていたころ……。
ちなみに、赤城乳業が「ガリガリ君」を、ロッテが「雪見だいふく」を発売したのもこの年……、どうでもいいことですが。
音楽で言えば、1970年代を代表するアイドル歌手だった山口百恵が引退したのが 1980年で、入れ替わるように、松田聖子が歌手デビュー。『白いパラソル』が発売された1981年は、ピンク・レディーが解散した年でもあり、何か時代の変わり目を感じさせますね……。
ただ単に区切りのいい数字にこじつけて言っているワケではなく、ファッションといい、音楽といい、なんとなく、この1980年から1981年ころに、時代の空気が大きく変わった気がします……。
「1980年代になった!」という時代のムードがそうさせたのですかね……。
たとえば、かぐや姫の『神田川』に代表されるような、1970年代の いわゆる「四畳半フォーク」から、ユーミンの『恋人がサンタクロース』(1980年12月)や、大瀧詠一の『君は天然色』(1981年3月)のように、なんだか、急にオシャレになり、世の中がパッと明るくなったような気がしたものです……。
そういうタイミングでデビューし、そんな時代の象徴となったのが、松田聖子だったのではないでしょうか……。
たしかに、そういう時代背景もありますが、松田聖子が売れたのは、もちろん、その歌声が第1の理由です。
さわやかで、響きが底抜けに明るくて 細いのに芯があってクリアで伸びやか、それでいてハスキーなところもある……、とにかく、理屈ではなく、聴く人の心を捉える魅力に溢れていました。歌手は、技術やテクニックよりも、まず歌声です……。
そして、その声を生かすために、ディレクターの若松氏は、それまでの日本の歌謡曲の良いところを残しながらも、洋楽のサウンドやテイストを大胆に取り入れました。
デビュー曲は、最初、すでに売れっ子だった作曲家の筒美京平に作曲を依頼するつもりだったようですが、筒美京平があまりに多忙で順番待ちになってしまうため、ディレクターの若松氏は、まさにアメリカンポップス的な曲、サーカスの『アメリカン・フィーリング』(1979年)を作曲した小田裕一郎に依頼。その結果、できたのがデビュー曲の『裸足の季節』です。
『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色 / Eighteen』と、3枚目のシングルまで、小田裕一郎の曲のアレンジを担当した「信田かずお」も「アレンジは TOTO とか ボズ・スキャッグス など、当時の最先端の洋楽をイメージしていて、日本の歌に洋楽のテイストをガンガンと乗せていった」と言っているように、それまでの歌謡曲とは違う、新鮮でオシャレなサウンドでした。
さらに、4枚目のシングル『チェリーブラッサム』以降、松田聖子のシングルの多くをアレンジした、天才アレンジャー・大村雅朗が、ディレクターの若松氏と「信田かずお」が作ったコンセプトを、さらに進化させます。
ちなみに、『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』という本が2017年に出ていて、FBS福岡放送制作の特番『風の譜〜福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗〜』が今年の6月にBS日テレで放送されたりもしています。
それまでも、ロック調の歌謡曲はありましたが、大村雅朗が最初にアレンジした松田聖子の曲『チェリーブラッサム』や続く『夏の扉』は、激しいロック・ギター・サウンドでありながらポップでさわやか、当時のアメリカ西海岸風のサウンド、いわゆる AOR風なサウンドになっていました。
余談ですが、今剛(こん つよし)や松原正樹といったスタジオミュージシャンのレジェンド・ギタリストが弾いた『チェリーブラッサム』や『夏の扉』(以上、今剛)、『赤いスイートピー』『渚のバルコニー』(以上、松原正樹)などは、アマチュア・ギタリストがコピーするような、それほど魅力的なプレイで、音楽的な質の高さの証明でもあります。
ディレクターの若松氏は、「重視したのはサウンドで、編曲を手掛けた大村雅朗さんの力がなければ、あれだけの実績は残せなかったでしょう」と言っています。
アルバムの楽曲ごとに、演奏している全てのミュージシャンのクレジットを入れたのも、アイドル歌手では珍しいことで、つまり、それほど、サウンドを重視し、自信を持っていたということでもあります。
ところで、松田聖子の場合、シングルだけでなく、アルバムがよく売れたのも、他のアイドル歌手とは大きく違っている点です。
それまで、フォーク系やニューミュージック系のアーティストは、アルバムが売れましたが、アイドル歌手のアルバムの売り上げは、その歌手のファンの数とほぼイコールのような状況で、それ以上の広がりはありませんでした。
しか〜し、松田聖子の場合、アルバム収録曲でも、ベタベタのアイドル歌謡曲ではなく、シングル曲同様のクオリティを保った作品ばかりだったため、ニューミュージックのアーティストのように売れたのです。
もはや、松田聖子の曲は、歌謡曲ではなく、ニューミュージックとかシティ・ポップとかに分類した方が正しいような気もします……。
だから、どんな歌手でも、ファンの間で「どの曲が1番か?」というハナシになるとモメるものですが、松田聖子の場合は、とくにそうなりがちです……。
たとえば……、『Only My Love』『あ・な・たの手紙』『流星ナイト』『P・R・E・S・E・N・T』『未来の花嫁』『真冬の恋人たち』『マイアミ午前5時』などなど(ワタシの好みで書いています……)、アルバム収録曲にも名曲が多いので、シングル曲ではなく、そういう曲を1番にあげるヒトも少なくないためです。いずれにしろ、そんなコトは極めてパーソナルなことなので、たいした意味はありませんが、ファンの間では楽しいものです……。
さて、そのサウンドの新鮮さ、名アレンジも、もちろん、もとの楽曲、メロディの良さがあってのことです。
そういう意味では、『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色 / Eighteen』と、3枚目のシングルまでアレンジを担当した「信田かずお」とともに作曲を担当した小田裕一郎のあと、4枚目のシングル『チェリーブラッサム』から『夏の扉』『白いパラソル』までは、財津和夫が作曲を担当。
ご存知のように、もと「チューリップ」のリーダーで、『心の旅』『虹とスニーカーの頃』『青春の影』『ブルー・スカイ』などを書いたヒトです……。
さらに、その後は、大瀧詠一、ユーミン、細野晴臣、尾崎亜美、南佳孝、来生たかおら、いわゆる職業作家ではなく、ニューミュージック系のアーティストが作曲を担当しています。
そして、そういう楽曲とアレンジを見事に歌いこなした松田聖子のボーカリストとしてのポテンシャルは、言わずもがな……。
さて、すでに、だいぶ長くなっていますが……、ようやく本題です……。
この『白いパラソル』は、いったい何を変えたのか?
松田聖子が、1980年代を代表する歌手になるほど、これほどまでに売れた大きな理由のひとつに、女性ファンの存在があります。
ご存知のように、デビューした頃は、女性アイドル歌手の例に漏れず、男性ファンが圧倒的で、どちらかと言えば、女性からは「ぶりっ子」などと言われ、嫌われる存在でした。
それを変えたのが、前5作を担当した三浦徳子に代わり、この6枚目の『白いパラソル』以降、1980年代のシングル曲のほとんどを書いた作詞家・松本隆です。松本隆は、長く売れるようにと、同性に好かれるような歌詞を書こうとしたのです。
そういう、単なる職業作詞家としてだけではなく、プロデューサー的な視点を持っていたというコトがスゴイですね〜。
で、あまり詳しくない方に、ちょっとだけ説明すると、松本隆は、1970年代には太田裕美の『木綿のハンカチーフ』や『赤いハイヒール』、中原理恵の『東京ららばい』、竹内まりやの『SEPTEMBER』、原田真二の『てぃーんず ぶるーす』や『キャンディ』などなど……、『白いパラソル』と同じ1981年には、大滝詠一『君は天然色』、寺尾聰『ルビーの指環』などを書いた、今でも現役の大作詞家です。
『白いパラソル』以降、松田聖子がオリコン1位になったシングル24曲のうち、17曲の作詞を担当し、全曲の作詞をしたアルバムも8枚で、全て1位になっています……。
松本隆の歌詞は、先に書いたような時代の変化や空気を捉え、女性が夢を見られるようなオシャレな風景描写……ファンタジーの中に、自然と自身を投影してしまうような、意思を持った女性像を描いています。
たとえば、奥村チヨの『恋の奴隷』や、西川峰子(現・仁支川峰子)『あなたにあげる』、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ……」と歌った山口百恵の『ひと夏の経験』などとは違い、男性に媚びたり 一方的に依存することなく、むしろ、オトコを振り回したり、惑わすような女性を、微妙な揺れる女心と合わせて、絶妙なバランスで書いています。
だから、松本隆が、松田聖子の女性ファンを増やしたとも言えるのです。で、その転換点となったのが、この『白いパラソル』ということ……。重要な曲なのです。
ちなみに、『白いパラソル』の歌詞に出てくる「ディンギー」は、同年、『白いパラソル』の前、3月に発売された大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』収録曲でシングルにもなった『君は天然色』にも出てきます(ともに、作詞は松本隆)。
『君は天然色』では、「渚を滑るディンギーで 手を振る君の……」と男性目線で書かれていて、『白いパラソル』では、「風を切るディンギーで さらってもいいのよ……」と女性目線で書かれています。
この2つの歌詞は、ほぼ同時期に書かれていて、同じようなシーンをイメージして書かれたのではないでしょうか……。
そして、この『白いパラソル』には、「別アレンジのバージョンが存在する」ということもよく言われます。
実は、最初のアレンジでは、現在、世の中に出ているようなアレンジではなく、前作、前々作の『チェリーブラッサム』や『夏の扉』と同じようなサウンドのアレンジでした。イントロは「エアプレイ」(1980年にアルバムリリースしたアメリカのAORバンド)みたいなコード進行で、ツインギターが華やかなロック調で、実にカッコよくできています。
どちらかといえば、そっちの方が、それまでの松田聖子のイメージ通りですが、それを、ディレクターの若松氏は、あえて、社内からも反対されるような、ミディアムテンポの現在のアレンジに変えたのです……。
ちなみに、ジャケットの写真も、それまでの「顔アップ!ドーン!」みたいなものから、『白いパラソル』では、全身のヒキの写真になっていて、そういうところからも、「変えよう」という意思が感じられます……。
で、出来上がったアレンジを変えよういうその判断と勇気もスゴイですが、そのオーダーに応えて見事なアレンジにした大村雅朗もスゴイです。
だって、一度「イイ!」と思って作り上げたものを、再度、作り直すのはタイヘンなことですもの……。
ちなみに、『白いパラソル』のイントロは、ドゥービー・ブラザースでヒットしていた『ホワット・ア・フール・ビリーヴス』(1979年)からイメージしたような気がしています……。
ちなみに、元のアレンジはノリが良いので、コンサートなどでは、このオケが使用されたこともあったようです。
いずれにしろ、1980年のデビューからは、「作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお」のチームが新しい洋楽的なテイストで松田聖子をブレイクさせ、そして、この1981年の『白いパラソル』からは、「作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗)のチームがそれをさらに進化させていきました……。
南沙織、天地真理、キャンディーズ、山口百恵……という、当時の CBSソニーのアイドルの系譜の中で、どこか影のある「和の雰囲気」を持った1970年代のスーパースター・山口百恵に代わり、陰りが一切ない、明るい「洋の雰囲気」を持った松田聖子を発掘し、明確なコンセプトと信念のもとに制作チームを作り、見事に1980年代のスーパースターを作り上げた、ディレクター・若松宗雄氏の手腕と感性……。
あらためて、こうして考えてみると、若松宗雄氏なくては、今のような松田聖子は生まれなかったのではないでしょうか……。
ちなみに、若松宗雄氏が、今年、2020年の5月に開設された 自身の YouTube チャンネルで、「松田聖子ストーリー」を語っていらっしゃいます。おもしろいですよ……、ホンモノですから。
「動画100本連続投稿」などという、名プロデューサーらしい企画でアップされているので、それぞれは5分くらいですが、かなり大量にあるので、とりあえず、今回の『白いパラソル』について話されている2回分のみ、下に貼り付けておきます。
ご興味のある方は、チャンネルのリンクもつけておきますので……。
(2020年9月16日 西山 寧)
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CD『白いパラソル』ソニーミュージック
収録 CD『SEIKO MEMORIES -Masaaki Omura Works-』ソニーミュージック
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