第50回 暁テル子「ミネソタの卵売り」(1951年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
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第50回 暁テル子「ミネソタの卵売り」(1951年)

ココココ コケッコ
ココココ コケッコ
私は ミネソタの卵売り ……
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暁テル子「ミネソタの卵売り」

「ミネソタの卵売り」暁テル子(2:32) Key= Am 流行歌
作詞:佐伯孝夫、作曲:利根一郎、編曲:利根一郎、伴奏:日本ビクター管絃楽団
1951年(昭和26年)2月発売 SP盤 10インチレコード (78rpm、モノラル) 
V-40548(P-1936) VICTOR / ビクターレコード(日本ビクター)


 子供のころから、松竹少女歌劇団 (SSK)、古川ロッパ一座、アーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)のスターとして活躍し、1939年(昭和14年)からは、並木路子らと4人でジョリー・シスターズとしても活躍。1949年(昭和24年)2月、服部良一門下の歌手として、ビクターレコード専属歌手として「南の恋唄」「これがブギウギ」で歌手デビュー。笠置シヅ子とともに、ブギウギ・ブームで一世を風靡した流行歌歌手、暁テル子、1951年(昭和26年)の大ヒットとなったシングル曲が「ミネソタの卵売り」。この年の売上は、津村謙「上海帰りのリル」に次いで「ミネソタの卵売り」が年間2位と言われている。この年には、1年間でシングルを18枚以上リリースし、同年5月発売の「東京シューシャインボーイ」も大ヒットとなる。
 この年、2月の「ミネソタの卵売り」の発売前、同年1月3日に行われた「第1回 NHK 紅白歌合戦」にも出場し「リオのポポ売り」を歌唱。その後、NHK 紅白歌合戦には4回出場。その後、ミュージカルコメディを初めとする劇映画などでも活躍。1958年(昭和33年)に病気のため、事実上の引退となり、1962年(昭和37年)41歳の若さで亡くなった。
 「ミネソタの卵売り」は、1970年代に「ハウス シャンメン たまごめん」、1980年代には「イシイのタマゴにべんり」のテレビコマーシャルソングとして、替え歌が使われた。


ミネソタに卵売りはいたのか? ご当地ソングなのか?
実は3部作だった? 時空を超えたファンタジー?
『ミネソタの卵売り』を勝手に考えてみると……


 2〜3日前に、「トランプ再選、民主党の牙城ミネソタ州の勝利が鍵か?」というブルームバーグの記事を見かけました。なんでも、共和党の大統領がミネソタ州で勝利したのは、1932年以降3回しかなく、ミネソタなど4州での勝利の組み合わせが、再選への道となるため、トランプは、ミネソタ州での勝利を目指し、人的資源や資金を投入しているらしい……。

 その記事を見た時に、頭の中で、突然、鳴り出したのが、「♪コッコッコッコッ コケッコ〜」でした……。

 一度、耳にしてしまうだけで、強烈に刷り込まれてしまう曲で、脳内リピ〜ト、ちゃんとした言葉で言うと「イヤ〜ワ〜ム」というヤツに陥りやすい曲です……。

 でも、「ミネソタ」と聞いても、カリフォルニアとかニューヨークとかフロリダなどとは違い、あまり馴染みのない地名です。
 野球好きなら、「ミネソタ・ツインズにマエケンがいるじゃん!」と言われて「あ〜」って思うくらいで、まあ、それが、いったいドコにあって、どんなトコロなのか、ほとんどの日本人は知りません。

 アメリカ合衆国のミネソタ州は、中西部の北の端、カナダに接する州で、最大の都市はミネアポリス、州都は川を挟んでお隣のセントポール。緯度は北緯45度で、北海道の幌延町と同じくらいですから、ま〜寒いトコロみたいです。

 いまでも、それほど知らない土地ですから、『ミネソタの卵売り』が発売された 1951年(昭和26年)当時の日本人には、もっとわからなかったことでしょう……。
 なにしろ、敗戦から、まだ 5年……、米国駐在経験があってアメリカの国力をよく知る山本五十六がホントに戦争に反対したのかどうかはわかりませんが、もちろん、テレビもインターネットもない時代に、それがアメリカの州の名前であることすら、知らないヒトも多かったのではないでしょうか……。

 で、昔の「豆腐屋」とか「納豆売り」みたいに、ミネソタに「卵売り」がいたのかと言うと、そんなのは、昔も今もいませ〜ん。ミネソタ州は、農業が盛んではありますが、養鶏業がとくに盛んというワケでもないです。

 そいじゃあ、「卵売り」とは、いったい何なのか?

 見たコトはないので、なんとも言えませんが、「卵売り」というのは、江戸時代の日本にいたらしいです……。

 つまり、『ミネソタの卵売り』とは、「江戸時代の日本」と「ミネソタ」という、まさに、時空を超えたファンタジ〜だったというコトです……。

 で、この年、1951年(昭和26年)に、最も売れた曲は、津村謙の『上海帰りのリル』で、『ミネソタの卵売り』は、それに次ぐ売れゆきだったようです。

 実は、『上海帰りのリル』や『ミネソタの卵売り』のほかにも、『アルプスの牧場』(灰田勝彦)とか、『巴里の夜』(二葉あき子)、『桑港のチャイナ街』(渡辺はま子)(発売は前年の1950年)など、「上海、ミネソタ、アルプス、パリ、サンフランシスコ」と、外国の地名が出てくる曲は少なくありませんでした。

 余談ですが(いつも9割方 余談ですが……)、この年、瀬川伸の『上州鴉』もヒットしました……、そうです、瀬川瑛子のお父さんです。

 で、吉田茂がサンフランシスコ平和条約(昔は講和条約って言ってた気がする……)を結び(発行は、翌1952年)、ハリー・トルーマンとモメて4月にクビになるまで GHQ 最高司令官だったマッカーサーが日本にいた 1951年(昭和26年)、この年、日本で初めて、LPレコードが日本コロムビアから発売されました。ベートーヴェンの『交響曲第9番』とかだったようです。

 この年、音楽的には、もうひとつ大事件がありました。それは、第1回の「紅白歌合戦」が開催されたコトです。もっとも、当時の名前は「紅白音楽合戦」でしたが。総合司会は、田辺靖雄のお父さんの田辺正晴アナウンサーで、1月3日に、NHK東京放送会館のスタジオからの放送でした。

 紅組が、菅原都々子、暁テル子、菊池章子、赤坂小梅、松島詩子、二葉あき子、渡辺はま子。 白組は、鶴田六郎、林伊佐緒、近江俊郎、鈴木正夫(民謡)、楠木繁夫、東海林太郎、藤山一郎という、計14人の歌手が出場。

 当時は、その名のごとく合戦色が強く、紅組キャプテンの渡辺はま子、白組キャプテンの藤山一郎が、それぞれ、相手の出方を見ながら、誰に何を歌わせるかをその場で決めてるという、なんともライブ感あふれるスリリングなものでした。

 この時、『ミネソタの卵売り』はまだ発売前で、暁テル子の歌唱曲は、『リオのポポ売り』でした。(「ポポ」が何なのかどうしても気になる方は、ご自身でお調べください……。)

 ちなみに、この 第1回の「紅白歌合戦」、トリで藤山一郎が歌った曲は、最近、朝ドラ効果もあってブ〜ムとなっている古関裕而が作曲した『長崎の鐘』でした……。

 ハナシを戻します……。

 この『ミネソタの卵売り』の歌詞を書いたのは、早稲田の仏文科を出たあと新聞記者を経て、ビクターの専属作詞家になった、西條八十の門下生だった佐伯孝夫。
 灰田勝彦の『燦めく星座』『鈴懸の径』『野球小僧』や、作曲家の服部良一とのコンビによる『東京の屋根の下』(灰田勝彦)、『三味線ブギウギ』(市丸)、『銀座カンカン娘』(高峰秀子)など……、『桑港のチャイナタウン』(渡辺はま子)も、佐伯孝夫が作詞しています。

 その後も、小畑実の『湯島の白梅』『高原の駅よ、さようなら』や、吉永小百合&和田弘とマヒナスターズの『寒い朝』、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』『東京ナイト・クラブ』、橋幸夫&吉永小百合『いつでも夢を』や、『潮来笠』をはじめとする橋幸夫の「股旅もの」のほとんどを書いているスゴイ人です。わかりませんが、1千曲くらい書いたのではないでしょうか……。

 で、なぜ『ミネソタの卵売り』というタイトルが出てきたのでしょう……?

 有力な説として、「佐伯孝夫の家にミネソタ州からお客が来た時に、卵売りがやってきた」というものがあるようですが、ちょっとにわかには信じられないハナシです……。

 佐伯孝夫、本人に聞いたワケではないのでわかりませんが、おそらく、まず、ただ単に「ミネソタ」という語感が良かったからではないかと思われます……(想像です)。

 『ミネソタの卵売り』もそうですが、このころの流行歌は、ジャズがベースになっていて、演奏もだいたいジャズマン。それで、なんとなくアメリカの地名から、メロディに乗りやすく、歌った時の音の響きも考えて、「ミネソタ」を選んだのではないでしょうか……。

 だって……、同じ4文字で考えてみると、アイダホとかオハイオとか「ハ行」だと歌いにくいし、チカラが抜けるようなマヌケなカンジもします。オレゴンとかモンタナとかミシガン、「ゴン」とか「モン」とか「ガン」もマヌケですし、だいたい「ン」も歌いにくいです……。

 コロラドとかアイダホも発音しにくいし、アラスカじゃ寒すぎるし……、そういう意味では。テキサスとかアリゾナとかアラバマは良いのですが、中では有名な州名です。きっと、もっと知られていない地名にしたかったから、ミネソタを選んだのではないかと思われます……(想像です)。

 仮に、「ミネソタ」の由来がそうだとして、では、「卵売り」は何なのでしょう……? ちょっと飛躍すると、「卵」そのものが、「アメリカを象徴するもの」だったのかもしれません。

 昔の戦争映画で、米軍兵士が戦地でスクランブルエッグを食べてるシーンがあって、「あ〜、粉末卵じゃなくて、本物の卵が食べたいな〜」と話すのを見たことがあります……、何の映画だったかは忘れましたが。

 もちろん、日本でも卵はずっと食べられていましたが、このころの日本では、チョコレ〜トをくれる豊かなアメリカとは違い、まだ卵は高価で貴重なモノだったと思われます。

 さすがに、昭和26年の卵事情がどうだったかは知りませんが、ワタシの記憶でも、昔は、今みたいな10コパックではなく、卵はバラ売りで、1個20〜30円くらいしてたような気もします……。

 だいたい、「巨人・大鵬・たまご焼き」と言われたのも、その10年後、高度経済成長期の昭和35年ころからですから……。

 語感の良さと、そのアメリカを象徴するもの……、そんなところが発想のもとだったように思います……(想像です)。

 そして、そういうことに加えて、戦略的な理由も考えられます。

 実は、暁テル子は、『ミネソタの卵売り』の前にも、『リオのポポ売り』(1950年5月)、『チロルのミルク売り』(1950年8月)という曲を歌っていて、『ミネソタの卵売り』(1951年2月)で、「外国のナントカ売り」シリ〜ズ 3部作となるのです。

 だから、「また、”外国のナントカ売り” でいこ〜ぜ!」みたいなハナシが制作過程のどっかであって、「リオ」「チロル」と、南米〜欧州を旅してきたので、「今度は、北米かな?」ってな軽いカンジで決めたのではないかと思います……(想像です)。

 暁テル子には、その後も、「外国のナントカ売り」の セ〜ルス・ウ〜マン・シリ〜ズ があって、『陽気な花売娘』(1953年3月)とか、『港キューバのタバコ売り』(1956年8月)とかあります……。よくわかりませんが、『メロンはいかが』(1951年5月)なぁ〜んてのも、売っていたのではないでしょうか……。

 ちなみに、この『ミネソタの卵売り』と同じ年に、美空ひばりの『ひばりの花売娘』もヒットしました。「花売娘」は人気なんですね。

 さらに、戦略的な理由を考えた時、もうひとつの要素として、「ナントカ売り」だけでなく、「ご当地ソング」にしたかったのではないかと思われます……。

 もっとも、『ミネソタの卵売り』と言っても、ミネソタの地名や風景が登場するわけではないので、「ご当地ソングの女王」こと水森かおりをはじめ、今の演歌歌謡界で流行っているような、その土地土地の名所を歌ったいわゆる「ご当地ソング」とは、ちょっと雰囲気は違いますが……。
 しかし、『上海帰りの〜』とか『桑港の〜』といったような、外国を舞台にした「ご当地ソング」的なモノが、この頃から少なくなかったということは、異国情緒を感じさせるとか、何かウケがよかったからでしょう。

 暁テル子も、『リオのポポ売り』『チロルのミルク売り』『ミネソタの卵売り』3部作や『港キューバのタバコ売り』以外にも、『おらんだ絵巻』『ラプラタの夜話』『ミシシッピーの恋の唄』『ハワイ悲歌』『ホノルルボンガ』『君と行くアメリカ航路』など、「異国ご当地ソング」がたくさんあります……。もちろん、銀座、長崎などを舞台にした「国内もの」もたくさんあったりします。

 余談ですが……、暁テル子の曲には、気になる曲名が多く、たとえば、『これがブギウギ』のあとに『鬼のブギウギ』を出してますし、『東京カチンカ娘』『銀座ジャングル』『香水と洋傘』『赤いグラスも』(「赤いグラス」でなく「グラスも」ってトコが気になる〜)、『銀座の牝豹』『お嬢さんご用心』『ミシン娘』『りべらる銀座』『たぬきルムバ』『チャンポン・ルンバ』『桃太郎ブギ』『びっくりしゃっくりブギ』『お家で待ってるわ』『ねずみとドラム』……、極め付きは、『そんなのないわよ』『亭主のお古は味がある』……、なんとも気になる、聴いてみたくなる、人を食ったようなタイトルが、まあ〜たくさんあります。
 そういうのを、最近では。「キャッチ〜だね」と言うようです……。

 「たんなる語感の良さと、あまり知られていないミネソタ」、「アメリカの象徴の卵」、「ナントカ売り」シリーズ、「異国ご当地ソング」……、と勝手に理由を想像してみましたが……、みなさんは、どうお考えでしょう……。

 ところで、この『ミネソタの卵売り』の作曲は、利根一郎。『星の流れに』(菊池章子)、『星影の小径』(小畑実)、『ガード下の靴みがき』(宮城まり子)、『若いお巡りさん』(曽根史郎)、『雨の中の二人』(橋幸夫)、『霧氷』(橋幸夫)などを書いたヒットメーカー。

 歌詞が先だったのか、曲が先だったのかわかりませんが(この当時なので、おそらく詞先と思われます)、「♪コッコッコッコッ コケッコ〜」は、実にうまくメロディをつけたものです。とくに「コケッコ〜」で上がるトコロなんか。
 毎コーラスの最後の方の「♪コッコッ コココ コケッコ〜」のところ、「コココ」が「タタタ」と 2拍3連 になるところなんか、実にトリッキ〜でイイです。

 ただ……、絶対音感のあるヒトにとっては、なんともキモチワルイのが、2番の「♪ドレミファ ソラシド」と歌われているトコロです。「ドレミファ ソラシド」と言いながら、本当の音は「ラシドレ ミラシドだからです……。

 ちなみに、この同じ年、『NHKラジオ歌謡』からヒットした並木路子の『森の水車』では、「♪コトコト コットン コトコト コットン ファミレド シドレミファ〜」と歌われていますが、コレは、音符の音の通りの歌詞で安心です。

 いずれにしろ、日本中が焼け野原になって、たった 5年しかたっていない頃の発売です。東日本大震災の復興を見てもわかるように、まだまだ、大変な時代でした。
 そんな中、ジャズなど外国のリズムを使ったサウンドのリズム歌謡、横文字を使った明るくコミカルな歌は、戦争の反動もあったかもしれませんし、時代の欲求だったのかもしれません……。

 まあ、いろんな意味でギリギリの歌ですが……、しかし、冒頭でも書いたように、一度聴けば忘れられないような強烈な訴求力を持った歌です。

 実際、1970年代なら、『ハウス シャンメン「たまごめん」』、1980年代なら、『イシイの「タマゴにべんり」』の CM で知った世代も少なくないようです。で、そういう人たちの中には、『ミネソタの卵売り』の替え歌ではなく、もともと CM ソング だと今だにそう思っているヒトも少なくありません。

 つまり、それくらい、もともと CM ソング だと思ってしまうくらい、キャッチ〜な曲だというコトです……。

 ところで……、タマゴは、漢字で書くと「卵」と「玉子」の 2種類の書き方がありますが、その違いを明確にご存知でしょうか……?
 タブン、なんとなく、感覚的にはみんなわかっているみたいで、だいたい正しい使い方になっています……。

 なんでも……、調理前か調理後で区別されていて、つまり、カンタンに言えば、ナマが「卵」で、火が通ると「玉子」となるようです。
 「卵かけごはん」が正解で「玉子かけごはん」は間違い。「玉子焼き」「玉子丼」が正解で、たしかに……、考えてみると「卵焼き」「卵丼」という表記は、あまり見かけませんし、なんだか違和感を感じます……。

 だから、『ミネソタの卵売り』は、それで良いのですが、「ゆで卵」ってどうなんでしょう……? 明らかに火が通っていますが、「ゆで玉子」ってあんまり見ないような気も……。「ゆでた生卵」って意味なんでしょうかね……。そうなると、今度は、なぜ、あえて「ナマ卵」と言うのか気になってきます……。

(2020年9月9日 西山 寧)


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