第47回 内山田洋とクール・ファイブ『長崎は今日も雨だった』(1969年) -MUSIC GUIDE ミュージックガイド

色あせない昭和の名曲
便利でないことが、しあわせだった、あのころ …

週刊・連載コラム「なつ歌詞」

時代を思い出す扉が 歌であってくれればいい … (阿久悠)

第47回 内山田洋とクール・ファイブ『長崎は今日も雨だった』(1969年)

頬にこぼれる なみだの雨に
命も 恋も 捨てたのに ……
MUSICGUIDEから最新情報をお知らせします。

内山田洋とクール・ファイブ『長崎は今日も雨だった』

内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」 Side 2「涙こがした恋」(作詞:中山淳太郎、村上千秋、作曲:城美好)
作詞:永田貴子、作曲:彩木雅夫、編曲:森岡賢一郎、エンジニア:内沼映二、録音:ビクター築地スタジオ
1969年(昭和44年)2月1日発売 EP盤 7インチ シングルレコード (45rpm、STEREO)
¥400 JRT-1015 RCA / 日本ビクター

1969年 オリコン・シングル年間チャート8位

第11回日本レコード大賞・新人賞
第2回日本有線大賞・新人賞
新宿音楽祭・新人賞

ジャケットのキャッチコピー文
『RCA流行歌路線第1弾!有線放送で、人気第1位のムード・コーラス艶歌の決定盤!』


 1967年、長崎で結成し、1968年、ボーカルに前川清が加わった「内山田洋とクール・ファイブ」のデビュー曲。発売当初はあまり売れなかったが、4月にコント55号のテレビ番組『お昼のゴールデン・ショー』に出演したことがきっかけでヒット。6月23日付オリコン・チャートで最高位2位を記録(1位は森進一『港町ブルース』)。7月9日には長崎公会堂で凱旋公演、7月31日には『長崎は今日も雨だった』100万枚突破記念パーティーが開催された。この年、新宿音楽祭と日本有線大賞で新人賞、そして、12月31日には、レコード大賞の新人賞を受賞し、NHK『紅白歌合戦』にも初出場するなどし、一躍有名となった。
 その後、『逢わずに愛して』『噂の女』『そして、神戸』『中の島ブルース』『東京砂漠』などがヒット。NHK紅白歌合戦には、「クール・ファイブ」として11回出場。
 1987年には、 ボーカルの前川清が脱退し、ソロとして活動を始めるが、2006年、リーダーの内山田洋が死去したことをきっかけに、同年大晦日の「第57回NHK紅白歌合戦」に、ほかのオリジナルメンバーとともに出演。このことをきっかけに、グループ活動が事実上再開され、前川清はソロ活動とともに、「前川清&クール・ファイブ」としても活動している。


キャバレーのマネージャーが作詞!
デビュー曲にしてグループ最大のヒット曲!
長崎は「ご当地ソング」の宝庫!


 由紀さおり『夜明けのスキャット』、森進一『港町ブルース』、いしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、皆川おさむ『黒ネコのタンゴ』、奥村チヨ『恋の奴隷』、鶴岡雅義と東京ロマンチカ『君は心の妻だから』、弘田三枝子『人形の家』、佐川満男『今は幸せかい』……などがヒットしていた1969年(昭和44年)発売、「内山田洋とクール・ファイブ」のデビュー曲であり、グループで最大のヒットとなった曲です。

 当時、洋楽では、ビートルズ『ゲット・バック』、B. J. トーマス『雨にぬれても』、ニール・ダイアモンド『スイート・キャロライン』、フィフス・ディメンション『輝く星座〜レット・ザ・サンシャイン・イン』、フランシス・レイ・オーケストラ『白い恋人たち』……なんかが売れていたころ。ツェッペリンの『グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』が入ったデビューアルバム『レッド・ツェッペリン I』が発売されたのもこの年です……。

 この頃は、洋楽も邦楽も、心に残るイイ曲がたくさんありましたね……。

 1967年に結成された「内山田洋とクール・ファイブ」は、長崎のグランド・キャバレー『銀馬車』の専属バンドとして、今で言うオールディーズなどロックを中心に演奏していました。そうです、そもそも、ロックバンドだったんです。

 米軍基地のある佐世保で育った前川清も、もともと、オールディーズやロックンロールを聴いて育ちましたし、プレスリーなどオールディーズばかりを歌うライブも最近やったりしています(ちなみに、この時は、直立不動ではありません)。

 ハナシを戻します……。

 そんな中、1968年に、キャバレー『銀馬車』のマネージャーだった吉田孝穂というヒトの主導で、自主制作で録音した『西海ブルース』と『涙こがした恋』が、長崎放送や地元の有線放送でかけられて人気となり、森進一を育てたナベプロのチャーリー石黒にスカウトされ、デビューが決まります。

 1969年1月8日に、メンバー全員が、国鉄の寝台特急『さくら』で、長崎から東京まで20時間かけてやってきて、ビクター築地スタジオでレコーディングされた『長崎は今日も雨だった』は(レコーディングで、楽器の演奏はしていません)、2月1日にシングル・レコードとして発売されました。

 当時、GSではなく、歌謡曲系のグループと言えば、マヒナスターズみたいなハワイアン系とか、ロス・プリモスなどラテン系の感じが主流でしたから、どこか洋楽の匂いを感じる、メジャー調・3連・ロッカバラードの『長崎は今日も雨だった』のサウンドは新鮮でした。それでいて、ちゃんと歌謡曲でしたし。

 おそらく、プラターズの『オンリー・ユー』や、ザ・ハーツの『ロンリー・ナイツ』などをイメージしたのかと思われますが、イントロのサックスと、「♪ルルルル〜」のドゥワップ風のコーラスを聴いただけでワクワクします。実際、内山田洋も「プラターズのコーラスのようにポップス的にしたい……」と思っていたようです。歌中のバックに、さりげな〜く入っているストリングスも効いてますね〜。

 その見事な編曲は、『ブルー・シャトウ』『君といつまでも』『花と蝶』『二人でお酒を』『小指の想い出』『街の灯り』『虹色の湖』『カナダからの手紙』『霧の摩周湖」『想い出の渚』『わたしの城下町』『瀬戸の花嫁』などを手掛けた森岡賢一郎というヒトがやっています。どの曲も、イントロが印象的で、ハナ歌で歌える耳に残っている名アレンジですね〜。
 その後、「内山田洋とクール・ファイブ」でも、多くの曲で編曲を担当しています。

 で、作曲した彩木雅夫というヒトは、実にユニ〜クなヒトで、1966年、北海道放送(HBC)のディレクター時代に、ジャッキー吉川とブルーコメッツの『愛の終りに』で作曲家としてデビューしています。
 その後も、北海道でディレクターを務めながら、森進一『命かれても』『花と蝶』などを書いていて、『長崎は今日も雨だった』の後にも、『逢わずに愛して』とか、殿さまキングスの『なみだの操』とか、日本人の心に染みるイイ曲を書いています……。
 なんでも、『長崎は今日も雨だった』のメロディは、石原裕次郎の『夜霧よ今夜も有難う』にヒントを得て書いたそうな……。

 さて、一方、作詞の永田貴子(「たかこ」ではなく「たかし」)というのは、実は、キャバレー『銀馬車』(クールファイブが長崎で演奏していた店)のマネージャーだった吉田孝穂のペンネームです……、なんと……。

 永田貴子こと吉田孝穂が書いたのは、もともと『長崎の夜』というタイトルで、「雨」は歌詞の中のどこにも入っていなかったモノを、作曲の彩木雅夫が、原型がなくなるほど、ほとんど書き換えてしまったようで、最終的に、今のタイトルと歌詞になったとのこと。元になった歌詞も見てみたい気もしますが……。

 いずれにしろ、言葉とメロディの相性が良く、一度聴けば覚えてしまうイイ歌です。

 ところで、こういう地名や名所の名前が入った歌を、「ご当地ソング」と呼ぶようになったのは、1966年に発売された美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』からと言われているようですが、実際には、それ以前からたくさんありました。

 なんとなく、横浜、神戸、長崎が、歌の舞台になりがちな気もしますね……。外国人居留地のあった横浜や神戸、古くから南蛮貿易で栄え、カソリックの教会がいっぱいある長崎……。いずれも、おサカナのニオイのする漁港じゃない、イイ匂いのしそうな異国情緒のある港町です。

 ちなみに、文化庁の宗教統計調査によると、日本のキリスト教信者の数は約190万人で、東京都と神奈川県でその約6割になるそうですが、人口1万人あたりの信者数で比べると、東京都に次いで、長崎県が2位だそうです……。余談でした。

 たとえば、横浜の「ご当地ソング」なら、『ブルー・ライト・ヨコハマ』『よこはま・たそがれ』『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』『追いかけてヨコハマ』『横浜いれぶん』『横浜の女』『ぬれて横浜』『ふりむけばヨコハマ』……、『伊勢佐木町ブルース』なんかもあります。

 神戸は、意外と少なく、内山田洋とクール・ファイブの『そして、神戸』、森進一『神戸の夜』、橋幸夫『京都・神戸・銀座』、桜田淳子『神戸で逢えたら』くらいしか思い浮かびません……。

 むしろ、大阪、京都、東京の方が、たくさんあります。

 『大阪ラプソディ』『大阪しぐれ』『ふたりの大阪』『大阪の女』『大阪暮色』『大阪すずめ』『大阪で生まれた女』……、『京都慕情』『京都の恋』『京都ひとり』『京都慕情』『京都から博多まで』『なのにあなたは京都へゆくの』『私は京都へ帰ります』『京のにわか雨』……、小柳ルミ子(河島英五)の『泣きぬれてひとり旅』や、デューク・エイセス『女ひとり』なんかも京都ですね。

 で、東京は、もっとあって、『東京砂漠』『東京だョおっ母さん』『ウナ・セラ・ディ東京』『東京アンナ』『東京ラプソディ』『東京ブルース』『ラブユー東京』『東京午前三時』『砂漠のような東京で』『おさらば東京』『東京のバスガール』『東京キッド』『東京の灯よいつまでも』『東京ナイト・クラブ』『東京五輪音頭』『東京ららばい』『東京ブギウギ』『TOKIO』……、ほかにも、上野、有楽町、銀座、赤坂、六本木、新宿などの地名が付く曲もたくさんあったりします……。

 横浜、神戸、京都、大阪、東京以外にも、札幌、小樽、釧路、函館、津軽、新潟、金沢、岐阜、小倉……などが舞台になった歌もあります……。

 しかーし! 首都である東京以外の地方都市で、「ご当地ソング」が群を抜いて多いのが、この長崎です。タブン、ダントツのナンバーワンです!

 戦後、1947年(昭和22年)、渡辺はま子の『雨のオランダ坂』とか、最近、朝ドラでやってる古関裕而が作曲し、藤山一郎が歌った1949年(昭和24年)の『長崎の鐘』、1951年の『長崎の雨』や『長崎のザボン売り』、美空ひばり『長崎の蝶々さん』、春日八郎『長崎の女』、中井昭・高橋勝とコロラティーノ『思案橋ブルース』、青江三奈『長崎ブルース』、瀬川瑛子『長崎の夜はむらさき』……などなど、たくさんあります。

 ちなみに、1972年くらいまでの代表的な曲だけでも、このくらいあります。

<長崎が舞台の歌>
1947年
『雨のオランダ坂』渡辺はま子
1949年
『長崎の鐘』藤山一郎
1951年
『長崎の雨』藤山一郎
『長崎のザボン売り』藤山一郎
1956年
『長崎ナイト』若原一郎
1957年
『長崎の蝶々さん』美空ひばり
1963年
『長崎の女』春日八郎
1968年
『思案橋ブルース』中井昭・高橋勝とコロラティーノ
『長崎の別れ星』大木英夫
『長崎ブルース』青江三奈
『思案橋“空車”』松本敏美とハニー・トーンズ
1969年
『長崎は今日も雨だった』
『西海ブルース』花菱エコーズ(1977年に内山田洋とクール・ファイブの歌で再発)
1970年
『長崎の夜はむらさき』瀬川瑛子
『出島長崎異人館』アカシア洋子
『長崎ごころ』ジ・アーズ
1971年
『長崎ばやし』都はるみ
『長崎から船に乗って』五木ひろし
『おもいでの長崎』いしだあゆみ/奥村チヨ
『わたしの心ながさき』愛原洋子
『長崎慕情』渚ゆう子
『長崎めがね橋』倍賞千恵子、ひばり児童合唱団
1972年
『長崎の子守唄』楠アコ
『長崎の恋は悲しい』都はるみ

 どうですか! こんなにたくさん歌の舞台になっているのは長崎だけです!
 とくに、『長崎は今日も雨だった』を挟んで、前年の1968年、翌年、翌々年の1970年〜1971年が多かったりします。
 もちろん、このあとにも、まだまだあります!

 たとえば、1973年には、さだまさし(佐田雅志)と吉田政美が長崎で結成したグレープがデビューし、1974年(昭和49年)に『精霊流し(L1178E)』が発売されます……。その後も、さだまさしは、『長崎小夜曲』『長崎から』『長崎BREEZE』『長崎の空』『心かさねて〜長崎の空から〜』など、長崎を舞台にした曲を多く書いていたり……。

 ちなみに、もちろん、「ご当地ソングの女王」こと水森かおりにも『長崎夜曲』があります……。

 これらを、リアルタイムで聴いていた長崎のヒトがどう感じていたのかはわかりませんが、当時、それほどまでに、長崎という場所は、歌の舞台として魅力的だったのです。

 同じような港町の神戸や横浜ではない理由は、いくら考えてもわかりませんが、おそらく、東京から寝台特急『さくら』で20時間という距離、遠かったというコトも理由のひとつではないでしょうか……。

 世界初の本格的な海上空港である長崎空港ができたのは1975年(昭和50年)のことで、その前も、大村空港はありましたが、全日空が YS-11 で、東京〜長崎線の運航を開始したのが昭和48年(1973年)ですから……。

 東京からなら、沖縄以外、だいたいドコでも飛行機で2時間以内で行ける時代になった今とは、ワタシたちの時間や距離の感覚もずいぶん違っていました……。

 いずれにしろ、長崎には、観光面で大きく貢献したことでしょう……。

 さらに、この「長崎もの」を巧みに利用しながら、一地方だけでなく何か所もセットにした「ご当地ソング」も、その後、出てきます。

 1969年、森進一の『港町ブルース』(函館、宮古、釜石、気仙沼、三崎、焼津、御前崎、高知、高松、八幡浜、別府、長崎、枕崎、鹿児島)、1971年、五木ひろしの『長崎から船に乗って』(長崎から神戸、横浜から別府、函館から東京)などがそうです。
 長崎を使いながらも、他の街もセットにして何箇所も盛り込むなんて、うまく考えたもんです……。

 ちなみに、内山田洋とクール・ファイブのデビュー曲『長崎は今日も雨だった』は、日本ビクターに新設されて間もない「RCA」レーベルからリリースされましたが、実は、ディレクターも初担当作品で、和田弘とマヒナスターズでベースを弾いていた山田競生でした。元祖イケメン俳優の広岡瞬のお父さんです……。

 そして、最後に、今日、最も言いたかったコトです。

 実は、2005年(平成17年)に、『長崎の今日は晴れだった』(後川 清&ホットファイブ)というCDがリリースされているのをご存知でしょうか?

 前川清のそっくりさん「後川清とホットファイブ」によるパロディなのですが、コレが、実によくできているんです!(歌はそんなにうまくないですが)

 で、作曲は、なんと、内山田洋とクール・ファイブ『長崎は今日も雨だった』を作曲した彩木雅夫、その人が書いています!!

 いや〜、ホントによく出来てるんですよ……。

(2020年8月19日 西山 寧)


『長崎は今日も雨だった』歌詞を見る(聴く)!


内山田洋とクール・ファイブ 歌詞一覧
前川清 歌詞一覧

作詞:永田貴子 歌詞一覧
作曲:彩木雅夫 歌詞一覧


収録CD「GOLDEN☆BEST」amazon


内山田洋とクール・ファイブ ソニーミュージック

前川清 公式サイト


内山田洋とクール・ファイブ ウィキペディア



前川清 オールディーズのライブです。『長崎は今日も雨だった』は歌っていません。

前川清 / My Favorite Songs Live 2019 〜Oldies〜 @コットンクラブ東京